8 / 28
8 乳母
しおりを挟む何も手掛かりがないまま月日が流れ、出先で偶然にもジェイクの乳母だったクレアと出くわした。
私と同年だが、まだ十代のようなおさな顔で、キャラメルのような髪色も甘く優しい雰囲気だ。
そんなクレアもまた、アナスタシアと共にクルーズ伯爵家を出て行った一人。
私と目が合うと、汚物でも見るかのように顔を顰めたクレアは、一緒にいた旦那と子の手を引いて、全力で走り出した。
人目のある場所にも関わらず、大声でクレアの名を呼び、私より身分の低い彼女にみっともなく土下座をして縋り付いた。
そうでもしないと、話をしてもらえないとわかっていたからだ。
絶対に私と目を合わせないクレアの肩を抱いて、話だけでも聞いてあげようと、彼女の旦那が私を立ち上がらせてくれた。
泣きそうになりながら顔を上げれば、目元は優しげに垂れ下がっている。
だが、その寒空のような目の奥は、クレアと同じように怒りを孕んでおり、私の為に助太刀してくれたのではないことが一目でわかった。
人前で話せる内容ではないからと、クレア達が住む小さな一軒家に案内される。
古い家の中は、新品の家具や小物で溢れていた。
伯爵家での職を辞して、生活が困窮していないだろうか、と考えた私の心配は杞憂に終わった。
旦那と子は席を外し、クレアと二人きりになる。
もちろん、茶は出ない。
「久しぶりだな、クレア」
「何の用です?」
「…………仕事は、」
「ご心配なく。誰にでも分け隔てなく接して下さるアナスタシア様に紹介していただきました」
まるで、私はアナスタシアとは違って人を差別する人間だ告げるクレアは、矢継ぎ早に答えた。
以前までのクレアは、もっとまったりとした穏やかな口調だった。
クレアが別人のような態度をとっているのは、彼女もまた勘違いをしているのだろう。
「アナスタシア様の居場所でしたら教えるつもりはありません」
「そこをなんとか、」
「ハッ。何を今更。健気なアナスタシア様を差別待遇しておいて、よくそんなことが言えますね? 金蔓としか見ていなかったくせに。クルーズ伯爵家は、夫婦揃って意地汚い」
「っ…………」
あまりの言われように、表情を取り繕うことが出来ず、傷付いた顔をしてしまう。
私にそんな顔をする資格はないのだが、私がアナスタシアを愛していることを、誰にも分かってもらえていなかったことが辛かった。
怪訝な顔をするクレアは、足を組んで小刻みに揺れている。
「なぜアナスタシア様に、愛じ……第二夫人との子の世話をさせたのです? なぜそのような常軌を逸した行動をとったのか、理解に苦しみます」
刺のある口調で問い詰められた私は、呆けたまま目を瞬かせる。
心底わからないと顔で語る彼女に、言葉に詰まってしまった。
他人からしたらそういう風に見えていたのか。
だが、アナスタシアにジェイクを預けたのは、彼女にも子を抱かせてやりたかったからだ。
私とアナスタシアとクララ、そしてジェイクの四人で家族なのだから。
「ナーシャは子を産むことが出来ないと思っていたから、そうした方が喜ぶだろうと……」
「はぁ? 悪質な嫌がらせでしょ」
「そんなことするわけがないだろうっ!」
机を叩いて立ち上がった私は、アナスタシアを愛している! と叫んだが、冷めた表情のクレアは首を傾げる。
「アナスタシア様がどんな想いで、貴方と愛人との子を育てていたと思っているんです?」
「…………それは、」
「愛する人に、抱擁すらもしてもらえない中。貴方達二人が、獣のように頻繁に盛っている間も、寝ずにジェイク様の子守をしていたのですよ?」
──それも、クララ様にそっくりのお顔の子。
「ジェイク様を見る度に、クララ様のことを思い出させて……。それのどこが嫌がらせではないのですか? 精神的な虐待だとしか思えません!」
想像だにしない言葉に、棒立ちのまま目を見開く。
「生まれてきた子に罪はないから、と涙ながらに話すアナスタシア様を思い出すだけで、胸が張り裂けそうです」
「っ、」
「それに、子を産んだ張本人は、一度たりともジェイク様に会いに来ることはありませんでした! 我が子のように優しく抱きしめて、たっぷりと愛情を注いだのはアナスタシア様だけです!」
「そ、そんなはずは……」
どさりと椅子に体を預けた私は、暫く放心状態だった。
なぜなら、クララはジェイクに会いに行くと、度々一人で別邸に出向いていたからだ。
今日はジェイクが笑ってくれた。
初めて寝返りを打った。
寝ていても、私の指を掴んでくれた。
少しだけ歯が生えてきた。
笑顔でジェイクの近況を報告してくれていた。
そのことを話せば、クレアは呆れた様子で頬杖をつく。
クレアが伯爵家の使用人に報告していた事柄を、クララがそのまま話していただけだった。
「まさか……そんな馬鹿な……」
「もしかして、薬でもしているんですか?」
「…………は?」
「クララ様だけが悪いみたいに思っていそうなんで言っておきますけど。貴方もなかなかでしたよ? ……まさかお忘れですか?」
そう言って、クレアは遠い目をして語り出す。
ジェイクが三ヶ月の頃。
私は使用人から、『アナスタシアが、クララとジェイクを会わせないように妨害しており、クララが泣いている』と聞かされて、アナスタシアを問い詰めた。
ジェイクが七ヶ月の頃。
使用人から『アナスタシアがジェイクを殺そうと、裸のまま過ごさせて熱を出し、クララが泣いている』と聞かされて、アナスタシアを問い詰めた。
クララの言うことを鵜呑みにして、最初からアナスタシアを疑っていた態度だった。
いや、クララから聞いたわけではない。
全てクララについていた使用人から聞いたのだ。
「それで。結局は誰のせいなんです?」
「っ…………私と、使用人だろう」
その直後、盛大な溜息が吐き出される。
そして、残念です。と目を伏せたクレアに、二度と顔を見せるなと告げられて、家を追い出された。
462
あなたにおすすめの小説
『恋心を凍らせる薬を飲みました』 - 残りの学園生活、どうぞご自由にお遊びください、婚約者様
恋せよ恋
恋愛
愛されることを諦めた。だから、私は心を凍らせた。
不誠実な婚約者・ユリアンの冷遇に耐えかねたヤスミンは、
伝説の魔女の元を訪れ、恋心を消し去る「氷の薬」を飲む。
感情を捨て、完璧な「人形」となった彼女を前に、
