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第20話 椅子の軋みと、腰痛対策
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「うぅ……腰が……」
冒険者ギルドのカウンターの中で、マリーが苦しそうに顔を歪めた。
彼女は片手でペンを走らせながら、もう片方の手でトントンと自分の腰を叩いている。
その動きに合わせて、彼女が座っている椅子から不快な音が響く。
ギィー、ギィー。
錆びついた金属が擦れるような、神経を逆撫でする音だ。
マリーが身じろぎするたびに、その音はギルドのホールに小さく響き渡る。
「おい、受付嬢。さっきからうるさいぞ。集中できないだろうが」
並んでいた冒険者の一人が文句を言った。
マリーは慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「も、申し訳ありません! じっとしていますので!」
彼女は再び座るが、恐る恐る体重をかけただけでも、椅子は「ギィッ」と悲鳴を上げた。
マリーは泣きそうな顔で固まる。
動けない。動けば音が鳴るし、じっとしていれば腰の激痛が彼女を襲う。
俺は列の少し後ろから、その元凶である椅子を「鑑定」した。
【ギルド職員用事務椅子(10年物)】
【品質:D(廃棄寸前)】
【状態:クッション材の硬化・消失、蝶番の油切れ、座面の傾斜(右下がり)】
【注記:座面の詰め物が完全に潰れており、木の板に直に座っているのと変わらない。また、右に傾いているため、座るだけで背骨が歪み、重度の腰痛を引き起こす拷問器具】
これは酷い。
ギルドは職員の尻をなんだと思っているんだ。
マリーの腰は限界だ。痛みを庇おうとして変な姿勢になり、それが余計に負担をかけ、さらに椅子の傾斜が背骨をねじ曲げている。
このままでは、彼女は三十代になる前にギックリ腰で引退だ。
「……昼休憩に入ります! 窓口を一時閉鎖します!」
正午の鐘が鳴ると同時に、マリーは逃げるように席を立った。
よろよろと奥の休憩室へ消えていく。相当キツイらしい。
今がチャンスだ。
俺は周囲を見渡す。
他の受付嬢も食事に行き、カウンター内は無人だ。
冒険者たちも昼飯のために酒場へ流れている。
俺は音もなくカウンターに入り込んだ。
目的はマリーの椅子だ。
持ち上げてみると、座面がカチカチで石のように硬い。
俺は道具袋から修理キットを取り出した。
まずは『高性能潤滑オイル』。
これを椅子の脚の付け根、背もたれの蝶番、回転軸にたっぷりと差す。
数回動かして馴染ませると、あの不快な「ギィー」という音は完全に消滅した。
次に、座面だ。
俺はナイフで座面の裏布を切り開き、中で粉々になっていた古い藁(わら)を全て掻き出した。
代わりに詰め込むのは、俺が魔獣の毛皮を加工して作った『高反発ウレタン風スポンジ』だ。
弾力性に富み、体圧を分散させる優れものだ。
これをたっぷりと詰め込み、さらに傾斜を補正するために右側を少し厚めにする。
最後に、裏布を縫い合わせる。
見た目はボロボロの椅子のままだが、中身は王族の玉座並みの座り心地に変貌した。
作業時間、五分。
俺は椅子を元の位置に戻し、何食わぬ顔でホールへ戻った。
一時間後。
休憩を終えたマリーが戻ってきた。
足取りは重い。またあの拷問椅子に座らなければならない憂鬱さが顔に出ている。
「はぁ……午後も頑張らなきゃ……」
彼女は諦めたように、ドスンと椅子に腰を下ろした。
……無音。
いつもの「ギィッ」という音がしない。
それどころか。
「……え?」
マリーが目を丸くした。
お尻が痛くない。
硬い板の感触はなく、まるで雲の上に座ったかのように、ふわりと柔らかい何かが彼女を受け止めた。
そして、右に傾いていた座面が水平になっていることで、自然と背筋が伸びる。
「あれ? あれれ?」
彼女は座ったまま、お尻をモゾモゾと動かしてみた。
音はしない。
どんなに動いても、椅子は滑らかに追従し、彼女の体重を優しく支え続ける。
