24 / 46
24話 学園祭前夜
しおりを挟む
学園祭を明日に控え、校内は一種の祝祭的な狂騒に包まれていた。
俺たちの教室も、その例外ではない。
喫茶店の飾り付けは完成し、テーブルクロスがかけられ、壁には手作りのメニューが貼られている。
隅には、リリシア様印の『奇跡のクッキー』が入った木箱が誇らしげに鎮座していた。
「よし、完璧! これなら絶対、今年の最優秀クラス賞もらえるよ!」
エマさんが、満足げに手を叩く。
クラスメイトたちの顔にも、期待と達成感が満ち溢れている。その輪の中で、俺だけが作り物の笑顔を浮かべていた。
明日の朝。
開会式の喧騒に紛れて、俺はこの学園から姿を消す。
『大脱走計画』の決行日だ。
この楽しい空間も、笑い合う友人たちも、全て今夜限り。
そう思うと、胸の奥がずきりと痛んだ。
◇
その夜、俺は、寮の自室で最後の準備確認を行っていた。
ベッドの下から革の鞄を引きずり出す。
中身を、一つ一つ、指でなぞるように確認していく。着替え、なけなしの全財産、手書きの地図、火打石、干し肉、水袋……。
完璧だ。準備に抜かりはない。
俺は鞄の口を固く締めながら、窓の外を見つめた。明日、俺はこの部屋に戻らない。この景色を見ることも、もうない。
家族同然に育った、辺境の領地のことも、もう二度とその土を踏むことはないだろう。
全てを捨てて、俺は、自由を手に入れる。
そのはずなのに。
胸を満たすのは、期待ではなく、鉛を飲み込んだような、重苦しい罪悪感だけだった。
リリシア様の、あの、心の底から嬉しそうだった笑顔が脳裏に浮かんで消えない。
俺は、あの笑顔を裏切るのだ。
コン、コン。
不意に静かな部屋にドアをノックする音が響いた。
俺の心臓が、大きく跳ね上がる。
こんな時間に、誰だ?
俺は慌てて鞄をベッドの下に蹴り込み、平静を装ってドアを開けた。
「……リリシア様」
そこに立っていたのは、夜着の上にそっとカーディガンを羽織ったリリシア様だった。
いつもの、威圧的なオーラはない。ただ一人の女の子が立っていたのだ。
「こんな夜分にごめんなさい。でも、どうしても、これをあなたに渡しておきたくって」
彼女が、そっと差し出したのは一枚のクッキーだった。
俺たちが厨房で一緒に焼いたものだ。
だが、それは少しだけ形が不格好で手作り感に溢れていた。
「これは……チャリティー用ではなくて。あなたと私の、二人だけで食べるために、さっき特別に焼いたものですわ」
リリシア様は、少しだけ頬を赤らめながら言った。
「その……明日は、学園祭でしょう? だから、その……頑張りましょうね、って、言いたかったの」
俺は、何も言えなかった。
差し出されたクッキーと彼女の顔を交互に見つめることしかできない。その瞳には、嘘も、計算も狂気もなかった。
ただ、好きな男の子に手作りの贈り物を渡す、一途な恋する乙女の瞳、俺にはそう見えた。
俺は震える手で、そのクッキーを受け取った。
そして彼女の目の前で、それをゆっくりと口に運ぶ。
サクッ、という軽い食感と共に優しい甘さが口の中に広がる。美味しかった。
今まで食べた、どんなお菓子よりも、ずっと美味しく感じた。
「ふふっ……」
それを見てリリシア様は、心の底から幸せそうに微笑んだ。
「明日は、きっと、人生で最高の一日になりますわね。……おやすみなさい、私の、アランくん」
彼女は、そう言い残すと、名残惜しそうに自室へと帰って行った。
バタン、とドアが閉まる。
後に残された静寂の部屋。
俺はその場に立ち尽くしていた。
『人生で最高の一日』。
彼女にとっては、俺との愛の勝利を祝う輝かしい一日。
俺にとっては、全てを捨てて未来へと逃げ出す、決別の一日。
口の中に残るクッキーの甘い味。
それとは裏腹に、俺の心は罪悪感で張り裂けそうだった。
俺は、ベッドの下に隠した逃亡用の鞄に視線を落とす。その革の取っ手が、まるで俺を責めるように鈍く光っていた。
俺は……本当に、明日この手で、あの笑顔を裏切れるのか……?
決行前夜。
自分でも優柔不断だと心底嫌になる。しかし、やっぱり俺の決意は激しく揺らいでいた。
俺たちの教室も、その例外ではない。
喫茶店の飾り付けは完成し、テーブルクロスがかけられ、壁には手作りのメニューが貼られている。
隅には、リリシア様印の『奇跡のクッキー』が入った木箱が誇らしげに鎮座していた。
「よし、完璧! これなら絶対、今年の最優秀クラス賞もらえるよ!」
エマさんが、満足げに手を叩く。
クラスメイトたちの顔にも、期待と達成感が満ち溢れている。その輪の中で、俺だけが作り物の笑顔を浮かべていた。
明日の朝。
開会式の喧騒に紛れて、俺はこの学園から姿を消す。
『大脱走計画』の決行日だ。
この楽しい空間も、笑い合う友人たちも、全て今夜限り。
そう思うと、胸の奥がずきりと痛んだ。
◇
その夜、俺は、寮の自室で最後の準備確認を行っていた。
ベッドの下から革の鞄を引きずり出す。
中身を、一つ一つ、指でなぞるように確認していく。着替え、なけなしの全財産、手書きの地図、火打石、干し肉、水袋……。
完璧だ。準備に抜かりはない。
俺は鞄の口を固く締めながら、窓の外を見つめた。明日、俺はこの部屋に戻らない。この景色を見ることも、もうない。
家族同然に育った、辺境の領地のことも、もう二度とその土を踏むことはないだろう。
全てを捨てて、俺は、自由を手に入れる。
そのはずなのに。
胸を満たすのは、期待ではなく、鉛を飲み込んだような、重苦しい罪悪感だけだった。
リリシア様の、あの、心の底から嬉しそうだった笑顔が脳裏に浮かんで消えない。
俺は、あの笑顔を裏切るのだ。
コン、コン。
不意に静かな部屋にドアをノックする音が響いた。
俺の心臓が、大きく跳ね上がる。
こんな時間に、誰だ?
俺は慌てて鞄をベッドの下に蹴り込み、平静を装ってドアを開けた。
「……リリシア様」
そこに立っていたのは、夜着の上にそっとカーディガンを羽織ったリリシア様だった。
いつもの、威圧的なオーラはない。ただ一人の女の子が立っていたのだ。
「こんな夜分にごめんなさい。でも、どうしても、これをあなたに渡しておきたくって」
彼女が、そっと差し出したのは一枚のクッキーだった。
俺たちが厨房で一緒に焼いたものだ。
だが、それは少しだけ形が不格好で手作り感に溢れていた。
「これは……チャリティー用ではなくて。あなたと私の、二人だけで食べるために、さっき特別に焼いたものですわ」
リリシア様は、少しだけ頬を赤らめながら言った。
「その……明日は、学園祭でしょう? だから、その……頑張りましょうね、って、言いたかったの」
俺は、何も言えなかった。
差し出されたクッキーと彼女の顔を交互に見つめることしかできない。その瞳には、嘘も、計算も狂気もなかった。
ただ、好きな男の子に手作りの贈り物を渡す、一途な恋する乙女の瞳、俺にはそう見えた。
俺は震える手で、そのクッキーを受け取った。
そして彼女の目の前で、それをゆっくりと口に運ぶ。
サクッ、という軽い食感と共に優しい甘さが口の中に広がる。美味しかった。
今まで食べた、どんなお菓子よりも、ずっと美味しく感じた。
「ふふっ……」
それを見てリリシア様は、心の底から幸せそうに微笑んだ。
「明日は、きっと、人生で最高の一日になりますわね。……おやすみなさい、私の、アランくん」
彼女は、そう言い残すと、名残惜しそうに自室へと帰って行った。
バタン、とドアが閉まる。
後に残された静寂の部屋。
俺はその場に立ち尽くしていた。
『人生で最高の一日』。
彼女にとっては、俺との愛の勝利を祝う輝かしい一日。
俺にとっては、全てを捨てて未来へと逃げ出す、決別の一日。
口の中に残るクッキーの甘い味。
それとは裏腹に、俺の心は罪悪感で張り裂けそうだった。
俺は、ベッドの下に隠した逃亡用の鞄に視線を落とす。その革の取っ手が、まるで俺を責めるように鈍く光っていた。
俺は……本当に、明日この手で、あの笑顔を裏切れるのか……?
