絶砂の恋椿

ヤネコ

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病の功名

13―3

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 病の床から回復したトゥルースは、砂蟲避けの油薬の原料と思しき件の香草について、小僧たちに現時点での情報を共有した。
 トゥルースが自らの名の下で開発させているという油薬の存在について、先の面談の中で聞かされていた小僧たちは、商会の新たな目玉となるであろう油薬の生産にこのバハルクーヴ島が大きく貢献する可能性に、興奮を隠しきれない様子だ。
「もし、その香草が件の油薬の原料になるってことなら――バハルクーヴ島も、特定生産島に指定されますよね?」
 珍しく頬を紅潮させたイフラースが発した耳慣れない単語に、はてなと首を傾げたカメリオとミッケに、トゥルースはイフラースの言葉を補足する。
「特定生産島指定というのは、商会に大儲けをもたらす品物やその原料の生産地となる島を優遇する制度だ。儲けの種を切らさない限りは、恒久的に続くと考えてくれていい」
「そんな制度があるんですね……」
 海都においても権勢を振るうカームビズ商会を支えているのは、商会が支配下に置く島々の働き手たちだ。主戦力である水源の維持管理設備に加えて、この砂の大地で暮らす人々がより良い生活を得るために強く所望する品々とその生産者たちを、商会は手厚く保護している。豪族同士の縄張り争いの勝者がより強い威武を示す者であるとすれば、豪商同士の縄張り争いの勝者はより多くの需要を掻き集めることができる者だ。その担い手を逃がさないための飴を、カームビズ商会は惜しまなかった。
 一方で、バハルクーヴ島のように商会にとって旨みが少ない支配下の島に対しては冷淡な待遇を与えているため、同じ商会の支配下の島々でも富を産む島はますます富み、その逆はますます貧しくなるという残酷な格差も生まれていたのだった。
「マリウス。件の香草を売っている店に案内してくれるか?」
「わかりました」
 朝の打ち合わせが終わると、トゥルースは早速カメリオを伴って市場へと向かった。市場区域の場所自体は商会の支部から程近いものの、トゥルースが市場の内部まで立ち寄るのはこれが初めてだ。
「俺が立ち寄ることで、商いの邪魔にならないと良いが」
 冗談めかして呟くトゥルースは、タルズの目と耳を通して市場の状況はある程度把握している。先の市場への見舞い金が功を奏したのか、市場で働く者たちの商会への印象は目に見えて改善しているらしい。
 加えて、市場で働く者たちはタルズの下男じみた立ち居振る舞いに油断してか、トゥルースへの軽口を漏らしてくれるため、市場で働く者たちからトゥルースがどのような目で見られているかも理解していた。
『娘に旦さんを近寄らせたくねえってのが大半で、それ以外だと娘を旦さんの嫁か妾にして楽してえってのが、ここいらのおかみさんの本音のようでやすな』
 タルズはトゥルースに対しての発言では、一切の忖度をしない。バハルクーヴ島の市場で働く者たちの大半は女であり、誰かの母であり娘であった。女たちはトゥルースを警戒し、或いは待ち構えていた。
 身から出た錆と言えばそれまでだが、自身の醜聞が大いに知れ渡ったトゥルースがこの島において女の園とも言える市場を目的も無くうろつくのは、性懲りも無く女漁りに訪れていると誤解を受ける行いだ。
「それなら番頭さんも、タルズさんみたいに顔に布巻けばいいじゃないですか」
「君を連れているのなら、俺だということは直ぐに露見するだろう」
 カメリオは自身が市場の娘たちから受ける熱い眼差しを、トゥルースにも向けられることが嫌だった。トゥルースが二目と見られない醜男ならばカメリオもやきもきとはしなかったのだろうが、残念ながらトゥルースはなかなかに男前だ。
 トゥルースはカメリオのこの愛らしい妬きもちに気付いていたが、敢えて口には出さずに頬を緩ませるに留めた。
「道が綺麗に掃き清められているな。いい市場だ」
