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第八十二話:春風と向かい風
しおりを挟む実験農場に本格的な春が訪れ、ランドールの街全体が生命の息吹に満たされるのと時を同じくして、俺が蒔いた革命の種もまた、力強く根を張り、その影響力を城壁の内外へと広げ始めていた。
トーマスさんの畑で始まった『青空教室』は、口コミで評判を呼び、今ではランドール近郊の十数ヶ村から、熱意ある農夫たちが俺の知恵を求めて集まるようになっていた。彼らは、俺がスキル『土壌改良』によって読み解いた、それぞれの畑のための『処方箋』を手に、まるで失われた秘術を取り戻したかのように、生き生きとした表情で土と向き合っている。
「先生!見てください!先生に言われた通り、灰と川砂を混ぜたら、粘土みてえだった俺の畑が、こんなにふかふかに!」
「うちの畑じゃあ、もうカブの芽が出始めましただ!こんなに早く芽が出るなんて、生まれて初めてだよ!」
実験農場に届けられる、彼らからの喜びの報告。それは、俺にとって何よりの報酬であり、革命が確実に前進している証だった。その度に、微々たるものだがポイントも加算されていく。
【称号の効果範囲外です。通常ポイントとして、農業指導による地域貢献が評価されました。5ポイントを獲得しました。】
(…五ポイントか。地道だが、これが積み重ねれば…)
【現在の所持ポイント:739pt】。目標とする新たなスキル取得への道は、まだ遠い。だが、焦りはなかった。土を育てるように、信頼も、そして革命も、時間をかけてじっくりと育てていくしかないのだから。
その隣では、黄金色の奇跡――『リーフ村の太陽の雫』ことひまわり油が、全く別の戦場で、華々しい戦果を上げていた。
「ルークスさん!大変ですわ!ソフィア様のサロンで、また新しい『物語』が生まれたそうですの!」
その日も、朝から農場にやってきたエレナ様が、興奮冷めやらぬといった様子で一枚の羊皮紙を広げてみせた。それは、ソフィア様から彼女に宛てられた、優雅な文字で綴られた短信だった。
「なんでも、昨夜のサロンで、辺境伯夫人が『この油を使い始めてから、長年悩まされていた乾燥肌が、まるで嘘のように潤いを取り戻した』と、涙ながらに感謝されたそうですわ!それを聞いた他の貴婦人方が、『ぜひ私にも!』『いくらでも金貨を積みますわ!』と殺到して…もう大変な騒ぎだったとか!」
短信には、さらに追伸として、『…というわけで、ルークス君。悪いけれど、今月分の納入、倍に増やしてもらえるかしら?お代は、もちろん弾むわよ』と、ちゃっかり付け加えられていた。
「すごいじゃねえか、小僧!あの油、そんなに効くのか!?」
話を聞いていたゴードンが、目を丸くする。
「ええと…まあ、肌に良い成分が入っているのは確かですが…」
俺は苦笑するしかなかった。ひまわり油の効能と、貴婦人たちの思い込み、そしてソフィア様の巧みな演出。その全てが完璧な相乗効果を生み出し、『太陽の雫』は、もはや単なる食用油ではなく、美と若さを約束する『魔法の秘薬』として、ランドール社交界を席巻しつつあったのだ。
この熱狂は、商業ギルドにとっても無視できないものとなっていた。クラウスさんの報告によれば、ギルドの幹部たちが連日会議を開き、「あの得体のしれない油を、どう扱うべきか」「ソフィア様のご機嫌を損ねずに、ギルドの利権を守るにはどうすればいいか」と、頭を悩ませているらしい。バルザックの横槍も、社交界という名の巨大な『流行』の前では、表向きは効力を失い始めているかのように見えた。
全てが、順調に進んでいるかのように思えた。だが、俺は知っていた。影に潜む蛇は、決して諦めないということを。彼らが次にどんな毒牙を剥(む)いてくるのか、警戒を怠るわけにはいかなかった。嵐の前の静けさほど、不気味なものはないのだから。
◇
「先生……!やっぱり、おかしいですよ……!」
その予感が現実のものとなったのは、それから数日後のことだった。
実験農場に血相を変えて飛び込んできたのは、トーマスさんだった。だが、その顔にはいつものような希望の光はなく、深い絶望と怒りの色が浮かんでいた。
