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それは衝動。
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適当なバラエティを眺めながら酒を嗜んでいると、兄が風呂場から出てきてそのままキッチンへと向かっていった。俺はそれを横目で見て、良い具合に酔いが回ってきたなあ、などとどうでも良いことを考える。
兄は戸棚からコップを取り出した。冷蔵庫にいつからだったか居座っている牛乳を注ぐ兄を見て、そんなに喉が乾いているのかと問うと、そうではない、と返事が返ってきた。
「なんていうか、衝動、みたいな」
「風呂上がりに牛乳を飲みたくなる衝動?随分まあ人間らしいな」
「違う」
兄は俺を一瞥したのち、背を向けて今度は戸棚の下のほうから缶珈琲を取り出した。
「ああ、珈琲牛乳」
「うん」
━━━━日付の変わった深夜一時。
兄名義で契約されたマンションの一室。兄弟揃って遅い時間の入浴後、リビングにて俺達はささやかに羽を伸ばす。これは習慣のようなもので、毎週金曜は必ずそうだった。
今日は金曜。…日を跨いでいるから土曜なのだけれど。故に人目を気にして気を揉むことを今だけ忘れる。俺は兄との、この時間を気に入っている。
「じゃあなに、珈琲牛乳が飲みたい衝動なの」
ぷし、とプルタブの開く音が兄の立つキッチンから聞こえる。やはり随分と人間らしい行為だ。衝動などと獣に向けるような言葉を使っておいて、社会の営みにすっかり飼いならされている。
風呂上がりの珈琲牛乳。よく銭湯なんかで目にする組み合わせだ。飲みたくなるのも理解できる。俺は勝手に解釈を広げて兄の言葉に同調した。
「そう、馬鹿みたいにキンキンに冷えてて歯が溶けるくらい甘いやつ。目指してるのはそれ。…たぶん、再現しきれないけど」
「…なんだって、単に美味い珈琲牛乳を目指さないの」
「美味いモンが飲みたいってより、理由も無いんだけど、とにかくそんな調子のモンが飲みたいんだよ。言ったろ、衝動っていうか…。とにかくそんな感じなんだ」
それで、衝動。なんとなく腑に落ちて兄の言葉に頷く。
「でもほら、缶珈琲入れるとぬるくなるんだよな」
「あー、冷たいの目指してるんだっけ。牛乳多めに入れたら」
冷蔵庫の中で冷えた牛乳の割合を増やせば常温の珈琲の温度も誤魔化せるんじゃないか。そう言うと兄は、珈琲牛乳を求めてる時点で何をと思うかもしれないけれど牛乳多めは不味いんだよ、とのたまった。面倒くさいな。
俺は珈琲も牛乳もあまり好まない。酒の方が余程よく思える。であるから兄の拘りが分からない。そういうものなのかと納得したそぶりでもって兄の顔を眺める。黒の長い前髪が目に掛かっている。風呂上がりであるが故に濡れて、普段より一層深みを増した黒髪は見ているこっちが鬱陶しくなる。
「…なんだよ」
「別に。兄ちゃんって変な拘り多いよな」
「変」
兄は俺の言葉を反芻してから目を瞬かせる。
「変だろ。まさか自覚無いの。…セックスとかさぁ、絶対キスから始めるじゃん」
兄の身体が明らかに強張った。持っている缶珈琲からパキ、と小さく音が鳴る。それは夜の静寂に波紋を広げるようにキッチンどころかリビングまで響いて、俺の耳に届く。
「…キス、大事じゃん」
「なんで。いるかよそんなモン。恋人じゃねぇんだから」
溜息。
兄はそれから押し黙ってしまった。粉糖を適当なスプーンで掬ってコップの珈琲牛乳へといれていく。さらさら、と小さい粒が流れていく様から目が離せなくて俺は兄の手元を見つめ続けた。兄は俺の目線を憚るでも気にするでもなく続けてもう一度砂糖を掬った。そんなにいれるんだ。
兄の言葉を思い出す。歯が溶けるくらい甘い。
今度は、数度飲んだだろうかというくらい少ない記憶の中から市販の珈琲牛乳の味を思い出す。そんなに甘かっただろうか。
「で、今日もするんだろ。というか、俺はしたいんだけど」
兄は言葉を返すどころか俺に見向きもせずに出来た珈琲牛乳を口に含んだ。キッチンで立ったまま飲むほど、その衝動は大きかったのかといえば、そうでもないだろう。
「…違うんだよな、悪かないんだけど」
呟いて、コップに残ったそれを一気に流し込んだ。喉仏が上下に揺れる。俺はただ眺める。この後の行為に思いを馳せる。
━━━━金曜のド深夜、俺達は二人で羽を伸ばす。毎週そうだ。俺が兄の部屋へと向かう。兄は何も言わない。代わりにキスをする。いつだってそう。それが合図なのだ。
「先にベッド、行ってるから」
相手しろよ、お前の可愛い弟だろ。
兄は黙って俺を見る。肩につく程の黒髪。顔の半分を隠す鬱陶しい前髪。辛うじて見える双眼も前髪が影を落としてしまって暗い色をしている。穴ぼこみてぇ、と失礼にも少しだけ考えてしまった。
