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第281話 私は心清く美しくはない

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 皆が椅子に落ち着いた頃、侯爵様は話を始めた。

「こう言っては傲慢な言葉になるが、あの子はね、クラウディアは不憫な子なんだよ。幼少期より呪術の能力を開花させたあの子は、ベルモンテ一族から崇め讃えられたものだが、同時に妬みや恨みも買った。その筆頭があの子の母親だ」

 あの子の母親。妻ではなく、あの子の母親。
 私が引っかかりを感じたことに気付かれたご様子だ。侯爵様はほんの少し苦笑いなさった。

「あの子の母親は生来の性格とは言え、容姿に優れ、地位もお金も存分にあったため、周りが放ってはおかなかったせいもあるのだろう。自由奔放に振る舞った。能力もそれなりにあったらしいので、ベルモンテ一族からも一目置かれていた」

 クロエさんが前におっしゃっていた。社交界に足繁く通い、麗しい男性方と戯れていたと。

「けれどクラウディアが生まれ、その能力を開花させてベルモンテ家の視線があの子に集中し始め、褒めそやされるようになるや、冷遇し始めたそうだ。ただ、体形が崩れるから嫌だと子供を産むのを拒否していたが、当主の跡継ぎが絶対的に必要だということでやむを得ず産んだという背景は元々あったらしい」

 自分の体形のために産むのを嫌がっていたのならば、育児など当然、そっちのけだったのだろう。さらに自分が常に一番でなければならない夫人にとって、皆の熱い視線が娘に変わったことは屈辱的にさえ思っていたということなのだろうか。

「私がベルモンテ家に入った頃のあの子は、ちょうど君ぐらいの年齢だったと思うが、君のようにくるくると豊かに変わる表情ではなく、既に世をすねた冷めたような目をしていたよ。周りからは持て囃されるが、母親の愛情には飢えていたと思う」

 人から羨まれる程の家柄と美貌を持ちながら、クラウディア嬢のお心は貧しいと感じたことがあった。それは人格形成を決める幼少期に、子が子というだけで慈しまれる純粋な愛情が圧倒的に足りなかったゆえなのかもしれない。

 クラウディア嬢は母親の愛情を得るために、並々ならぬ努力をしたに違いない。けれど能力が伸びれば伸びるほど、母親からは疎まれていったことだろう。いつしかそれが諦めに変わり、憎しみに変わり、嫌悪になり、軽蔑へと変わったのかもしれない。

 ベルモンテ侯爵様は、以前のご結婚で妻子を亡くされたとも聞いた。クラウディア嬢に亡くした自分の子を重ねて愛情を注ぎたかったのだろうか。

「ご夫人はここへは?」

 殿下がお尋ねになり、侯爵様は微笑むとただ首を振る。

「クラウディアに影が憑いたようだから祓ってくれと言ったのですが、そんな大変なものに関わるのはごめんだと。自業自得なのだから、自分で何とかさせなさいと」
「そんな……」

 実の子を。自分がお腹を痛めて産んだ子を。……いや。そんな感情論で夫人を説得するのは無意味だ。

「他の一族にももちろん掛け合ってみましたが、祓って自分の身に跳ね返ってくるようなことが万に一つもあっては困ると。……下手に手を出して王族に睨まれるのは、ごめんだと拒否されました。これまでずっと、クラウディのおかげで一族に富をもたらしてきたようなものなのに冷たいものです」

 不憫な子。
 侯爵様がおっしゃる意味が分かる気がした。

 クラウディア嬢に能力を求め、立場を求め、責任を押しつけ、蟻が蜜に集るようにすり寄ってきたのに、いざ蜜が枯竭すると見向きもせずにあっという間に散り去って行く。無理矢理に彼女を担ぎ出していた手は一気に引かれていく。

 けれど、きっと彼女自身も自覚はあったのだろう。自分が仮初めの当主だということが。だから自分を誇示するために、下級貴族に対して容赦ない振る舞いをしていた。

 可哀想な子。哀れな子。悲しい子。
 きっと、周りからそう思われたくなくて、気丈に振る舞っていたのだろう。光は当たっていても、心には影を落としていて。そしてそんな本当の彼女の姿を侯爵様は知っていたのだろう。だから邪険にされても命を狙われても、彼女の側にいようと。自分だけは最後まで一緒にいようと。

 私は自分の手を見つめた。
 クラウディア嬢が呪ったのは私。その彼女を助けることが私にはできるだろうか。影を祓って体調が元に戻れば、また私に危害を加えてくるかもしれない彼女を。

 ――いつの時代も光がある所には必ず影ができます。けれど、あなたの柔らかな光でその影を優しく癒やしてあげてほしいのです――

 エスメラルダ様の穏やかな声を、願いを思い出す。

 私は人を羨むし、妬ましく思うし、恨んだり憎んだりもする。嫌いな人を何とか好きになろうとする努力を怠っているとも思うし、態度だってふてぶてしい所があると自覚はある。
 慈悲深い心で彼女を心から救いたいだなんて綺麗事はとても言えない。心清く美しいエスメラルダ様のお気持ちまでは継承することはできない。

 ……できるのは自分のため。助けることができたのに、助けなかったといつまでも囚われるのが嫌だから。後味が悪くなるのが嫌だから。ただ、それだけのためだから。
 可哀想な子だから助けるのではない。軽々しく同情して助けるのではない。

 私は手の平を拳に変えると顔を上げた。

「わたくし、クラウディア様の元へ参ります」
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