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第六十話:祝賀の宴と、喝采の刃
しおりを挟む辺境伯レオナルドの誕生日を祝う、祝賀の宴の当日。
城の大広間は、この辺境伯領の全ての富と権力が、一堂に会したかのような絢爛豪華な光景に包まれていた。
天井からは、数えきれないほどの蝋燭を灯した巨大なシャンデリアが吊るされ、磨き上げられた床に金の光の粒子を降り注がせている。壁には、レオナルド家の武勲を物語る勇壮なタペストリーが掛けられ、その下では、色とりどりの絹のドレスを纏った貴婦人たちや、勲章を胸に飾った貴族たちが、優雅に談笑していた。
その、あまりにも場違いな空間の片隅に、俺はいた。
着ているのは、村を出る時に母さんが持たせてくれた、一番上等な麻のシャツ。だが、貴族たちの豪奢な衣装の前では、それはもはや襤褸(ぼろ)同然だった。好奇の視線、侮蔑の眼差し、そして得体のしれないものを見るかのような囁き声が、四方八方から突き刺さる。
「……大丈夫ですわ、ルークスさん。あなた様は、胸を張っていてくださいませ」
俺の隣で、エレナ様が、そっと囁いた。今日の彼女は、空の色を映したような美しい青いドレスを身に纏い、その姿は、まるで物語の中から抜け出してきた本物のお姫様のようだった。彼女がいるだけで、俺に向けられる敵意が、少しだけ和らぐのが分かった。
やがて、広間の入り口の扉が大きく開かれ、辺境伯レオナルドが、威厳に満ちた姿を現す。その登場に、全てのざわめきが止み、広間は荘厳な静寂に包まれた。
宴は、始まった。吟遊詩人が奏でる穏やかな音楽と共に、次々と豪華な料理が運ばれてくる。だが、俺の心は少しも落ち着かなかった。これは、宴ではない。俺の運命を決める、断頭台だ。
俺の視線の先には、文官の長バルザックがいた。彼は、数人の取り巻きの貴族たちと共に、グラスを片手に談笑しながらも、その蛇のような冷たい視線で、時折ちらりとこちらを窺っている。あの視線は、獲物の首筋に狙いを定める、毒蛇のそれだった。
◇
宴が中盤に差し掛かった頃。ついに、その時は来た。
辺境伯レオナルドが、杯を片手にゆっくりと立ち上がると、広間の全ての注目が、玉座に集まった。
「皆、静まれ。今宵は、余の誕生を祝うて集まってくれたこと、まことに感謝する。……して、このめでたき夜に、皆に紹介したい者がおる」
レオナルドの、射抜くような視線が、まっすぐに俺を捉えた。
「リーフ村の、ルークス・グルト。前へ」
その声に、広間がどよめく。俺は、ごくりと唾を飲むと、エレナ様に背中をそっと押され、玉座の前へと進み出た。
「この小僧こそ、この冬、我らが領地に奇跡をもたらした『救世主』よ。そして今宵、皆のために、再びその奇跡を、この場で披露してくれるという」
レオナルドが高らかに宣言すると、広間の扉が再び開かれ、城の料理長オーギュストが、銀盆に乗せられた、数十個のプリンを手に、堂々と入場してきた。
会場が、再びどよめく。昨日、俺が厨房で作った、完璧なプリンだ。だが、その隣を歩くオーギュストの顔には、昨日までの敗北の色はない。代わりにあったのは、最高の料理人が、最高の舞台に立つ、誇りと自信だった。
オーギュストは、玉座の前まで進むと、俺の隣に立ち、深々と一礼した。その動きは、まるでこれから共に戦場に立つ、相棒への無言の敬礼のようだった。
だが、その感動的な光景を、切り裂く者がいた。
「お待ちください、辺境伯様」
バルザックが、静かに、しかしよく通る声で、一歩前へ出た。
「その菓子、まことに見事なもの。ですが、一つ、疑問がございます。その『奇跡』は、本当に、この小僧一人の力で成されたものなのでしょうかな?」
来た。俺は、身構えた。
「聞けば、この菓子を作るにあたり、辺境伯様から、南国産の特別な砂糖が下賜されたとか。……我らが用意した、この辺境で採れる、ごく『普通』の砂糖を使っても、この小僧は、同じ奇跡を起こせるのでございましょうか?」
その言葉は、丁寧な疑問の形をしていながら、その実、俺の奇跡の全てを「特別な材料を使っただけの、まやかし」だと断定する、悪意に満ちた刃だった。
会場が、ざわめく。貴族たちが、面白そうなものを見るかのように、あるいは俺を侮蔑するかのように、ひそひそと囁き始めた。これは、俺を貶めるための、完璧に仕組まれた公開尋問だ。
エレナ様が、青い顔で「お父様!」と叫ぼうとする。だが、俺はそれを、手で静かに制した。
俺が、反論の言葉を探して唇を開きかけた、まさにその時。
俺の隣に立つ、誇り高き料理長が、動いた。
「――バルザック様」
オーギュストの、氷のように冷たく、そして鋼のように強い声が、広間のざわめきを、一瞬にして切り裂いた。
「それは、料理という、神聖な営みへの、最大の『冒涜』にございます」
彼は、バルザックを、料理人としての絶対的なプライドを込めた、鋭い眼光で睨みつけた。
