3 / 58
3 私が予約した席で
しおりを挟む――距離を置こう。
その言葉は、事実上の別れの宣告と同じだった。
胸に大きな穴があいたみたいで、ふとした瞬間に涙が零れる。
それでも仕事には行かなければならず、心を引きずりながら、無理に笑顔を貼りつける毎日が続いた。
(帰りたい……。地元に、戻りたい……)
そんな弱音が、夜ごと心をよぎる。
けれど、両親の反対を押し切って上京した手前、「失恋したから帰る」なんて、到底言えるはずがなかった。
◇ ◇ ◇
私は小さな広告制作会社のデザイン制作部で働いている。
アシスタントデザイナーとして入社して二年。
同じ部署には、個性豊かな仲間たちがいた。
華やかな業界とはいえ、地味な下積み仕事ばかりだけど、それでも手を動かしている間だけは、心の痛みを忘れられた。
そんなある日。
職場の休憩室で、同僚四人と恋の話題になった。
社内でも外でもモテている彼女たちは、きらきらした笑顔で楽しげに語り合っている。
「紬は、長年付き合ってる彼氏とどうなの?」
問いかけてきたのは、凛とした長身の黒髪美人――高坂凛音。
彼女は、私が上京したときに何かと世話を焼いてくれた、一番の理解者だ。
「高校生の頃から十年も続いてるんでしょ? 今時、純愛だよねー!」
「そろそろ結婚も考えてる?」
「スピーチは、私たちに任せてよ」
同僚たちは勝手に盛り上がっていた。
私が高校時代からの恋人を追いかけて上京したことは、みんなが知っている。
けれど――実際は、彼女たちが想像するような「純愛」とは、ほど遠かった。
嘘をついているような罪悪感に耐えかねて、私は意を決して打ち明けることにした。
「……実はね、彼氏に『距離を置きたい』って言われちゃって」
その瞬間、休憩室の空気が一変した。
ここ最近の話をすれば、瞬く間にみんなの表情が険しく変わった。
中でも凛音は、怒りを隠そうともしなかった。
「はあっ!? それって彼女じゃなくて、ただの家政婦扱いじゃない!」
「ずっと支えてきた紬を蔑ろにするなんて、信じられない……」
「そんな男、地獄に落ちればいいのよ!」
思いがけず声を荒げてくれる彼女たちを前に、私はきょとんとした。
そして、こみ上げるものを押さえきれず、少し笑ってしまった。
――怒ってくれる人がいる。
それだけで、胸のつかえがほんの少し軽くなる。
「ほら、今日は私たちがご飯に連れてってあげるから。美味しいもの食べて、元気出そう?」
その気遣いが、心に沁みた。
倫太郎を支えるためだけに上京したと思っていたけれど、私にはもう、別の大切な縁ができていたのだ。
それを嬉しく思えた自分に、少し救われる。
――もっと大切にしていこう。
恋人に尽くすばかりじゃなく、私を見てくれる人たちとの時間を……。
そうやって日常を取り戻そうとしていた矢先。
私は、ひとつ大きなミスに気づいた。
(あっ……ディナーの予約、キャンセルしてない!)
失恋のショックで頭が回らず、二十五日のディナー予約を放置していたのだ。
しかもその店は、倫太郎の職場からほど近い、高級レストラン。
「もし、倫太郎に会ったらどうしよう。……ストーカーだと思われるかもっ」
胸がざわめく。
まだ彼を完全に忘れられていない証拠だった。
「大丈夫よ。私が一緒に行くから」
凛音が付き合ってくれることになり、ホッとする。
今回は店に迷惑をかけずに済みそうだ。
仕事が終わった後、私は凛音と共に、倫太郎との思い出のレストランに向かった。
先に店に入ると、案内係の若い女性スタッフが私を見るなり、あわてたように目を泳がせる。
「……あ、あの」
彼女が何か言いかけた瞬間、私はその視線の先に気づいた。
――いた。
倫太郎だ。
「なんで、いるの……?」
私は呆然と立ち尽くす。
あれほど会いたいと願っても、忙しいの一点張りで会えなかったのに――どうして、今ここにいるの。
しかも、その隣には、派手なドレスをまとった女性がいた。
ふたりはワインを傾け、まるで恋人同士のように微笑み合っている。
頭が真っ白になる。
(忙しいはずじゃ、なかったの……?)