「昨日、ボルコフんとこの村に、役人が来て、こう言ったそうだ。『辺境伯様からの通達だ。今年の税は、例年の三倍納めてもらう。救世主様のおかげで、お前たちの畑は豊かになったのだろう?ならば、その恩恵を、領主様に還元するのは当然のことだ』ってな……!」
「……!」
俺は息を呑んだ。三倍の税。それは、革命によって得られるであろう収穫増を、全て吸い上げ、さらに農民たちを借金漬けにするほどの、懲罰的な税率だった。
「そんな……!辺境伯様が、そんなことを……!」
エレナ様が、信じられないというように声を上げる。
「いいや、お嬢様。辺境伯様が、そんなことをおっしゃるはずがねえ」
トーマスさんは、悔しそうに首を横に振った。
「これは、あの狸爺(バルザック)の仕業だ。あいつは、俺たちが豊かになるのが、そんなに許せねえんだ。鋤(すき)を寄越(よこ)さねえだけじゃなく、今度は税で俺たちの首を絞めようって魂胆だ……!」
彼の言う通りだった。バルザックは、商業ギルドでの妨害が効かぬと見るや、今度は『税』という、誰も逆らうことのできない国家権力そのものを武器にしてきたのだ。しかも、辺境伯の名を騙(かた)ることで、農民たちの怒りの矛先を、領主自身に向けさせようという、あまりにも悪辣(あくらつ)な二重の罠。
「……ひでえ……。なんて、ひでえことを……!」
トーマスさんは、その場に崩れ落ちそうになるのを、ぐっと堪えた。土に汚れた拳を握りしめ、わなわなと震えている。ようやく掴みかけた希望の光が、権力という名の分厚い雲に、無慈悲にも覆い隠されようとしている絶望と怒り。その痛みが、俺にも痛いほど伝わってきた。
「……先生。俺たちは…どうすりゃいいんで…?」
絞り出すような声で、彼は俺に助けを求めた。その目には、絶望だけでなく、まだ諦めていない、俺への信頼の光が宿っていた。
(……許さない)
俺の中で、再び、冷たい怒りの炎が燃え上がった。ジルヴァと同じだ。人の希望を、踏みにじることでしか、自らの存在価値を見出せない、卑劣な魂。
俺は、静かに立ち上がった。そして、絶望に打ちひしがれるトーマスさんの肩に、力強く手を置いた。
「トーマスさん。顔を上げてください」
「……先生……。ですが、俺たちは……」
「まだ、負けたわけじゃありません。……いいえ、ここからが、本当の戦いです」
俺の、静かだが、揺るぎない覚悟のこもった声。トーマスさんは、はっとしたように顔を上げた。その目に、俺は問いかける。
「敵が、ルールを捻(ね)じ曲げてくるなら、こちらも、ルールそのものを変えるまで。……トーマスさん。あなたに、そして、あなたを信じる仲間たちに、もう一つだけ、命懸けの『賭け』に乗ってもらうことはできますか?」
その、ただならぬ問い。トーマスさんは、しばらくの間、俺の目をじっと見つめていたが、やがて、深く、深く頷いた。
「……先生の言うことなら。俺たちは、どこまでもついていきやす」
その、絶対的な信頼。俺は、その重みを、全身で受け止めた。
◇
その日の夕暮れ。
俺は、辺境伯の城、あの荘厳な謁見の間へと、再び足を踏み入れていた。
だが、今日の俺は一人ではなかった。俺の後ろには、エレナ様、ギデオン、ゴードン、そして、農夫の代表として、トーマスさんが、固い決意をその目に宿して控えていた。
玉座の辺境伯レオナルドは、俺たちの突然の訪問に、少しだけ眉をひそめたが、黙ってその理由を問うてきた。
俺は、隠すことなく、全てを話した。バルザックによる、懲罰的な増税の要求。それが、辺境伯の名を騙る、卑劣な策略であること。そして、このままでは、俺たちが始めた革命が、始まる前に潰(つい)えてしまうことを。
俺の話を、レオナルドは、表情を変えずに聞いていた。だが、その指が、玉座の肘掛けを、ギリリと音を立てて握りしめるのを、俺は見逃さなかった。彼の領主としての誇りが、家臣の裏切りによって、深く傷つけられているのだ。
「……それで?お前は、俺に、どうしろと申すのだ」
静かだが、地響きのような怒りを孕(はら)んだ声。
俺は、一歩前へ出た。そして、玉座の彼に、俺たちの、最後の『切り札』を提示した。
それは、あまりにも大胆で、そして常識外れな提案だった。
「辺境伯様。どうか、我らに、『新しい村』を興(おこ)す許可を、お与えください」
「……村、だと?」
「はい。このランドールの、城壁の外。今はまだ誰も耕さぬ、痩せた荒れ地に。俺の知恵と、ゴードンさんの鋤と、そしてトーマスさんたちの汗で、全く新しい、豊かな村を、ゼロから創り上げてみせます」
「その村は、辺境伯様の直轄地とし、全ての収穫物は、一旦、全て辺境伯家へと納めます。そして、その中から、我々が生きていくために必要な分だけを、恩恵としてお下げ渡しいただく。……いわば、この村自体が、辺境伯様への、最も確実な『税』となるのです」
それは、既存の税制というルールそのものを、根底から覆す提案だった。役人の恣意(しい)的な判断が入り込む余地のない、収穫物による直接納税。そして、その成功が、辺境伯自身の、直接的な利益となる仕組み。
「……馬鹿なことを」
レオナルドは、呆れたように、しかしその目は面白そうに輝いていた。
「荒れ地を開墾し、村を作る。それが、どれほど困難なことか、分かっておるのか」
「はい。ですが、俺たちには、それを可能にする『力』があります。……そして何より、失うものがない者だけが持つ、『覚悟』があります」
俺の、揺るぎない瞳。その後ろに控える、仲間たちの、静かだが燃えるような決意。
レオナルドは、しばらくの間、何かを深く、深く考えていた。やがて、彼は、玉座からゆっくりと立ち上がった。そして、俺たちの前に立つと、高らかに宣言した。
「……面白い!そこまで言うなら、やらせてやろう!」
彼は、壁に掛けられていた、辺境伯領の古地図を指さした。その一点、ランドールの南東に広がる、広大な、しかし「不毛の地」として長年放置されてきた、荒野。
「あの『蛇の舌』と呼ばれる痩せた土地。あそこを、お前たちに与える。期間は、一年。一年後の秋、もしお前たちが、その不毛の地を黄金の穂波(ほなみ)で満たしてみせたなら……。その時は、バルザックの首と、この辺境伯領の、新しい『未来』を、お前たちにくれてやろう!」
それは、領主からの、最大の『賭け』であり、そして、俺たちの革命への、絶対的な『承認』だった。
俺は、深々と、頭を下げた。
「……そのご期待、必ずや、超えてみせます」
俺たちの、本当の戦いが、今、始まる。
辺境伯領の、誰も見向きもしなかった荒れ地で。俺たちは、未来を耕すのだ。
――ピロン♪
【世界の根幹に関わる、新たな社会システム(村の創設と直接納税)の提案と実行への着手が承認されました。極めて高い社会貢献性と、成功した場合の歴史的意義が評価され、ボーナスが付与されます。合計で、1,500ポイントを獲得しました。】
【現在の所持ポイント:2,239pt】
(……千五百ポイント。まだ足りない。だが、光は見えた。この新しい村作りこそが、俺のスキル取得への、最後の鍵になるはずだ…!)
俺は、胸に込み上げてくる熱いものを感じながら、仲間たちと共に、希望に満ちた、しかし同時に、あまりにも過酷な未来へと、顔を上げた。
【読者へのメッセージ】
第八十二話、お読みいただきありがとうございました!
春の訪れと共に加速するルークスの革命。ひまわり油戦略が社交界を席巻する一方、バルザックによる新たな妨害『増税』という向かい風が吹き荒れます。しかし、絶望に屈せず、仲間と共に『新しい村』を作るという大胆な賭けに出るルークスの決意!この光と影が交錯する展開を、楽しんでいただけましたでしょうか。ご指摘いただいた点も修正し、より臨場感が増していれば幸いです。
「増税、ひどすぎる!」「バルザック許せん!」「新しい村作り、どうなる!?」など、皆さんの感想や応援が、ルークスたちが荒れ地を耕す、何よりの力になります。下の評価(☆)や感想、ブックマーク(お気に入り登録)も、ぜひよろしくお願いいたします!
ついに始まった、辺境伯領の未来を賭けた壮大なプロジェクト『新村開拓』。不毛の地『蛇の舌』で、ルークスたちの知恵と汗は、どんな奇跡を生み出すのか。そして、バルザックの次なる一手は…?次回も、どうぞお見逃しなく!
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