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病の功名
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「そうか……君のように優れた腕を持つ者でも、取り扱いが難しい香草なのだな」
トゥルースが残念そうな声色で納得を示せば、アガスターシェの瞳が揺れる。一人で抱えるには重たい荷物の存在に、気付いてほしいかのようなその表情を、トゥルースは見逃さなかった。
「アガスターシェ、君は俺の恩人だ。俺でよければ話を聞かせてくれないか?」
労しげに視線を合わせるトゥルースの眼差しに、アガスターシェは瞳の奥に戸惑いと嬉しさを灯らせながら、こくりと頷いた。
「立ち話もなんですし、上がってお茶でも飲んでください」
「いただこう」
側に控えたカメリオにトゥルースは目線で促し、アガスターシェの後に続く。住居の一部を店頭として改築しているらしく、扉の向こうにはやや狭い土間が広がり、寝起きする部屋の扉が所狭しと香草の籠が積まれた土間の奥に見えた。
「母ちゃん、お客さん?」
「そうだよ。代わりにしばらく店番しとくれ」
「わかった」
土間の砂に火掻き棒で落書きをしていた、アガスターシェの息子らしき少年はカメリオを見るなり、あっ、と声を上げた。
「カメリオ! あとでタトゥー屋にもよってってくれよ!」
「そんなこと言われても、寄る用事が無いよ」
「おれもゴキンジョヅキアイってやつがあるからさあ、たのむぜ!」
アガスターシェの香草屋の隣には、草木の汁を用いてタトゥーを描く店が在る。どうやら少年は、目敏いタトゥー屋の女主人から先日に言伝を頼まれていたようだ。大人顔負けな少年の口ぶりに、カメリオも断りながらも微笑ましげに眦を下げる。
「こらっ! しょうもないこと言ってないで、さっさとお行きよ!」
アガスターシェの叱る声を躱すようにトゥルースとカメリオの間をすり抜ける少年は、トゥルースの目には七、八歳位の年頃に見えた。バハルクーヴ島の市場では幼い子供も大人に混じって働くのが当たり前なのであれば、この早熟ぶりも納得というものだ。
「すみませんね、騒がしくて。そこに座っててください」
かまどで湯を沸かすアガスターシェに促されるまま、トゥルースはカメリオと共に土間に設置されたテーブルに着く。店頭から市場のざわめきがどこか遠くに聞こえる、様々な香草の香りが入り混じった空間は、不思議な居心地の良さがあった。
しばらくして、淹れたての香草茶をトゥルースとカメリオに供したアガスターシェは、遠慮がちにトゥルースたちとは反対側の席に着くと、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
「ニームの実は、この島に来る前――私の、父の代では取り扱ってたんですよ」
アガスターシェの父親も、彼女と同様に香草を取り扱う商いをしていたようだ。思い浮かべる言葉には、辛い記憶が含まれるのだろう。睫毛を震わせるアガスターシェを、トゥルースは労る。
「辛いことを思い出すのなら、無理はしないでくれ」
しかしアガスターシェは、気丈に首を横に振ると、言葉が前後しながらも自身の身の上を語った。バハルクーヴ島に移り住む前、娘時代のアガスターシェは、豪族が支配する島に暮らしていた。父と母、兄とアガスターシェの四人暮らしで、一家揃って香草の商いに携わりながら、それなりに裕福に暮らしていたようだ。
「父は、豪族の奥さんたちが好む美容に良い香草の活用に、特に熱心な人でした……良いお金になったもんですから」
豪商の長と同様に、豪族の頭領が複数の夫人を娶るのは珍しいことではない。頭領からの寵愛を受けるべく美を競い合う夫人たちの周りには、彼女たちの求めるもので一儲けしてやろうと野心を持った者が、虻のように集る。アガスターシェの父親も、その類の人間であったようだ。
「父の店で扱っていたニームの実を使った油薬は肌が綺麗になるって評判で、豪族の奥さんたちからの覚えが良かったんです。でも、それがいけなかったんでしょうね……」
アガスターシェの父は野心家であったが、謀に関しては素人も同然であった。お人好しの両親から受け継いだ香草を扱う家業で、ふと暮らし向きを良くすべく野心を胸に抱いた彼に、人の悪意を躱す術を教える者は居なかったようだ。
「豪族の奥さんの……一番、頭領から大事にされていた人の肌が、父の油薬のせいでひどくかぶれただとかで……父は顔を焼けた砂利に押し付けられ――その火傷が原因で、亡くなりました」
「…………ッ!」
アガスターシェの言葉に、カメリオは息を呑む。余りにも残酷で不条理な罰に、彼の正義感は怒りを胸に生んだ。一方でトゥルースは、気の毒そうにアガスターシェの言葉に頷いた。
「……何者かが焚き付けなければ、そのような重い罰を課せられるものでは無いだろうな」
豪族が治める土地の法は、海都や商会の支配下にある島よりも単純かつ残酷なものだ。罪と断ぜられる理由もその刑罰の重さも、支配層である豪族の胸三寸で決まる。とは言え、犯したとされる罪を償うにはまるで釣り合いが取れない重い罰は、治める島の民から反発を生むのが必定だ。トゥルースはアガスターシェの父親の処刑に、陰謀の臭いを感じ取った。
「ええ。父の商売敵だった人たちが……お金を使って、頭領の家来に頼んだことを、兄がやっとのことで突き止めました。でも……それ以上は、どうにもできませんでしたがね」
刑罰により家長を喪ったことに加えて、豪族に毒を売り付けたという烙印を押されたアガスターシェの一家は、家業である香草の商いも立ち行かなくなった。アガスターシェの父が扱っていたニームの油薬は偽薬とまで貶められたのに、アガスターシェの父の商売敵が平然とニームの油薬を売り出したのを、咎める者は誰も居なかった。
孤立したアガスターシェとその家族が生き延びるには、もはや生まれ育った島から逃げ出す以外に方法は残されていなかった。
「兄は私と母だけを砂船に乗せて、それっきりです。けれど……ニームの林が燃えているのが、船の上から見えましたから、おそらくは兄が何かしたのでしょう」
そこまで語ったアガスターシェの瞳からは、大粒の涙が零れた。零れた涙がテーブルに染み込む様を、カメリオはいたたまれない表情で見つめている。
「アガスターシェ。君の生まれ育った島の名前を、教えてくれるか?」
「……タウィルタラ島です」
トゥルースの問いに答えるアガスターシェの声には、濃い郷愁が含まれていた。アガスターシェから故郷の名を聞いたトゥルースは、優しげな笑みを浮かべてアガスターシェに告げる。
「アガスターシェ。君が望むなら、タウィルタラの地に再び足を踏み入れる道筋を、俺が作ろう」
「で……でも、それは――」
問い返す言葉を言い掛けて、アガスターシェは、困惑に期待を入り混じらせた表情でトゥルースを見つめる。アガスターシェの故郷であるタウィルタラ島は、相変わらず豪族の支配下にある。アガスターシェの父親が着せられた不名誉な悪名も、収まっているかは不明だ。
「君の憂いの元となるものは、俺が払い除けよう。尤も、君の協力を得られることが前提だが」
「協力って言われても、私のできることなんて……」
「君の話を聞いて、ニームの実を正しく扱う方法を知るのはこの島では君だけだと、俺は理解した」
トゥルースの理解は事実その通りであったが、ニームの実をその効能を損なわずに扱うことができる経験こそが、数々の香草を取り扱うアガスターシェの店先にそれを置かせていないのも事実だ。重たく瞬きをしたアガスターシェの表情は、返事をせずともそれを物語っていた。
酷なことを言う、とトゥルースの隣で話を聞いているカメリオは眉間に皺を寄せる。
「アガスターシェ、君が悲しみの淵から足を踏み出してくれれば――俺は、君がお父上の墓に花を手向けるための手筈を整えることができる」