「な、なんなのこれ……? すごく……気持ちいい……」
マリーは恍惚とした表情で背もたれに体を預けた。
腰への負担がゼロだ。
いや、むしろ座っている方が、立っている時よりも腰が楽だ。
「マリーさん、窓口開けないのか?」
俺がカウンター越しに声をかけると、彼女はハッとして我に返った。
「は、はい! 開けます! ……でも、不思議なんです」
彼女は興奮気味に椅子をポンポンと叩いた。
「この椅子、急に『デレた』みたいなんです!」
「デレた?」
「はい! 午前中まではあんなに反抗的だったのに、今は私の体にぴったり寄り添ってくれて……。きっと、私の頑張りを認めてくれたんですね!」
彼女は嬉しそうに椅子をくるくると回した。
無音で回転する椅子の上で、彼女はプリンセスのような笑顔を浮かべている。
「これなら……これならいくらでも仕事ができます!」
腰の痛みというストレスから解放されたマリーの集中力は凄まじかった。
午前中の遅れを取り戻す勢いで、次々と事務処理をこなしていく。
姿勢が良くなったことでペンの運びもスムーズになり、疲れ知らずだ。
「次の方、どうぞ! はい、確認完了です! 次の方!」
その声には張りがあり、笑顔も絶えない。
並んでいる冒険者たちも、機嫌の良い受付嬢の対応に毒気を抜かれ、ホール全体の雰囲気が良くなっている。
「……へえ、あの受付嬢、いい笑顔するじゃねえか」
エルザが感心したように言う。
「椅子の座り方がいいからだな」
「は? 椅子なんて関係ないだろ。プロ意識だよ、プロ意識」
やはり誰も気づかない。
あの椅子の座面の中に、俺の手製スポンジが詰まっていることなど。
その日の夕方。
マリーはまたしても定時で仕事を終えた。
彼女は帰り際、愛しそうに椅子を撫でていた。
「明日もよろしくね、相棒」
そう語りかける彼女の腰は、もう曲がっていなかった。
俺は満足してギルドを出る。
腰痛は万病の元だ。
彼女が健康でいてくれれば、俺たちの報酬受け取りもスムーズになる。
ただ、あまり快適にしすぎると、彼女が椅子から離れられなくなって、残業を苦にしなくなるかもしれないのが懸念点だが……まあ、それはその時だ。
冒険者ギルドのカウンターの中で、マリーが苦しそうに顔を歪めた。
彼女は片手でペンを走らせながら、もう片方の手でトントンと自分の腰を叩いている。
その動きに合わせて、彼女が座っている椅子から不快な音が響く。
ギィー、ギィー。
錆びついた金属が擦れるような、神経を逆撫でする音だ。
マリーが身じろぎするたびに、その音はギルドのホールに小さく響き渡る。
「おい、受付嬢。さっきからうるさいぞ。集中できないだろうが」
並んでいた冒険者の一人が文句を言った。
マリーは慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「も、申し訳ありません! じっとしていますので!」
彼女は再び座るが、恐る恐る体重をかけただけでも、椅子は「ギィッ」と悲鳴を上げた。
マリーは泣きそうな顔で固まる。
動けない。動けば音が鳴るし、じっとしていれば腰の激痛が彼女を襲う。
俺は列の少し後ろから、その元凶である椅子を「鑑定」した。
【ギルド職員用事務椅子(10年物)】
【品質:D(廃棄寸前)】
【状態:クッション材の硬化・消失、蝶番の油切れ、座面の傾斜(右下がり)】
【注記:座面の詰め物が完全に潰れており、木の板に直に座っているのと変わらない。また、右に傾いているため、座るだけで背骨が歪み、重度の腰痛を引き起こす拷問器具】
これは酷い。
ギルドは職員の尻をなんだと思っているんだ。
マリーの腰は限界だ。痛みを庇おうとして変な姿勢になり、それが余計に負担をかけ、さらに椅子の傾斜が背骨をねじ曲げている。
このままでは、彼女は三十代になる前にギックリ腰で引退だ。
「……昼休憩に入ります! 窓口を一時閉鎖します!」
正午の鐘が鳴ると同時に、マリーは逃げるように席を立った。
よろよろと奥の休憩室へ消えていく。相当キツイらしい。
今がチャンスだ。
俺は周囲を見渡す。
他の受付嬢も食事に行き、カウンター内は無人だ。
