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第四章:氷の公爵、咸魚(しおづけうお)の聖域に踏み入る
~その合理的な休息術、我が軍にも導入したいのですが~
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ジークフリート殿下が「君の自己犠牲に涙が止まらない!」と叫びながら王都へ走り去ってから数日。私の「二度寝の呪い」というデタラメは、霧と共に隣国へと流れ出していたらしい。
その日、別荘の静寂を破ったのは、軍靴の規則正しい響きだった。
「……失礼する。ベルシュタイン公爵令嬢、ユーラリア殿とお見受けする」
応接間に現れたのは、黒い軍服を隙なく着こなした長身の男だった。鋭い知性を感じさせる眼鏡の奥の瞳は、まるで凍てつく湖のように冷たい。隣国ディストブルグの軍事総督、アルベルト・フォン・シュバルツ公爵だ。
(((……うわぁ、見るからに『真面目』が服着て歩いてるような人が来たわね……)))
私はソファの上で、特注の「人をダメにする巨大クッション」に埋もれたまま、薄目を開けた。立ち上がる? そんなエネルギー、今の私には一ミリも残っていない。
「公爵様……。わざわざお越しいただいたのに申し訳ありませんが、今、私は『重力』と熾烈な戦いを繰り広げている最中なのです。このクッションという名の結界から出ることは、死を意味しますわ……」
私は力なく手を振り、再びクッションの海へと沈み込んだ。普通なら「無礼千万!」と怒鳴られるところだが、アルベルト公爵は眉一つ動かさず、手帳を取り出した。
「重力との戦い……。なるほど、君は常に肉体に負荷をかけ、魔力の精密操作を行っているという噂は本当だったか」
((……は? 何をメモしてるの、この人))
「君が開発したという『日陰作り(カーム・クラウド)』の魔法。そして、この一帯に施された精神を弛緩させる結界……。これらはすべて、兵士の疲労を極限まで取り除くための『戦略的休息』の研究の一環だろう?」
アルベルトは真剣な表情で、私がただ「ダラダラしたいから」という理由で作った魔導具や環境を、次々と軍事的な視点で解釈し始めた。
「公爵様、誤解です。私はただ、お昼寝の質を上げたいだけで……」
「謙遜は不要だ。……実は、我が国の兵士たちは深刻な不眠に悩まされている。君のような『休息のスペシャリスト』の知恵を借りたい。……特に、その君が抱えている奇妙な形の物体(クッション)は何だ? 非常に魔力の流動がスムーズだが」
((これ? これは、中のビーズの配合に三日三晩(寝ながら)こだわった、究極の怠惰アイテムよ))
「これは……『人をダメにする、もとい、精神を浄化する聖域』ですわ。……そんなに気になるなら、試してみます?」
私は半分嫌がらせのつもりで、予備のクッションを彼に投げた。 アルベルトはそれを完璧な動作でキャッチし、不審そうに椅子の上に置いて、腰を下ろした。
……一秒、二秒。 アルベルト公爵の眼鏡が、わずかにずれた。
「…………っ!? なんだ、この……脊椎を優しく支配するような感覚は……。筋肉の緊張が、一瞬で消失していく……。これは、禁忌の治癒魔法か?」
「いえ、ただのビーズクッションです」
「……素晴らしい。ユーラリア殿、君は天才だ。無駄な虚飾を捨て、効率的に『無』になるための努力を惜しまない。君のような合理的な人間に、私は初めて出会った」
アルベルトの冷徹な仮面が、少しずつ剥がれていく。彼は手帳に猛烈な勢いで書き込みを始めた。『案件名:ユーラリア式・超効率的睡眠導入法の獲得について』。
((合理……? まぁ、楽をするための努力は惜しまないけど、それって合理的なのかしら……?))
