獣人王と番の寵妃

沖田弥子

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天妃 1

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「うなじを……?」

 それは、運命の番になるための契約。
 巡り会ったアルファとオメガが唯一の相手になるために、オメガのうなじを噛んで、番の契約を結ぶ。
 契約を結べば互いにしか発情しなくなり、生涯を共に過ごす。
 だがそのようなことは滅多に行われなかった。互いの稀少性を最大限に生かすため、そしてアルファの権威を示すため、獣人は多くのオメガと性交する。
 運命の番は、埋もれた伝説だった。
 オメガの首輪が外されることなど、永遠にない。
 けれどもし、エドにうなじを噛まれたら。このひとのものになることができたなら。
 僕はきっと、世界でいちばん幸せだ……。
 エドの爪先が首輪の金具にかかる。天は白い腕を伸ばして、太い首根に巻きつけた。
 ぱしゃり、と解かれた首輪は小さな水音を立てて湯に沈む。

「エド……僕は……」

 湯気に紛れて、次第に意識が遠くなる。
 逞しい胸に凭れながら、天はすうと瞼を閉じた。



 意識が浮上すると、天蓋の白い布が視界を占めていた。
 幾度か瞬きを繰り返して身を起こせば、見慣れない広い寝台に横たえられていることに気づく。
 上質で肌触りの良い寝具が手に触れ、首を捻る。
 ここは一体どこだろう。宿舎の寝台はもっと狭いし、もちろん牢獄であるわけがない。
 身体を見下ろせば、清潔な寝衣が着せられていた。湯船でエドが身体を温めてくれた記憶が薄らと蘇る。

「あっ……うなじ……!」

 はっとして首筋に手を遣れば、そこにはいつもと同じように革の首輪の感触があった。指先で何度も探るが、噛まれたような傷跡はどこにもない。
 あれは夢なのか現実なのか、記憶が曖昧だ。
 エドがうなじを噛みたいと言ってくれた気がするが、なんと返答したのか覚えていない。密かに憧れを抱いてはいるけれど、運命の番は伝説のようなものなのだ。
 悄然として手を下ろせば、寝台に巡らされた紗布越しに声がかけられた。

「お目覚めでございますか、天妃さま」

 聞き覚えのある声音に驚いて布団を跳ね上げ、紗布を捲る。声の主は予想どおりルカスだったが、なぜかいつもは厳しい妃候補教育官は床に跪き、柔和な笑みを浮かべていた。

「おはようございます、ルカスさま。……あの、なぜ、膝を着いていらっしゃるのですか?」

 まるで天のほうが位が上のような態度である。しかも天に対する呼び名が変わっていた気がするのだが。
 恭しく最上級の平伏をしたルカスは厳かに告げた。

「あなたさまは昨夜、王により寵妃に冊封されました。第一二代アバスカル王の初めてのお妃さまでございます。本日より、こちらの宮殿が天妃さまのお住まいになります」
「……えっ?」

 言われたことの意味を理解するのに時間がかかった。
 昨日まで刑務庭で一生刑に服すとされた罪人だったのに、一夜明ければ獣人王の妃とは、どういうことなのだろうか。

「でも、僕の刑罰はどうなったのでしょうか……?」

 天が質問すると、ルカスはまたもや床に額ずく。なんだか落ち着かないのでやめてほしいのだけれど。

「それにつきましては、私の独断により天妃さまを断罪した罰が重すぎると、王より直々にお叱りを頂戴いたしました。確かに私の判断は行き過ぎていたと反省しております。天妃さまより、いかなる罰もお怒りも、賜る所存にございます」
「頭を上げてください、ルカスさま。僕が悪かったのですから」

 慌てて寝台から下り、ルカスの元に駆け寄る。
 どうやら罪は赦されたようだ。これもエドが獣人王に掛け合ってくれたおかげかもしれない。

「ありがたき幸せ。それでは、お召し替えを致しましょう。これ、天妃さまにご挨拶なさい」

 ルカスに呼ばれて盆を掲げてきた宮男に、天は驚きの声を上げる。

「黎!」
「やあ、天。おめでとう。……えっと、黎と申します。天妃さまの宮男として身の回りのお世話をいたします」

 気軽に挨拶した黎にルカスの咳払いが投げられたので、彼は慣れない様子で畏まる。

「妃に昇格しますと、身近な者をひとり宮男に付けることができます。天妃さまを庇った黎が適任と思い、選出いたしましたが、いかがでございましょうか」
「もちろん、黎が傍にいてくれれば心強いです。ありがとうございます」

 黎は盆に畳まれていた豪奢な着物を広げた。ふたりの手で寝衣から着物に着せ替えられる。
 その間、恵が早朝に後宮を去ったことを聞かされた。昨夜の灯籠流しの場で一連の経緯を耳にした獣人王は、告発した恵が王の隣で舟を流すことを許さなかった。それどころか誰も指名せず、すぐに場を後にしたのだという。尊厳を傷つけられたと訴えた恵は自らの意思で荷物を纏めた。
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