鑑定持ちの荷物番。英雄たちの「弱点」をこっそり塞いでいたら、彼女たちが俺から離れなくなった

仙道

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第19話 ギルドの窓口と、消えたインク

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「次は七十八番! 七十八番の方!」

 冒険者ギルドのホールは、今日も戦場のような喧騒に包まれていた。
 依頼を終えた冒険者たちがカウンターに押し寄せ、報告書の不備や報酬の額について怒号を飛ばしている。
 その対応に追われているのが、受付嬢のマリーだ。

「申し訳ありません! すぐに確認しますので! ああっ、書類が……!」

 マリーは泣きそうな顔で、羊皮紙の束と格闘していた。
 彼女は真面目で責任感が強いが、要領が悪いというか、運が悪い。
 特に酷いのが、彼女の手元だ。
 書き上げたばかりの報告書が、インクで黒く滲んで汚れている。

「また滲んじゃった……。書き直さなきゃ……」

 彼女は絶望的なため息をつき、新しい羊皮紙を取り出した。
 これではいつまで経っても列が減らないわけだ。

「おい、遅いぞ! いつまで待たせるんだ!」
「す、すみません! 今すぐに!」

 怒鳴る冒険者にペコペコと頭を下げながら、マリーは震える手で羽ペンを走らせる。
 だが、焦れば焦るほど、袖が乾いていないインクに触れ、文字を擦ってしまう悪循環だ。

「……見てられないな」

 俺たちのパーティ『銀の牙』も、報告の列に並んでいた。
 エルザがイライラと貧乏ゆすりをしている。

「あいつ、手際が悪すぎないか? こっちは早く報酬をもらって酒場に行きたいんだが」
「まあ待てよ。道具が悪いんだ」

 俺は列から身を乗り出して、マリーの手元を「鑑定」した。

 【ギルド支給のインク(廉価版)】
 【品質:E】
 【特性:乾燥速度(極遅)、粘度(低)】
 【注記:経費削減のために水で極限まで薄められており、紙に浸透しにくく、表面でいつまでも液体のまま残る。袖が触れただけで大惨事になる仕様】

 ブラック企業か。
 ギルドの上層部が消耗品費をケチった結果、現場の職員が地獄を見ている構図だ。
 マリーの指先はインクで真っ黒に染まり、目の下には濃いクマができている。
 このままでは、俺たちの番が来る前に彼女が過労で倒れるか、エルザがキレてカウンターを破壊するかの二択だ。

「……少しトイレに行ってくる」

 俺は列を離れた。
 そして、カウンターの裏口へと回る。
 ギルド職員用の通路だが、今は誰もいない。みんな忙しすぎて裏手に来る余裕もないのだ。

 俺はマリーの席のすぐ後ろにある棚の隙間から、彼女のデスクを狙った。
 ちょうど、マリーが「確認してきます!」と言って、奥の資料室へ走っていったタイミングだ。
 チャンスは数十秒。

 俺は音もなくカウンターの中に入り、彼女のデスクに置かれたインク壺を手に取った。
 中身はシャバシャバの黒い水だ。
 俺はこれを、手持ちの空き瓶に移し替える(証拠隠滅だ)。
 そして、代わりに俺が調合しておいた『特製インク』を注ぎ込む。

 【速乾性魔導インク(改)】
 【材料:煤(すす)、膠(にかわ)、揮発性の薬草エキス】
 【特性:筆記後、三秒で定着。水に濡れても滲まない】

 俺が自分のメモ用に作ったものだが、これをくれてやろう。
 見た目は同じ黒い液体だが、性能は雲泥の差だ。
 ついでに、ペン先の割れた羽ペンも、俺が削り直した新品同様のものとすり替えておく。

 作業時間、二十秒。
 俺は何食わぬ顔で列に戻った。

「お待たせしました!」

 マリーが息を切らして戻ってきた。
 彼女は席に着き、再びペンを握る。
 目の前には、怒り心頭の冒険者が腕組みをしている。

「さっさと書けよ! また汚すんじゃねえだろうな?」
「は、はい! 慎重に……慎重に……」

 マリーは祈るような顔で、ペンをインク壺に浸し、羊皮紙に走らせた。
 サラサラサラ。
 滑らかな書き心地に、彼女が一瞬「おや?」という顔をする。
 ペン先が紙に引っかからない。

