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第292話 今だけ
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私たちはユアンさんたちに別れを告げて、馬車の停留場所へと行った。
一台は私たちが乗る馬車、そしてもう一台は私物を乗せた馬車の二台で家路に向かうことになる。
これまでジェラルドさんとユリアによって馬車に乗せてもらっていたが、本日はユリアの手のみだ。それが普通のこと。それが私の日常である。
馬車は緩やかに動き出し、王宮の外へと向かう。
窓から見ることができる景色は王宮の煌びやかな建物や広いお庭だ。
最初の頃はともかく、ここから学校に行くことが日常的になってからは気にも留めなかったのに、今日は見納めだと思うとあらためてじっくりと見ていたくなってしまう。
しかし本日は、私の甘さを嘲笑うかのように雨が視界を遮り、ただ無情に滲んだ王宮の景色を横に流していくだけだ。
「ブラックウェル様はこの王宮を出る時、名残り惜しさを感じられたのかしら。それとも振り返らずにただ前を向いて、未来に向かって歩いて行かれたのかしら」
とうとう王宮の門を背にした馬車に、私はようやく窓にやっていた目をユリアに向けた。
「心残りはあったかもしれません。しかし騎士を辞めて王宮を出ると決めたのならば、前を向いて歩くしかなかったのではないでしょうか」
「そうね。きっとそう。ブラックウェル様は不毛の地を豊かな地にしたお方。決意を固めて、ただ真っ直ぐ前を向いて歩いて行かれたことでしょう。でも」
私はユアンさんから貰った白い薔薇に視線を落とす。
「わたくしは……駄目ね。自分の足で出てきたくせに未練がましいと思うわ。ユアンさんにせっかく気高いあなたにって薔薇を頂いたのに」
「ロザンヌ様」
向かい側に座るユリアから気遣いを含んだ声をかけられる。
笑顔で返したいところだけれど、今は自嘲の笑みすら浮かべることはできない。
「ロザンヌ様。王宮を出ました。せめてここからご自宅に着くまでは、貴族の娘ではなくただの、一人の女性に戻ってください。――今だけ。今だけでいいですから」
「……ありがとう。ユリア」
「はい、ロザンヌ様」
ユリアが目を伏せると、まるで声をかき消してくれるように馬車の中に雨の音が優しく響いた。
「――ザンヌ様。ロザンヌ様」
かけ声と共に肩を揺さぶられ、私は重い瞼を開けた。
目覚めてすぐに現状に気付かされる。私は王宮を出て実家に戻っている最中なのだと。
泣き疲れたせいか、いつの間にか眠っていたようだけれど、人間、いつまでも泣き続けることはできないようだ。
「もう着いたの?」
私のすぐ横にいるユリアに尋ねる。
「いえ。まだですが、ご準備をしておいた方が良いかと。お休みになっていたところ申し訳ないとは思ったのですが」
号泣したわけではないとは思うけれど、地味に泣いていた気がする。
ユリアは口出し一つせず、眠りだした頃に私の側に来て肩を貸してくれていたのだろう。
「いいえ。ありがとう。そうね。準備しなくちゃ。目は腫れている?」
「はい。ほんの少しだけ」
「そう。家に着く前にマシになるといいけれど。それにまた連絡なしだからびっくりされちゃうかな」
「はい。でも大喜びされると思います」
ユリアは前に実家に戻った時と同じ台詞で返す。
でもあの時とは状況が違うわけで。
「ええ。そうね。でもわたくしは侍女見習いで行っていることになっているでしょう。侍女見習いの期間としては早く戻ってきてしまって、何か失態を犯して辞めさせられたと思われてしまわないかしら」
やっぱり問い詰められちゃうかなぁ。何と言って答えよう。高価な壺を割ってしまいましたとか、適当な事を言って誤魔化すしかないかな。
「仮に今日はそう思われたとしても、王家としては秘密を守りたいはずで、ロザンヌ様に何かしらの褒賞が与えられるはずですから誤解は解けます。くれぐれもロザンヌ様も区切りをつけるために、固辞などなさらずに褒賞を受けてください」
感情を見せない表情で淡々と言っているが、やはりユリアは怒っているらしい。私のために怒ってくれているらしい。それがとても嬉しい。
「そうね。では、むしろ目が飛び出るくらいの褒賞を要求しましょう」
私はようやく笑顔を取り戻し、冗談っぽく言った。
ダングルベール家に着いた頃にはもう雨が上がっていた。
私たちは前回のように驚きと共に迎えられたが、前回と決定的に違ったことがある。それは、今日は二人だけかいと困惑気味に尋ねてきた父を押しやって、母がよく頑張りましたねと抱きしめてくれたことだ。笑顔のつもりだったけれど、まだ涙の跡が残っていたからなのかもしれない。
母の香りと温もりにまた涙が浮かんできそうで、抑えるために強く抱きしめ返していると、ユリアを交えて皆がわっと抱きしめてきた。
「お帰り。ロザンヌ、ユリア」