「気に入った。ユーラリア、我が国へ来ないか? 君のその『休息術』を我が軍の特別顧問として指導してほしい。報酬は、君が一生寝て暮らせるだけの年金と、誰にも邪魔されない防音寝室だ」
「……顧問? 働くんですか? 絶対に嫌です」
私は即座に断った。働くために国を移動するなんて、咸魚の風上にも置けない。 しかし、アルベルト公爵は諦めなかった。
「……なるほど。今の君は『二度寝の呪い』と戦うので手一杯ということか。ならば、私がその呪いを解く手伝いをしよう。……まずは、このクッションをあと百個、我が国へ輸出してもらえないだろうか?」
((百個!? 自分で作るの面倒くさいから、魔道具ギルドに丸投げしていいかしら……))
こうして、元婚約者の王太子が「愛の再燃」で追いかけてくる一方で、隣国の冷徹公爵が「究極の休息」を求めて私の別荘に日参し始めるという、さらに面倒な事態が幕を開けたのである。
その日、別荘の静寂を破ったのは、軍靴の規則正しい響きだった。
「……失礼する。ベルシュタイン公爵令嬢、ユーラリア殿とお見受けする」
応接間に現れたのは、黒い軍服を隙なく着こなした長身の男だった。鋭い知性を感じさせる眼鏡の奥の瞳は、まるで凍てつく湖のように冷たい。隣国ディストブルグの軍事総督、アルベルト・フォン・シュバルツ公爵だ。
(((……うわぁ、見るからに『真面目』が服着て歩いてるような人が来たわね……)))
私はソファの上で、特注の「人をダメにする巨大クッション」に埋もれたまま、薄目を開けた。立ち上がる? そんなエネルギー、今の私には一ミリも残っていない。
「公爵様……。わざわざお越しいただいたのに申し訳ありませんが、今、私は『重力』と熾烈な戦いを繰り広げている最中なのです。このクッションという名の結界から出ることは、死を意味しますわ……」
私は力なく手を振り、再びクッションの海へと沈み込んだ。普通なら「無礼千万!」と怒鳴られるところだが、アルベルト公爵は眉一つ動かさず、手帳を取り出した。
「重力との戦い……。なるほど、君は常に肉体に負荷をかけ、魔力の精密操作を行っているという噂は本当だったか」
((……は? 何をメモしてるの、この人))
「君が開発したという『日陰作り(カーム・クラウド)』の魔法。そして、この一帯に施された精神を弛緩させる結界……。これらはすべて、兵士の疲労を極限まで取り除くための『戦略的休息』の研究の一環だろう?」
アルベルトは真剣な表情で、私がただ「ダラダラしたいから」という理由で作った魔導具や環境を、次々と軍事的な視点で解釈し始めた。
「公爵様、誤解です。私はただ、お昼寝の質を上げたいだけで……」
「謙遜は不要だ。……実は、我が国の兵士たちは深刻な不眠に悩まされている。君のような『休息のスペシャリスト』の知恵を借りたい。……特に、その君が抱えている奇妙な形の物体(クッション)は何だ? 非常に魔力の流動がスムーズだが」
((これ? これは、中のビーズの配合に三日三晩(寝ながら)こだわった、究極の怠惰アイテムよ))
「これは……『人をダメにする、もとい、精神を浄化する聖域』ですわ。……そんなに気になるなら、試してみます?」
私は半分嫌がらせのつもりで、予備のクッションを彼に投げた。 アルベルトはそれを完璧な動作でキャッチし、不審そうに椅子の上に置いて、腰を下ろした。
……一秒、二秒。 アルベルト公爵の眼鏡が、わずかにずれた。
「…………っ!? なんだ、この……脊椎を優しく支配するような感覚は……。筋肉の緊張が、一瞬で消失していく……。これは、禁忌の治癒魔法か?」
「いえ、ただのビーズクッションです」
「……素晴らしい。ユーラリア殿、君は天才だ。無駄な虚飾を捨て、効率的に『無』になるための努力を惜しまない。君のような合理的な人間に、私は初めて出会った」
アルベルトの冷徹な仮面が、少しずつ剥がれていく。彼は手帳に猛烈な勢いで書き込みを始めた。『案件名:ユーラリア式・超効率的睡眠導入法の獲得について』。
((合理……? まぁ、楽をするための努力は惜しまないけど、それって合理的なのかしら……?))
「気に入った。ユーラリア、我が国へ来ないか? 君のその『休息術』を我が軍の特別顧問として指導してほしい。報酬は、君が一生寝て暮らせるだけの年金と、誰にも邪魔されない防音寝室だ」
「……顧問? 働くんですか? 絶対に嫌です」
私は即座に断った。働くために国を移動するなんて、咸魚の風上にも置けない。 しかし、アルベルト公爵は諦めなかった。
「……なるほど。今の君は『二度寝の呪い』と戦うので手一杯ということか。ならば、私がその呪いを解く手伝いをしよう。……まずは、このクッションをあと百個、我が国へ輸出してもらえないだろうか?」
((百個!? 自分で作るの面倒くさいから、魔道具ギルドに丸投げしていいかしら……))
こうして、元婚約者の王太子が「愛の再燃」で追いかけてくる一方で、隣国の冷徹公爵が「究極の休息」を求めて私の別荘に日参し始めるという、さらに面倒な事態が幕を開けたのである。
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