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本編
二十一歳⑭
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諸外国との会談を滞りなく終え、予定通りイズーリ港へ帰着した皇帝グレゴリオは、出迎えたイズーリ領主ロワイア侯爵から不穏な集団に関する一連の報告を受け、眼光鋭いトパーズの瞳をわずかに細めた。
「―――……ほう」
その傍らで報告を耳にした第三皇子フェルナンドは整った眉宇をひそめ、より詳しい説明を侯爵に求めた。
「フラムアークが対応を……? その帝国に害意を持つ大規模組織とやらは具体的にはどのような集団なのだ? 彼奴等の狙いは?」
「はっ……申し訳ございません、詳細は未だ確認中なのです。何しろこちらへ最初の連絡が来たのがほんの数日前のことでして……。どうやらアズール領主ダーリオ侯爵よりフラムアーク様へその一報がもたらされたようなのですが、相手が総数八千にも及ぶ武装集団らしいとのこと以外、子細が伝わって来ておらず……」
「八千だと? ……一組織の人数としては相当なものだな。しかし、ダーリオ侯は何故フラムアークに……? 帝都には皇太子が残っていたはずだが」
尋ねるフェルナンドの表情は解せない。
アズールの使者がフラムアークの元を訪れたという情報は、宮廷にいる配下から伝鳥によって密かにフェルナンドにも伝わっていた。だがそれによれば、その後フラムアークはフェルナンドが赴く予定だった地方の任務へ予定通り出立したことになっていたはずだった。
―――小賢しい奴だ……どこで勘付いたのか。
こちらが外遊に赴く直前までダーリオ侯爵は“比類なき双剣”の存在には気が付いていなかったはずだ。カルロはかなり用心深く、ダミーを含めた小さな拠点をいくつも作ってひっそりと地域に溶けこみ、領内のあちこちに構成員を散らばせるようにして組織を運営していた。長年に渡って帝国や領主の目を欺き続けてきた擬態は見事で、フェルナンドとて危うく見過ごすところだったのだ。今回の準備も細心の注意を払い、周到に進めていたはずだ。
小心者で日和見のダーリオ侯爵は、馬鹿ではないが飛び抜けた手腕があるわけでもなく、さほど機転が利くわけでもない。彼がアズール領を任されているのはひとえに歴史ある家柄と、大それたことを犯す可能性が限りなく低く、自身の保身に余念がない、強い者に従順なその姿勢ゆえであった。
自分が権力者の目にどう映るのかをひどく気にするダーリオ侯爵は、絶対的権力者である皇帝に対して常に恭順なのだ。
そんな彼の性格を考えれば、事前にレジスタンスの動きを察知したとして、皇帝もフェルナンドも不在の状況であれば、微妙な立ち位置の第四皇子ではなく、地位も権力も上の皇太子に間違いなく伺いを立てるだろうとフェルナンドは踏んでいた。
さすれば此度の外遊に同行する座をフェルナンドに奪われて激高し、ジリ貧にあせる皇太子が、手柄を立てる良い機会とばかりにそれに飛びつき、さぞかし多くの兵を引き連れて出兵し、宮廷をもぬけの殻にして対外的にクーデターを起こしやすい環境を整えてくれるだろう―――とも。
だが、現実は思い通りには運ばなかった。
そうそう上手くはいかないものだと小さな苛立ち飲み下しながら、それにしても、とフェルナンドは内心で首を捻った。
フラムアークは八千もの勢力に対抗する兵力をどこから捻出したのか? それもこの短期間の内に……。
第四皇子の一存で宮廷からそれだけの兵を動かすことは出来ないはずだ。例え出来たとしても皇太子が黙ってはいまいし、第一、そのような報せは配下からフェルナンドの元へ届いていない。
「フラムアークは八千という勢力に対抗する為の兵を、宮廷から率いて出たのか?」
フェルナンドにそう問われたロワイア侯爵はそれを否定した。
「いいえ、どうもご自身で有力者に呼びかけて私兵を募り、即席の連合軍を作られたようなのです。フラムアーク様の下へ集った兵の総数は定かではありませんが、イクシュルのハワード辺境伯からの要請もあり、我が軍の一部を始め、イズーリ周辺の貴族達から急遽集めた四千ほどの兵を援軍としてフラムアーク様の元へ送り出しました」
ハワード伯が一枚噛んでいるのか……。
