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しおりを挟む(わ……お城みたい)
輿入れの日。フェデラー公爵邸に到着したスフィミアは、でかでかと佇む建物を見上げてぽかんと口を開けた。屋敷の絢爛豪華さに圧倒されていると、公爵邸の使用人に声をかけられて意識が現実に引き戻される。
「スフィミア様。どうかさないましたか?」
「い、いえ。なんでもないです。ごめんなさい、ぼんやりしてしまって」
へへと愛想笑いを浮かべて、使用人の後ろを着いていく。
(あら……このお屋敷、女性の使用人が一人もいない……?)
門をくぐったときから、女性と全くすれ違っていない。これだけ広い屋敷なら普通、下女や侍女たちが庭や廊下を歩いていてもおかしくないはずなのに。
「応接間はこちらです。旦那様がお待ちです」
「はい」
案内されたのは、装飾が施された大きな扉の前。両脇に警護の騎士が控えている。この奥にハネスがいるのだと理解し、ぴしと姿勢を正す。
(呪い……か。でも大丈夫。縁があってここに来たんだもの。親切なお方だと信じましょう)
好色家の引きこもりと言われるハネスだが、五人の婚約者に逃げられたのはこの呪いのせいなのだろうか。多額の支度金を用意して、下級貴族のスフィミアに縁談を申し入れたのは、いい加減に身を固めたかったのかもしれない。
使用人が重厚な扉を押し開くのを見て、改めて覚悟した。
応接間も趣味のいい装飾が施されており、美しい絵画が飾られている。
すると目の前に、片眼鏡に燕尾服を着た、怜悧な雰囲気の男性が立っていた。
(このお方が……ハネス様?)
無表情でこちらを見据える彼に、恭しく頭を下げる。
「お初にお目にかかります。スフィミアです。ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします。えっと……旦那様」
「私はあなたの旦那様ではありませんよ」
淡々とした声で返される。スフィミアははっと顔を上げた。
「わ……ごめんなさい。つい早とちりしてしまいました」
「いえいえ。私はこの屋敷の執事、リルバーと申します」
リルバーは胸に手を当てて紳士的に礼を執った。
(では、旦那様はどちらに……?)
きょろきょろと部屋の中を見渡す。すると、彼の腰の辺りに子どもがしがみついているのが見えた。カーキベージュの髪に、琥珀色のくりっとした瞳をした儚げな雰囲気の少年。年齢は五歳程度だろうか。
(この子……どこかで会ったことがあるような……。気のせいかしら)
どこか見覚えがある彼に、首を傾げる。一方で少年は、スフィミアの姿を見て瞳の奥を揺らした。
「――さ、お客様にご挨拶を」
「う、うん……」
リルバーに背を押された少年は、ひどく緊張した様子でこちらを見上げた。
「……アドニス・フェデラー……です」
フェデラーの性を名乗るということは、ハネスの隠し子だろう。スフィミアは彼の目線に合わせて屈み、にこりと目を細めた。
「まぁ、とってもお利口さんね」
すると、リルバーが意外そうに目を瞬かせた。
「……随分と落ち着いていらっしゃいますね」
「貴族に婚外子がいるのは珍しいことではありませんからね。それに、とっても可愛いから全然OKです!」
「そ、そういうものでしょうか……」
事前に知らされていなかったことだが、スフィミアの受け入れは早かった。彼女のあっけらかんとした態度にリルバーはまた驚いたような顔をし、困惑気味に片眼鏡を持ち上げた。
「何かお困りのことがあれば、いつでもお声がけください」
「親切にどうも」
「では、私はこれで」
リルバーはそう言い残して応接間を後にした。この部屋に入る前、使用人は確かに応接間にハネスがいると言っていたはずだが、どこに行ってしまったのだろうか。
アドニスはスフィミアからかなり離れたところから、ちらちらと様子を窺っている。
(ふふ、はにかみ屋さんなのね。可愛い)
子どもは好きだ。穢れた大人たちばかり見てきたせいか、その無垢さ純粋さが眩しく見えるし、心が浄化される気がする。
「そんなに萎縮しなくて大丈夫よ。お姉さんと遊びましょう?」
