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第百二十一話:真冬の赤い宝石と、掌(てのひら)の上のメッセージ
しおりを挟む北の森での死闘から数日が過ぎた。
リーフ村は、本格的な冬将軍の到来を迎え、世界は一面の銀世界に閉ざされていた。
空からは牡丹雪が静かに舞い降り、吐く息は瞬時に凍りつく。村人たちは家々の煙突から細く煙を上げ、暖炉のそばでじっと春を待つ季節だ。
だが、俺の家の裏手にある一角だけは、世界の理(ことわり)から切り離されていた。
夕闇の中、ぼんやりとオレンジ色の光を放つ巨大な透明ドーム。
ビニールハウス――「常春の城」だ。
外気温は氷点下五度。しかし、スライムレザーの被膜一枚を隔てた内部は、摂氏二十三度。湿度六十パーセント。
まさに、異世界に現れた楽園である。
「うわぁ……! ルークスお兄ちゃん、見て! 赤くなってる!」
ハウスの中で、リサが弾んだ声を上げた。
彼女が指差す先には、青々と茂る葉の陰から、まるで恥じらうように顔を覗かせる、鮮やかな真紅の果実があった。
『エンジェルベリー』。
徹底した温度管理と、アミノ酸肥料による栄養補給、そして「点滴灌漑」による水分のコントロール。それら現代農業技術と異世界素材が奇跡的な融合を果たし、ついに最初の実りが訪れたのだ。
「ああ、いい色だ。宝石みたいだろう?」
「うん! キラキラしてる! これ、本当に食べられるの?」
リサがゴクリと喉を鳴らす。
この世界の「イチゴ」は、森に自生する野イチゴのことであり、酸っぱくて小さく、ジャムにするのが一般的だ。
だが、目の前にあるのは、子供の拳ほどもある大粒で、パンパンに張った果肉が光を反射して輝く「別物」だ。
「よし、リサ。記念すべき第一号だ。毒見役をお願いできるか?」
「えっ、い、いいの!? わたしなんかが……こんな高そうなの……」
「リサが毎日、一生懸命手伝ってくれたおかげだからな。一番最初に食べる権利がある」
俺が摘み取って差し出すと、リサは恐る恐る、しかし目を輝かせてその赤い粒を両手で受け取った。
甘い香りが、ふわりと広がる。
「い、いただきます……」
リサが小さな口を大きく開けて、その先端を齧る。
サクッ、という果肉の弾ける音。
そして。
ジュワァァァ……。
溢れ出した果汁が口いっぱいに広がった瞬間、リサの動きが完全に止まった。
目がこれ以上ないほどに見開かれ、次に頬がとろけるように緩み、最後に瞳からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……んぅぅぅぅ!!」
「どうだ?」
「あま、甘いっ! なにこれぇぇ! お砂糖よりも甘いのに、酸っぱくなくて、口の中でジュースみたいに溶けちゃうよぉ……!」
リサは口元を小さな手で押さえながら、感動に震えている。
大成功だ。
現代日本の品種改良の粋を集めた『エンジェルベリー』。その糖度は十五度を超える。
甘味の乏しいこの世界の冬において、この衝撃は革命的だろう。
「よかった。これなら、今日のお客様に出しても恥ずかしくないな」
俺はリサの頭を撫でながら、安堵の息を吐いた。
今日、このハウスには特別な来客がある予定なのだ。
---
「……なんと。外は吹雪いているというのに、ここは別世界だな」
昼過ぎ。
分厚い毛皮のコートを着込んでハウスを訪れた辺境伯レオナルド様と、その娘エレナ様は、入り口で立ち尽くしていた。
彼らの肩には雪が積もっていたが、ハウスに入った瞬間、温かい空気と濃厚な植物の香りに包まれ、眼鏡(レオナルド様は老眼用にかけている)が一瞬で曇った。
「ようこそ、我が『常春の城』へ。コートをお預かりします」
「うむ……ルークスよ。余はてっきり、ガラス張りの温室のようなものを想像していたのだが……これは、規模が違うな。まるで、ここだけ季節が切り取られているようだ」
レオナルド様が、頭上を覆う透明なスライムレザーと、奥で静かに唸る赤い暖房機を見上げて感嘆の声を漏らす。
俺は二人を案内し、ハウスの中央に設置した白いガーデンテーブルへと通した。
そこには既に、摘みたてのイチゴが山盛りにされたバスケットと、純白の生クリーム(これもポイント交換したハンドミキサーで泡立てた)、そして温かい紅茶が用意されている。
「まあ……! なんて可愛らしい果実なのでしょう。これが『イチゴ』なのですね。私の知っている野イチゴとは、まるで別の生き物のようですわ」
エレナ様が、宝石を見るような瞳でバスケットを覗き込む。