隣国アイワーンとのひと悶着以降フラムアークに好意的な辺境伯は、最近は末娘がフラムアークとの仲を深めていることもあり、目障りな弟の最大の後ろ盾になっている。
アズールの使者が尋ねてきた後、イクシュル方面へ早馬が出されたという報告は受けていた。
直接的な支援は間に合わないと考えて、伯に間接的支援を仰いだか……。
そしておそらく、フラムアークはこれを囮にフェルナンドの配下の目を欺き、同時間帯に別の通用門から有力者達の元へ密かに早馬を放ったのだろう。フェルナンドがフラムアークの動きに疑念を抱かぬように。
フェルナンドが忌々しい思いに囚われていた時、急報が飛び込んできた。
「第四皇子フラムアーク様より、ロワイア侯爵へ伝令です。本日早朝、テラハ領の丘陵地帯にして対象と接触し、警告を発するも相容れなかった為、交戦とあいなり、これを鎮圧致しました! 敵の首魁は拘束し、敗残兵はアズール方面へと敗走した模様です」
カルロが捕えられたか―――。
フェルナンドはその一報を冷ややかに聞いていた。
カルロとフラムアークがぶつかったということはスレンツェとも見えたということだ。カルロはこれで己が騙されていたと悟っただろうが、ブルーノという人間は公には存在しないし、亡国の生き残りが何を喚いたところでフェルナンドが脅かされることはない。
「おお、そうか! やはり情報通り賊が……! よくぞやって下さった! して、フラムアーク様はご無事か? お怪我などはされなかったのか」
第四皇子を案じるロワイア侯爵に伝令はかしこまって回答した。
「はっ。傷ひとつ負われておらず、ご無事です」
「そうか! それは何より……我らの送った援軍は間に合ったのだな?」
「はっ。イズーリの友軍の登場が我らの勝利を決定づけるものとなりました。皆様の迅速なご協力に深く感謝の意を表するとのフラムアーク様よりのお言葉です」
「うむ、お役に立てて何よりだ。して、敵の正体は。彼奴等は何が目的だったのだ」
「その件に関しましては、ロワイア侯爵への御礼方々、陛下へのご報告の為、フラムアーク様自らが明日にもこちらへ足を運び、直接ご説明させていただくとのことです」
「む……そうか、承知した。では、お待ち申し上げておるとお伝えしてくれ」
「御意」
その光景を黙然と眺めやるグレゴリオの口元に、この時皮肉めいた笑みがうっすらと湛えられたことにフェルナンドは気が付いた。
「ふ―――限られた状況下、その場にある駒を意のままに操ることも資質なれば、無の中から駒を生み出すこともまた資質よな―――祖達より受け継がれし呪いにも似た系譜は、抗いたくても抗えぬ魔の如き力を持っているのかもしれん……」
誰に言うとでもない口調だったが、近くにいるフェルナンド以外には聞き取れない声量だった。
これが皇族に古くから伝わる言い伝えを暗喩したものだと悟ったフェルナンドは、父がどういう意図をもってこれを口にしたのか、その真意を読み取ろうといかめしい横顔を見やった。
インペリアルトパーズの瞳は、優れた帝王の資質を秘めたる者の証―――。
現在の宮廷内ではおいそれと囁かれなくなった言い伝えだ。
大帝国の礎を築いた初代皇帝がその色合いの瞳であったから、それにあやかってインペリアルトパーズの瞳を尊ぶ風潮が生まれたのだと言われているが、実際に英傑や賢帝といった名で後世に称えられる皇帝達は奇しくもその色の瞳の持ち主であった事例が多い。そのような史実も相まって、皇家ではインペリアルトパーズの瞳を持つ赤子の誕生は吉兆とされ、もてはやされてきたという歴史があった。
皇妃となる者にはある種のプレッシャーがかかりそうな伝承だが、希少なその色は現れない代があることも多く、現皇帝グレゴリオしかり、歴代の皇帝達はその瞳を持たぬ者の方が多かった。したがって、代々の皇妃達がそれで特に苦しめられるようなことはなかったのだが、グレゴリオの妻でフェルナンドの母である現皇后クレメンティーネは何故か、インペリアルトパーズの瞳を持つ子供を産むことにこだわった。
グレゴリオが特別それを望んだという事実はなく、何故彼女がそれにこだわったのかは定かでないが、フラムアークが生まれた朝、宮廷中がこれまでにない歓喜に沸いたことを、当時三歳だったフェルナンドは鮮明に覚えている。
フェルナンドにとっては初めての、自分が主役ではなくなった朝だったからだ。
