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本編
温かい世界
しおりを挟む――気付いたときには、ゼスといた。
ゼスについて考えるとき、ネウクレアの脳裏に蘇る記憶はいつも同じだ。
執務室の机に向かい高速でペンを動かす音と、全てを観察し続けている鉄色の鋭い瞳にある光。
それから、感情の波を感じ取れない言葉の羅列。
「――今回の成果だ」
そして、実験や訓練の結果を告げる声。
この声に、安堵や充足感のようなものを感じていた。
実験や訓練を実行するのにあたって、ゼスはどのような魔導的な……肉体的な成果に繋がるのかを詳細に解説した。時には新しい考察がその中で生まれ、内容が急遽変更されることもあった。
それらは会話というよりも、ゼスのなかで完結する自問自答という手法に近かった。視線を合わせることなど皆無で、ひたすら無機質な言葉が羅列される。
実験と訓練の内容は目まぐるしく変化し、数えきれないほど積み重ねられた。それに加えて、ありとあらゆる魔導術式に関する技術や知識を指導教育された。
研究機関で感じた温かいものは、自分自身の体温が移ったベッドなどであり、他者にそれを感じたことはない。
ゼスが入れ墨などの施術の際に直接肌に触れることがあったが、彼の手はいつも冷たかった。
限られた空間での生活。
それが、世界のすべてだった。
――そのことに、ネウクレアは違和感を感じた。
自分はもっと温かく、心地いいところにいたはずだ。冷たい手は嫌だ。温かい手がいい。強く、抱き締めてほしい。
あの場所に、帰りたいと思った。
この胸の中を熱で満たしてくれる、彼のそばに。
……天幕に帰りたい。
彼に……セディウスに、頭を、撫でてほしい。
唐突に、自分の体を認識した。
「――う、あっ」
喉から、掠れた声が漏れた。
……体中が痛い。だが、左手の辺りに温かい感触があって、それがとても心地いい。
「ネウクレア……!」
穏やかな、だが、悲痛な感情を含んだ声がした。
セディウスだ。
温かい感触は、ネウクレアの左手をやわく握っているセディウスの手だった。
「セ、セディ……ウ、ス」
「無理をするな。喉も損傷しているのだぞ」
「う、けほっ……セディウス、……なで、て……」
撫でてほしい。
早く。
性急な感情の高まりで、目から何かが零れた。
……涙だ。
痛みと苦しさから生理的に流すことはあったが、それとは異なる、初めての感覚だ。
「わかった、わかったから、泣いて、くれるな……」
自分は泣いたらしい。
大きな手が頭に置かれて、そっと撫でられた。
「セディ……貴方は、無事、帰還した……か」
「ああ、無事だ。お前のお陰でな。まったく……酷い無茶をしたものだが、よく頑張ったな」
じわりと、体中に言い表しようのない感覚が広がっていく。
「私たちは帝国に勝利した。戦争は、やっと終わったのだ。ありがとう、ネウクレア……」
涙が、またひとしずく溢れる。
セディウスの声が、言葉が、とても……嬉しい。
胸の中が、満たされる。
「ん……」
これ以上ない、蕩けるような感覚にネウクレアは深い吐息をついた。
「いまは、しっかりと休め」
「了解、した……」
深い青をした瞳が、見詰めてくれている。
ここは、すべてが心地がいい。
喜びが満ちている。
自分は、帰ってきたのだ。
大きな手が、頭を何度も撫でてくれる。
――ネウクレアは今、柔らかく優しい色彩に包まれた、温かい世界の中にいた。
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