冒険者たちも昼飯のために酒場へ流れている。
俺は音もなくカウンターに入り込んだ。
目的はマリーの椅子だ。
持ち上げてみると、座面がカチカチで石のように硬い。
俺は道具袋から修理キットを取り出した。
まずは『高性能潤滑オイル』。
これを椅子の脚の付け根、背もたれの蝶番、回転軸にたっぷりと差す。
数回動かして馴染ませると、あの不快な「ギィー」という音は完全に消滅した。
次に、座面だ。
俺はナイフで座面の裏布を切り開き、中で粉々になっていた古い藁(わら)を全て掻き出した。
代わりに詰め込むのは、俺が魔獣の毛皮を加工して作った『高反発ウレタン風スポンジ』だ。
弾力性に富み、体圧を分散させる優れものだ。
これをたっぷりと詰め込み、さらに傾斜を補正するために右側を少し厚めにする。
最後に、裏布を縫い合わせる。
見た目はボロボロの椅子のままだが、中身は王族の玉座並みの座り心地に変貌した。
作業時間、五分。
俺は椅子を元の位置に戻し、何食わぬ顔でホールへ戻った。
一時間後。
休憩を終えたマリーが戻ってきた。
足取りは重い。またあの拷問椅子に座らなければならない憂鬱さが顔に出ている。
「はぁ……午後も頑張らなきゃ……」
彼女は諦めたように、ドスンと椅子に腰を下ろした。
……無音。
いつもの「ギィッ」という音がしない。
それどころか。
「……え?」
マリーが目を丸くした。
お尻が痛くない。
硬い板の感触はなく、まるで雲の上に座ったかのように、ふわりと柔らかい何かが彼女を受け止めた。
そして、右に傾いていた座面が水平になっていることで、自然と背筋が伸びる。
「あれ? あれれ?」
彼女は座ったまま、お尻をモゾモゾと動かしてみた。
音はしない。
どんなに動いても、椅子は滑らかに追従し、彼女の体重を優しく支え続ける。
「な、なんなのこれ……? すごく……気持ちいい……」
マリーは恍惚とした表情で背もたれに体を預けた。
腰への負担がゼロだ。
いや、むしろ座っている方が、立っている時よりも腰が楽だ。
「マリーさん、窓口開けないのか?」
俺がカウンター越しに声をかけると、彼女はハッとして我に返った。
「は、はい! 開けます! ……でも、不思議なんです」
彼女は興奮気味に椅子をポンポンと叩いた。
「この椅子、急に『デレた』みたいなんです!」
「デレた?」
「はい! 午前中まではあんなに反抗的だったのに、今は私の体にぴったり寄り添ってくれて……。きっと、私の頑張りを認めてくれたんですね!」
彼女は嬉しそうに椅子をくるくると回した。
無音で回転する椅子の上で、彼女はプリンセスのような笑顔を浮かべている。
「これなら……これならいくらでも仕事ができます!」
腰の痛みというストレスから解放されたマリーの集中力は凄まじかった。
午前中の遅れを取り戻す勢いで、次々と事務処理をこなしていく。
姿勢が良くなったことでペンの運びもスムーズになり、疲れ知らずだ。
「次の方、どうぞ! はい、確認完了です! 次の方!」
その声には張りがあり、笑顔も絶えない。
並んでいる冒険者たちも、機嫌の良い受付嬢の対応に毒気を抜かれ、ホール全体の雰囲気が良くなっている。
「……へえ、あの受付嬢、いい笑顔するじゃねえか」
エルザが感心したように言う。
「椅子の座り方がいいからだな」
「は? 椅子なんて関係ないだろ。プロ意識だよ、プロ意識」
やはり誰も気づかない。
あの椅子の座面の中に、俺の手製スポンジが詰まっていることなど。
その日の夕方。
マリーはまたしても定時で仕事を終えた。
彼女は帰り際、愛しそうに椅子を撫でていた。
「明日もよろしくね、相棒」
そう語りかける彼女の腰は、もう曲がっていなかった。
俺は満足してギルドを出る。
腰痛は万病の元だ。
彼女が健康でいてくれれば、俺たちの報酬受け取りもスムーズになる。
ただ、あまり快適にしすぎると、彼女が椅子から離れられなくなって、残業を苦にしなくなるかもしれないのが懸念点だが……まあ、それはその時だ。
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