周りの大人達が皆、見たことがないほど興奮した表情で喜び、弟の生誕を祝福していた―――幼かった彼にはその理由がまだ分からなかったが、幼心に受けた衝撃が大きかったことは覚えている。
兄達より利発だの、将来の皇帝候補の筆頭だの、これまで自分を口々に褒め称え、一番に気にかけてくれていた大人達の視線が全て、フラムアークへと向いた。まるで皆、フェルナンドの存在など忘れてしまったかのようだった。周りの祝福ムードに幼いフェルナンドは付いて行けず、たった独り取り残されてしまったかのような孤独感に苛まれた。
だが、ほどなくして状況は一変する。
フラムアークが極度の虚弱体質だと分かり、成人出来ぬ恐れもあるとの見立てが下されたのだ。
それを知った大人達の態度の翻り方は早かった。
その時フェルナンドは悟ったのだ―――周りにいる有象無象はフェルナンド自身に好意を抱いているわけではなく、あくまで自らの利権の為、将来有望な第三皇子という身分の傀儡に群がってきているだけなのだと。
利用価値がなくなれば見限られ、背を向けられる。だから自分はいいように利用される側ではなく、利用する側にならねばならぬのだと―――。
幼いフェルナンドがそれを自覚する一方、四人目にしてようやく授かったインペリアルトパーズの瞳を持つ我が子に下された悲報に、クレメンティーネは打ちひしがれた。
彼女は躍起になってフラムアークを看病するも、発熱と寛解を繰り返し、母乳すらなかなか満足に飲めない息子を前に少しずつ疲弊し、心身に不調をきたしていった。
男腹だったクレメンティーネはまるで代わりを得ようとするかのようにグレゴリオを求め、妻を気遣うグレゴリオもまたそれに応じた。そして翌年二人は第五皇子を授かったが、彼もまた彼女が望む瞳の色の持ち主ではなかった。
クレメンティーネは明らかに心身に変調をきたし、妻を案じたグレゴリオは古い因習を尊ぶ風潮を禁ずる布令を宮廷中に出した。そうすることによってクレメンティーネの耳にインペリアルトパーズの瞳に関する話が入らぬよう考慮したのだ。
現在に渡ってこの布令が継続されている為、フラムアーク以下の皇子達はこういった伝承があった事実を知らず、また、宮廷に勤める者も若い世代は多くがこのことを知らないのだ。
そして、皇帝夫妻がフラムアークから距離を取ったことと、この布令を曲解して捉えた者達がいたことによって、祝福される御子だったはずのフラムアークは宮廷内で孤立した立場へと追いやられていったのである。
その後、しばしの時を置いてクレメンティーネは第六皇子を授かるが、彼もまた彼女が望む瞳の色の持ち主ではなく、更にその後、初めてとなる皇女を授かると、クレメンティーネの心は折れ、彼女は滅多に人前に姿を現すことがなくなった。
フェルナンドには、両親の関係性がよく分からない。
状況だけを踏まえてみると、父は側室を娶らず正妃である母との間に七人の子をもうけ、心身に不調をきたした母を気遣うような行動を取っているのだが、そんな二人の間にフェルナンドは絆というものを感じたことがない。彼らの間に愛情や信頼といった繋がりを感じたことがないのだ。
フェルナンドから見て、両親の間には常に一定の距離があり、どこか冷ややかな空気が漂っていたように思う。
愛し合う夫婦であれば、二人の間に生まれた子どもに惜しみのない愛情を注ぐものらしいが、フェルナンドには両親から大切に扱われた記憶はあっても、慈しまれた記憶はない。それは自分だけでなく、兄弟全員に言えることであると思う。
自分達は将来国を背負って立つ可能性のある、大切な血筋の流れを汲む者なのであって、心からの愛情を注ぐ存在として生を受けた者達ではないのだ。彼はそう理解していた。
それに対する感傷的な思いはないが、幼い頃に植え付けられたあの屈辱的な孤独感と喪失感は耐え難かった。あれが皇帝になれなかった者の末路だと考えると、フェルナンドには到底そのような未来は受け入れられなかった。
呪いにも似た古き伝承などに己が運命を左右されてなるものか。生まれ持った瞳の色ごときで優劣をつけられてはたまらない。運命など、己が手で斬り開き掴み取るものなのだ。
初代皇帝と同じ色の瞳を持たぬグレゴリオもまた、それを信条としていたはず―――それにもとるような先程の発言は、老いの表れか。