「お疲れさま、二人とも」
「早くゆっくり家で休んで」
皆の優しさに包まれて、ああ、私は温かく出迎えてくれる我が家に戻ってきたんだとしみじみと実感した。
一台は私たちが乗る馬車、そしてもう一台は私物を乗せた馬車の二台で家路に向かうことになる。
これまでジェラルドさんとユリアによって馬車に乗せてもらっていたが、本日はユリアの手のみだ。それが普通のこと。それが私の日常である。
馬車は緩やかに動き出し、王宮の外へと向かう。
窓から見ることができる景色は王宮の煌びやかな建物や広いお庭だ。
最初の頃はともかく、ここから学校に行くことが日常的になってからは気にも留めなかったのに、今日は見納めだと思うとあらためてじっくりと見ていたくなってしまう。
しかし本日は、私の甘さを嘲笑うかのように雨が視界を遮り、ただ無情に滲んだ王宮の景色を横に流していくだけだ。
「ブラックウェル様はこの王宮を出る時、名残り惜しさを感じられたのかしら。それとも振り返らずにただ前を向いて、未来に向かって歩いて行かれたのかしら」
とうとう王宮の門を背にした馬車に、私はようやく窓にやっていた目をユリアに向けた。
「心残りはあったかもしれません。しかし騎士を辞めて王宮を出ると決めたのならば、前を向いて歩くしかなかったのではないでしょうか」
「そうね。きっとそう。ブラックウェル様は不毛の地を豊かな地にしたお方。決意を固めて、ただ真っ直ぐ前を向いて歩いて行かれたことでしょう。でも」
私はユアンさんから貰った白い薔薇に視線を落とす。
「わたくしは……駄目ね。自分の足で出てきたくせに未練がましいと思うわ。ユアンさんにせっかく気高いあなたにって薔薇を頂いたのに」
「ロザンヌ様」
向かい側に座るユリアから気遣いを含んだ声をかけられる。
笑顔で返したいところだけれど、今は自嘲の笑みすら浮かべることはできない。
「ロザンヌ様。王宮を出ました。せめてここからご自宅に着くまでは、貴族の娘ではなくただの、一人の女性に戻ってください。――今だけ。今だけでいいですから」
「……ありがとう。ユリア」
「はい、ロザンヌ様」
ユリアが目を伏せると、まるで声をかき消してくれるように馬車の中に雨の音が優しく響いた。
「――ザンヌ様。ロザンヌ様」
かけ声と共に肩を揺さぶられ、私は重い瞼を開けた。
目覚めてすぐに現状に気付かされる。私は王宮を出て実家に戻っている最中なのだと。
泣き疲れたせいか、いつの間にか眠っていたようだけれど、人間、いつまでも泣き続けることはできないようだ。
「もう着いたの?」
私のすぐ横にいるユリアに尋ねる。
「いえ。まだですが、ご準備をしておいた方が良いかと。お休みになっていたところ申し訳ないとは思ったのですが」
号泣したわけではないとは思うけれど、地味に泣いていた気がする。
ユリアは口出し一つせず、眠りだした頃に私の側に来て肩を貸してくれていたのだろう。
「いいえ。ありがとう。そうね。準備しなくちゃ。目は腫れている?」
「はい。ほんの少しだけ」
「そう。家に着く前にマシになるといいけれど。それにまた連絡なしだからびっくりされちゃうかな」
「はい。でも大喜びされると思います」
ユリアは前に実家に戻った時と同じ台詞で返す。
でもあの時とは状況が違うわけで。
「ええ。そうね。でもわたくしは侍女見習いで行っていることになっているでしょう。侍女見習いの期間としては早く戻ってきてしまって、何か失態を犯して辞めさせられたと思われてしまわないかしら」
やっぱり問い詰められちゃうかなぁ。何と言って答えよう。高価な壺を割ってしまいましたとか、適当な事を言って誤魔化すしかないかな。
「仮に今日はそう思われたとしても、王家としては秘密を守りたいはずで、ロザンヌ様に何かしらの褒賞が与えられるはずですから誤解は解けます。くれぐれもロザンヌ様も区切りをつけるために、固辞などなさらずに褒賞を受けてください」
感情を見せない表情で淡々と言っているが、やはりユリアは怒っているらしい。私のために怒ってくれているらしい。それがとても嬉しい。
「そうね。では、むしろ目が飛び出るくらいの褒賞を要求しましょう」
私はようやく笑顔を取り戻し、冗談っぽく言った。
ダングルベール家に着いた頃にはもう雨が上がっていた。
私たちは前回のように驚きと共に迎えられたが、前回と決定的に違ったことがある。それは、今日は二人だけかいと困惑気味に尋ねてきた父を押しやって、母がよく頑張りましたねと抱きしめてくれたことだ。笑顔のつもりだったけれど、まだ涙の跡が残っていたからなのかもしれない。
母の香りと温もりにまた涙が浮かんできそうで、抑えるために強く抱きしめ返していると、ユリアを交えて皆がわっと抱きしめてきた。
「お帰り。ロザンヌ、ユリア」
「お疲れさま、二人とも」
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