今日もキスからなんだろうな。これも、兄の言う衝動にあたるのだろうか。無性にキスをしたい衝動。或いはやはり拘りなのか。
血液みたいな甘い液体と珈琲の匂いのするキスを想像して、俺は足早に兄の部屋へと向かった。
兄は戸棚からコップを取り出した。冷蔵庫にいつからだったか居座っている牛乳を注ぐ兄を見て、そんなに喉が乾いているのかと問うと、そうではない、と返事が返ってきた。
「なんていうか、衝動、みたいな」
「風呂上がりに牛乳を飲みたくなる衝動?随分まあ人間らしいな」
「違う」
兄は俺を一瞥したのち、背を向けて今度は戸棚の下のほうから缶珈琲を取り出した。
「ああ、珈琲牛乳」
「うん」
━━━━日付の変わった深夜一時。
兄名義で契約されたマンションの一室。兄弟揃って遅い時間の入浴後、リビングにて俺達はささやかに羽を伸ばす。これは習慣のようなもので、毎週金曜は必ずそうだった。
今日は金曜。…日を跨いでいるから土曜なのだけれど。故に人目を気にして気を揉むことを今だけ忘れる。俺は兄との、この時間を気に入っている。
「じゃあなに、珈琲牛乳が飲みたい衝動なの」
ぷし、とプルタブの開く音が兄の立つキッチンから聞こえる。やはり随分と人間らしい行為だ。衝動などと獣に向けるような言葉を使っておいて、社会の営みにすっかり飼いならされている。
風呂上がりの珈琲牛乳。よく銭湯なんかで目にする組み合わせだ。飲みたくなるのも理解できる。俺は勝手に解釈を広げて兄の言葉に同調した。
「そう、馬鹿みたいにキンキンに冷えてて歯が溶けるくらい甘いやつ。目指してるのはそれ。…たぶん、再現しきれないけど」
「…なんだって、単に美味い珈琲牛乳を目指さないの」
「美味いモンが飲みたいってより、理由も無いんだけど、とにかくそんな調子のモンが飲みたいんだよ。言ったろ、衝動っていうか…。とにかくそんな感じなんだ」
それで、衝動。なんとなく腑に落ちて兄の言葉に頷く。
「でもほら、缶珈琲入れるとぬるくなるんだよな」
「あー、冷たいの目指してるんだっけ。牛乳多めに入れたら」
冷蔵庫の中で冷えた牛乳の割合を増やせば常温の珈琲の温度も誤魔化せるんじゃないか。そう言うと兄は、珈琲牛乳を求めてる時点で何をと思うかもしれないけれど牛乳多めは不味いんだよ、とのたまった。面倒くさいな。
俺は珈琲も牛乳もあまり好まない。酒の方が余程よく思える。であるから兄の拘りが分からない。そういうものなのかと納得したそぶりでもって兄の顔を眺める。黒の長い前髪が目に掛かっている。風呂上がりであるが故に濡れて、普段より一層深みを増した黒髪は見ているこっちが鬱陶しくなる。
「…なんだよ」
「別に。兄ちゃんって変な拘り多いよな」
「変」
兄は俺の言葉を反芻してから目を瞬かせる。
「変だろ。まさか自覚無いの。…セックスとかさぁ、絶対キスから始めるじゃん」
兄の身体が明らかに強張った。持っている缶珈琲からパキ、と小さく音が鳴る。それは夜の静寂に波紋を広げるようにキッチンどころかリビングまで響いて、俺の耳に届く。
「…キス、大事じゃん」
「なんで。いるかよそんなモン。恋人じゃねぇんだから」
溜息。
兄はそれから押し黙ってしまった。粉糖を適当なスプーンで掬ってコップの珈琲牛乳へといれていく。さらさら、と小さい粒が流れていく様から目が離せなくて俺は兄の手元を見つめ続けた。兄は俺の目線を憚るでも気にするでもなく続けてもう一度砂糖を掬った。そんなにいれるんだ。
兄の言葉を思い出す。歯が溶けるくらい甘い。
今度は、数度飲んだだろうかというくらい少ない記憶の中から市販の珈琲牛乳の味を思い出す。そんなに甘かっただろうか。
「で、今日もするんだろ。というか、俺はしたいんだけど」
兄は言葉を返すどころか俺に見向きもせずに出来た珈琲牛乳を口に含んだ。キッチンで立ったまま飲むほど、その衝動は大きかったのかといえば、そうでもないだろう。
「…違うんだよな、悪かないんだけど」
呟いて、コップに残ったそれを一気に流し込んだ。喉仏が上下に揺れる。俺はただ眺める。この後の行為に思いを馳せる。
━━━━金曜のド深夜、俺達は二人で羽を伸ばす。毎週そうだ。俺が兄の部屋へと向かう。兄は何も言わない。代わりにキスをする。いつだってそう。それが合図なのだ。
「先にベッド、行ってるから」
相手しろよ、お前の可愛い弟だろ。
兄は黙って俺を見る。肩につく程の黒髪。顔の半分を隠す鬱陶しい前髪。辛うじて見える双眼も前髪が影を落としてしまって暗い色をしている。穴ぼこみてぇ、と失礼にも少しだけ考えてしまった。
今日もキスからなんだろうな。これも、兄の言う衝動にあたるのだろうか。無性にキスをしたい衝動。或いはやはり拘りなのか。
血液みたいな甘い液体と珈琲の匂いのするキスを想像して、俺は足早に兄の部屋へと向かった。
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