しかも、私たちが毎年の記念日にだけ訪れてきた、特別な場所で。
大切にしてきた思い出が、無残に汚された気がした。
786
あなたにおすすめの小説
両親に溺愛されて育った妹の顛末
葉柚
恋愛
皇太子妃になるためにと厳しく育てられた私、エミリアとは違い、本来私に与えられるはずだった両親からの愛までも注ぎ込まれて溺愛され育てられた妹のオフィーリア。
オフィーリアは両親からの過剰な愛を受けて愛らしく育ったが、過剰な愛を受けて育ったために次第に世界は自分のためにあると勘違いするようになってしまい……。
「お姉さまはずるいわ。皇太子妃になっていずれはこの国の妃になるのでしょう?」
「私も、この国の頂点に立つ女性になりたいわ。」
「ねえ、お姉さま。私の方が皇太子妃に相応しいと思うの。代わってくださらない?」
妹の要求は徐々にエスカレートしていき、最後には……。
酒の席での戯言ですのよ。
ぽんぽこ狸
恋愛
成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。
何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。
そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。
王女に夢中な婚約者様、さようなら 〜自分を取り戻したあとの学園生活は幸せです! 〜
鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
王立学園への入学をきっかけに、領地の屋敷から王都のタウンハウスへと引っ越した、ハートリー伯爵家の令嬢ロザリンド。婚約者ルパートとともに始まるはずの学園生活を楽しみにしていた。
けれど現実は、王女殿下のご機嫌を取るための、ルパートからの理不尽な命令の連続。
「かつらと黒縁眼鏡の着用必須」「王女殿下より目立つな」「見目の良い男性、高位貴族の子息らと会話をするな」……。
ルパートから渡された「禁止事項一覧表」に縛られ、ロザリンドは期待とは真逆の、暗黒の学園生活を送ることに。
そんな日々の中での唯一の救いとなったのは、友人となってくれた冷静で聡明な公爵令嬢、ノエリスの存在だった。
学期末、ロザリンドはついにルパートの怒りを買い、婚約破棄を言い渡される。
けれど、深く傷つきながら長期休暇を迎えたロザリンドのもとに届いたのは、兄の友人であり王国騎士団に属する公爵令息クライヴからの婚約の申し出だった。
暗黒の一学期が嘘のように、幸せな長期休暇を過ごしたロザリンド。けれど新学期を迎えると、エメライン王女が接触してきて……。
※10万文字超えそうなので長編に変更します。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
悪役令嬢なので最初から愛されないことはわかっていましたが、これはさすがに想定外でした。
ふまさ
恋愛
──こうなることがわかっていれば、はじめから好きになんてならなかったのに。
彩香だったときの思いが、ふと蘇り、フェリシアはくすりと笑ってしまった。
ありがとう、前世の記憶。おかげでわたしは、クライブ殿下を好きにならずにすんだわ。
だからあるのは、呆れと、怒りだけだった。
※『乙女ゲームのヒロインの顔が、わたしから好きな人を奪い続けた幼なじみとそっくりでした』の、ifストーリーです。重なる文章があるため、前作は非公開とさせていただきました。読んでくれたみなさま、ありがとうございました。
王命により、婚約破棄されました。
緋田鞠
恋愛
魔王誕生に対抗するため、異界から聖女が召喚された。アストリッドは結婚を翌月に控えていたが、婚約者のオリヴェルが、聖女の指名により独身男性のみが所属する魔王討伐隊の一員に選ばれてしまった。その結果、王命によって二人の婚約が破棄される。運命として受け入れ、世界の安寧を祈るため、修道院に身を寄せて二年。久しぶりに再会したオリヴェルは、以前と変わらず、アストリッドに微笑みかけた。「私は、長年の約束を違えるつもりはないよ」。
【完結】気味が悪いと見放された令嬢ですので ~殿下、無理に愛さなくていいのでお構いなく~
Rohdea
恋愛
───私に嘘は通じない。
だから私は知っている。あなたは私のことなんて本当は愛していないのだと──
公爵家の令嬢という身分と魔力の強さによって、
幼い頃に自国の王子、イライアスの婚約者に選ばれていた公爵令嬢リリーベル。
二人は幼馴染としても仲良く過ごしていた。
しかし、リリーベル十歳の誕生日。
嘘を見抜ける力 “真実の瞳”という能力に目覚めたことで、
リリーベルを取り巻く環境は一変する。
リリーベルの目覚めた真実の瞳の能力は、巷で言われている能力と違っていて少々特殊だった。
そのことから更に気味が悪いと親に見放されたリリーベル。
唯一、味方となってくれたのは八歳年上の兄、トラヴィスだけだった。
そして、婚約者のイライアスとも段々と距離が出来てしまう……
そんな“真実の瞳”で視てしまった彼の心の中は───
※『可愛い妹に全てを奪われましたので ~あなた達への未練は捨てたのでお構いなく~』
こちらの作品のヒーローの妹が主人公となる話です。
めちゃくちゃチートを発揮しています……
これ以上私の心をかき乱さないで下さい
Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。
そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。
そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが
“君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない”
そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。
そこでユーリを待っていたのは…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる