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第一章
第四話 誰も責めなかった
しおりを挟むスープの鍋が空になり、食べ終えた兵士たちは満足げな表情でそれぞれの持ち場へ戻っていった。
厨房前にいた人だかりも、少しずつ引いていく。
空になった器を抱えた僕は、なんとも言えない気持ちでその光景を見つめていた。
(……やっぱり、怒られるよね)
今日のスープは、軍の規則に反して、僕が勝手に用意したものだった。
支給された缶詰も、干し肉も、最低限しか使っていない。
使ったのは、村の人からもらった、軍とは無関係の食材。
ルール違反だ。
軍規では処罰される可能性だってある。
それでも――
(……一度でいい、誰かに笑ってもらいたかったんだ)
そう思って始めた小さな反逆。
けれど、その結果は意外なものだった。
「あー、食った食った」
のそのそと厨房の中に戻ってきたのは、エド先輩だった。
ジャーキーを咥えたまま、空になった鍋を見てニヤリと笑う。
「ま、よくやったじゃねーか。けっこう評判良かったぞ。おかげで俺のジャーキーが人気失っちまったがな?」
冗談めかして言いながらも、その声に棘はない。
怒っている様子も、呆れている様子もなかった。
それでも僕は、頭を下げた。
「あ、あのっ、勝手なことをして、ごめんなさ――」
「次は肉がいるな」
「…………え?」
ぽりぽりとジャーキーをかじるエド先輩が、僕の言葉を遮る。
「干し肉だけじゃ足んねえだろ? 狩ってくるか。イノシシぐらいなら仕留められるぞ」
「っ、」
「まぁ、狩りをするならしばらくは禁酒もしねぇとなぁ……はあ。つら……」
気怠げに頭を掻くエド先輩に、僕は目を見開いた。
「……エド先輩、それって……」
「いいんだよ。もう誰も『きちんとした食事』に文句言ってなかっただろ? お前の料理は、腹だけじゃなくて、心もあっためたんだ」
これからも好きに料理を作り続けるだろうと、エド先輩はまるでそれが当然のことのように言った。
(……怒られない? 本当に?)
美味しい食事を作りたくて、軍の規律を破った。
でも、冷静になった今ならわかる。
僕のせいで、連帯責任として炊事班のみんなに迷惑をかけてしまうかもしれないのだ。
不安はまだ胸の奥に残っていた。
そのとき――。
「…………美味かった」
ぽつりと漏れた低い声に、はっと顔を上げる。
薪を割っていたはずのヴァル先輩が、鍋の前に立っていた。
口元に僅かなスープの痕が残っている。
「美味かった。――以上だ」
それだけを告げて、再び持ち場に戻っていく。
彼なりの最大の賛辞だった。
(あ、あの無口なヴァル先輩が……!)
あの人に「美味い」と言ってもらえるなんて、思ってもいなかった。
胸が熱くなる。
怒るどころか、僕の作ったスープをちゃんと食べてくれていたのだ。
続いて、列の整理を終えたニッキー先輩が、スッと僕の横に立った。
「今日は朝早くから疲れたでしょう。皿洗いは手伝いますよ」
「えっ!? ニッキー先輩が、皿洗いを……!?」
「ふふっ。私も眠いので、今日だけですが」
彼は目をトロンとさせて眠そうな顔をしながらも、スープの器をまとめ、後片付けを始めた。
とても手際が良くて、目を見張る。
まるでずっとそれをやってきたかのように、動きは滑らかだった。
「そ、その……皆さん、本当に……本当に、ありがとうございます……!」
勢いよく頭を下げる。
「ずっと、怒られると思ってました。勝手に……兵站を、破って……」
その言葉に、エド先輩が鼻を鳴らした。
「バレなきゃいいってもんでもねぇけどな。……でも、結果がすべてだ。お前が作った料理で、誰も文句言わなかった。それが答えだろ」
「……そう、ですね」
エド先輩にぽんと頭を撫でられる。
怒られるどころか、先輩たちは褒めてくれた。
「お前が作ったスープは、優しい味で、どこか懐かしい気持ちになった。……ありがとな、レーヴェ」
「っ……」
僕はエプロンの端を握りしめながら、あふれそうな気持ちを必死でこらえる。
今すぐ泣いてしまいそうだったから。
だって、初めてだった。
誰にも怒られずに、誰かのために何かをして――
「ありがとう」と言われて、
「うまい」と笑ってもらえて、
「手伝うよ」とそばにいてもらえて――
僕の居場所が、ほんの少しだけ『ここでもいいかもしれない』と思えたのは、これが初めてだった。
「……本当にありがとう、ございました。これからも、ご迷惑をかけるかと思いますが、よろしくお願いしますっ」
「おう。どーんとこいや!」
間髪入れずに答えたエド先輩がサムズアップする。
「なんか問題が起こったら、ニッキーの父ちゃんに頼んでもみ消してもらうから安心しろ」
「ハァ……ちょっと、エド? すぐに私の父を頼るクセ、そろそろ直してくださいよね」
呆れ顔のニッキー先輩に、エド先輩が豪快に笑う。
そんなふたりをヴァル先輩は静かに見守っている。
いつのまにかその輪に加わっていた僕は、目の奥がじんと熱くなった。
(泣かない。泣かないぞ……)
泣きたくなんてなかったのに、こらえようとすればするほど胸の奥がつんと痛んで、目の奥が熱くなる。
これからも、美味しい食事を作ろう。
――みんながいれば、きっと大丈夫。
そう思えたのは、隣にいてくれる『誰か』がいるという、たったそれだけのことだった。
誰かが、隣で笑ってくれる。
それだけで、世界は少しだけ優しくなるんだ――。
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