ユリアンは初めて己の罪と執着に狂い始める。
「お願いだ、前のように僕を愛して泣いてくれ!」
足元に跪き、涙を流して乞う男に、ヤスミンは冷酷に微笑む。
「愛?……あいにく、そのような無駄な感情は捨てましたわ」
一度凍りついた心は、二度と溶けない。
後悔にのたうち回る男と、心を凍らせた冷徹な公爵夫人の、
終わりのない贖罪の記録。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
本日、私の妹のことが好きな婚約者と結婚いたしました
音芽 心
恋愛
私は今日、幼い頃から大好きだった人と結婚式を挙げる。
____私の妹のことが昔から好きな婚約者と、だ。
だから私は決めている。
この白い結婚を一年で終わらせて、彼を解放してあげることを。
彼の気持ちを直接聞いたことはないけれど……きっとその方が、彼も喜ぶだろうから。
……これは、恋を諦めていた令嬢が、本当の幸せを掴むまでの物語。
「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」と言われたので別れたのですが、呪われた上に子供まで出来てて一大事です!?
綾織季蝶
恋愛
「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」そう告げられたのは孤児から魔法省の自然管理科の大臣にまで上り詰めたカナリア・スタインベック。
相手はとある貴族のご令嬢。
確かに公爵の彼とは釣り合うだろう、そう諦めきった心で承諾してしまう。
別れる際に大臣も辞め、実家の誰も寄り付かない禁断の森に身を潜めたが…。
何故か呪われた上に子供まで出来てしまった事が発覚して…!?
白い結婚をめぐる二年の攻防
藍田ひびき
恋愛
「白い結婚で離縁されたなど、貴族夫人にとってはこの上ない恥だろう。だから俺のいう事を聞け」
「分かりました。二年間閨事がなければ離縁ということですね」
「え、いやその」
父が遺した伯爵位を継いだシルヴィア。叔父の勧めで結婚した夫エグモントは彼女を貶めるばかりか、爵位を寄越さなければ閨事を拒否すると言う。
だがそれはシルヴィアにとってむしろ願っても無いことだった。
妻を思い通りにしようとする夫と、それを拒否する妻の攻防戦が幕を開ける。
※ なろうにも投稿しています。
その結婚は、白紙にしましょう
香月まと
恋愛
リュミエール王国が姫、ミレナシア。
彼女はずっとずっと、王国騎士団の若き団長、カインのことを想っていた。
念願叶って結婚の話が決定した、その夕方のこと。
浮かれる姫を前にして、カインの口から出た言葉は「白い結婚にとさせて頂きたい」
身分とか立場とか何とか話しているが、姫は急速にその声が遠くなっていくのを感じる。
けれど、他でもない憧れの人からの嘆願だ。姫はにっこりと笑った。
「分かりました。その提案を、受け入れ──」
全然受け入れられませんけど!?
形だけの結婚を了承しつつも、心で号泣してる姫。
武骨で不器用な王国騎士団長。
二人を中心に巻き起こった、割と短い期間のお話。
義理姉がかわいそうと言われましても、私には関係の無い事です
渡辺 佐倉
恋愛
マーガレットは政略で伯爵家に嫁いだ。
愛の無い結婚であったがお互いに尊重し合って結婚生活をおくっていければいいと思っていたが、伯爵である夫はことあるごとに、離婚して実家である伯爵家に帰ってきているマーガレットにとっての義姉達を優先ばかりする。
そんな生活に耐えかねたマーガレットは…
結末は見方によって色々系だと思います。
なろうにも同じものを掲載しています。
白い結婚の行方
宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」
そう告げられたのは、まだ十二歳だった。
名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。
愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。
この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。
冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。
誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。
結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。
これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。
偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。
交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。
真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。
──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?
【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?
との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」
結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。
夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、
えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。
どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに?
ーーーーーー
完結、予約投稿済みです。
R15は、今回も念の為
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる