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第2章 宿敵の家の当主を妻に貰ってから
第80話 届かなかった言葉、届いてしまった言葉
しおりを挟むここ数日、頭がおかしくなりそうなくらいに考えて過ごしていた。考えたくて考えてるわけじゃねえ。考えたくないのに考えちまう。あの出来損ないの事が頭に浮かんじまう。仕事もろくに手がつきやしねえ。
「…………」
椅子に座ったまま頭を抱える。見たくもねえのに何度も何度も。イライラが収まらねえ。
それもこれも全部あの出来損ないと女のせいだ。特にあの女が現れてからろくなことが起きねえ。出来損ないには負けるし、次期当主の座からは下ろされた。
「くそっ!」
胸が痛え。あの出来損ないと女がいなければこれまで通りだったのに、全部台無しだ。あいつらが……あいつらが……。
っ、ダメだ考えるな。あの出来損ないに絶対に勝てないなんて、思うんじゃねえ!
「はぁー……はぁー……」
何かを感じて見てみれば、部屋に備え付けてある鏡に俺が映っていた。ひでえありさまだ。部屋も荒れているし、俺の姿もやつれて見える。ははっ……これが俺かよ。ふざけんなっ!
机の上の物を忌々しい鏡に投げつけようと手を伸ばしたとき。
『ゼロード? ゼロード? 私です。リーゼロッテです』
声が聞こえた。
「……あ……あぁ? はは……うえ?」
ここは俺の屋敷で、実家じゃねえ。だから母上がこの場にいるわけがない。ついに頭がおかしくなって、母上の幻聴まで聞こえ始めたのか、くそっ。
『あなたが仕事もあまり手につかないと聞きました。私は心配で心配で……入ってもいいですか?』
「…………」
いや、幻聴じゃなくて母上本人だったらしい。くそっ、余計なおせっかいを焼きやがって。帰れ。
「入りますよ」
「…………」
事もあろうに母上は俺の言葉を聞かずに部屋に入ってきた。部屋の惨状を見て言葉を失っているその姿に怒鳴ってやろうとも思ったが、そんな元気も沸いて来やしねえ。好きにしろ。
「ゼロード……」
「……帰って……くれ」
小さくそう言っても、昔から母上はこういう時に関しては頑固なところがあったから退かないのも分かっていた。だが、今はその頑固なところがムカつく。
「ゼロード、勝敗を気にするなとは言いませんが、気にしすぎるのはよくありませんよ」
「……せえ」
「まだ全てが終わったわけではないのですから」
「……うる……せえ」
さっきから近くでうるせえ。うるさくてうるさくて、頭が痛くなる。胸も痛みやがる。
視線が、机に立てかけてある剣に行った。手を伸ばせばすぐに届く距離にある。さっきまでどこを見ているのか自分でも分からなかったのに、今はそれが気になって仕方がねえ。
斬れば、少しは楽になるか?
手を伸ばしてそれを手にしようと思ったとき。
「負けてはなりませんゼロード。全力を尽くしなさい」
母上の言葉がやけに鮮明に俺の耳に届いて、体の動きを止めていた。視線の先にある剣の事も、今はどうでもよくなっていた。
「全力を……尽くせ?」
「そうです。戦いを見ていて、剣の事は詳しくは分かりませんがノヴァさんとの差はそこまでないように思えました。で、ですからもっと修行をして剣の腕を――」
そうだ……そうじゃねえか。まだ俺は、全力を尽くしてねえじゃねえか。考えろ、きっとまだ父上は出来損ないを次期当主にするとは外部に口外していねえ筈だ。
なら、その前に父上が死んだらどうなる?
きっと周りは、俺が次期当主になると思うだろう。内部で反発するのは出来損ないだけだ。出来損ないとあの女の二人だけなら、ギリギリなんとかなるかもしれねえ。
行ける。間に合う……ははっ、間に合うぞ。まだ昔に、何の問題もなかったころに戻れるんだ!
「メイドを傷つけたのはいけない事です。ですがそれをしっかりと反省すれば旦那様も分かってくれるはずです。親睦会の準備も頑張っていたではないですか。心と体を鍛えて……」
「……母上」
隣に立つ母上に言葉を投げかけるべく声をかける。声は頭に入ってこねえけど、感謝はしていた。
「もう一度ノヴァさんと戦って……ゼロード?」
「母上、ありがとうございます。私はもう大丈夫です」
「まあ……本当? 本当に大丈夫なのですね?」
「はい、母上のお陰で心が楽になりました」
本当に楽になった。最近はうっとおしいと感じていたが、今回はありがてえ。母上の言葉で、新しい可能性に気づけたんだからな。
「母上、俺はこれから親睦会の準備に戻ります。なにをするにせよ、まずは遅れていた分を取り返さなくてはならないので」
「まあ、なんてことでしょう。ゼロード、あなたなら立ち直れると私は信じていましたよ」
「いえ、すべて母上のお陰です」
行ける……行ける……あぁ、行けるぞ。
「ゼロード……では母は邪魔にならないように帰りますね。ゼロード、後れを取り返すと意気込んでくれるのは嬉しいですが無理は禁物ですよ。最悪の場合、今回の親睦会は中止にして来年にしても構いませんからね」
「はははっ……大丈夫です母上。必ず親睦会は予定通りに行います」
むしろ行われないと困る。きっと父上はその場で出来損ないを次期当主にすると宣言する筈だ。俺が主催して準備する親睦会なら、いくらでも根回しは利くからなぁ。
「そうですか……では失礼しますね」
「はい、ではまた」
母上はそう言って部屋を出て行った。
閉じた扉を見つめてしばらくした後に、堪えきれなくなって笑う。
「間に合う……間に合うぞ……ははっ……」
出来損ないを次期当主にするとかいうふざけたことを抜かした父上……いやトラヴィス・フォルスを殺す。そうだ……その上で罪を出来損ないになすりつけられたら最高じゃねえか。
くくくっ……どうせこのままじゃ全部失うんだ。なら出来ることは全力でやってやろうじゃねえか。
母上の言う通り、全力でなぁ。
ちらりと部屋の脇にある鏡に気づいて見てみれば、さっきと同じように俺が映っていた。だがさっきはあんなに苛ついたその姿が、今は自信に満ちて笑っている。
あぁ、いいねぇ……今の鏡は、好きだなぁ。
鏡の中の俺が、本当に良い笑顔を浮かべた。惚れ惚れするような笑顔だった。
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