 そして、恐る恐る次の行へ移ろうとした時、彼女の袖が、今書いたばかりの文字の上を通過した。

「あっ……!」

 マリーが小さく悲鳴を上げ、慌てて袖をどける。
 いつもなら、これで文字が伸びて真っ黒になっているはずだ。
 だが。

「……え?」

 文字は、くっきりとそこにあった。
 滲んでいない。
 すでに乾いて、紙に定着している。

「嘘……乾いてる?」

 マリーは信じられないものを見る目で、紙を触った。
 指にもつかない。完璧なドライ状態だ。
 彼女は呆然としながらも、手早く残りの項目を埋めていく。
 早い。
 「乾くのを待つ」という無駄な時間がゼロになり、さらに「汚さないように気をつける」という精神的ストレスが消えたことで、彼女の事務処理能力が爆発的に向上したのだ。

「は、はい! 完了しました! 確認をお願いします!」

 彼女は綺麗な書類を差し出した。
 冒険者も毒気を抜かれたように目を見開く。

「お、おう。……早いな。それに字も綺麗だ」
「ありがとうございます! 次の方、どうぞ!」

 そこからのマリーは無双状態だった。
 次々と書類を仕上げ、判子を押し、報酬を渡していく。
 山のようにあった未処理の書類の束が、みるみる減っていく。

「次は『銀の牙』の皆様ですね! お待たせしました!」

 俺たちの番が来た頃には、彼女の表情から悲壮感が消え、生き生きとしていた。

「報告書、確認しますね」

 彼女はサラサラとサインをする。
 その動きには迷いがない。

「マリーさん、今日は手際がいいな」

 俺が声をかけると、彼女は嬉しそうに顔を上げた。

「ええ! なんだか今日は、ペンの滑りがすごく良いんです! それに、不思議とインクがすぐに乾くみたいで……。きっと、女神様が私を応援してくれているんだわ!」

 彼女はインク壺を愛おしそうに撫でた。
 女神じゃない。揮発性エキスのおかげだ。

「湿度が低いからじゃないですか?」
「そうかもしれませんね! ああ、これなら今日は……」

 彼女は壁の時計を見た。
 まだ夕方の五時だ。
 いつもなら深夜まで残業コースだが、今のペースなら定時に終わる。

「定時で……帰れるかも……!」

 その言葉を口にした瞬間、彼女の目に涙が浮かんだ。
 定時退社。
 それは彼女にとって、伝説上の楽園にも等しい響きだったらしい。

「頑張ってください。応援してますよ」
「はいっ! 私、やります! 今日こそは家に帰って、温かいスープを飲むんです!」

 彼女は燃えていた。
 その後の処理速度は、さらに加速した。
 俺たちが報酬を受け取ってギルドを出る頃には、長蛇の列は消滅しかけていた。

「ふん、意外とやるじゃないか、あの受付嬢」

 懐が温かくなったエルザが上機嫌で言う。

「道具が良かっただけだろ」
「道具? ただのペンとインクだろ。使い手の腕だよ」

 エルザはわかっていない。
 事務仕事において、弘法は筆を選ばないかもしれないが、マリーは弘法ではない。
 道具の性能が全てだ。

 その夜。
 宿の窓から通りを見下ろしていると、仕事を終えたマリーが、スキップしながら家路につくのが見えた。
 その手には、市場で買ったであろう新鮮な野菜と肉の袋が握られている。
 彼女の「普通の生活」を守ったのは、俺のインクだ。

 俺は満足して窓を閉めた。
 だが、これで終わりではない。
 一度「定時退社の味」を知ってしまった彼女は、明日から元の安物インクに戻った時、絶望するだろう。
 ……仕方ない。
 明日の朝、ギルドが開く前に、またこっそり補充しに行くとしよう。
 俺の平穏な報告業務のためにも、窓口はスムーズであってほしいからな。
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