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1 十年目の記念日
しおりを挟む恋人との十年目の記念日。
待ち合わせ場所である高級レストランの前に、私はひとり立ち尽くしていた。
「……やっぱり、もう、だめなのかな」
いつもより少し丁寧に巻いた髪。
耳元で揺れる小さなピアスは、大学時代の彼が初給料で買ってくれたもの。
記念日だからと、久しぶりにスカートも履いた。
だけど、街の灯りがひとつ、またひとつと点るたび、胸の奥の寒さも増していった。
「せめて、顔だけでも見たかったな……」
ここ三か月、顔を合わせられない理由はいつも同じだった。
『仕事で疲れて会えない』――それが、倫太郎の口癖のように繰り返されてきた言葉。
(それでも今日だけは必ず会おうって、毎年約束していたのに……)
スマートフォンを握りしめ、何度目かの発信ボタンを押す。
やっと繋がった通話口から、慌ただしい彼の声が流れ込んできた。
「連絡できなくてごめんっ! 今、本当に忙しくて……今日は無理そう。今度、必ず埋め合わせをするから。本当にごめん!」
予想はしていた。
それでも、胸の奥がきゅっと痛む。
「……今度って、いつ?」
「あー。来月なら……来月の二十五日。いつものレストランでディナーを食べよう。な?」
まくし立てるような早口。
背後でキーボードを叩くような音や人の声が混じり、彼が仕事に追われているのはすぐに分かった。
(来月……それはもう、記念日じゃないよ)
十年かけて積み重ねてきた日々が、今ではただの予定のひとつに変わってしまったようで、胸が締めつけられる。
それでも、仕事を頑張る彼を応援したい気持ちもあるため、私は自分の気持ちを押し殺した。
「……わかった」
「ごめんな。それじゃ、仕事戻るわ」
ぶつり、と通話が途切れる。
次の瞬間、耳に残ったのは冷たく繰り返す切断音だけ。
通りの喧噪すら遠くなり、静寂の中でひとり取り残されたような気がした。
結局、私がどれだけ会いたいと願っても、倫太郎には会えない。
メッセージアプリを開けば、並んでいるのは私の誘いを断る言葉ばかり。
それでも最後には決まって「愛してる」「好きだよ」と、機械的なほど同じ言葉が添えられていた。
(……仕事だもの、仕方がない)
予約を入れてしまった以上、キャンセルして店に迷惑をかけるわけにはいかない。
私は意を決して、煌びやかな扉を押した。
「すみません。相方が仕事で来られなくなってしまって……。ひとり分だけお願いできますか? 料金は彼の分も支払いますので」
「もちろんでございます。ご案内いたしますね」
申し訳なさそうに告げた私に、若い女性店員は柔らかい笑顔を向けた。
その笑顔に、張り詰めていた胸の奥がわずかにほぐれる。
シャンデリアの灯りが、磨き上げられたグラスやカトラリーを星のように輝かせている。
隣の席では、ドレス姿の女性とスーツの男性が、幸せそうにグラスを傾け合っていた。
ほどなく運ばれてきたコース料理は、特別な日のために選んだもの。
本来なら、彼と一緒に味わうはずの料理。
香りも味も、どこか遠くに感じられて、口の中に残るのは虚しさだけだった。
グラスの中で弾ける泡の音が、ひとりでいることをいやに際立たせる。
結局、私は早々に食事を終えると、翌月の予約だけを入れて店を後にした。
『来月の二十五日。二十時で予約したよ』
送信したメッセージは、その日、最後まで既読になることはなかった。
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