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第百十二話:氷の騎士の静謐と、農民が仕掛ける錆びの罠
しおりを挟む王都の夜は、辺境のそれとは違って騒々しい。
石畳を叩く馬車の音、遠くの酒場から漏れ聞こえる酔客の笑い声、そして常にどこかで誰かが囁き合っているような、得体の知れない気配。
大通りから一本入った路地裏にある、辺境伯家が懇意にしている隠れ宿の一室。そこで俺、ルークス・グルトは、肌を刺すような冷たい殺気に包まれていた。
「……ありえん」
その声は、驚くほど静かだった。
騎士団長ギデオンさんは、オーク材のテーブルに置かれたティーカップを手に取ったまま、微動だにしない。
普段は「氷の騎士」とあだ名される彼だが、今の彼はまさに氷山そのものだ。水面下にある巨大で冷徹な怒りが、部屋の温度を数度下げているかのような錯覚さえ覚える。
「ゴードンが、反逆のための武器を作っただと? ……ふざけるな」
パキリ。
硬質な音が響く。
ギデオンさんが指に力を込めたわけでもないように見えたが、彼が持っていた白磁のカップの持ち手が、粉々に砕け散った。琥珀色のアールグレイがソーサーにこぼれ落ちるが、彼は気にした様子もない。
「……ルークス殿。私は、不愉快だ」
ギデオンさんがゆっくりと顔を上げる。
その表情は無表情に近い。だが、青色の瞳の奥には、決して消えることのない青白い炎――絶対零度の怒りが揺らめいていた。
こめかみに青筋を立てて怒鳴り散らすような安っぽい怒りではない。触れれば凍りつき、砕け散るような、研ぎ澄まされた騎士の憤怒。
「落ち着け、ギデオン。……そのカップは、ルークス殿が淹れてくれた極上品だぞ」
辺境伯レオナルド様が、静かに諌める。だが、その言葉とは裏腹に、辺境伯様の膝上の拳もまた、血が滲むほど強く握りしめられていた。
「私も信じてはいない。ゴードンは、私が若かりし頃からの付き合いだ。彼の無骨だが誠実な人柄は、誰よりも知っている。だが……『証拠』が出たと言われれば、騎士団も動かざるを得ないのだ」
事の発端は、今日の夕方に流れた不穏な噂だった。
王都の警備隊が捕らえたゴロツキが所持していた「呪いの剣」。そこには、我らがリーフ村の鍛冶師、ゴードンさんの工房印である「槌と葉」が刻まれていたのだ。
宰相オルコ一派はこれを『辺境伯による国家転覆の準備』と断定し、ゴードンさんを重要参考人として手配した。
「俺はあいつの剣を知っている。あいつは不器用で、口下手で、偏屈だが……。『使い手を守る』ための剣しか打たない男だ」
ギデオンさんが、ハンカチで濡れた指を丁寧に拭いながら、噛み締めるように語る。
「辺境の冬、魔物の爪牙によって剣が折れ、私が死を覚悟した時……あいつは三日三晩寝ずに炉の前に立ち、私のために新しい剣を打ってくれた。あいつの魂がこもった剣が、人を狂わせる呪いの剣などであるはずがない」
俺は静かに息を吐き、視界の隅に浮かぶ半透明のウィンドウを見つめた。
怒りで視界が赤く染まりそうになるのを、必死に理性のブレーキで抑え込む。
(……分かってるよ、ギデオンさん。俺だって、あのおっちゃんがそんなもの作るわけないって知ってる)
俺の脳裏に、リーフ村の高炉の前で、汗だくになりながら鉄を打つゴードンさんの姿が鮮明に浮かぶ。
俺が渡した『高品質な鋼材』を見て、子供のように目を輝かせていたあの顔。そして、俺が畑仕事で使う鎌を研ぎ直してもらった時、「いいかルークス、道具ってのはな、使い手の愛に応えるもんだ。お前が良い野菜を作るなら、俺はそれに負けない良い鉄を打つ」と語ってくれた、あの屈託のない笑顔。
これは、明らかに罠だ。
俺たちの評判を落とし、辺境伯家を潰すための、卑劣なマッチポンプ。
前世のブラック企業でもよくあった。優秀だが上司に媚びない社員を追い落とすために、ありもしないミスをでっち上げ、悪い噂を流して孤立させる。そして精神的に追い詰め、自主退職に見せかけて切り捨てる。
やり口が陰湿すぎて、吐き気がする。前世で味わった無力感と、胃の奥が焼けるような感覚が蘇る。
だが、今の俺は、あの頃の無力な「佐藤拓也」じゃない。
今の俺には、頼れる仲間と、そして理不尽を覆すための「力(ポイント)」がある。
「……確かめに行きましょう」
俺の静かな、しかし確信に満ちた言葉に、ギデオンさんの氷のような瞳が俺を捉えた。
「ルークス殿? 確かめる、とは?」
「その『証拠』の武器です。王都の第三倉庫に押収されていると聞きました。現物を見れば、それが本当にゴードンさんの仕事かどうか、分かるはずです」
「だが、あそこは王立騎士団の厳重な警備下だ。忍び込めば、それこそ反逆の証拠にされかねん」
「正面から行くとは言っていませんよ。……それに、俺は農民ですからね。害虫駆除のためなら、多少の汚れ仕事もこなします。畑を荒らす害虫は、巣ごと駆除しないと気が済まない質(たち)なんで」
俺は心の中で、ポイントショップを開いた。
現在、溜まっているポイントは、王都でのプリン販売や野菜の卸売りで稼いだ分を含めて、約35万ポイント。
これは本来、リーフ村に新しい用水路を引くためや、冬越しのための備蓄倉庫を拡張するために使う予定だった大事な資金だ。
だが、ここが使いどころだ。金(ポイント)は、大切な人を守るために使ってこそ価値がある。
俺は震える指で、以前から目をつけていた『あの』スキルの購入ボタンを押した。
**【スキル『隠密行動 (Lv.1)』を購入しました。消費:30,000pt】**
**【スキル『気配察知 (Lv.1)』を購入しました。消費:20,000pt】**
合計5万ポイント。
前世の円換算でおよそ5万円……!
うぐぅっ、胃が痛い。本当に痛い。5万円あれば、マキナに新しい靴を買ってあげられたし、リリア母さんに最高級のショールだって、父さんに新しい農具セットだって買えた。貧しい我が家にとって、5万円は大金だ。半年分の食費が消し飛んだ計算になる。
……いや、考えるな。これは必要経費だ。仲間の名誉と命には代えられない。
俺は痛む胃を押さえ、冷や汗を拭いながら、ギデオンさんに向かってニヤリと不敵に笑ってみせた。
「ギデオンさん、今夜は少し、夜更かしに付き合ってください」
ギデオンさんは一瞬だけ目を見開き、そしてフッと小さく口角を上げた。
「……承知した。共犯者になろう」
***
深夜。王都の空には厚い雲がかかり、月明かりを遮っていた。
湿った夜風が頬を撫でる。遠くで野良犬の遠吠えが聞こえる以外は、不気味なほど静まり返っていた。
王都の南区画、巨大な石造りの倉庫が立ち並ぶエリア。その一角にある「第三倉庫」の屋根の上に、俺とギデオンさんは伏せていた。
俺たちは闇に溶け込むような黒いポンチョ――**【迷彩ポンチョ・夜間用(消費:2,000pt)】**――を羽織っている。
「……見事な隠形だ。これなら、私の気配も完全に消せる」
ギデオンさんが感心したように呟く。
「静かに。……フェン、どうだ?」
『主よ、右の角に二人。見張り塔の上に一人だ。……塔の奴は、今あくびをしたぞ』
脳内に直接響くフェンの声。
成長して子犬サイズになったフェンは、俺の肩に乗り、その鋭敏な嗅覚と聴覚で周囲の状況を教えてくれる。
「よし、行きましょう」
俺たちは見張りの死角を突き、音もなく倉庫の敷地内へと侵入した。
新しく手に入れた『隠密行動』スキルの効果は絶大だった。足音がまったく立たない。自分の体重がなくなったかのような、奇妙な浮遊感がある。
普段はフルプレートアーマーで歩くとガシャンガシャンと音がするギデオンさんも、俺が肩に触れている間はスキルの効果範囲内に入り、まるで幽霊のように無音で移動できている。
倉庫の裏手にある通気口。
鉄格子が嵌まっているが、事前の『構造解析』(前世、節約のためにDIY動画を見漁っていた知識)によれば、ここの留め具は安価な素材で、酸に弱いはずだ。
俺はポイント交換した**【強力錆取りスプレー(業務用)】(消費:300pt)**を取り出し、蝶番にたっぷりと吹き付けた。
シュワワ……と微かな音を立てて錆が溶け出す。数秒待ってから、そっと力を込める。
ヌルリ、という感触と共に、格子が音もなく外れた。
「……錬金術か?」
「いえ、日曜大工の知恵です」
俺たちは狭い通気口を這い進み、倉庫内部へと降り立った。
倉庫の中は、冷たい鉄と、埃っぽい油の匂い、そしてどこかカビ臭い湿った空気が充満していた。
その一角に、毒々しい赤い布で覆われた一画があった。
「重要証拠品・立入禁止」の札が貼られた木箱だ。
俺たちは慎重に近づき、ゆっくりと木箱の蓋を開けた。
中には、十数本の剣が収められていた。
刀身は黒く澱み、禍々しい紫色の紋様が浮かび上がっている。柄には確かに、リーフ村の、そしてゴードンさんの工房の刻印である「槌と葉」のマークが刻まれていた。
「……これか」
ギデオンさんの声は低く、そして冷たかった。
彼は一本の剣を手に取り、静かに構えた。
「……重心が狂っている。ゴードンの剣は、指一本で支えられるほど完璧なバランスを持つ。だがこれは、ただの鉄塊だ。振れば手首を痛める」
「ええ。それに、匂いが違います」
俺は鼻をひくつかせた。
農民として、毎日土や植物の匂いに触れている俺の鼻は、微細な違和感を捉えていた。
「ゴードンさんは、剣の仕上げに『リーフ・ナッツ』から絞った油を使います。錆止めと、光沢を出すための彼独自のこだわりです。あの油は、微かに森の香りがするんです。……でも、これは」
俺は剣の刀身に鼻を近づけた。
鼻を突く、科学的な刺激臭。そして、古くなった揚げ油のような酸化した臭い。
「……鉱物油ですね。それも、かなり質の悪い。安物の剣を、それらしく見せるために厚塗りしたんでしょう」
俺は意識を集中させ、**「鑑定」**を発動した。
**【アイテム名:模造された黒鉄の剣(呪詛付与)】**
**【品質:粗悪(Dランク)】**
**【解説:不純物の多い鉄で作られた粗悪品。表面に塗布された『狂化の毒』と『紫水晶の粉末』により、使用者の理性を奪う。仕上げには廃油を精製した安価な鉱物油が使用されている。】**
「やはり、真っ赤な偽物です。……ギデオンさん、これを逆手に取りましょう」
「逆手に取る?」
「ええ。この剣が『ゴードンさんの作品ではない』ことを、誰の目にも明らかにするんです。……農民の知恵を使って」
俺はポイントショップを開き、あるアイテムを購入した。
**【高濃度柑橘エキス(強力油汚れ落とし用)】(消費:1,000pt)**
これは本来、キッチンの頑固な油汚れを落とすための掃除用アイテムだ。しかし、この成分には強力な「リモネン」が含まれており、特定の鉱物油を急速に分解する性質がある。さらに、この偽物の剣に使われている不純物の多い鉄は、油膜がなくなれば空気中の水分と反応し、瞬く間に酸化(サビ)が始まるはずだ。
一方で、ゴードンさんが使う『リーフ・ナッツの油』は、植物性の天然樹脂を含んでおり、酸に対して強い耐性を持つ。もし本物なら、このエキスをかけてもビクともしない。
「この液体を吹き付けておきます。明日の謁見の時、この剣は鞘から抜かれた瞬間に、ボロボロに錆びついているはずです。『ゴードンが打った名剣が、たった数日で錆びるはずがない』……それが、偽物の何よりの証明になります」
俺が悪戯っ子のように笑うと、ギデオンさんは呆れたように、しかし口元を緩めた。
「……ふ。剣に掃除道具で挑むとは。君らしい戦い方だ」
