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第282話 母の愛を求めて
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私たちは再び医務室へと向かった。
開かれた扉からあらためて中を見ると、先ほどは気付かなかったが、医師と看守が奥の方におられたようだ。
ジェラルドさんの指示により、一時的に退室してもらうことになった。それと入れ替わりに私たちは中に入る。
こうして観察してみると、牢屋の前に医務室を設置しただけの作りにも見える。
本当の牢屋の内装はどうなっているのかは分からないが、鉄格子の中にはベッドだけがあり、清潔感は保たれているようだ。
一つのベッドは空で、現在この部屋で療養中なのはクラウディア嬢のみである。
意識はないようだが、うめき声を上げては悶えている。
ベッドを囲む鉄格子は広く空間が取られており、彼女の手を取って影祓いするためには内部に入る必要があった。鍵は既に開けられているというけれど、牢屋に近い構造に入るのはさすがに恐ろしい。
足を踏み入れるのをためらっていたら。
「入ろう」
殿下が私の肩にそっと手を置いてくださった。
一緒に入ってくださるおつもりのようだ。しかしその表情は冴えない。つまり青ざめている。
……うん。お気持ちだけで十分だ。
私は何だかおかしくなって、張り詰めていた気持ちが解けた。
「一人で大丈夫です。殿下の方がお顔の色が悪いです」
「いや。体が習慣づいているだけだ。今はもう取り憑かれることもないのにな。それにしても私も今日初めて彼女に会ったが、見たこともない程の凄い数の影だ」
掠れた声で殿下はそうおっしゃった。
つまりそれだけの数の影を私に取り憑かせようとしたということだ。彼女の最後の抵抗ということだったのだろうか。あるいは数で押せば何とかなると思っていたのか。
「いいえ。殿下。一人で大丈夫です。ここから影が祓えたかどうかをご確認ください」
「しかし」
ここで言い争いするつもりはない私は、視線をジェラルドさんに向けた。
「ジェラルド様、エルベルト王太子殿下をよろしくお願いいたします」
私の言い方に絶句する殿下と、私の気持ちを汲んでくださり、静かに承知いたしましたと頷くジェラルドさんに笑みを見せて内部に足を踏み入れる。
中にはベッドのみで椅子はないので、私は立ったまま彼女の手を取ることにした。
クラウディア嬢の顔を覗き込むと、透けるような白い肌は今や土気色で、瑞々しかった肌や唇はカサカサと荒れ、それなのに額だけは脂汗でにじみ、頬は痩せこけて顔は苦しさで険のある表情を作っている。また、枕元には大量の髪の毛が抜けて散乱していた。
たった二日前に対峙したばかりなのに、人を惹きつける美貌と気位の高かったクラウディア嬢のあまりの変わりように言葉を失う。
私は落ち着くためにも一つ息を吐くと、シーツの下の彼女の手を取った。
エスメラルダ様の言葉を信じて。ネロの能力がこの手にまだ残っていることを信じて。
すると。
不意に力強く手を握りしめられ、驚いて反射的に身を引く。
「ロザンヌ嬢!?」
「大丈夫です」
私の動きを見て、瞬時に踏み込もうとしたジェラルドさんと殿下を止めた。
クラウディア嬢はいまだ夢うつつで、私に危害を加えようとしたわけではないのが分かったからだ。ただ、彼女の呼吸は次第に落ち着いて、表情も柔らかになってきたことだけは分かる。
「お、……」
「え?」
彼女の唇が小さく開かれ、声が漏れた。
「お、かあ、さま」
「――っ」
夢の中では今もなお、クラウディア嬢は母の愛を求めているのだろうか。現実ではとうに諦めたはずの母の愛を。
そんな彼女の姿に胸が締め付けられる。
「……大丈夫」
私は手を強く握り返し、もう片方の手で彼女の頬にそっと当てる。
「ここにいるわ。大丈夫よ。ここにいるわ、クラウディア」
せめて夢の中での母親は子を、クラウディア嬢を慈しむような姿であってほしい。
「お母、さま」
「ええ。クラウディア。わたくしの――愛しい子」
「お母、様」
私が呼びかけに応えると、彼女は目尻から耳の方へと一筋の涙を伝わせた。
「大丈夫。わたくしはここよ。大丈夫だから……お休みなさい」
ベルモンテ家に押しつけられた役割を全て手放して、ただ一人の女性として。
彼女は唇に穏やかな笑みをのせ、私の手を強く握った手をゆっくりと開いた。やがて規則的な呼吸を繰り返すようになる。
眠りについたようだ。今度の眠りは体力を回復するための睡眠となるだろう。
殿下へと振り返ると頷かれたので彼女の頬から手を離し、手をまたシーツの下に入れる。最後に彼女が流した涙をハンカチでそっと拭うと、私は彼女から離れて殿下の元へと戻った。
「殿下、ただいま戻りました」
「……ご苦労さま」
笑顔の私に対して少し渋い表情を浮かべてはいるけれど、ひとまず無事に終わったことにほっとされたようだ。
私はベルモンテ侯爵様に視線を向けると、侯爵様は泣いていらしたようで、目が真っ赤になっている。
「侯爵様。これで全て影が祓われましたので、あとはゆっくりご休養なされば、もうクラウディア様は大丈夫だと思われます」
「ありがとう。ありがとう、ロザンヌ嬢。本当にありがとう」
