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しおりを挟む「スフィミア。……お前の縁談が決まった」
とある日の夕食。食卓を囲う父が、明らかに申し訳なさそうに重々しく告げた。一方、スフィミア本人は全く動揺せず、いつものように呑気に微笑む。
「分かりました」
「そうだよな、突然こんなことを言われても受け入れられ――って、いいのか!?」
「はい」
「その、ほら……相手が気になったりするだろう?」
「いえ別に」
あまりにも受け入れが早すぎるスフィミアに、父は呆気に取られている。
生涯を共にする伴侶より、目の前の食事を味わうことの方が彼女には重要だ。洗練された所作で肉にナイフを入れ、ひと口口に運ぶ。じっくりと煮込んであるから、肉は柔らかいし味がよく染みている。最高だ。
(ああ……幸せ~~)
目を閉じて恍惚とした表情を浮かべ、肉の旨味を堪能していると、同席している家族は呆れたようにため息を漏らした。
すると、姉のカルロッテが言う。
「お父様。スフィミアに何言ったって無駄よ。この子、いつだってなんにも考えていないんだから。ま、その方が返っていいじゃない。――冷酷無慈悲で引きこもりの好色家、フェデラー公爵の元になんて、まともな考えの人間は嫁げないもの。この子くらい能天気じゃないとね」
カルロッテはワイングラスを傾けつつ、意地悪に口の端を持ち上げた。父が、「そういう言い方はよさんか」と控えめに窘めるが、彼女に反省する様子はない。父はこほんと咳払いし、髭の生えた顎をしゃくった。
フェデラー公爵といえば、社交の場に一切顔を出さず、冷酷無慈悲で引きこもりの好色家という不名誉な噂をされている。これまで五人の婚約者がいたが、全員公爵家から逃げた。早いときは三日ももたなかったとか。
(公爵領の特産品ってなんだったかしら……ああ、そうだ。ビーツと黒キャベツ。温暖な気候だからどの野菜も美味しいわ……!)
スフィミアの頭の中は、噂の公爵ではなく食べ物のことでいっぱいだ。
「……とまぁ、そういう訳だ。悪いが、お前には明日、ハネス・フェデラー公爵様の元に嫁いでもらう。準備をしておくように」
「明日ですか?」
随分と急な話だ。
「その……お前に伝えるのを失念していた」
「まぁ、お父様は相変わらずのうっかりさんですね」
スフィミアはふふと笑ってからナイフとフォークを置き、ナプキンで口をさっと拭った。
「――いくらですか?」
「え?」
「いくらいただいたのですか。フェデラー公爵様に。お姉様やお母様が身につけていらっしゃるネックレスやブレスレットに指輪、どれも初めて見ます。それに、とても高価そうですね。近頃家計は火の車だったと思うのですが」
スフィミアの全く悪気のない純粋な眼差しに、父はぐっと喉を鳴らした。額に汗を滲ませ、明らかに言葉に迷っている様子。
(私を借金返済のために売るおつもりなら、はっきりおっしゃったらいいのに)
スフィミアの生家ロディーン男爵家は、財政破綻スレスレで多額の借金を抱えている。というのも、母とカルロッテは救いようのない散財癖があり、領民からの血税を浴びるように使って遊んでいた。彼女たちはスフィミアのことをいつも見下していて、執拗に嫌がらせをしてきた。
父も財産の管理が下手な無能で、あればあるだけ慈善事業に使ってしまう。金はないくせに見栄っ張りで、社会的弱者を救うことで模範的な貴族として認められたいのだ。それから酒癖と女癖が悪く、ほぼ毎日酔っ払っていてスフィミアにも手を上げるし、何人も愛人を抱えている。
すると、父がおずおずと金額を答えた。
「……6500万ドラだ」
「わお。お城が建てられますね」
「そうなんだ。西の海岸沿いに別荘を建てる予定で、」
嬉しそうに語る父に、母が叱責する。
「あなた! 余計なことは言わなくていいの!」
「す、すまない」
父の家庭内での立場は低い。6500万ドラというと、王族の結婚で支払われる支度金や持参金の額と同額だ。借金返済どころか一生遊んで暮らせる金額。まぁ、母とカルロッテの金遣いの荒さで考えると保証はできないが。
スフィミアはにこりと微笑み、両手を合わせた。
「よかったじゃありませんか。これで借金を抱えて野垂れ死にすることもなくなり、当分は豊かに暮らせますね」
「ああ、そうだな」
「それにそれに、私もあなたたちみたいなろくでなしの家族から離れることができます……!」
「ああ、そうだ――は?」
「あ」
スフィミアはさっと口元を塞ぎ、「口が滑りました」と優美に微笑んだ。父は気まずそうに咳払いし、一枚の紙をテーブルに出した。
「これは?」
「多額の支度金を用意していただく代わりに、ある条件が提示されている」
「条件……」
差し出されたのは、婚姻契約の草案だった。流麗な筆跡で綴られた内容を見て、スフィミアは目を瞬かせた。
『フェデラー公爵家の当主は――代々呪いを受ける。呪いを克服ために協力することを唯一の条件とする』
紙を手に取り、ふむ……と呟くスフィミア。父は不安そうにこちらの反応を窺い、母とカルロッテはにやにやしている。
「嫌になったか?」
「いいえ全く。私、フェデラー公爵家に嫁ぎます」
「ほ、本気か?」
「本気です。大マジです」
恐る恐る聞いてくる父に、一も二もなく答える。
(だって、公爵様が噂通りの方とは限らないもの。もしかしたらとても素敵なお方という可能性もあるわ。代々呪われるなんて……さぞ苦労されたことでしょう。私の元に縁談が来たのもきっと、何かの縁)
スフィミアはいつも前向きだ。それに、呪われ公爵家より、このろくでなし家族の元にいる方が精神衛生上よくない気がする。契約書の草案を持ってすっと椅子から立ち上がり、おっとりとした笑顔を家族に向けた。
「ご健勝をお祈り申し上げます。それでは皆さん、さようなら」
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