獣人王と番の寵妃

沖田弥子

文字の大きさ
18 / 32

天妃 2

しおりを挟む
 天が牢獄にいたとき、灯籠流しが行われた川辺では様々なことが起こっていたのだ。
 白綸子に秋草が描かれた打掛に、金の刺繍が施された繻子の帯を締められる。纏め上げた髪には、宝玉と幾つもの金鎖が付いた歩揺が飾られた。
 大きな鏡台に映る華麗な姿は自分ではないようだ。瞬きを繰り返す天の傍に傅いたルカスは小さな盆を捧げた。天鵞絨の布が張られた盆は装身具を乗せるためのもので、そこには翡翠の欠片が千切れた革紐を纏わせながら置かれていた。

「あ……これは……」
「昨夜、お預かりいたしました。天妃さまにお返しするようにとの命にございます」

 刑務庭の上官に革紐を千切られてしまったが、宝玉自体は無事だ。エドが取り返して保管してくれたのだ。

「ありがとうございました。大事なものなので、いつも身につけているんです」

 天は翡翠の欠片をそっと両手で掬い上げると、胸元に大切に仕舞った。
 なぜあのとき、翡翠が光を放ったのだろうか。まるで天の危機を察知してくれたようだ。幼い頃に会った獣人は、困ったときには呼べと言っていた。
 翡翠にそのような力があるなんて未だに信じられないが、あの獣人は、もしかしたら……。
 そのとき戸口に現れた人物に目をむけた黎とルカスが、瞬時に膝を着いた。

「エド!」

 天の声が輝く。
 天と同じ白綸子の長袍という颯爽とした装いをしたエドは、笑顔の天を眼に映して微笑んだ。

「具合は良さそうだな。昨夜医師に診せたときも心配ないという所見だったが、安心した」

 エドは色々と天のために配慮してくれたのだ。喜びのまま礼を述べようとしたが、とあることが頭を過ぎる。
 天は、獣人王の寵妃に封じられた。
 寵妃は妃の位のなかでも、正妃に次ぐ高位だ。そして未だひとりの妃も娶らない獣人王の、唯一の妃となる。
 つまり、川辺で人目を忍んで会っていた状況と、なんら変わっていないのだ。エドと友人として堂々と接して良いものだろうか。
 戸惑いを見せた天に、エドは掌を差し伸べる。その仕草は気品に溢れていた。

「少し庭を散策しよう。体調が優れなければすぐに戻る」

 礼儀として彼の掌を取れば、すぐさま背を支えてくれた。同時にエドは、ルカスに向かって軽く頷く。供はいらないという合図だ。命令することに慣れた所作からは威厳と品位が感じられた。狼型の獣人でもある彼は、王族に名を連ねているのかもしれない。
 初めて見る妃のための宮殿は内部も素晴らしい装飾が施されていたが、庭園も落ち着いた趣のある並木道が造られていた。
 木漏れ日の射す路の狭間から、小鳥のさえずりが響く。近くに小川が流れているらしく、ささやかな水の音色が耳に届いた。

「……エド。あなたが、僕を寵妃に推してくださったのですか?」

 宴で無礼を働いた天を妃に指名するなんて、エドの後押しがなければ考えられないことだ。
エドは美しく着飾った天に目を細めながら頷いた。

「封号を得れば、王の許可無く刑罰を与えることはできなくなる。私はこれまで、ふたりだけの秘密を共有することを楽しむばかりで、天の置かれた立場を考えてやれなかった。そのために悲劇を招いてしまい、とてもすまないと思っている。二度とあのような怖い思いはさせないから安心してくれ」

 天は首を横に振る。助けてくれたことは本当に嬉しい。罪を赦されたばかりか、妃の位を賜ったこともとてつもない僥倖だ。
 けれど、エドの立場が心配だった。天には朝廷や軍のことなどなにも分からないが、獣人の官位争いも熾烈だと耳にする。

「でも、エドは大丈夫なのですか? 僕のことで、あなたの立場は悪くなりませんか」
「案ずるな。私のほうは問題ない。昨日は意識を失ったからとても心配した。天がもっと自分の身を慮れば、私の憂慮もひとつ減るのだが?」

 悪戯めいた瞳をむけられて、天の胸は甘く切なく引き絞られる。
 湯船に入れてくれたことは、夢ではなかったのだ。そして彼は確かに、天のうなじを噛みたいと望んでくれた。
 けれど、ふたりが運命の番になることは決してない。
 エドは獣人王バシリオの忠実な側近なのだ。王の妃を奪うことは、彼にとって失脚を意味する。
 寵妃の官位を得た喜びは湧いてこなかった。それどころか、王の妃になればよりエドが遠くなってしまうと、ひどく心が重くなる。
 皆が憧れる妃に冊封されたというのに、自分はなんという贅沢者だろうか。
 俯いた天の髪に挿した歩揺が、しゃらりと涼やかな音色を奏でた。エドは指先で金の鎖を掻き分け、黒鳶色の瞳を覗き込む。

「また思い悩んでいるな。天の悩みは私の憂慮だ。おまえを悩ませているものはなんだ? 寵妃の位では不満足だったか?」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