「この辺境で採れる岩糖と、南国産の白砂糖。その二つが、全くの別物であることは、この厨房に立つ者ならば誰もが知る常識。岩糖に含まれる僅かな塩気と苦味は、煮込み料理に深みを与えますが、菓子の繊細な甘みを表現するには全く不向き。素材の特性を無視し、ただ『同じ砂糖だろう』と宣(のたま)うのは、黒パンと白パンの区別もつかぬと、自らの無知を公言するに等しい愚行にございますぞ!」
その、あまりにも専門的で、一切の反論を許さない一喝。続けて、オーギュストは広間にいる全ての貴族たちを見渡し、宣言した。
「同じ詩を読んでも、読む者によって感動が違うように。同じ楽譜を奏でても、奏者によって魂の響きが違うように。料理もまた、同じ材料を使ったからとて、同じものが生まれるわけではございません!ましてや、素材を変えて同じものを作れなどと……それは、偉大な画家に『泥水で名画を描いてみせよ』と申すのと同じ、愚者の戯言にございますぞ!」
技術的な正論と、魂の哲学。その二つの刃は、バルザックの権威と悪意を、満座の前で完膚なきまでに粉砕した。彼はぐっと言葉に詰まり、顔を真っ赤にして俯くしかなかった。
オーギュストは、止まらない。
「この少年が、昨夜、我が厨房で見せたのは、小手先の奇術などではない!素材の声を聞き、炎と対話し、そして何より、食べる者の笑顔を思う、料理人としての『魂』そのもの!……もし、その魂の価値を理解できぬという方がおられるのなら、その方に、このプリンを味わう資格はございませんな!」
それは、この城の食を司る王からの、絶対的な宣告だった。
その、あまりにも劇的な展開に、広間は水を打ったように静まり返る。玉座のレオナルドは、腕を組み、心底面白そうに、そのやり取りを、にやりと笑いながら見つめていた。
◇
オーギュストの、魂の叫びによって、バルザックの仕掛けた罠は、完全に打ち砕かれた。
プリンは、粛々と、賓客たちに配られていく。
そして、広間は、新たな、そして今度こそ本物の、驚愕のどよめきに包まれた。
「こ、これは……!」
「甘い……!だが、ただ甘いだけではない!舌の上で、幸せが溶けていくようだ……!」
「なんという、食感……!初めての、体験だ……!」
あちこちから、賞賛と感嘆の声が上がる。
そして、玉座に座る辺境伯夫人イザベラが、一口、プリンを口に運ぶと、その美しい瞳から、ぽろり、と一筋の涙がこぼれ落ちた。
「まあ……。なんて、優しい味なのでしょう。まるで、故郷の陽だまりのような……」
彼女の、その呟きを聞いたレオナルドは、満足げに、深く頷いた。
「ああ、そうだ。この味こそが、我らが領地の、新しい光となるだろう」
その言葉は、この戦いの、完全な決着を告げていた。
バルザックと、彼に連なる貴族たちは、屈辱に顔を歪め、ただ俯くしかなかった。彼らの仕掛けた甘い罠は、彼ら自身の首を絞める、苦い毒へと変わったのだ。
宴は、熱狂のうちに幕を閉じた。
その夜、俺は、オーギュストと共に、誰もいなくなった厨房で、ささやかな祝杯(ヤギの乳だが)を挙げていた。
「……礼を言うなよ、小僧」
オーギュストは、ぶっきらぼうに言った。
「俺は、お前に礼を言われるようなことは、何もしていない。ただ、俺の料理の、そして、俺自身の誇りを、守っただけだ」
その横顔は、昨日までの敗北者のそれではない。新たな好敵手(ライバル)を見つけ、再び己の道を歩み始めた、一人の求道者の顔だった。
「はい。分かっています、オーギュオーギュスト師匠」
俺が、少しだけ悪戯っぽくそう言うと、彼は「誰が師匠だ!」と照れくさそうに顔を赤らめた。
俺は、また一人、この街で、かけがえのない仲間を手に入れた。
だが、俺は知っていた。
今日の勝利が、バルザックたちの憎悪を、さらに深く、そして暗いものへと変えたことを。
俺のスローライフへの道は、まだ、始まったばかりなのだということを。
俺は、窓の外に広がる、星空を見上げた。
遠い故郷の空と、同じ星が輝いている。
その光が、俺の進むべき道を、静かに照らしてくれているようだった。
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【読者へのメッセージ】
第六十話、お読みいただきありがとうございました!
祝賀の宴を舞台にした、静かなる激闘。そして、誇り高き料理長オーギュストの、魂の助太刀!この熱い展開と、カタルシスを、皆さんと共有できていれば幸いです。
「オーギュスト師匠、かっこよすぎる!」「バルザック、ざまあ!」「辺境伯夫人の涙の意味が気になる…!」など、皆さんの感想や応援が、この物語の次のページをめくる、何よりの力になります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
ついに祝宴の罠を打ち破り、新たな仲間を得たルークス。しかし、保守派の憎悪は、さらに深く、暗いものとなりました。光と影が交錯するランドールの街で、次にルークスを待ち受けるものとは?次回も、どうぞお見逃しなく!
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