決行前夜。
自分でも優柔不断だと心底嫌になる。しかし、やっぱり俺の決意は激しく揺らいでいた。
1
あなたにおすすめの小説
距離を置きたい女子たちを助けてしまった結果、正体バレして迫られる
歩く魚
恋愛
かつて、命を懸けて誰かを助けた日があった。
だがその記憶は、頭を打った衝撃とともに、綺麗さっぱり失われていた。
それは気にしてない。俺は深入りする気はない。
人間は好きだ。けれど、近づきすぎると嫌いになる。
だがそんな俺に、思いもよらぬ刺客が現れる。
――あの日、俺が助けたのは、できれば関わりたくなかった――距離を置きたい女子たちだったらしい。
異世界帰りのハーレム王
ぬんまる兄貴
ファンタジー
俺、飯田雷丸。どこにでもいる普通の高校生……だったはずが、気づいたら異世界に召喚されて魔王を倒してた。すごいだろ?いや、自分でもびっくりしてる。異世界で魔王討伐なんて人生のピークじゃねぇか?でも、そのピークのまま現実世界に帰ってきたわけだ。
で、戻ってきたら、日常生活が平和に戻ると思うだろ?甘かったねぇ。何か知らんけど、妖怪とか悪魔とか幽霊とか、そんなのが普通に見えるようになっちまったんだよ!なんだこれ、チート能力の延長線上か?それとも人生ハードモードのお知らせか?
異世界で魔王を倒した俺が、今度は地球で恋と戦いとボールを転がす!最高にアツいハーレムバトル、開幕!
異世界帰りのハーレム王
朝7:00/夜21:00に各サイトで毎日更新中!
嵌められたオッサン冒険者、Sランクモンスター(幼体)に懐かれたので、その力で復讐しようと思います
ゆさま
ファンタジー
ベテランオッサン冒険者が、美少女パーティーにオヤジ狩りの標的にされてしまった。生死の境をさまよっていたら、Sランクモンスターに懐かれて……。
懐いたモンスターが成長し、美女に擬態できるようになって迫ってきます。どうするオッサン!?
罰ゲームから始まった、五人のヒロインと僕の隣の物語
ノン・タロー
恋愛
高校2年の夏……友達同士で行った小テストの点を競う勝負に負けた僕、御堂 彼方(みどう かなた)は、罰ゲームとしてクラスで人気のある女子・風原 亜希(かざはら あき)に告白する。
だが亜希は、彼方が特に好みでもなく、それをあっさりと振る。
それで終わるはずだった――なのに。
ひょんな事情で、彼方は亜希と共に"同居”することに。
さらに新しく出来た、甘えん坊な義妹・由奈(ゆな)。
そして教室では静かに恋を仕掛けてくる寡黙なクラス委員長の柊 澪(ひいらぎ みお)、特に接点の無かった早乙女 瀬玲奈(さおとめ せれな)、おまけに生徒会長の如月(きさらぎ)先輩まで現れて、彼方の周囲は急速に騒がしくなっていく。
由奈は「お兄ちゃん!」と懐き、澪は「一緒に帰らない……?」と静かに距離を詰める。
一方の瀬玲奈は友達感覚で、如月先輩は不器用ながらも接してくる。
そんな中、亜希は「別に好きじゃないし」と言いながら、彼方が誰かと仲良くするたびに心がざわついていく。
罰ゲームから始まった関係は、日常の中で少しずつ形を変えていく。
ツンデレな同居人、甘えたがりな義妹、寡黙な同クラ女子、恋愛に不器用な生徒会長、ギャル気質な同クラ女子……。
そして、無自覚に優しい彼方が、彼女たちの心を少しずつほどいていく。
これは、恋と居場所と感情の距離をめぐる、ちょっと不器用で、でも確かな青春の物語。
静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について
おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である
そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。
なんと、彼女は学園のマドンナだった……!
こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。
彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。
そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。
そして助けられた少女もまた……。
二人の青春、そして成長物語をご覧ください。
※中盤から甘々にご注意を。
※性描写ありは保険です。
他サイトにも掲載しております。
落ちこぼれの貴族、現地の人達を味方に付けて頑張ります!