侯爵様は力強く私の手を取り、感謝の言葉を何度も述べられた。
開かれた扉からあらためて中を見ると、先ほどは気付かなかったが、医師と看守が奥の方におられたようだ。
ジェラルドさんの指示により、一時的に退室してもらうことになった。それと入れ替わりに私たちは中に入る。
こうして観察してみると、牢屋の前に医務室を設置しただけの作りにも見える。
本当の牢屋の内装はどうなっているのかは分からないが、鉄格子の中にはベッドだけがあり、清潔感は保たれているようだ。
一つのベッドは空で、現在この部屋で療養中なのはクラウディア嬢のみである。
意識はないようだが、うめき声を上げては悶えている。
ベッドを囲む鉄格子は広く空間が取られており、彼女の手を取って影祓いするためには内部に入る必要があった。鍵は既に開けられているというけれど、牢屋に近い構造に入るのはさすがに恐ろしい。
足を踏み入れるのをためらっていたら。
「入ろう」
殿下が私の肩にそっと手を置いてくださった。
一緒に入ってくださるおつもりのようだ。しかしその表情は冴えない。つまり青ざめている。
……うん。お気持ちだけで十分だ。
私は何だかおかしくなって、張り詰めていた気持ちが解けた。
「一人で大丈夫です。殿下の方がお顔の色が悪いです」
「いや。体が習慣づいているだけだ。今はもう取り憑かれることもないのにな。それにしても私も今日初めて彼女に会ったが、見たこともない程の凄い数の影だ」
掠れた声で殿下はそうおっしゃった。
つまりそれだけの数の影を私に取り憑かせようとしたということだ。彼女の最後の抵抗ということだったのだろうか。あるいは数で押せば何とかなると思っていたのか。
「いいえ。殿下。一人で大丈夫です。ここから影が祓えたかどうかをご確認ください」
「しかし」
ここで言い争いするつもりはない私は、視線をジェラルドさんに向けた。
「ジェラルド様、エルベルト王太子殿下をよろしくお願いいたします」
私の言い方に絶句する殿下と、私の気持ちを汲んでくださり、静かに承知いたしましたと頷くジェラルドさんに笑みを見せて内部に足を踏み入れる。
中にはベッドのみで椅子はないので、私は立ったまま彼女の手を取ることにした。
クラウディア嬢の顔を覗き込むと、透けるような白い肌は今や土気色で、瑞々しかった肌や唇はカサカサと荒れ、それなのに額だけは脂汗でにじみ、頬は痩せこけて顔は苦しさで険のある表情を作っている。また、枕元には大量の髪の毛が抜けて散乱していた。
たった二日前に対峙したばかりなのに、人を惹きつける美貌と気位の高かったクラウディア嬢のあまりの変わりように言葉を失う。
私は落ち着くためにも一つ息を吐くと、シーツの下の彼女の手を取った。
エスメラルダ様の言葉を信じて。ネロの能力がこの手にまだ残っていることを信じて。
すると。
不意に力強く手を握りしめられ、驚いて反射的に身を引く。
「ロザンヌ嬢!?」
「大丈夫です」
私の動きを見て、瞬時に踏み込もうとしたジェラルドさんと殿下を止めた。
クラウディア嬢はいまだ夢うつつで、私に危害を加えようとしたわけではないのが分かったからだ。ただ、彼女の呼吸は次第に落ち着いて、表情も柔らかになってきたことだけは分かる。
「お、……」
「え?」
彼女の唇が小さく開かれ、声が漏れた。
「お、かあ、さま」
「――っ」
夢の中では今もなお、クラウディア嬢は母の愛を求めているのだろうか。現実ではとうに諦めたはずの母の愛を。
そんな彼女の姿に胸が締め付けられる。
「……大丈夫」
私は手を強く握り返し、もう片方の手で彼女の頬にそっと当てる。
「ここにいるわ。大丈夫よ。ここにいるわ、クラウディア」
せめて夢の中での母親は子を、クラウディア嬢を慈しむような姿であってほしい。
「お母、さま」
「ええ。クラウディア。わたくしの――愛しい子」
「お母、様」
私が呼びかけに応えると、彼女は目尻から耳の方へと一筋の涙を伝わせた。
「大丈夫。わたくしはここよ。大丈夫だから……お休みなさい」
ベルモンテ家に押しつけられた役割を全て手放して、ただ一人の女性として。
彼女は唇に穏やかな笑みをのせ、私の手を強く握った手をゆっくりと開いた。やがて規則的な呼吸を繰り返すようになる。
眠りについたようだ。今度の眠りは体力を回復するための睡眠となるだろう。
殿下へと振り返ると頷かれたので彼女の頬から手を離し、手をまたシーツの下に入れる。最後に彼女が流した涙をハンカチでそっと拭うと、私は彼女から離れて殿下の元へと戻った。
「殿下、ただいま戻りました」
「……ご苦労さま」
笑顔の私に対して少し渋い表情を浮かべてはいるけれど、ひとまず無事に終わったことにほっとされたようだ。
私はベルモンテ侯爵様に視線を向けると、侯爵様は泣いていらしたようで、目が真っ赤になっている。
「侯爵様。これで全て影が祓われましたので、あとはゆっくりご休養なされば、もうクラウディア様は大丈夫だと思われます」
「ありがとう。ありがとう、ロザンヌ嬢。本当にありがとう」
侯爵様は力強く私の手を取り、感謝の言葉を何度も述べられた。
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