「……僕と遊んでくれるの?」
「ええ」
アドニスはぱっと表情を明るくさせてこちらに駆け寄って来た。
「それでは、何をしましょうか。おにごっこ? かくれんぼ? おままごと? ああ……積み木やお人形さん遊びも――」
「勉強」
「べんきょう」
果たして、それは遊びのうちに入るのだろうか。スフィミアの小さいころといえば、勉強のべの字もなく遊ぶこととご飯のことしか考えていなかったのに。
(まぁまぁ……なんて偉い子なの……! さすがは公爵家の血筋ね)
なんて呑気に感心してうんうんと頷く。アドニスはスフィミアの手を引いて、背の高い本棚の前まで行った。本棚には大人が読むような分厚い学問書がずらりと並んでいる。
彼は、慣れた様子で脚立を持って来て本を一冊取り出し、ソファに座って読み始めた。スフィミアも彼の隣に座る。アドニスはあるページを指差してこちらを見上げた。
「スフィミアは、国際人権法の仕組みについてどう思う?」
「こくさいじんけんほう? 地方の郷土料理か何かでしょうか。美味しそうですね」
「…………」
スフィミアは勉強の類は苦手だ。子どものころだけでなく、今も。頭の中は食べ物のことや天気のことくらいしかない。ずっと緊張した様子だったアドニスは、ふっと小さく吹き出した。
「ふふ、違うよ。簡単に言えば人の権利を守るために国同士が決めたルールのこと」
「あら。惜しかったです」
「お、惜しい……? でも実際、このルールをきちんと守ってる国はなくて、法が適切に機能しているとはいえないんだ」
「へぇ、アドニス様は物知りですね。勉強になります」
「このくらい一般常識だよ」
それから彼は、国際人権法が機能する国際社会を構築するためにどう取り組んでいくべきかを熱心に語ってくれた。しかし、スフィミアの耳を左から右に通り過ぎていくだけで学びはなかった。静かに相槌を打っていれば、アドニスがはっとした。
「ごめん……。僕の話、退屈だよね」
「いいえ。アドニス様が好きな話を聞かせてくださるのは嬉しいですよ」
安心したように肩を竦める彼。
「そう……。僕、どうやったら人を楽しませられるかよく分からないんだ。いつもひとりぼっちで、誰かに遊んでもらうようなこともなかったから」
「まぁ……」
(気の毒に……)
公爵に子どもがいるという話は世間には知られていない。ということは、何か特殊な事情があるのだろう。例えば、既婚の王族や上位貴族との婚外子とか。だから、家の中でひっそり暮らすことを強いられているのだとも考えられる。
「皆、僕の事が嫌いになるんだ。僕が呪われているから……」
「呪われている?」
「うん……。僕は……自分が何者なのかもよく分からないし、どうしてここにいるのかも知らない。でも僕を見た人は、皆僕のことを遠ざけようとする」
フェデラー公爵家で呪いを受けるのは、当主だけだと聞いたのだが。アドニスの切々とした表情を見ると、嘘をついているようには思えない。
「なら、私がお友達になります。これからめいいっぱい楽しいことをしましょう?」
「…………!」
アドニスは大きく目を見開いた。どこか大人びた表情でにこりと笑う。
「スフィミアならそう言ってくれるんじゃないかって思ったよ。……僕、自分のことはよく分からないけど、スフィミアのことは知ってる」
「どこかでお会いしたことがあったでしょうか」
「内緒。でも、スフィミアがここに来てくれて……とても嬉しいよ」
それから二人は読書を再開し、スフィミアの方は集中力が続かずソファで寝落ちしてしまった。朦朧とする意識の中で思う。
(そういえば……私まだ、旦那様にご挨拶をしていないわ)
でもまぁ、いいか。きっとそのうち機会があるだろう。今はこの気持ちの良い微睡みに身を委ねていたいから。公爵には隠し子がいたけれどそれもまぁ、いいか。だって、アドニスはこんなに可愛くていい子なのだし。
スフィミアはいつだって前向き。深く考えない。そのまま心地よい眠りに沈んでいった。
――しかし、その後もスフィミアがハネスに挨拶する機会はやって来なかった。
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