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『元』聖女、出発する
101. うたた寝にはお気を付けあそばせ
しおりを挟む私は雲の上に立っている。
ふわふわ、やわらかそうな雲の上。けれど足元は特段やわらかくもなく、何の感触もない。
風も音もなく、どことなく温かいけれど、足の裏は涼しく感じた。
私は裸足だった。靴はどこだろう。
一歩前に踏み出してみれば、自分の足元を中心に、揺らぐ輪が走って行った。
波紋だ。
雲ではなく、水の上に立っていたみたいだ。
一面の、向こうの端が見えないほどの水。
けれど、どうしてだろう。上を見上げても雲はなく、それは足元の水の中に沈んでいる。
自分以外は誰もいないと思っていたら、ずっと向こうに誰かが佇んでいるのが見えた。
意識の死角から不意に入り込んだかのように、先ほどまで誰もいなかったはずの場所で、その人は当たり前のように悠然と立っている。
女性だろうか。
全体的なシルエットと雰囲気で、直感的にそう思った。
ここからでは容姿が捉えられないけれど、どうしてか優しそうだと感じる。
彼女はおもむろに片腕を持ち上げ、どこかを指差した。
あちらに行きなさい、と言いたいのだろうか。
それとも、あちらにある、と言いたいのだろうか。
何が?
がたたん、とひときわ大きな振動が伝わり、びくりと震えて瞼を開けた。
「あ……あら?」
「起きたか」
頭上から穏やかな声が降ってくる。
低い男性の声。アロイスだ。
やや薄暗いけれど、これは夕刻の薄暗さではない。
馬車の天井部分に日よけがあり、それが影を作っているのだ。
天井に被せただけだと、太陽の角度によっては日よけにならなくなるから、両脇をやや深めに布か革で覆っている。
なんとなく、古いバスを連想する見た目のそれは、いつも乗っている荷馬車ではない。
頭と肩が温かいものに寄りかかっているけれど、何だろう――って。
「――はッ!? も、もも申し訳ございません、わたくしったらっ!」
なんたることだろう、アロイスに寄りかかって寝こけていたとは!
バシリと頭が弾かれた心地で、一気に覚醒した。
「いや? 昨夜は眠りが浅かったのか」
「そ、そうでもなかったと思うのですけれど……?」
ここはいつもの馬車ではない。
私のお気に入りの箱がない代わりに、背もたれと厚手の敷物がついている馬車だった。
荷馬車ではなく、人を運ぶ前提の馬車。とりわけ富裕な商人の長や、そこそこ身分の高い人などが乗るための馬車らしい。
モニークの町でグレゴリーがアロイス達に与えたもので、私はしばらくの間、これに乗るようにと言われていた。
彼らが私を雑に扱ってはいないということを、最初のうちは周囲にアピールしなければいけない、という理由だ。
だから周りが完全に見えないタイプの馬車ではなく、外から私の様子が見えるものに乗っている。
私の座っている場所は、敷物をクッションにしてもらっているから、乗り心地が悪いというほどでもない。
でも、いつもの箱のフィット感には比ぶべくもなく、私の中ではあれが最強……というのはさておき。
外の様子が見える馬車というのは、初めてこの地を訪れる身としては好奇心が満たされて楽しかった。
この国を出るまではということで、ウェルディエ皇国の騎士さんが護衛として数騎、近くを警戒してくれている様子も見える。
はじめのうちは彼らの視線を気にしてお澄まししていたけれど、次第に緊張もとけて、皇国の騎士の仕事ぶりを眺めるのが楽しくなってきた。
そして、何か気になるものを発見するたび、「あれは何これは何」とアロイス達を質問責めにし始めて。
――いつの間にやら、隣にいるアロイスに寄りかかって眠ってしまったらしい。
遊び疲れた子供か!
というか、もしや私、よだれなんて垂らしてないよね!?
口からたら~り、アロイスの服にべっとり、なんてことにでもなっていたら……!
ささっと口元に手をやった。……よかった。濡れてもいないし、カピカピでもない。
と、思いきや。
「大丈夫ですよセレ様、よだれは拭いときましたから!」
反対側の近くにいたジゼルから、朗らかな笑顔とともにクリティカルヒット。
――っきゃあああぁ!?
アロイスとリュカのあたりから「ぐはッ!」「ぶふッ」と噴き出す声が聞こえた。
あああ、どこかに隠れたい!
今すぐにでもあの箱に入り、蓋を閉めてもらいたい……!
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読んでくださってありがとうございます!
更新のお知らせ:5/19~20は投稿お休み、5/21から再開予定ですm(_ _m)
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