それとも、逆境を斬り開き台頭してきた“祝福の御子”を後継に相応しき者して認める心積もりの表れなのか―――。
いずれにしろ―――父上もそろそろ引退の頃合いということだ……。
冷然と考えながら、フェルナンドは己の中の刃を油断なく研ぎ澄ませた。
「―――……ほう」
その傍らで報告を耳にした第三皇子フェルナンドは整った眉宇をひそめ、より詳しい説明を侯爵に求めた。
「フラムアークが対応を……? その帝国に害意を持つ大規模組織とやらは具体的にはどのような集団なのだ? 彼奴等の狙いは?」
「はっ……申し訳ございません、詳細は未だ確認中なのです。何しろこちらへ最初の連絡が来たのがほんの数日前のことでして……。どうやらアズール領主ダーリオ侯爵よりフラムアーク様へその一報がもたらされたようなのですが、相手が総数八千にも及ぶ武装集団らしいとのこと以外、子細が伝わって来ておらず……」
「八千だと? ……一組織の人数としては相当なものだな。しかし、ダーリオ侯は何故フラムアークに……? 帝都には皇太子が残っていたはずだが」
尋ねるフェルナンドの表情は解せない。
アズールの使者がフラムアークの元を訪れたという情報は、宮廷にいる配下から伝鳥によって密かにフェルナンドにも伝わっていた。だがそれによれば、その後フラムアークはフェルナンドが赴く予定だった地方の任務へ予定通り出立したことになっていたはずだった。
―――小賢しい奴だ……どこで勘付いたのか。
こちらが外遊に赴く直前までダーリオ侯爵は“比類なき双剣”の存在には気が付いていなかったはずだ。カルロはかなり用心深く、ダミーを含めた小さな拠点をいくつも作ってひっそりと地域に溶けこみ、領内のあちこちに構成員を散らばせるようにして組織を運営していた。長年に渡って帝国や領主の目を欺き続けてきた擬態は見事で、フェルナンドとて危うく見過ごすところだったのだ。今回の準備も細心の注意を払い、周到に進めていたはずだ。
小心者で日和見のダーリオ侯爵は、馬鹿ではないが飛び抜けた手腕があるわけでもなく、さほど機転が利くわけでもない。彼がアズール領を任されているのはひとえに歴史ある家柄と、大それたことを犯す可能性が限りなく低く、自身の保身に余念がない、強い者に従順なその姿勢ゆえであった。
自分が権力者の目にどう映るのかをひどく気にするダーリオ侯爵は、絶対的権力者である皇帝に対して常に恭順なのだ。
そんな彼の性格を考えれば、事前にレジスタンスの動きを察知したとして、皇帝もフェルナンドも不在の状況であれば、微妙な立ち位置の第四皇子ではなく、地位も権力も上の皇太子に間違いなく伺いを立てるだろうとフェルナンドは踏んでいた。
さすれば此度の外遊に同行する座をフェルナンドに奪われて激高し、ジリ貧にあせる皇太子が、手柄を立てる良い機会とばかりにそれに飛びつき、さぞかし多くの兵を引き連れて出兵し、宮廷をもぬけの殻にして対外的にクーデターを起こしやすい環境を整えてくれるだろう―――とも。
だが、現実は思い通りには運ばなかった。
そうそう上手くはいかないものだと小さな苛立ち飲み下しながら、それにしても、とフェルナンドは内心で首を捻った。
フラムアークは八千もの勢力に対抗する兵力をどこから捻出したのか? それもこの短期間の内に……。
第四皇子の一存で宮廷からそれだけの兵を動かすことは出来ないはずだ。例え出来たとしても皇太子が黙ってはいまいし、第一、そのような報せは配下からフェルナンドの元へ届いていない。
「フラムアークは八千という勢力に対抗する為の兵を、宮廷から率いて出たのか?」
フェルナンドにそう問われたロワイア侯爵はそれを否定した。
「いいえ、どうもご自身で有力者に呼びかけて私兵を募り、即席の連合軍を作られたようなのです。フラムアーク様の下へ集った兵の総数は定かではありませんが、イクシュルのハワード辺境伯からの要請もあり、我が軍の一部を始め、イズーリ周辺の貴族達から急遽集めた四千ほどの兵を援軍としてフラムアーク様の元へ送り出しました」
ハワード伯が一枚噛んでいるのか……。
隣国アイワーンとのひと悶着以降フラムアークに好意的な辺境伯は、最近は末娘がフラムアークとの仲を深めていることもあり、目障りな弟の最大の後ろ盾になっている。
アズールの使者が尋ねてきた後、イクシュル方面へ早馬が出されたという報告は受けていた。
