絶砂の恋椿

ヤネコ

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狩りの始末

8―2

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「水を一杯くれ」
「お水を、一杯く……ださい」
「あの木を見ろ」
「あの木を見て、ください」
 トゥルースの言葉に次いで、カメリオはつっかえながらもそれを丁寧な言葉に言い換えて追い掛ける。終業後にトゥルースがカメリオに話し方を教えるのは、此所は日課のようにもなっていた。
「よし。今度は、できるだけつっかえずに言ってみよう」
 カメリオはトゥルースの注文にこくりと頷くと、先の言葉を復唱する。幾分滑らかになった発声の後に、トゥルースが期待を込めて手本を示せば、海都の市民層が喋るのにも劣らない発声をカメリオはやってのけた。
「良いな。君を教えていると、俺まで教師の天賦があるような気がしてくる」
「……ありがとう、ございます」
 トゥルースの大袈裟な褒め言葉に、カメリオは照れて俯く。事実、カメリオは砂が水を吸い込むように、トゥルースから学んだ話し方を習得していった。『格好良い喋り方』ができるようになるのは楽しいらしく、カメリオはこれまでも一度も弱音や嫉みの言葉を吐いていない。教師の真似事は初めてのトゥルースも、カメリオのお陰か、教える楽しさのようなものに目覚めていた。
「これが、今日勉強した言葉だ。なぞりながら声に出してごらん?」
「わかりました」
 指で手本をなぞりながら学んだ言葉を口ずさむカメリオを見守るトゥルースは、胸に温かなものを感じていた。長い睫毛が頬に三日月の影を落とすのを眺めながら、まだ少年の幼さを残す声に聴き入れば、忙しい合間を縫っての前準備の苦労もすっかり癒やされてしまう。
(これで、あの抓り癖さえ無ければな)
 一見、トゥルースにすっかり心を許した様子のカメリオではあるが、現実はそう甘くは無かった。トゥルースが挨拶のつもりでカメリオに触れようものなら、力一杯に抓ってくるのだ。皆無とは言えない下心の匂いを嗅ぎ取るのか、こちらを意識してくれているのか。トゥルースはまだ、これについてカメリオに真意を訊ねてはいない。
「――さて、話し方についてはここまでにしよう。今日はどんな話をしようか?」
「豪族って、何者なの……かを、教えてください」
「良いだろう」
 カメリオは早くから砦の男に憧れ、少年時代も身体を鍛える事ばかりに夢中になっていたそうだが、新たな知識を得ることを厭う性質では無かった。そこでトゥルースは話し方を教えた後に、カメリオに訊ねられるままに四方山話を聞かせる時間を設けている。
「豪族とは、住んでいる島やその周辺を一族で支配する集団のことだ。元は砂蟲を撃退することで、島の民からの支持を集めたようだな」
「砦……みたいなの、ですか?」
「そうだな。だが、砦との一番の違いは、豪族となった者達が島民を支配する道を選んだことだ」
 砂蟲からの庇護の見返りとして、或いは砂蟲をも退ける武威を示して自らの住まう島の民を支配した彼等は、砂蟲が眠りにつく雨季には互いを喰い合い、呑み込み合った。そうして一帯の島を支配した集団は、海都に残る旧文明時代の文献に倣い『豪族』と呼ばれるようになった。
「豪族にも二種類存在する。一つ目は、島に残って一帯の砂蟲の撃退に当たる者。二つ目は、砂蟲の撃退は家来に任せて海都で他の豪族と喰い合う者だ」
「……どうして、海都へ?」
「顔を売りたい奴は、賑やかな場所が好きだろう?」
「ああ……喧嘩を売りたいのに、誰も居ない所に行っても仕方ないですもんね」
 力を着けた豪族達が、砂に塗れたこの大地においてなお旧文明時代の煌めきを宿す海都を目指すのは、必然とも言えた。剥き出しの野心のぶつかり合いは、美しき海辺の街に酸鼻な混沌を齎した。
「そこで暗躍したのが、俺達のような商会だ」
「商会が、なんのために……ですか?」
「海都の喧嘩は、金が掛かるからな」
 カームビズ商会もまた、海都での存在感を求めた豪族達に協力を申し出た商会の一つだ。巨額の資金提供との引き換えに、商会は豪族達が治める島々での安全な商売の保証――また或いは、商売敵の撃退を狙った。利害の一致により深く結びついた両者は、代を重ねる毎に切っても切れない関係となった。
「海都にいる豪族と商会は、お互いに依存が根深いんだ。健全な状態とは言い難いな」
 そう言ってトゥルースが苦く笑うのを、カメリオは複雑そうな顔をして受け止める。先日ズバイルが話していた『後ろ楯』のことを、カメリオは改めて思い出していたのだ。
「番頭さんは、豪族とは……つるみたくないんですか?」
「個人と個人で付き合うならば、佳き友だ。だが、彼等は人を丸呑みにしたがるからな」
 海都に居る豪族は皆、身内では無い者に対しての猜疑心が強く、それでいて気に入った者を執拗に取り込みたがる。好ましく思えば思うほど、一族の者にしてしまわなければ安心できないのだ。尤も、カームビズ商会は彼等の心理を上手く利用して、縁戚関係を結ぶことにより彼等の身内意識をくすぐってきたわけだが。
「……クーロシュの妹も、ですか?」
「そうだな。彼女にはすまないことをしたが、俺は彼女の一族の者にはなれない」
 かつて愛したパルヴェネは、トゥルースにとっては共にこの砂に覆われた大地を生き抜く友であった。そして今も、彼女が持つ豊かな色彩感覚には、憧れずにはいられない。結果的に彼女の兄クーロシュの面子を潰す形となったが、トゥルースは交わした契約を楯にパルヴェネの求婚を退けた。パルヴェネが産んだ子供には、商会の血腥い後継者争いなどには巻き込まれずに、彼女に似た瞳に映る鮮やかな色彩に彩られた世界の中で、健やかに生きて欲しかったのだ。
「ほんっと……番頭さんって勝手、ですね」
「ああ。所帯を持つのに向いていないんだ」
 自分から訊ねておいて不機嫌そうな瞳で咎めてくるカメリオに、トゥルースは軽口を返す。カメリオが不機嫌になる話題は、わかりやすい。されど、翌日までには不機嫌を持ち越さないカメリオの性質を、トゥルースは好ましく感じている。
「それじゃあ、こないだの事は痛み分けにするんです……?」
「いいや? 落とし前はつけてもらうさ」
 一体何をするつもりなのかと瞳を瞬かせて仔細を聴きたがるカメリオに、トゥルースは物語を聞かせるように語り始めた。
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