 バハルクーヴ島の市場は規模こそは他の島々のものと比べてこぢんまりとしているが、初めて足を踏み入れたトゥルースにも清潔な印象を与えた。野菜を売る店の店先には野菜屑も散らばっておらず、道端には放り捨てられた残飯が発する嫌な臭いも無く、使い捨ての土器の欠片が落ちてもいない。
 感心して辺りを見回すトゥルースは、傭兵と思しき男たちが清掃夫としてまめまめしく働いていることに気付いた。
「俺がよく通っていた頃より、綺麗になったと思います」
 見知った場所の変化に感心するような顔で、カメリオはトゥルースに相槌を打つ。次いでカメリオも、以前は市場で働く者たちを冷やかすばかりであった傭兵が市場の美観を保つ役割を担っていることに、感慨深げな眼差しを向けた。
「多分……番頭さんがこの島に来てなかったら、こんな風に良くはなってなかったと思います」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
 カメリオの言葉にトゥルースが微笑むと、店先からにわかにざわめきが上がった。店番をする娘たちはカメリオの横顔を盗み見ながらも、トゥルースの品定めをしていたようだ。
「三軒先の店が、香草の店です」
「急に訪ねて慌てさせてもいけない。マリウス、先に行って俺の訪問を伝えてくれ」
「……わかりました」
 市場の娘たちの無遠慮な視線は相変わらず二人に降り注ぎ、そんな娘たちを叱る声も聞こえる。客たちもトゥルースらのことが気になるらしく、多くの注目が二人に集まっていた。
 カメリオは香草の店に歩みを進めかけたところで、自身を熱く見つめていた市場の娘の一人に声を掛けた。
「君の周りの人たちに、うちの番頭さんのことあんまり見ないでって伝えてもらえる?」
「はっ……はいい!」
 顔をトマトのように赤くした娘は、素っ頓狂な声で返事をする。それもあってか、周囲の視線はカメリオと娘に集まった。思惑通りに事が運んだ割には気恥ずかしそうに歩みを進めるカメリオの後ろ姿に、トゥルースは笑いが籠もった溜め息を漏らす。
 にわかに騒がしくなった周囲にはてなと辺りを見回した香草屋の主アガスターシェは、騒ぎの元であろう青年を見つけた。
「おや、カメリオ。もう番頭さんの看病はいいのかい?」
「お陰さまで熱も下がったよ。それでさ、番頭さんがおばさんに会いたいってそこまで来てるんだけど……」
「ええっ!?」
 カメリオが振り向いて目線でトゥルースの所在を示せば、トゥルースは片手を挙げて応える。アガスターシェは驚いた声を上げたものの、直ぐに表情を商売用の笑顔に変えた。
「ようこそいらっしゃいました。私はアガスターシェと言います」
「カームビズ商会のトゥルースだ。先日は随分と世話になった」
 トゥルースはよそ行きの笑顔でアガスターシェに挨拶をする。様々な種類の香草が所狭しと並べられたら店先に、目当ての品も見つかるであろうとトゥルースは期待に胸を高鳴らせる。
「アガスターシェ。君が処方してくれた熱冷ましは、海都の薬に勝るとも劣らない効き目だったよ」
「へえ……もったいないお言葉です」
 トゥルースの賛辞に、アガスターシェは照れて爪先を見遣る。上擦る声には、照れと共に緊張が感じられた。香草に絡んだ他愛の無い雑談を重ねてアガスターシェの緊張を解したところで、トゥルースはそれとなく訊ねた。
「素人の見立てで外れているかもしれないが、あの熱冷ましにはニームが入ってはいなかったか?」
「へえ、うちの熱冷ましにはたしかにニームの葉は入ってますね」
 幾分緊張が解れた声で、アガスターシェはトゥルースの見立てに頷く。トゥルースはしめた、と顔に出したいのを堪えながら本題を切り出した。
「それならこの店で、ニームの実は手に入るか?」
 アガスターシェは申し訳なさげに眉を寄せると、香草に染まった指先を自らの腕にぐっと喰い込ませながら答えた。
「……すみませんね。ニームの実は、うちじゃあ取り扱ってないんですよ」
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