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引っ越しが急に現実味を帯びて、そのことで頭がいっぱいになってたけど、職場で真理恵さんと遭遇して、大事なことを忘れてたことに気が付いた。
それはもちろん、あの晩のことだ。
今週は早番続きだった私とは違って、遅番のシフトも入っていた真理恵さんとはすれ違い、今日になってようやく都合が合い、食事に行くことになった。
そして真理恵さんオススメのダイニングバーにやってくると、案内された個室で質問攻めにされた結果、あの晩のことを打ち明けることになった。
「え、待って。じゃあ香澄ちゃんが、最近パーソナルジムのヘルプを断ってるのって、その人と会いたくないからなの」
「だってその場限りの関係ですし、再会したら気まずいじゃないですか」
「その場限りかどうかなんて分からないじゃない」
「いや、だって名前も聞いてませんし」
ジントニックを一気に飲み干すと、もしあの時、彼が目を覚ますまで部屋にいればとか、名前を聞かなかったことへの後悔が今更募るのを感じる。
だけどそれはきっと今だから思うことで、やっぱり名前も連絡先も知らずに終わるのは決まっていたことのように思うし、逆に私が遅く目が覚めたら独りぼっちだったかも知れない。
「香澄ちゃん」
「良いんですよ。そりゃ〈アレス〉の会員様ですけど、そもそもは、食事してる時に偶然会っただけですし」
「いやいや、向こうは香澄ちゃんのこと本当に知ってた可能性がある訳でしょ」
「それはそうなんですけど」
取り分けた蒸しエビのサラダをフォークに刺して、あの晩、彼から見覚えがあるなんて、その場凌ぎとも思える言葉を掛けられたことを思い出すと、ギュッと胸が苦しくなった。
彼はきっと遊び慣れてるし、一晩限りなんて当たり前に何度も経験してる気がする。
「もう一回くらい会ってみたらどうなの」
「会うって言われても、名前も連絡先も知りませんし」
「その人が〈アレス〉の会員なら、避けないで会ってみれば良いじゃない」
「でもなんか、それって付き纏いみたいじゃないですか」
「ストーカーってこと?」
「そこまでとは言いませんけど、似たようなもんかと」
「でも向こうが探してるかも知れないじゃない」
「だけど、気軽にそういう相手として扱われるのは」
「ヤダ。もしかして本気で好きになったってことなの」
「分からないです。でもあんな経験初めてなので、心が追い付かないし、なんであんなことしたんだろうって」
「へえ、そんなに素敵な人だった訳か」
「そこで感心しないでくださいよ、真理恵さん」
真理恵さんが言うように、もしかして私を探してくれることを期待しなかったワケじゃないけど、どう考えても彼と私じゃ不釣り合いだとも思う。
それに、本当にそんなに興味を持ってくれたのなら、あの晩に名前も連絡先だってきっと聞き出せたはずなのに、彼はそうしなかった。
「でもね、香澄ちゃん。だったらどうしてそんなに辛そうな顔してるの」
「え?」
「もう二度と会えない人でもないんだし、はっきりさせるくらいは挑戦してみたらどうかな」
「はっきりさせるって」
「そりゃ一晩だけだったのかどうか、相手の真意を確認するのよ」
「いや、だから」
「重たいと思われたくない? それはその人のことが好きってことじゃないのかな」
「好き、なんでしょうか」
「私は香澄ちゃんじゃないから分からないけど、でも嫌われたくないと思ってる感じはする。それって相手に好意を持ってるからでしょ」
ジムの話が出たなら、向こうもまた会うことは想定してるでしょと真理恵さんは、レバーパテを塗ったバゲットとランプステーキを一気に頬張る。
確かに真理恵さんが言うみたいに、私は彼に好意を持ってしまったんだと思う。
あのアッシュブラウンの長めの髪、細すぎず整えられた眉に、色気が迸る垂れ目でくっきりした二重の大きな目。
それはもちろん、あの晩のことだ。
今週は早番続きだった私とは違って、遅番のシフトも入っていた真理恵さんとはすれ違い、今日になってようやく都合が合い、食事に行くことになった。
そして真理恵さんオススメのダイニングバーにやってくると、案内された個室で質問攻めにされた結果、あの晩のことを打ち明けることになった。
「え、待って。じゃあ香澄ちゃんが、最近パーソナルジムのヘルプを断ってるのって、その人と会いたくないからなの」
「だってその場限りの関係ですし、再会したら気まずいじゃないですか」
「その場限りかどうかなんて分からないじゃない」
「いや、だって名前も聞いてませんし」
ジントニックを一気に飲み干すと、もしあの時、彼が目を覚ますまで部屋にいればとか、名前を聞かなかったことへの後悔が今更募るのを感じる。
だけどそれはきっと今だから思うことで、やっぱり名前も連絡先も知らずに終わるのは決まっていたことのように思うし、逆に私が遅く目が覚めたら独りぼっちだったかも知れない。
「香澄ちゃん」
「良いんですよ。そりゃ〈アレス〉の会員様ですけど、そもそもは、食事してる時に偶然会っただけですし」
「いやいや、向こうは香澄ちゃんのこと本当に知ってた可能性がある訳でしょ」
「それはそうなんですけど」
取り分けた蒸しエビのサラダをフォークに刺して、あの晩、彼から見覚えがあるなんて、その場凌ぎとも思える言葉を掛けられたことを思い出すと、ギュッと胸が苦しくなった。
彼はきっと遊び慣れてるし、一晩限りなんて当たり前に何度も経験してる気がする。
「もう一回くらい会ってみたらどうなの」
「会うって言われても、名前も連絡先も知りませんし」
「その人が〈アレス〉の会員なら、避けないで会ってみれば良いじゃない」
「でもなんか、それって付き纏いみたいじゃないですか」
「ストーカーってこと?」
「そこまでとは言いませんけど、似たようなもんかと」
「でも向こうが探してるかも知れないじゃない」
「だけど、気軽にそういう相手として扱われるのは」
「ヤダ。もしかして本気で好きになったってことなの」
「分からないです。でもあんな経験初めてなので、心が追い付かないし、なんであんなことしたんだろうって」
「へえ、そんなに素敵な人だった訳か」
「そこで感心しないでくださいよ、真理恵さん」
真理恵さんが言うように、もしかして私を探してくれることを期待しなかったワケじゃないけど、どう考えても彼と私じゃ不釣り合いだとも思う。
それに、本当にそんなに興味を持ってくれたのなら、あの晩に名前も連絡先だってきっと聞き出せたはずなのに、彼はそうしなかった。
「でもね、香澄ちゃん。だったらどうしてそんなに辛そうな顔してるの」
「え?」
「もう二度と会えない人でもないんだし、はっきりさせるくらいは挑戦してみたらどうかな」
「はっきりさせるって」
「そりゃ一晩だけだったのかどうか、相手の真意を確認するのよ」
「いや、だから」
「重たいと思われたくない? それはその人のことが好きってことじゃないのかな」
「好き、なんでしょうか」
「私は香澄ちゃんじゃないから分からないけど、でも嫌われたくないと思ってる感じはする。それって相手に好意を持ってるからでしょ」
ジムの話が出たなら、向こうもまた会うことは想定してるでしょと真理恵さんは、レバーパテを塗ったバゲットとランプステーキを一気に頬張る。
確かに真理恵さんが言うみたいに、私は彼に好意を持ってしまったんだと思う。
あのアッシュブラウンの長めの髪、細すぎず整えられた眉に、色気が迸る垂れ目でくっきりした二重の大きな目。
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