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しおりを挟む母さんは不安そうな表情を浮かべた後、眉を八の字に曲げて笑った。
「…ちょっと、琥珀!何冗談言ってるのよ!失礼でしょ!」
「……は?幼馴染??俺にそんなやついたの?」
「慶也くんよ??慶也くん!!」
母さんは困ったように笑っていたのに、次は眉根を寄せてまるで叱りつけるように言われてしまった。初めは俺の言ったことが冗談だと思っていた母さんも、次第に困惑した顔を見せ始める。
「琥珀、本当にどうしたの?大丈夫?」
母さんは俺の顔を覗き込むが、不安を隠しきれない様子だった。俺はまた余計なことを言ってしまったのだろうか。なんで母さんがそんな顔をするんだ。俺は知らない奴を素直に知らないって言ってるだけなのに…。
「花苗さん、少しの間、琥珀と二人で話してもいいですか?」
突然、そう言ったのは、慶也とかいう男だった。馴れ馴れしく俺を呼び捨てにし、母さんのことまで「花苗さん」と呼んでいる。幼馴染らしいけど、俺にはまったく覚えがない。どんなに思い出そうとしても、記憶の中にその名前も姿も出てこなかった。
しかも、俺は人見知りだ。初対面のような相手と二人きりで話すなんて、息が詰まりそうで仕方ない。母さんに助けを求めるように視線を送ったが、母さんはまったく気づかず、「慶也くん、よろしくね」なんて笑顔で病室を出ていってしまった。
なにを勝手によろしくしてんだよ!
心の中で母さんに投げかけるも届くことはない。
病室には気まずい沈黙が流れる。慶也とかいう男はずっと俺を見ているが、俺はひたすら視線を逸らした。整った凛々しい顔立ちと目元から放たれる鋭い視線はなんとなく威圧感を感じるのだ。
「琥珀。」
「……。」
「琥珀、聞こえてる?」
「……なに。それより、なんで呼び捨てなの…」
少し不貞腐れたように言うと、男は一瞬目を見開いた。そして、突然、目の前で頭を深く下げられた。
「琥珀、あの時は本当にごめん。」
「……あの時って?」
「俺、琥珀をすごく傷つけたと思う。話も聞かずに、一方的に怒って……。」
なんだこいつは。俺が怒られた?しかもこいつに?そんな記憶はどこにもない。無理に思い出そうとすると、頭に鋭い痛みが走り、思わず両手で頭を押さえた。
「琥珀!?どうした?!」
男は慌てて肩を掴み、ナースコールを押した。その後、俺の意識は途切れてしまった。
目が覚めると、白い天井が目に入った。頭の中はぼんやりとして、体は少しだるい。横を見ると母さんが椅子に座って俯いている。隣にはまだ男がいて、重々しい表情を浮かべている。
「……俺、どうなったの?」
医者がやってくると、慶也とかいう男は病室から出て行ってしまう。そして、厳かな表情で説明を始めた。
率直に「記憶障害の可能性がある」と言われた。
「記憶障害って……どういうことですか?」
事故にあった際に強く頭をぶつけたためそのような症状が出ていると言われた。失った記憶に結びつくような行動や物を見たら、失われた記憶が突然戻ることもあるが、このまま戻らない場合もあるらしい。
まるでドラマの世界のようで現実味の帯びていない話に混乱してしまう。
今のところ、自分自身でわかるのは俺が覚えていないのは、この慶也とかいう男に関することだけだ。もしかしたら他にも記憶を失っている可能性もあるけど。
それ以外の質問――学校名や住所、年齢、両親の名前――には特に問題なく答えられる。
母さんは医者の説明を聞いている間、何度も涙を浮かべていた。思わず「一体、何をそんなに泣くことがあるんだよ」と軽口を叩いたら、頭を叩かれるかもしれない。そのせいで記憶が完全に無くなるなんて冗談じゃないから今は口を噤んだ。
一方で、慶也とかいう男は病室に戻ってきて母さんから話を聞かされた後、ずっと黙っていた。
時折、俺のほうをじっと見つめ、今にも泣き出しそうな表情で辛さを堪えるように拳を握りしめ、肩を震わせる。
慶也は結局一言も発しなかった。その目にはどこか後悔が滲んでいるように見えたが、それが何を意味しているのか俺には分からない。
その様子を見ていたら、「俺たちはどういう関係だったの」なんて軽々しく聞ける雰囲気ではなく、俺はじっと押し黙ることしかできなかった。
この慶也という男のことだけがぽっかり抜け落ちたまま、俺の頭の中には重い靄がかかったままだった。
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