アガスターシェの返答を待つトゥルースの鬱金色の瞳は、彼女の答えが是であると知るかのように、穏やかな光を湛えていた。
トゥルースが残念そうな声色で納得を示せば、アガスターシェの瞳が揺れる。一人で抱えるには重たい荷物の存在に、気付いてほしいかのようなその表情を、トゥルースは見逃さなかった。
「アガスターシェ、君は俺の恩人だ。俺でよければ話を聞かせてくれないか?」
労しげに視線を合わせるトゥルースの眼差しに、アガスターシェは瞳の奥に戸惑いと嬉しさを灯らせながら、こくりと頷いた。
「立ち話もなんですし、上がってお茶でも飲んでください」
「いただこう」
側に控えたカメリオにトゥルースは目線で促し、アガスターシェの後に続く。住居の一部を店頭として改築しているらしく、扉の向こうにはやや狭い土間が広がり、寝起きする部屋の扉が所狭しと香草の籠が積まれた土間の奥に見えた。
「母ちゃん、お客さん?」
「そうだよ。代わりにしばらく店番しとくれ」
「わかった」
土間の砂に火掻き棒で落書きをしていた、アガスターシェの息子らしき少年はカメリオを見るなり、あっ、と声を上げた。
「カメリオ! あとでタトゥー屋にもよってってくれよ!」
「そんなこと言われても、寄る用事が無いよ」
「おれもゴキンジョヅキアイってやつがあるからさあ、たのむぜ!」
アガスターシェの香草屋の隣には、草木の汁を用いてタトゥーを描く店が在る。どうやら少年は、目敏いタトゥー屋の女主人から先日に言伝を頼まれていたようだ。大人顔負けな少年の口ぶりに、カメリオも断りながらも微笑ましげに眦を下げる。
「こらっ! しょうもないこと言ってないで、さっさとお行きよ!」
アガスターシェの叱る声を躱すようにトゥルースとカメリオの間をすり抜ける少年は、トゥルースの目には七、八歳位の年頃に見えた。バハルクーヴ島の市場では幼い子供も大人に混じって働くのが当たり前なのであれば、この早熟ぶりも納得というものだ。
「すみませんね、騒がしくて。そこに座っててください」
かまどで湯を沸かすアガスターシェに促されるまま、トゥルースはカメリオと共に土間に設置されたテーブルに着く。店頭から市場のざわめきがどこか遠くに聞こえる、様々な香草の香りが入り混じった空間は、不思議な居心地の良さがあった。
しばらくして、淹れたての香草茶をトゥルースとカメリオに供したアガスターシェは、遠慮がちにトゥルースたちとは反対側の席に着くと、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
「ニームの実は、この島に来る前――私の、父の代では取り扱ってたんですよ」
アガスターシェの父親も、彼女と同様に香草を取り扱う商いをしていたようだ。思い浮かべる言葉には、辛い記憶が含まれるのだろう。睫毛を震わせるアガスターシェを、トゥルースは労る。
「辛いことを思い出すのなら、無理はしないでくれ」
しかしアガスターシェは、気丈に首を横に振ると、言葉が前後しながらも自身の身の上を語った。バハルクーヴ島に移り住む前、娘時代のアガスターシェは、豪族が支配する島に暮らしていた。父と母、兄とアガスターシェの四人暮らしで、一家揃って香草の商いに携わりながら、それなりに裕福に暮らしていたようだ。
「父は、豪族の奥さんたちが好む美容に良い香草の活用に、特に熱心な人でした……良いお金になったもんですから」
豪商の長と同様に、豪族の頭領が複数の夫人を娶るのは珍しいことではない。頭領からの寵愛を受けるべく美を競い合う夫人たちの周りには、彼女たちの求めるもので一儲けしてやろうと野心を持った者が、虻のように集る。アガスターシェの父親も、その類の人間であったようだ。
「父の店で扱っていたニームの実を使った油薬は肌が綺麗になるって評判で、豪族の奥さんたちからの覚えが良かったんです。でも、それがいけなかったんでしょうね……」
アガスターシェの父は野心家であったが、謀に関しては素人も同然であった。お人好しの両親から受け継いだ香草を扱う家業で、ふと暮らし向きを良くすべく野心を胸に抱いた彼に、人の悪意を躱す術を教える者は居なかったようだ。
「豪族の奥さんの……一番、頭領から大事にされていた人の肌が、父の油薬のせいでひどくかぶれただとかで……父は顔を焼けた砂利に押し付けられ――その火傷が原因で、亡くなりました」
「…………ッ!」
アガスターシェの言葉に、カメリオは息を呑む。余りにも残酷で不条理な罰に、彼の正義感は怒りを胸に生んだ。一方でトゥルースは、気の毒そうにアガスターシェの言葉に頷いた。
「……何者かが焚き付けなければ、そのような重い罰を課せられるものでは無いだろうな」
豪族が治める土地の法は、海都や商会の支配下にある島よりも単純かつ残酷なものだ。罪と断ぜられる理由もその刑罰の重さも、支配層である豪族の胸三寸で決まる。とは言え、犯したとされる罪を償うにはまるで釣り合いが取れない重い罰は、治める島の民から反発を生むのが必定だ。トゥルースはアガスターシェの父親の処刑に、陰謀の臭いを感じ取った。
「ええ。父の商売敵だった人たちが……お金を使って、頭領の家来に頼んだことを、兄がやっとのことで突き止めました。でも……それ以上は、どうにもできませんでしたがね」
刑罰により家長を喪ったことに加えて、豪族に毒を売り付けたという烙印を押されたアガスターシェの一家は、家業である香草の商いも立ち行かなくなった。アガスターシェの父が扱っていたニームの油薬は偽薬とまで貶められたのに、アガスターシェの父の商売敵が平然とニームの油薬を売り出したのを、咎める者は誰も居なかった。
孤立したアガスターシェとその家族が生き延びるには、もはや生まれ育った島から逃げ出す以外に方法は残されていなかった。
「兄は私と母だけを砂船に乗せて、それっきりです。けれど……ニームの林が燃えているのが、船の上から見えましたから、おそらくは兄が何かしたのでしょう」
そこまで語ったアガスターシェの瞳からは、大粒の涙が零れた。零れた涙がテーブルに染み込む様を、カメリオはいたたまれない表情で見つめている。
「アガスターシェ。君の生まれ育った島の名前を、教えてくれるか?」
「……タウィルタラ島です」
トゥルースの問いに答えるアガスターシェの声には、濃い郷愁が含まれていた。アガスターシェから故郷の名を聞いたトゥルースは、優しげな笑みを浮かべてアガスターシェに告げる。
「アガスターシェ。君が望むなら、タウィルタラの地に再び足を踏み入れる道筋を、俺が作ろう」
「で……でも、それは――」
問い返す言葉を言い掛けて、アガスターシェは、困惑に期待を入り混じらせた表情でトゥルースを見つめる。アガスターシェの故郷であるタウィルタラ島は、相変わらず豪族の支配下にある。アガスターシェの父親が着せられた不名誉な悪名も、収まっているかは不明だ。
「君の憂いの元となるものは、俺が払い除けよう。尤も、君の協力を得られることが前提だが」
「協力って言われても、私のできることなんて……」
「君の話を聞いて、ニームの実を正しく扱う方法を知るのはこの島では君だけだと、俺は理解した」
トゥルースの理解は事実その通りであったが、ニームの実をその効能を損なわずに扱うことができる経験こそが、数々の香草を取り扱うアガスターシェの店先にそれを置かせていないのも事実だ。重たく瞬きをしたアガスターシェの表情は、返事をせずともそれを物語っていた。
酷なことを言う、とトゥルースの隣で話を聞いているカメリオは眉間に皺を寄せる。
「アガスターシェ、君が悲しみの淵から足を踏み出してくれれば――俺は、君がお父上の墓に花を手向けるための手筈を整えることができる」
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