【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~

葉影

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第二章

99話:帰宅後のベッド④

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 今、幸福が、あまりに過剰な熱量を持って久遠を包み込んでいる。けれど、その充足感と反比例するように、久遠の胸の奥にはちいさな、けれど無視できない澱のような不安が溜まり始めていた。

「……一織くん」

「ん?」

 神永が、久遠の髪を慈しむように一房掬い上げ、その先に唇を寄せた。その何気ない動作ひとつにまで愛が溢れていて、久遠はたまらず視線を落とした。言葉を選びながら、その先をゆっくりと述べる。

「あの……。一織くんに優しくしてもらうの、すごく嬉しいんですけど……できれば、ちょこっとずつにしてもらえませんか」 

「……え?」

 神永くんが動きを止め、不思議そうに眉を寄せた。無理もない。優しさをセーブしろなんてオーダーは、理解不能だろう。だけど――。

「ちょっと怖いの。最初にたくさんもらいすぎて、時間が経った時なくなっちゃったらどうしよう、とか……。分かってるんです、考えすぎだって。でも、なんか、ゆっくり貰わないと、もったいない気がして」

 これはきっと、久遠の悪い癖だ。幸せをそのまま享受できず、いつか来る期限に前もって準備しようとしてしまう。今くれる彼の愛の大きさに喜ぶよりも、いつかそれが減ることを思って恐れてしまう。

 神永くんはしばらく私を見つめていたが、やがて困ったように、けれどどこか楽しげに鼻先を鳴らした。

「んー……。久遠の願いは全部叶えてあげたいと思ってるんだけど、それに応えるのには自信ないかな」

「うぅん……」 

「俺の愛が数量限定だと思ってるの?」

 覗き込んでくる彼の瞳は、悪戯っぽく笑っている。

「いや……そういうわけじゃ、ないけど……」 

「ねえ、そんな可愛い顔しないで。もう一回したら明日久遠が絶対つらくなると思って、これでも我慢してるんだから」

 一織の瞳が、わずかに揺れた。その言葉の意味に理解が追い付いた時、久遠の顔は一気に熱くなる。

「……あの、一織くんが、もしそうしたかったら、私は……」 

「ふふ、いいから寝なさい。眠いくせに何言ってんの」

 彼は久遠の額を指先で軽く小突き、そのまま久遠の頭をそっと枕に載せて、自分も横たわった。   

「でも……もっとずっと起きてたくて。明日起きて、全部が夢だったらと思うと、怖くて眠れなさそうなの」

 本音がぽろりと零れ落ちた。

 久遠にとって、想いが通じ合った昨日から今日までの時間は、長かったようなあっという間だったような、不思議な時空間の中にあった。

 資料室での出来事、深く求め合ったこと、長い答え合わせをしたこと、服をプレゼントしてもらったことや一緒にパンケーキを食べたこと、この美しい指輪を嵌めてもらったこと、霧島と3人で乾杯したこと――。これら全部が、明日になって砂のように手から滑り落ちていったらどうしよう。目覚めたら、見慣れた自分の家の天井が見えて、隣に彼はいなくて、独りぼっちだったら。過去の確執なんて、何一つ解決していなかったら。

 暗闇の中で、神永が静かに笑う気配がした。

「ふ、じゃあおいで。抱きしめてあげる」

 促されるまま彼の腕の中に潜り込むと、素肌から直接伝わる体温が、驚くほど心地よく久遠の不安を溶かしていく。

「……あったかい」 

「うん。体温が伝わったら、現実感あるでしょ?ね」 

「はい。……じゃなくて、うん」 

「久遠。今の敬語カウントしてもいい?」

 耳元で囁かれた不意打ちに、私は彼の胸板を軽く叩いた。敬語の判定が厳しすぎて意地悪だ。

「ふ、ねぇ、今ならいいでしょ?誰も見てないんだから」

 彼はあくまでも敬語判定としたいみたいだ。暗がりに慣れた視界の中で、彼の整った唇がすぐそばにある。久遠はまた、自分から彼に唇を重ねた。これでいいか、と神永の目を見る

「ああ、どうしよう。本当に可愛い……。はあ、我慢してんだけどな、俺」

 神永が深く、長い溜息をついた。我慢しているなんて普通はマイナスな言葉が、こうして彼に言われると、胸の奥からこみ上げるほど幸せな意味になる。

「ね、私……喋ってたら、眠くなくなってきました」

「ふふ、眠そうっていうのもあるけど、久遠、声枯れてきちゃってるでしょ」 

「え? そうですか?」

「うん。……たくさん声出ちゃったもんね」

 あまりにストレートな指摘に、久遠は布団を頭まで被りたい衝動に駆られた。恥ずかしさで何も返せない久遠をよそに、彼は実務的な口調で続ける。

「この部屋乾燥してるかな……。すぐ買ってあげるね、加湿器。……この家に」

 聞き流しそうになったけれど、語尾の不自然な強調に、久遠は顔を上げた。

 "この家に" とわざわざ付け足した意図はなんなのだろう。

 不思議そうにしている久遠の頬を、神永がそっと撫でた。そんな彼の瞳は、力は抜けているけれど、ぼうっと久遠の瞳を捉えている。

「ねえ久遠……俺とここで住まない?」 

「え……?」

 心臓の音が、耳元まで響いてくる。

 彼と私が、ここで一緒に暮らすってこと?

 混乱で言葉を失い、ただ唇を戦慄かせる久遠の沈黙を、神永はどう受け取ったのか。彼は繋いだ手にぐっと力を込め、さらに畳みかけるように声を低くした。

「ここでなら2人で暮らせるし、会社も近くなるよ」 

「でも……そんな急に。そんなに甘えられないよ」

 久遠が咄嗟に否定すると、彼は首を横に振った。

「これは、俺が久遠に甘えてるんだ」 

「一織くんが……?」

 彼は私の手を握りしめ、少しだけバツが悪そうに視線を彷徨わせた。

「うん。ちょっとかっこ悪いんだけど……俺、また久遠がいなくなっちゃうんじゃないかって、少し怖いんだ」

 いつも頼もしい神永一織から漏れた弱音。その響きが、あまりに寄る辺なく、寂しく、久遠の胸の奥をぎゅっと締め付けた。

「さっき、久遠がこれが夢だったらって言ってたけど……俺も同じように思ってる。……いや、それとも少し違うかな。これが現実だとしても、久遠がまた色んなこと考えて、また俺の前からいなくなっちゃうんじゃないかって」 

「一織くん……」 

「かっこ悪いでしょ。でも本当に怖いんだよね。正直、明日家に返すのも怖いくらい。ちょっとでも離れたら、また俺の前から消えちゃうような気がして」

 久遠は、言葉に詰まった。 

 10年前、彼を何も言わずに病院を去った久遠。8年間も2人の時間を止めてしまうことになったすれ違いを生み、そのまま消えた久遠。彼の中に刻まれた喪失の恐怖は、久遠の想像よりもずっと深く、そして今も生々しく残っているのだ。彼の不安のすべては、過去の久遠の振る舞いが与えてしまった傷からきている。

「でも、待つよ。久遠がここに来てもいいって思えるまで」

 すぐに答えられない久遠を見てか、神永はそう告げてくれた。けれど、すぐに視線を落とす。その先の方が、彼の本音のようだった。

「……でも、出来たらすぐ来てほしい。ごめんね、性急で」

 彼はそう言って、久遠の額にキスを落とした。まるで、願いや祈りのような、繊細な触れ方だった。

「一織くん。……そう言ってくれて、ありがとう。私も準備ができたら、一織くんとずっと一緒にいたい」
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