今日の彼女は、深紅のベルベットのドレスを身に纏っている。イチゴの色に合わせたのだろうか。雪のように白い肌と相まって、その美しさはハウス内のどの花よりも際立っていた。
「どうぞ、召し上がってください。ヘタを持って、先の方から食べると甘みを強く感じられます。お好みで、こちらの生クリームをつけても絶品ですよ」
俺の説明に従い、エレナ様が優雅な手つきで一粒を摘み上げた。
赤と白のコントラスト。
彼女は小さく口を開け、そっと果実を口に含む。
サクッ。
静かな咀嚼音が響く。
次の瞬間、エレナ様の表情が、花が咲くようにパァッと明るくなった。
「……美味しいっ!」
「エレナ?」
「お父様、信じられませんわ! まるで、果実の中に甘い蜜がたっぷり詰まっているようです! 噛んだ瞬間に香りが鼻に抜けて……心が洗われるようです!」
普段は淑女然としているエレナ様が、年相応の少女のようにはしゃいでいる。
それを見たレオナルド様も、苦笑しながら一粒を口に放り込み――そして、豪快に目を見開いた。
「ぬぉっ!? なんだこれは! 甘い! 砂糖煮でもないのに、この甘さはなんだ!?」
「これが『完熟』の味です。流通にかかる時間を考えず、ここで食べるからこそ味わえる、最高の贅沢です」
俺はニッコリと笑って紅茶を注ぎ足した。
レオナルド様は、次々とイチゴを口に運びながら、真剣な眼差しを俺に向けた。
「ルークスよ。これはただの果物ではないな。……冬の外交における、強力な『武器』になる」
「お察しの通りです。冬の間、新鮮な果物が枯渇する王都の貴族たちにとって、このイチゴは金貨以上の価値を持ちます」
俺はビジネスの話を切り出した。
このイチゴを『雪中のルビー』としてブランド化し、王都や他領の有力貴族に贈答用として販売する。
数量限定、超高価格。
その利益は、村の冬の間の貴重な現金収入になるだけでなく、辺境伯領の「豊かさ」と「技術力」を他領に見せつける政治的なアピールにもなる。
「素晴らしい案だ。我が領の冬は、これまでただ寒さに耐え、春を待つだけの季節だった。だが、これがあれば……」
「はい。冬は『稼ぐ季節』に変わります」
レオナルド様は力強く頷き、即座に同席していた執事セバスチャンに指示を出した。専属商人のクラウスを呼び、輸送ルートと販売戦略を練るように、と。
商談は順調に進み、ハウスの中は終始、甘い香りと未来への希望に満ちた和やかな笑い声に包まれていた。
エレナ様が「ルークス様、あちらの大きな一粒も取っていただけますか?」とねだり、俺が脚立に登って特大のイチゴを摘むと、彼女が嬉しそうに微笑む。
そんな平和な光景。
だが。
俺の心の一部は、ここにはなかった。
ポケットの中にあるスマートフォン。それが時折、微かに、しかし不気味に不規則なリズムで振動し続けていることを、俺だけが知っていたからだ。
---
その日の深夜。
来客が帰り、村人たちも寝静まった刻限。
俺は自室の机に座り、震え続けるスマホを睨みつけていた。
窓の外では、雪が音もなく降り続いている。
部屋の中は静寂に包まれているが、スマホの振動音だけが「ブブッ……ブブッ……」と、心臓の鼓動のように響いている。
画面は真っ黒なままだ。通知も表示されていない。
だが、俺にはわかる。
この振動は、北の森で手に入れたあの「黒い石」――『収納魔法』の隔離領域に封印している『捕食者の残滓』と共鳴しているのだ。
「……出ろよ。用があるんだろ?」
俺は意を決して、スマホの真っ黒な画面をタップした。
その瞬間。
**ザザッ……ピーーーーーッ!**
耳障りなノイズと共に、画面が激しく明滅した。
いつものポイント交換画面ではない。
見たこともない、黒字に緑の文字が高速で流れる、古めかしいコンソール画面だ。
*【接続確立(コネクション・エスタブリッシュ)……成功】*
*【暗号化通信プロトコル:レベル5】*
*【認証コード:特異点(シンギュラリティ)L-001『ルークス・グルト』を確認】*
*【……聞こえ……ますか……?】*
文字が表示されると同時に、頭の中に直接響くような、中性的な声が聞こえた。
システム音声ではない。ノイズ混じりだが、確かに感情の乗った、生身の(あるいはかつて生身だった)誰かの声。
「……誰だ?」
『私は……『管理組合』の……残響(エコー)……。かつて……この世界を守ろうとした者たちの……成れの果て……』
声は途切れ途切れで、遠い。
まるで、宇宙の彼方から届く、最後のSOS信号のようだ。
『貴方が……あの『汚染』を排除したことを……確認しました……。感謝……します……。貴方の知識と……『物理的干渉』は……我々の想定を……超えていました……』