直接的な支援は間に合わないと考えて、伯に間接的支援を仰いだか……。
そしておそらく、フラムアークはこれを囮にフェルナンドの配下の目を欺き、同時間帯に別の通用門から有力者達の元へ密かに早馬を放ったのだろう。フェルナンドがフラムアークの動きに疑念を抱かぬように。
フェルナンドが忌々しい思いに囚われていた時、急報が飛び込んできた。
「第四皇子フラムアーク様より、ロワイア侯爵へ伝令です。本日早朝、テラハ領の丘陵地帯にして対象と接触し、警告を発するも相容れなかった為、交戦とあいなり、これを鎮圧致しました! 敵の首魁は拘束し、敗残兵はアズール方面へと敗走した模様です」
カルロが捕えられたか―――。
フェルナンドはその一報を冷ややかに聞いていた。
カルロとフラムアークがぶつかったということはスレンツェとも見えたということだ。カルロはこれで己が騙されていたと悟っただろうが、ブルーノという人間は公には存在しないし、亡国の生き残りが何を喚いたところでフェルナンドが脅かされることはない。
「おお、そうか! やはり情報通り賊が……! よくぞやって下さった! して、フラムアーク様はご無事か? お怪我などはされなかったのか」
第四皇子を案じるロワイア侯爵に伝令はかしこまって回答した。
「はっ。傷ひとつ負われておらず、ご無事です」
「そうか! それは何より……我らの送った援軍は間に合ったのだな?」
「はっ。イズーリの友軍の登場が我らの勝利を決定づけるものとなりました。皆様の迅速なご協力に深く感謝の意を表するとのフラムアーク様よりのお言葉です」
「うむ、お役に立てて何よりだ。して、敵の正体は。彼奴等は何が目的だったのだ」
「その件に関しましては、ロワイア侯爵への御礼方々、陛下へのご報告の為、フラムアーク様自らが明日にもこちらへ足を運び、直接ご説明させていただくとのことです」
「む……そうか、承知した。では、お待ち申し上げておるとお伝えしてくれ」
「御意」
その光景を黙然と眺めやるグレゴリオの口元に、この時皮肉めいた笑みがうっすらと湛えられたことにフェルナンドは気が付いた。
「ふ―――限られた状況下、その場にある駒を意のままに操ることも資質なれば、無の中から駒を生み出すこともまた資質よな―――祖達より受け継がれし呪いにも似た系譜は、抗いたくても抗えぬ魔の如き力を持っているのかもしれん……」
誰に言うとでもない口調だったが、近くにいるフェルナンド以外には聞き取れない声量だった。
これが皇族に古くから伝わる言い伝えを暗喩したものだと悟ったフェルナンドは、父がどういう意図をもってこれを口にしたのか、その真意を読み取ろうといかめしい横顔を見やった。
インペリアルトパーズの瞳は、優れた帝王の資質を秘めたる者の証―――。
現在の宮廷内ではおいそれと囁かれなくなった言い伝えだ。
大帝国の礎を築いた初代皇帝がその色合いの瞳であったから、それにあやかってインペリアルトパーズの瞳を尊ぶ風潮が生まれたのだと言われているが、実際に英傑や賢帝といった名で後世に称えられる皇帝達は奇しくもその色の瞳の持ち主であった事例が多い。そのような史実も相まって、皇家ではインペリアルトパーズの瞳を持つ赤子の誕生は吉兆とされ、もてはやされてきたという歴史があった。
皇妃となる者にはある種のプレッシャーがかかりそうな伝承だが、希少なその色は現れない代があることも多く、現皇帝グレゴリオしかり、歴代の皇帝達はその瞳を持たぬ者の方が多かった。したがって、代々の皇妃達がそれで特に苦しめられるようなことはなかったのだが、グレゴリオの妻でフェルナンドの母である現皇后クレメンティーネは何故か、インペリアルトパーズの瞳を持つ子供を産むことにこだわった。
グレゴリオが特別それを望んだという事実はなく、何故彼女がそれにこだわったのかは定かでないが、フラムアークが生まれた朝、宮廷中がこれまでにない歓喜に沸いたことを、当時三歳だったフェルナンドは鮮明に覚えている。
フェルナンドにとっては初めての、自分が主役ではなくなった朝だったからだ。
周りの大人達が皆、見たことがないほど興奮した表情で喜び、弟の生誕を祝福していた―――幼かった彼にはその理由がまだ分からなかったが、幼心に受けた衝撃が大きかったことは覚えている。