ユーリ
ファンタジー
気がつくと、見知らぬ部屋のベッドの上で、状況が理解できず混乱していた僕は、鏡の前に立って、あることを思い出した。
ここはリュカとして生きてきた異世界で、僕は“落ちこぼれ貴族の息子”だった。しかも最悪なことに、さっき行われた絶対失敗出来ない召喚の儀で、僕だけが失敗した。
そのせいで、貴族としての評価は確実に地に落ちる。けれど、両親は超が付くほど過保護だから、家から追い出される心配は……たぶん無い。
問題は一つ。
兄様との関係が、どうしようもなく悪い。
僕は両親に甘やかされ、勉強もサボり放題。その積み重ねのせいで、兄様との距離は遠く、話しかけるだけで気まずい空気に。
このまま兄様が家督を継いだら、屋敷から追い出されるかもしれない!
追い出されないように兄様との関係を改善し、いざ追い出されても生きていけるように勉強して強くなる!……のはずが、勉強をサボっていたせいで、一般常識すら分からないところからのスタートだった。
それでも、兄様との距離を縮めようと努力しているのに、なかなか縮まらない! むしろ避けられてる気さえする!!
それでもめげずに、今日も兄様との関係修復、頑張ります!
5/9から小説になろうでも掲載中
男:女=1:10000の世界に来た記憶が無いけど生きる俺
マオセン
ファンタジー
突然公園で目覚めた青年「優心」は身辺状況の記憶をすべて忘れていた。分かるのは自分の名前と剣道の経験、常識くらいだった。
その公園を通りすがった「七瀬 椿」に話しかけてからこの物語は幕を開ける。
彼は何も記憶が無い状態で男女比が圧倒的な世界を生き抜けることができるのか。
そして....彼の身体は大丈夫なのか!?
詠唱? それ、気合を入れるためのおまじないですよね? ~勘違い貴族の規格外魔法譚~
Gaku
ファンタジー
「次の人生は、自由に走り回れる丈夫な体が欲しい」
病室で短い生涯を終えた僕、ガクの切実な願いは、神様のちょっとした(?)サービスで、とんでもなく盛大な形で叶えられた。
気がつけば、そこは剣と魔法が息づく異世界。貴族の三男として、念願の健康な体と、ついでに規格外の魔力を手に入れていた!
これでようやく、平和で自堕落なスローライフが送れる――はずだった。
だが、僕には一つ、致命的な欠点があった。それは、この世界の魔法に関する常識が、綺麗さっぱりゼロだったこと。
皆が必死に唱える「詠唱」を、僕は「気合を入れるためのおまじない」だと勘違い。僕の魔法理論は、いつだって「体内のエネルギーを、ぐわーっと集めて、どーん!」。
その結果、
うっかり放った火の玉で、屋敷の壁に風穴を開けてしまう。
慌てて土魔法で修復すれば、なぜか元の壁より遥かに豪華絢爛な『匠の壁』が爆誕し、屋敷の新たな観光名所に。
「友達が欲しいな」と軽い気持ちで召喚魔法を使えば、天変地異の末に伝説の魔獣フェンリル(ただし、手のひらサイズの超絶可愛い子犬)を呼び出してしまう始末。
僕はただ、健康な体でのんびり暮らしたいだけなのに!
行く先々で無自覚に「やりすぎ」てしまい、気づけば周囲からは「無詠唱の暴君」「歩く災害」など、実に不名誉なあだ名で呼ばれるようになっていた……。
そんな僕が、ついに魔法学園へ入学!
当然のように入学試験では的を“消滅”させて試験官を絶句させ、「関わってはいけないヤバい奴」として輝かしい孤立生活をスタート!
しかし、そんな規格外な僕に興味を持つ、二人の変わり者が現れた。
魔法の真理を探求する理論オタクの「レオ」と、強者との戦いを求める猪突猛進な武闘派女子の「アンナ」。
この二人との出会いが、モノクロだった僕の世界を、一気に鮮やかな色に変えていく――!
勘違いと無自覚チートで、知らず知らずのうちに世界を震撼させる!
腹筋崩壊のドタバタコメディを軸に、個性的な仲間たちとの友情、そして、世界の謎に迫る大冒険が、今、始まる!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる