絶砂の恋椿

ヤネコ

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贄の男

7―5

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「カメリオが商会の人間になったってな、本当かい?」
 食堂『さざなみ亭』にて遅い昼食を摂りながら、ヴァンダはエンサタに訊ねる。向かい合って賄いを頬張っていたエンサタは、よく咀嚼し飲み下してから応えた。
「そうなのよ。あの番頭さんの護衛になるんだって、急に言い出すんだから」
「あんた、あの子が砦に入る時も心配してたってのに、なんで反対しなかったんだい」
 ヴァンダは、甥のように可愛がっているカメリオが、いけ好かないカームビズ商会の一員となったことへの不満が強いようだ。蒸し煮にした肉団子を突き刺すフォークにも、苛立ちが籠もっている。
 エンサタは目を伏せ、グラスの縁を撫でて応えた。
「カメリオと話し合っているうちにね……あたしもあの人とのこと、母さんから大反対されたなって思い出したのよ」
「……あんたがあの男とくっついたのは、カメリオくらいの頃だったかね」
「うん。だから、カメリオが真剣に決めたことは応援したいなって。すごく……心配だけど」
 やれやれと目を細めながらも、口に運んだ料理の味にヴァンダは口許を綻ばせる。この店の看板料理である蒸し煮の味は、かつてエンサタの母親が切り盛りしていた頃よりも美味だ。
「エンサタ。あんたは、それでいいのかい?」
「もちろん――あたしも、自分で選んだから今の幸せがあるんだもの」
 成人して間もない娘であったエンサタが燃えるような恋に落ちた男は、ある日忽然と姿を消した。白い髪に白い肌、石灰岩を人の形に切り出したような大男が、早々人に紛れて逃げ果せる訳がない。ヴァンダはかの男の失踪には、何か陰謀めいたものが絡んでいると睨んでいる。
「あんた、まだあの男を待つつもりかい?」
「あたりまえじゃない」
 きっぱりと言い切るエンサタに、ヴァンダは溜め息で応えた。失踪してもう、十五年以上経つのだ。死んだものとして考えるのが妥当であろうに、エンサタはまるで恋する乙女のような色を頬に載せて、かの男の帰りを待っている。
「ねえ、ヴァンダ。カメリオは、あの番頭さんに恋してると思わない?」
「はあん? 出し抜けになに言ってんだい」
「だって、命をかけてでも死なせたくないって、恋してる相手じゃなきゃ思えないじゃない?」
 エンサタの仮説には妙な説得力があるが、かの番頭は多くの女を食い散らかして捨てた、筋金入りの色情狂だ。年頃の青年にしては潔癖なカメリオが、好む性質の人間ではない。
「なんでも色恋沙汰に当てはめたがるのは、あんたの悪い癖だよ」
「……なんでもって訳じゃないわよ」
 少し決まりが悪そうにして、エンサタは賄いを食む。ヴァンダは笑みが籠もった溜め息を少し漏らして、蒸し煮のスープを啜った。
「この束は、ここにしまって……? この束は、こっち……」
 一方その頃、ヴァンダ達から話の種にされていたカメリオは、商会支部の書庫に居た。初日は雰囲気に慣れるだけで良いとトゥルースから言われたものの、書類の束を千鳥足で運ぶ小僧の姿に、つい親切心で声を掛けた結果だ。
「マリウス君」
 小僧から手渡されたメモを頼りに、背より高い書棚の林を行ったり来たりしているカメリオは、不意に掛けられた声が自分を呼ぶものとは気付かなかった。声の主は、それ以上は何も喋らずにカメリオの肩を軽く叩いた。
「――ッ!?」
「失敬。商会員名が、まだ耳に馴染んでいなかったようなので」
 驚いたカメリオが振り返れば、そこにはズバイルが立っていた。見知った顔に安堵したものの、相変わらずの鉄仮面ぶりに、カメリオは戸惑いを隠せない。
「どうしたの、です……?」
「手伝い、と言うのは建前で――君と話をしにきた」
 意外な言葉に、カメリオは目を瞬かせる。ズバイルという男は、仕事をさぼるような性質ではないことは、カメリオもわかっている。一体どんな話なのかとカメリオが身構えたところで、ズバイルが口を開いた。
「君は、商会におけるトゥルース様の立ち位置を理解しているか?」
「……番頭、さんで、次の商会長候補……?」
「概ね正解だが、後継者候補――トゥルース様の異母兄弟は他にも数名居て、長年骨肉の争いを繰り広げている」
「…………!」
 薄々悟ってはいたが、トゥルースと現在の商会長は極めて近い関係にあることをカメリオは理解した。そして思い出されたのは、先にトゥルースから聞いた話だ。
「番頭、さんは――商会員名が無いの、です?」
「ああ。君も、商会長と後継者候補は名を隠すことが許されないと聞いたろう?」
 ズバイルの言葉は、カメリオがトゥルースから聞いた話とは矛盾しないが、異なる印象を彼に与えた。表情からそれが見て取れたのか、ズバイルは補足するように言葉を継ぐ。
「我々商会員は、商会員名によってある程度身元を晦ますことが可能だ。名前が異なれば、故郷や親兄弟を探ることは難しいからな」
「故郷や親兄弟を、探る……?」
「人質――商会員の身内の命と引き換えに、言い分を呑ませる訳だな。商売をやりやすくする、手段の一つだよ」
 事も無げにズバイルが告げた言葉に、カメリオは絶句した。海都では、カメリオの善良な思考では凡そ思い付かない非道が罷り通っているようだ。
「そして、我々商会員に向かい損ねた悪意は、身元が割れているあの方々に向かいやすい」
「そんな……」
「トゥルース様の異母兄弟方は母方が豪族だから、大抵の悪意は払い除けてもらえるが……トゥルース様には、後ろ楯というものが無い」
 カメリオは改めて、トゥルースに向けられた刃の数の多さを思い知った。ただでさえ危うい立場だというのに、彼は何故あのような無道を働いたのであろうか。
「マリウス君。君にはトゥルース様に降り注ぐ悪意を払ってくれることを、期待している」
「責任、重大……です、ね」
「トゥルース様は、後ろ楯を持たぬ商会員――才覚以外には持ち物が無い者達の、希望の星なのだよ」
 ズバイルの瞳には、何時になく熱が籠もっている。カメリオは、その意を汲んだように頷いた。
「改めて――カームビズ商会にようこそ、マリウス君。共に、トゥルース様を支えていこう」
「……よろしく、です」
 ズバイルは握手の代わりとでも言うように、カメリオが抱えた書類を半分受け取った。
 だが、
「すまない……目方を誤った」
「ああ……」
 ズバイルの肘は、伸び切って震えている。彼の腕には、この量の紙の束は過積載であったのだろう。
 カメリオは口元に笑みを浮かべて、ズバイルに助太刀した。
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