のほほんオメガは、同期アルファの執着に気付いていませんでした

こたま
BL
オメガの品川拓海(しながわ たくみ)は、現在祖母宅で祖母と飼い猫とのほほんと暮らしている社会人のオメガだ。雇用機会均等法以来門戸の開かれたオメガ枠で某企業に就職している。同期のアルファで営業の高輪響矢(たかなわ きょうや)とは彼の営業サポートとして共に働いている。同期社会人同士のオメガバース、ハッピーエンドです。両片想い、後両想い。攻の愛が重めです。

ノエルの結婚

仁茂田もに
BL
オメガのノエルは顔も知らないアルファと結婚することになった。 お相手のヴィンセントは旦那さまの部下で、階級は中尉。東方司令部に勤めているらしい。 生まれ育った帝都を離れ、ノエルはヴィンセントとふたり東部の街で新婚生活を送ることになる。 無表情だが穏やかで優しい帝国軍人(アルファ)×明るいがトラウマ持ちのオメガ 過去につらい経験をしたオメガのノエルが、ヴィンセントと結婚して幸せになる話です。 J.GARDEN58にて本編+書き下ろしで頒布する予定です。 詳しくは後日、活動報告またはXにてご告知します。

婚約者変更で傲慢アルファの妃になりました

雨宮里玖
BL
公爵令息のハルは突然の婚約者変更を告げられ戸惑う。親同士の約束で、ハルは第一王子のオルフェウスと婚約していた。だがオルフェウスの病気が芳しくないため王太子が第二王子のゼインに変更となり、それに伴ってハルの婚約者も変更になったのだ。 昔は一緒に仲良く遊んだはずなのに、無愛想で冷たいゼインはハルのことを嫌っている。穏やかで優しいオルフェウスから、冷酷なゼインに婚約者が変わると聞いてハルは涙する。それでも家のために役に立ちたい、王太子妃としてゼインを一途に愛し、尽くしたいと運命を受け入れる覚悟をする。 婚礼式のときからハルに冷たく傲慢な態度のゼイン。ハルは負けじと王太子妃としての役割を果たすべくゼインに迫る。初夜のとき「抱いてください」とゼインに色仕掛けをするが「お前を抱く気はない」とゼインに一蹴されてしまう——。

白い結婚だと思っていたら、(溺愛)夫にガブガブされて、番になっていたようです

まんまる
BL
フレア王国の第3王子シルティ(18歳.Ω)は、王宮騎士団の団長を務める、キーファ侯爵家現当主のアリウス(29歳.α)に、ずっと片想いをしている。 そんなシルティは、Ωの成人王族の務めとして、自分は隣国のαの王族に輿入れするのだろうと、人生を半ば諦めていた。 だが、ある日突然、父である国王から、アリウスとの婚姻を勧められる。 二つ返事でアリウスとの婚姻を受けたシルティだったが、何もできない自分の事を、アリウスは迷惑に思っていないだろうかと心配になる。 ─が、そんなシルティの心配をよそに、アリウスは天にも登る気持ち(無表情)で、いそいそと婚姻の準備を進めていた。 受けを好きすぎて、発情期にしか触れる事ができない攻めと、発情期の記憶が一切ない受けのお話です。 拗らせ両片想いの大人の恋(?) オメガバースの設定をお借りしています。ぼんやり設定です。 Rシーンは※つけます。 1話1,000~2,000字程度です。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

【完結済】「理想の恋人 〜タイムリープしたので、全財産貢いだダメ猫と別れます

かすがみずほ@理想の結婚二巻発売中
BL
30歳の警察官、オメガの貴弘(たかひろ )は、猫獣人の不実な恋人・アルファの猫井司(ねこいつかさ)に裏切られたショックで家出をした矢先、埼玉山中の交通事故で事故死してしまう。 ところが、気付けば猫井と出会う前に時間が戻っていた。 今度の人生では猫井に振り回されるのをやめようと決心するが……。 本編「理想の結婚 俺、犬とお見合いします」のスピンオフです。 全く話が繋がっていないので、単体で問題なく読めます。 (本編のコミカライズにつきましては、日頃より有難うございます)

知らないだけで。

どんころ
BL
名家育ちのαとΩが政略結婚した話。 最初は切ない展開が続きますが、ハッピーエンドです。 10話程で完結の短編です。

昨日まで塩対応だった侯爵令息様が泣きながら求婚してくる

遠間千早
BL
憧れていたけど塩対応だった侯爵令息様が、ある日突然屋敷の玄関を破壊して押し入ってきた。 「愛してる。許してくれ」と言われて呆気にとられるものの、話を聞くと彼は最悪な未来から時を巻き戻ってきたと言う。 未来で受を失ってしまった侯爵令息様(アルファ)×ずっと塩対応されていたのに突然求婚されてぽかんとする貧乏子爵の令息(オメガ) 自分のメンタルを救済するために書いた、短い話です。 ムーンライトで突発的に出した話ですが、こちらまだだったので上げておきます。 少し長いので、分割して更新します。受け視点→攻め視点になります。

処理中です...