俺は剣の束すべてに、柑橘エキスをたっぷりと噴霧した。爽やかなオレンジの香りが、倉庫のカビ臭さを一時だけ消し去る。
その時だった。
『主よ! 来るぞ! 囲まれた!』
フェンの切迫した警告。
倉庫の入口、そして俺たちが侵入した通気口からも、黒い影が躍り込んできた。
暗殺者だ。それも、三人や四人ではない。十人はいる。
「……チッ、完全に待ち伏せか」
ギデオンさんが、腰の剣に手をかける。その瞬間、彼の周囲の空気がピリリと凍りついた。
「ルークス殿、下がっていろ。……掃除の時間は終わりだ」
「いいえ、ギデオンさん。ここで戦えば、奴らの思う壺です。『侵入者あり』と騒ぎ立てられれば、俺たちは犯罪者として捕まる」
「だが、出口がないぞ!」
「ありますよ。……空が」
俺は天井を見上げた。明かり取りの窓までは5メートル。
「フェン! やれるな!?」
『愚問だ! 我が真の姿を見るがいい!』
フェンが咆哮する。
その鳴き声は、子犬のものではなく、大気を震わせる獣の王のものだった。
黒い霧が爆発的に広がり、その中から現れたのは――
体高3メートルはあろうかという、巨大な黒狼。
その姿は、かつて神話で語られた「ブラックフェンリル」そのものだった。
「なっ……これはいったい……!?」
冷静なギデオンさんでさえ、目を見開いて絶句する。
「説明は後です! 乗ってください!」
俺はギデオンさんの手を引き、フェンの背中に飛び乗った。その毛並みは鋼のように硬く、しかし温かい。
大人の男二人が乗っても、フェンは微動だにしない。
「掴まってください! ……身体強化【初級】、起動!」
俺は自身の体を強化し、振り落とされないようにギデオンさんを支える。
フェンが床を蹴った。
その一撃で、コンクリートの床に亀裂が走る。
「グルルルルルォォォォォッ!!」
爆音とともに、フェンは弾丸のように跳躍した。
暗殺者たちが放った短剣やボウガンの矢が、遥か下を通り過ぎていく。
ガシャアアアンッ!!
明かり取りの窓を突き破り、俺たちは夜空へと躍り出た。
ガラスの破片がダイヤモンドダストのように舞い散る中、巨大な狼に跨った俺たちは、王都の屋根を蹴って疾走する。
「はっ、ははっ……! 空を飛ぶとはな……!」
ギデオンさんが、風の中で短く笑った。
眼下では、騒ぎを聞きつけた衛兵たちが右往左往しているのが見える。
俺たちはそのまま、夜の闇に紛れて王都の外れへと消えていった。
懐には、一本の「偽物の剣」と、柑橘系の爽やかな香りを残して。
(待ってろよ、ゴードンさん。あんたの最高傑作が、あんな油まみれのナマクラに負けるもんか)
俺はフェンの背中で、小さく拳を握りしめた。
明日の謁見、俺たちがこの偽証をひっくり返し、宰相オルコの歪んだ野望を、あの偽物の剣のようにボロボロに崩れさせてやる。
そのためなら、なけなしの5万ポイント(5万円)だって安いもんだ。
……いや、やっぱ安くはない! あとで辺境伯様に絶対経費請求してやる!
**【読者の皆様へ】**
いつも応援ありがとうございます!
今回は、農民ルークスの「知識」と「アイテム」を駆使した解決策、そしてフェンの真の姿をお披露目しました。
ギデオンさんの静かな怒りと、ルークスの機転。二人のコンビネーションを楽しんでいただけたでしょうか?
次回、いよいよ運命の謁見!
ルークスの仕掛けた「柑橘エキス」の罠は、宰相オルコの目前でどう発動するのか?
サビだらけになった剣を見た貴族たちの反応は!?
スカッと爽快な「ざまぁ」展開に向けて、物語は最高潮へ!
「続きが気になる!」「フェンかっこいい!」と思ってくださった方は、
ぜひ**【ブックマーク】**と**【評価(★★★★★)】**をお願いします!
皆様の応援が、ルークスのポイントになります!!
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