【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】

ゆらり

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本編 

異常報告

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 ――防衛戦から、数日後の夜。


 与えられた居住用の天幕で、ネウクレアは魔導術式を展開した。中空に緻密な文様が瞬く間に描き出され、美しい光の明滅が、灯りの点けられてない暗い天幕内を照らした。

 術式を維持するために、膨大な魔力を文様へと注ぎ込む。

 防衛戦の日から命じられた休養により、魔力は大方回復している。保有量が常人のそれとは桁が違うネウクレアにとっては、枯渇には至らない消費だ。

 術式の文様に向けて「異常報告」と、声をかける。


『――報告しろ』


 十拍の間を置いて術式から響いてきたのは、ゼスの声だった。ややくぐもってはいるが、無機質なそれは間違いなく彼のものである。

 ネウクレアは淡々と報告を開始した。

「レゲンスヴァルト騎士団長に、戦果を賞賛され、頭をなでられた。その直後、脈拍の速度変化と、胸部に熱を感知した。経験にない変化だった」


 ――彼が報告しているのは、防衛戦後にセディウスとの間で起きた出来事だ。


 魔力枯渇を起こし、回復薬を飲み干した後。記憶にある限りではまったく経験したことのない行為を受けて脈拍の速度が変化し、胸の中が熱くなるのを感じた。

 なんらかの刺激により血流が活発になり、血液が一時的に心臓に集まったのだと理解した。


 ――問題は、根本的な要因が認識できなかったことだ。


 どのような要因が生じて、あの変化に繋がるのか。それを異常として認識したからこその、この報告なのである。



 ――ゼスからの応答は、やや間を置いて返された。

『……それは、正常な反応だ』

「正常な反応。異常ではないと認識を改める」

『脈拍の速度変化は、与えられた賞賛と接触を、お前が好ましい、または喜びとして感知したからに他ならない』

「感知した記憶がない」

 好ましい……喜び……それはわからない。

 過去に感じたことのない情報だ。それを感知したというのなら、その記憶が残るのではないのか。

『経験がない以上、それを認識するのは不可能だ。しかし、記憶したという意識はなくとも、お前はそれを誘発する刺激を受けて、無意識のうちに反応したのだ。大多数の人間はその性質上、自己を肯定されることを好み、喜びを感じる』

 ゼスの返答を頭の中で反芻するが、理解には至らない。ゼスの言葉は明確だ。いつも理解できていた。そして、彼の指示を受けて行動することで、成果を出してきた。

「理解不能。理解可能とするには、なにが必要か具体的な指示を要求する」

 だが、今日はすべてが理解不能だ。

『理解できるまで解析しろ。他者との様々な体験を繰り返すことで、理解可能になる。今後、こういった身体の反応もとい、脈拍の速度変化に関連する事象を感知した場合の報告は、一切不要だ』

 展開していた術式が、唐突に消えた。ネウクレアは術式を解除していない。ゼスの側から解除されたのだ。

「報告不要、了解した。解析を続ける」

 涼やかな声が、聞く者のいない虚空へ消えていく。


「……喜びとは、なにか……」


 ゼスの発言により、彼は思考の海に放り出されていた。ゆっくりと手を上げて自分で頭をなでてみる。

 脈拍に変化は感じられない。

 あの異常は……ゼスの言う正常な反応は……どうしたら解析できるのか。

 理解できるまで解析しろと、ゼスから指示を出された。指示に従い、成果を出す。それは研究機関で繰り返していた行動だ。いつも通りにゼスの指示に従うことを決定した。

 正常であるとされる脈動の変化が起こったのは、セディウスに頭をなでられた直後だ。

 柔らかく鼓膜を揺らす低い声が、『よく頑張ったな……偉いぞネウクレア』と、賞賛の言葉を発した。深い青色をした瞳を細めて微笑む顔。剣を握る騎士特有の固い皮膚がところどころにある、大きく体温が高い手が、ゆっくりと頭をなでていく感触。

 それらを脳裏でなぞるように思い返すと、微かに脈拍が速くなった。これは異常ではないのか。無表情のまま、鎧越しに胸の辺りをさする。

 ――言いようのない不快感を覚えた。

 この不快感も、初めてのものだ。この不快さは正常とされる反応による弊害だとネウクレアは断定した。報告不要だ。

 この感覚も含めたすべての解析は、ネウクレア自身が行うものだ。ゼスに理解不能であることを訴えても、先ほどの返答以外の解答は期待できない。


 ……研究機関で賞賛はなかった。頭をなでられることもだ。


 実験や訓練での結果が良好であることが、自身が肯定されるということだった。しかし、ゼスから結果報告を受けても、脈拍は変化しなかった。

 繰り返される実験や訓練でなんらかの成果を上げることによって、栄養を摂取したあとに感じられる、満腹感に似た……充足のようなものを、感じていた記憶が蘇る。

 ただ、それだけだ。

 胸に熱を感じたことは、一度もなかった。

 ……なにが、違うのか。

 記憶を引き出し、反芻してもすべてが理解不能だ。もっと解析を進めれば、違いが判別できるだろう。

「よく、頑張ったな……偉いぞ……」

 セディウスの発言を真似してみたが、脈拍に変化はない。条件がなにもかも不足している。


 ――セディウスに会いたい。


 彼に頭をなでられることで、あの変化を再現できる可能性が高い。もっと多くの例が必要だ。

「……頭をなでる行為を、要求する必要性あり」

 これが最適解だろう。

「団長と、面会する」

 ネウクレアは声に出して行動を決定し、ベッドに置いていた兜を装着した。


 天幕を出ると、周囲は無音に近かった。

 ほとんどの者が、就寝しているのだろう。夜間特有の冷えた空気が体を包み込む。不寝番のための松明以外の灯りは少なく、頭上には数えきれない星々が美しく輝き息をするように瞬いていた。

 空を見上げることも、周囲を見渡すこともなく、走り出した。

 夜闇の中を物音を立てず、気配を消して進む。見回りをしている騎士と何度かすれ違ったが、ネウクレアに気付いた様子はなかった。

 誰にも邪魔をされることなく、彼はセディウスの天幕へと入り込んだ。
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