兄達より利発だの、将来の皇帝候補の筆頭だの、これまで自分を口々に褒め称え、一番に気にかけてくれていた大人達の視線が全て、フラムアークへと向いた。まるで皆、フェルナンドの存在など忘れてしまったかのようだった。周りの祝福ムードに幼いフェルナンドは付いて行けず、たった独り取り残されてしまったかのような孤独感に苛まれた。
だが、ほどなくして状況は一変する。
フラムアークが極度の虚弱体質だと分かり、成人出来ぬ恐れもあるとの見立てが下されたのだ。
それを知った大人達の態度の翻り方は早かった。
その時フェルナンドは悟ったのだ―――周りにいる有象無象はフェルナンド自身に好意を抱いているわけではなく、あくまで自らの利権の為、将来有望な第三皇子という身分の傀儡に群がってきているだけなのだと。
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幼いフェルナンドがそれを自覚する一方、四人目にしてようやく授かったインペリアルトパーズの瞳を持つ我が子に下された悲報に、クレメンティーネは打ちひしがれた。
彼女は躍起になってフラムアークを看病するも、発熱と寛解を繰り返し、母乳すらなかなか満足に飲めない息子を前に少しずつ疲弊し、心身に不調をきたしていった。
男腹だったクレメンティーネはまるで代わりを得ようとするかのようにグレゴリオを求め、妻を気遣うグレゴリオもまたそれに応じた。そして翌年二人は第五皇子を授かったが、彼もまた彼女が望む瞳の色の持ち主ではなかった。
クレメンティーネは明らかに心身に変調をきたし、妻を案じたグレゴリオは古い因習を尊ぶ風潮を禁ずる布令を宮廷中に出した。そうすることによってクレメンティーネの耳にインペリアルトパーズの瞳に関する話が入らぬよう考慮したのだ。
現在に渡ってこの布令が継続されている為、フラムアーク以下の皇子達はこういった伝承があった事実を知らず、また、宮廷に勤める者も若い世代は多くがこのことを知らないのだ。
そして、皇帝夫妻がフラムアークから距離を取ったことと、この布令を曲解して捉えた者達がいたことによって、祝福される御子だったはずのフラムアークは宮廷内で孤立した立場へと追いやられていったのである。
その後、しばしの時を置いてクレメンティーネは第六皇子を授かるが、彼もまた彼女が望む瞳の色の持ち主ではなく、更にその後、初めてとなる皇女を授かると、クレメンティーネの心は折れ、彼女は滅多に人前に姿を現すことがなくなった。
フェルナンドには、両親の関係性がよく分からない。
状況だけを踏まえてみると、父は側室を娶らず正妃である母との間に七人の子をもうけ、心身に不調をきたした母を気遣うような行動を取っているのだが、そんな二人の間にフェルナンドは絆というものを感じたことがない。彼らの間に愛情や信頼といった繋がりを感じたことがないのだ。
フェルナンドから見て、両親の間には常に一定の距離があり、どこか冷ややかな空気が漂っていたように思う。
愛し合う夫婦であれば、二人の間に生まれた子どもに惜しみのない愛情を注ぐものらしいが、フェルナンドには両親から大切に扱われた記憶はあっても、慈しまれた記憶はない。それは自分だけでなく、兄弟全員に言えることであると思う。
自分達は将来国を背負って立つ可能性のある、大切な血筋の流れを汲む者なのであって、心からの愛情を注ぐ存在として生を受けた者達ではないのだ。彼はそう理解していた。
それに対する感傷的な思いはないが、幼い頃に植え付けられたあの屈辱的な孤独感と喪失感は耐え難かった。あれが皇帝になれなかった者の末路だと考えると、フェルナンドには到底そのような未来は受け入れられなかった。
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初代皇帝と同じ色の瞳を持たぬグレゴリオもまた、それを信条としていたはず―――それにもとるような先程の発言は、老いの表れか。
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小説家になろう様にも公開してます。
喪女なのに狼さんたちに溺愛されています
和泉
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