絶砂の恋椿

ヤネコ

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狩りの始末

8―1

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「お、砦の」
「あんたは……商会の」
 タルズは市場で見掛けた顔に、ふと声を掛けた。声を掛けられた大柄な青年――ヤノもタルズを覚えていたらしく、怪訝な顔をしながらも応じた。
「こないだは世話になったでやすな」
「あんたも、妙なことに巻き込まれて災難だったな」
 警邏中のヤノと商会の宿舎へ戻るタルズは、偶然歩を進める方向が同じだった。どちらともなく連れ立つ程度には、この日の市場は平穏な空気に包まれていた。
「市場で調子付く輩がいなくなったおかげで、見回りも退屈なもんだぜ」
「肉屋のカミさんなんかは、丸腰の傭兵よか迫力がありやすからな」
「違いねえ」
 市場の様子をよく心得た様子のタルズに、ヤノは喉の奥で笑う。先の鼠狩りから敷かれた『市場に得物を持ち込んだ者には酒を売らない』という厳格なルールのおかげか、はたまたろくでなしがごっそりと消えたおかげか、市場の治安は格段に良くなった。ヤノとしては、多少は暴れられる方が張り合いがあるのだが、市場で働く者達からすれば、現在の状況は望ましいものであることだろう。
「あんた、商会の他の奴等とは違う感じだな」
「わしゃ、船頭でやすからな」
 連れ立って歩くものの、ヤノは人懐っこい性分ではない。タルズもまた、多弁な人間ではなかった。だが、居心地の悪さは不思議と無かった。
「俺は、ヤノってんだ。あんたは?」
「わしゃあ、タルズと呼ばれてやす」
 布越しに聞こえるタルズの声は、年長者らしい落ち着きを感じさせる。ヤノはそれに甘えたというわけではないが、気になっていたことをタルズに訊ねた。
「カメリオは、元気でやってんのか?」
「元気を持て余してやすな」
「そんならいいけどよ……」
 商会の規定で実家から商会の宿舎へと居を移したカメリオとは、ヤノはしばらく顔を合わせていない。これまではつるんでいるのが当たり前であった弟分の不在の寂しさもあるが、慣れない環境でカメリオの気が塞いでいないか、心配だったのだ。
「そういやあの坊主、このところは――」
「ヤノにい!」
 ヤノの心配を察したタルズがカメリオの近況を伝えようとしたところで、弾けるような娘の声がヤノを呼んだ。
「おう、ビオラ」
 声の方を二人が向けば、橙色の髪の娘が店先からぶんぶんと手を振っている。
(ちいせえ犬ころみてえな娘っ子だな)
 仔犬が吠えるのにも似た声のせいか、懸命に手を振る様のせいか、タルズはビオラと呼ばれた娘に、なかなか失敬な第一印象を抱いた。
「あのねえ、父ちゃんに頼まれてた繕い物、今預けちゃっていい?」
「構わねえぜ」
「じゃあこれ、お願いねえ」
 ヤノを呼び止めることに成功したビオラは、さっそく何かを手渡している。タルズは見物気分でこの仔犬じみた娘の様子を眺めていたのだが、不意にビオラはタルズに口を利いた。
「あれっ! おじさんの袖のとこ、ほつれてるよう!」
 大声でおじさん呼ばわりされ、内心ムッときたタルズであったが、右袖を見れば確かに解れている。知らぬうちに何処かで引っ掛けたのだろう。
「あたいが繕ったげるよ」
「嬢ちゃんが?」
 ビオラの肩越しには、針山や糸束、端切れのようなものが置かれた作業台が覗いて見える。どうやら繕い物を商いとしている娘らしい。
「……幾らでやすか?」
「やだよう、それじゃ押し売りじゃないの。こっちが声掛けたんだから、お代はいらないよ」
 あっけらかんと答えられ、タルズは思わず耳を疑った。いくらなんでも商売っ気が無さ過ぎるというものだ。
「それじゃあ上手くねえ。嬢ちゃん、あんたあ自分の商いをもっと大事になせえ」
「ええー……これくらいちゃちゃっとできるからいいのに」
 タルズとビオラの遣り取りに、ヤノは思わず吹き出した。買ったものの代金を払い渋る客はこれまでヤノも何度か見掛けたことはあるが、売ったものの代金を貰い渋る店の者を見掛けた記憶は無い。
「なら、代わりに何か奢ってもらえばいいんじゃねえか?」
「おお、それは良い考えでやすな」
 タルズはこれ幸いと、ヤノの助け舟に乗った。年頃の娘が好みそうな髪飾りの店が、近くにあったはずだ。
「じゃあ、果実水おごってくれる? あたい喉乾いちゃった」
「……欲がねえ嬢ちゃんでやすな」
 屈託が無い様子のビオラに、タルズは拍子抜けを隠せなかった。この島の住人は皆お人好しなのか、それともこの娘が取り分け商機に疎いのか。
「じゃ、俺はそろそろ行くからよ」
「はあい。父ちゃんに今度枕破いたらもう繕ってやんないって言っといてねえ」
 ビオラの父親は、随分な怪力の持ち主のようだ。なるほど、この娘にうかうかと悪さする間抜けは居ないことだろう。ヤノを見送ったビオラは、タルズの方に向き直るとまた、あっけらかんと告げた。
「そんじゃあ、上着脱いでくれる?」
「は? ああ……繕うからでやすな」
「すぐ済むから、そこ座って待っててねえ」
 すっかりビオラのペースに巻き込まれたタルズは、渋々と軒先の椅子に腰掛けた。二の腕を剥き出しにしておきながら顔を隠した有様は、我ながらなかなか滑稽だとタルズは自嘲する。
(やれやれ……知り合いには見られたくねえやな)
 もしこの場にトゥルースが居合わせたら、さぞや愉快そうな顔をすることであろう。タルズも逆の立場なら間違いなくそうする。小僧達は、こちらを慮って視線を逸らすであろう。彼等は、あれで義理堅い連中だ。新入りの護衛は、普段通りに声を掛けてくるかもしれない。彼は良くも悪くも、まだ性根が砦の男だ。先程別れたヤノや先日スープを馳走した連中であれば、果たしてどんな反応をしてくるだろうか。
 手持ち無沙汰が妙な連想を連れてくるのに、タルズは妙なくすぐったさを自覚した。
「おじさん、ヤノにいの友達?」
「……うんにゃ。仕事で世話になったんで、ちいと喋っとったんでやす」
「そっかあ」
 訊ねてくる話も喋り方も間が抜けているが、手元はきびきびと針を動かしている。職人らしいビオラの横顔に、タルズはほおと小さく感嘆した。
「ヤノにい、怖く見えるけど優しいから。仲良くしてねえ」
「……そうでやすなあ」
 思わずつられてしまった間延びした語尾に、タルズは誤魔化すように鼻から笑気を洩らす。呆れる程に、穏やかな昼下がりがそこにあった。
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