「あの黒い泥の化け物のことか? あれは一体なんだ?」
俺は画面に向かって問いかけた。
恐怖よりも、知りたいという欲求が勝る。敵の正体を知らなければ、守ることはできない。
『あれは……『世界の捕食者』の……斥候(スカウト)……。世界というプログラムに……バグを植え付け……穴を空けるための……ウイルスのような存在……』
『奴らは……理(ことわり)を喰らいます……。魔法も……生命力も……。だから……貴方のような『異物』でなければ……倒せない……』
やはり、俺の直感は正しかった。
奴らは、この世界を「データ」として喰らおうとしている。そして、俺が持っている現代兵器(科学)だけが、奴らにとっての「特効薬(ワクチン)」になり得るのだ。
『ルークス・グルト……貴方に……託したいものが……あります……』
「託す? これ以上、面倒事を増やす気か? 俺は農民だぞ。イチゴを作って、のんびり暮らしたいだけなんだ」
『知っています……。貴方の願いも……葛藤も……。ですが……世界が喰われれば……そのイチゴ畑も……消滅します……』
痛いところを突いてくる。
画面上の文字列が高速で変化し、一枚の地図データが表示された。
それは、この大陸の全図だ。
そこには、俺のいる辺境伯領を示す青い点の他に、いくつかの「赤い点」が明滅していた。
『赤い点は……『捕食者』が狙っている……世界の楔(くさび)……重要拠点(アンカーポイント)……』
『ここが壊されれば……世界の構造そのものが崩壊し……全ては『無』に帰します……』
脅し文句としては最悪だが、効果的だ。
あの黒い泥が世界中に溢れ、リサやエレナ様、フェン、そして俺の畑を飲み込む光景が脳裏をよぎる。
そんなことは、絶対にさせない。
『貴方のスマホに……『探知アプリ(レーダー)』を……インストールしました……。これがあれば……奴らの接近と……『汚染源』の位置が……わかります……』
『どうか……守って……この世界を……。私たちのような……『失敗』を……繰り返さないで……』
プツッ。
唐突に通信が切れた。
画面はいつものホーム画面に戻っている。
だが、そこには見慣れないアイコン――禍々しいほどに赤いレーダーのマーク――が一つ増えていた。
「……勝手にインストールしやがって。ウイルスはお前らの方じゃないか」
俺は悪態をつきながら、震える指でそのアイコンをタップした。
画面に地図が表示される。
辺境伯領の北、俺が「汚染変異体」を倒した場所の赤点は消えている。
だが。
「……なんだ、これ」
地図をスクロールさせていくと、遠く離れた場所に、ひときわ大きく、ドクンドクンと脈動する巨大な赤い反応があった。
場所は、大陸の最南端。
広大な海に面した場所だ。
「海……?」
俺の脳裏に、設定資料集の記述が蘇る。
人魚族。深海の心臓。そして、世界の記憶を守る者たち。
もし、あの反応が「世界の捕食者」の本体に近いものだとしたら……人魚たちの国は、今まさに存亡の危機にあるということか?
「次の標的は、海かよ……」
俺は深い溜息をつき、スマホを机に置いた。
窓の外では、雪が静かに降り続いている。
ハウスの中の平和な光景と、甘いイチゴの味。
そして、スマホの中の不吉な赤い点と、世界の崩壊の予兆。
二つの現実は、残酷なほど乖離(かいり)している。
だが、俺はもう逃げない。
俺の日常は、俺自身の手で守るしかないのだ。
「……上等だ。全部まとめて、俺が耕してやるよ」
俺は冷めたコーヒーを一気に飲み干し、再びスマホを手に取った。
まずは、このレーダーの使い方をマスターしなくては。
そして、冬の間に稼げるだけポイントを稼ぎ、戦力を整える。
春が来たら、あるいはその前に――俺は旅に出ることになるかもしれない。
まだ見ぬ海へ。
そして、まだ見ぬ脅威へ向かって。
真冬の深夜、俺の孤独な作戦会議が始まった。
机の上に置かれた一粒のイチゴが、蝋燭の火に照らされて、決意の赤色に輝いていた。
【読者の皆様へ】
甘いイチゴの成功と、貴族との優雅な時間。その真裏で明かされた「世界の危機」。
管理組合の「残響」との接触、そして示された次なる戦場は……海!?
スローライフと冒険が交錯する、ルークスの物語は新章へと向かいます。
「イチゴ食べたい!」「海編楽しみ!」「ルークスの覚悟かっこいい!」と思った方は、ぜひ↓の★★★★★評価とブックマーク登録で応援をお願いします!
皆様の応援が、ルークスの羅針盤になります!
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