二人の妻に愛されていたはずだった

ぽんちゃん

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8 乳母

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 何も手掛かりがないまま月日が流れ、出先で偶然にもジェイクの乳母だったクレアと出くわした。
 私と同年だが、まだ十代のようなおさな顔で、キャラメルのような髪色も甘く優しい雰囲気だ。
 そんなクレアもまた、アナスタシアと共にクルーズ伯爵家を出て行った一人。

 私と目が合うと、汚物でも見るかのように顔を顰めたクレアは、一緒にいた旦那と子の手を引いて、全力で走り出した。
 人目のある場所にも関わらず、大声でクレアの名を呼び、私より身分の低い彼女にみっともなく土下座をして縋り付いた。
 そうでもしないと、話をしてもらえないとわかっていたからだ。

 絶対に私と目を合わせないクレアの肩を抱いて、話だけでも聞いてあげようと、彼女の旦那が私を立ち上がらせてくれた。
 泣きそうになりながら顔を上げれば、目元は優しげに垂れ下がっている。
 だが、その寒空のような目の奥は、クレアと同じように怒りを孕んでおり、私の為に助太刀してくれたのではないことが一目でわかった。

 人前で話せる内容ではないからと、クレア達が住む小さな一軒家に案内される。
 古い家の中は、新品の家具や小物で溢れていた。
 伯爵家での職を辞して、生活が困窮していないだろうか、と考えた私の心配は杞憂に終わった。
 旦那と子は席を外し、クレアと二人きりになる。
 もちろん、茶は出ない。

 「久しぶりだな、クレア」
 「何の用です?」
 「…………仕事は、」
 「ご心配なく。誰にでも分け隔てなく接して下さるアナスタシア様に紹介していただきました」

 まるで、私はアナスタシアとは違って人を差別する人間だ告げるクレアは、矢継ぎ早に答えた。

 以前までのクレアは、もっとまったりとした穏やかな口調だった。
 クレアが別人のような態度をとっているのは、彼女もまた勘違いをしているのだろう。

 「アナスタシア様の居場所でしたら教えるつもりはありません」
 「そこをなんとか、」
 「ハッ。何を今更。健気なアナスタシア様を差別待遇しておいて、よくそんなことが言えますね? 金蔓としか見ていなかったくせに。クルーズ伯爵家は、夫婦揃って意地汚い」
 「っ…………」

 あまりの言われように、表情を取り繕うことが出来ず、傷付いた顔をしてしまう。
 私にそんな顔をする資格はないのだが、私がアナスタシアを愛していることを、誰にも分かってもらえていなかったことが辛かった。

 怪訝な顔をするクレアは、足を組んで小刻みに揺れている。

 「なぜアナスタシア様に、愛じ……第二夫人との子の世話をさせたのです? なぜそのような常軌を逸した行動をとったのか、理解に苦しみます」

 刺のある口調で問い詰められた私は、呆けたまま目を瞬かせる。
 心底わからないと顔で語る彼女に、言葉に詰まってしまった。
 
 他人からしたらそういう風に見えていたのか。
 だが、アナスタシアにジェイクを預けたのは、彼女にも子を抱かせてやりたかったからだ。
 私とアナスタシアとクララ、そしてジェイクの四人で家族なのだから。

 「ナーシャは子を産むことが出来ないと思っていたから、そうした方が喜ぶだろうと……」
 「はぁ? 悪質な嫌がらせでしょ」
 「そんなことするわけがないだろうっ!」

 机を叩いて立ち上がった私は、アナスタシアを愛している! と叫んだが、冷めた表情のクレアは首を傾げる。

 「アナスタシア様がどんな想いで、貴方と愛人との子を育てていたと思っているんです?」
 「…………それは、」
 「愛する人に、抱擁すらもしてもらえない中。貴方達二人が、獣のように頻繁に盛っている間も、寝ずにジェイク様の子守をしていたのですよ?」


 ──それも、クララ様にそっくりのお顔の子。

 
 「ジェイク様を見る度に、クララ様のことを思い出させて……。それのどこが嫌がらせではないのですか? 精神的な虐待だとしか思えません!」
 
 想像だにしない言葉に、棒立ちのまま目を見開く。

 「生まれてきた子に罪はないから、と涙ながらに話すアナスタシア様を思い出すだけで、胸が張り裂けそうです」
 「っ、」
 「それに、子を産んだ張本人は、一度たりともジェイク様に会いに来ることはありませんでした! 我が子のように優しく抱きしめて、たっぷりと愛情を注いだのはアナスタシア様だけです!」
 「そ、そんなはずは……」
 
 どさりと椅子に体を預けた私は、暫く放心状態だった。

 なぜなら、クララはジェイクに会いに行くと、度々一人で別邸に出向いていたからだ。
 
 今日はジェイクが笑ってくれた。
 初めて寝返りを打った。
 寝ていても、私の指を掴んでくれた。
 少しだけ歯が生えてきた。

 笑顔でジェイクの近況を報告してくれていた。

 そのことを話せば、クレアは呆れた様子で頬杖をつく。
 クレアが伯爵家の使用人に報告していた事柄を、クララがそのまま話していただけだった。

 「まさか……そんな馬鹿な……」
 「もしかして、薬でもしているんですか?」
 「…………は?」
 「クララ様だけが悪いみたいに思っていそうなんで言っておきますけど。貴方もなかなかでしたよ? ……まさかお忘れですか?」
 
 そう言って、クレアは遠い目をして語り出す。

 ジェイクが三ヶ月の頃。
 私は使用人から、『アナスタシアが、クララとジェイクを会わせないように妨害しており、クララが泣いている』と聞かされて、アナスタシアを問い詰めた。

 ジェイクが七ヶ月の頃。
 使用人から『アナスタシアがジェイクを殺そうと、裸のまま過ごさせて熱を出し、クララが泣いている』と聞かされて、アナスタシアを問い詰めた。

 クララの言うことを鵜呑みにして、最初からアナスタシアを疑っていた態度だった。
 いや、クララから聞いたわけではない。
 全てクララについていた使用人から聞いたのだ。

 「それで。結局は誰のせいなんです?」
 「っ…………私と、使用人だろう」

 その直後、盛大な溜息が吐き出される。
 
 そして、残念です。と目を伏せたクレアに、二度と顔を見せるなと告げられて、家を追い出された。

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