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第291話 ごきげんよう。さようなら
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翌朝。
殿下が外出をなさるのでお部屋でお見送りをする。
本日はユリアも一緒にご挨拶だ。
「本日はあいにくの雨ですね。足元にお気を付けて行ってらっしゃいませ」
「お気を付けて」
ユリアは私に続いて言葉短く挨拶すると、すぐにその場を離れた。
「……彼女、何だか怒っていないか?」
「ああ、そう言われましたら。ジェラルド様との鍛錬の時間を殿下に奪われて、不機嫌なのかもしれません。それにしても、微妙な違いを殿下に悟られるぐらいユリアは感情豊かになりましたか?」
「え? あー。そう言われると、いつもと変わりないような気もしてきたが」
気まずそうな殿下に私は笑みを零す。
「ふふ。ユリアの感情を分かったつもりなど驕りですよ。出直していらっしゃい」
「出直すって……。しかし十年付き合った君でもまだ完全に理解できるわけではないだろう? 出直すには二十年必要か? 三十年?」
苦笑いする殿下に、未来のことを語れない私は笑って受け流すことしかできなかった。けれど殿下は気付いた様子もない。
会話が途切れたことで殿下は身を低くすると、私に触れるだけの口づけを落とした。
「では行って来る」
「……はい」
私に笑顔を見せて踵を返す。その背をただ静かに見送ろうとしたが、思わず口を開いてしまった。
「殿下!」
「え?」
声をかけると殿下は振り返ってくださったので、私は内緒話をするように口元に手を立てると何だと身を屈めてくれる。
私は背伸びをすると。
「――っ」
最初で最後の私からの口づけ。
私はゆっくりと踵を下ろして殿下から離れた。
「どうぞお気を付けて行ってらっしゃいませ」
「……ロザンヌ?」
「あ。お土産なんて結構ですよ!? 最近巷で噂の甘くとろけるようなキャンディなんて、わたくし全っぜん興味ないですから!」
さすがに不審に思われたのか、眉をひそめた殿下を前に、私は大仰に両手を振ってみせる。
「あ、ああ。なるほど。分かった」
殿下はほっとしたように微笑む。
「本当にいりませんよ?」
「ああ、分かった。じゃあ、行って来るから」
「はい。本当に本当にいらないですからねー」
「分かった分かった」
今度こそ身を翻して扉へと歩き出した殿下の背に明るい声をかける。
最後に殿下は振り返って笑顔で手を上げるとゆっくりと扉を閉めた。
「殿下、ごきげんよう。……さようなら」
すっかり閉じられた扉に向かってようやく私は本当の挨拶を呟く。
しばらく扉の奥に消え去った殿下に思いを寄せていたが。
「ロザンヌ様。準備は整いました。いつでも出られます」
ユリアに声をかけられて私は振り返った。
「ありがとう。ユリアの方はご挨拶できた?」
「はい。私の方は全て」
「そう」
私は応接間のテーブルへと行くと、首からぶら下げていた殿下の部屋に繋がる鍵を外して置く。
毎日身に付けていた鍵の重みが急になくなって心許なさを覚えたけれど、時間と共にやがてその感覚も消えていくだろう。
「こんな目立つ所に置いておいて大丈夫かしら」
かと言って、下手に引き出しに仕舞っておいたら後で探し出すのが大変だろう。
「大丈夫でしょう」
「随分適当に言っていない?」
「ここを出た後のことは、私どもには何の関係もないことです。気にかける必要などありません」
「うん。やっぱり怒っちゃっているわね」
苦笑いしながら頭を少し傾けると、後ろ髪に付けたリボンを解いた。
殿下に頂いた白いリボン。特別な時に付けようと思っていたリボンだ。それを丁寧に折りたたんで鍵の横に置く。
「ロザンヌ様。本当にこれでいいのですか」
「いいのよ。さあ、行きましょう」
私はユリアを促して部屋を後にした。
「ああ、そうだわ。ジル様とユアンさんにご挨拶をしていなかったわ」
ユアンさんはここでできた唯一のお友達。……ユアンさんはそう思っていらっしゃらないかもしれないけれど。まあ、それはいいです。
「私もしていませんでした」
「そう。では発つ前にご挨拶に行きましょう」
私たちは温室に向かうと、すぐにジル様とユアンさんの姿を見付けることができた。
「あれ? ユリアとロザンヌ様。二人揃ってどうしたの?」
「これ。口の利き方に気をつけなさい、ユアン」
「ジル様。わたくし、ユアンさんのお友達ですからいいのです」
たしなめるジル様に私は笑顔で答える。
「俺たち、友達でしたっけ」
「ええ。友達でした」
空とぼけするユアンさんに私は澄まし顔を見せた。
「大切なお友達でしたから、最後にご挨拶に伺ったのです」
「え?」
「これまでお二人にはお世話になりましたから、ご挨拶をと思いまして。今までありがとうございました」
「……もしかしてここを出て行くの? ユリアも?」
「はい。お世話になりました」
ユアンさんがユリアに視線を流すと、彼女も頷いて挨拶をする。
「そうですか。寂しくなりますな。な、ユアン」
ジル様がユアンさんに声をかけたが、彼は答えずに身を翻して奥へと行った。かと思ったけれどすぐに何かを手にして戻って来る。
「これ。あなたに」
ユアンさんは情緒も何もなく、むしろややぶっきらぼうに一本の白い花を私に差し向けた。
「白い薔薇ですね。花言葉は……あなたしかいない? あら。もしかしてわたくし、告白されているの?」
「違ぁぁぁうっ! 尊敬だ! 深い尊敬の方!」
困ったわと頬に手を当てる私に、ユアンさんは吠える。
「え? 尊敬ですか?」
「うん。たとえ手折られたとしても、気高く生きるあなたに。あなたの生き様に敬意を」
貴族の娘がここを出て行く意味を彼は分かっているのだろう。これまで色んな人を見送ってきたのかもしれない。
「……ありがとうございます」
私はそっと薔薇を受け取る。
すると。
「綺麗ですね。ところで私もここを去るのですが、私には何も無いのですか。別にいいのですが」
淡々と尋ねるユリアに、しまったという表情をして、また奥へと走るユアンさんを見て皆で笑った。
殿下が外出をなさるのでお部屋でお見送りをする。
本日はユリアも一緒にご挨拶だ。
「本日はあいにくの雨ですね。足元にお気を付けて行ってらっしゃいませ」
「お気を付けて」
ユリアは私に続いて言葉短く挨拶すると、すぐにその場を離れた。
「……彼女、何だか怒っていないか?」
「ああ、そう言われましたら。ジェラルド様との鍛錬の時間を殿下に奪われて、不機嫌なのかもしれません。それにしても、微妙な違いを殿下に悟られるぐらいユリアは感情豊かになりましたか?」
「え? あー。そう言われると、いつもと変わりないような気もしてきたが」
気まずそうな殿下に私は笑みを零す。
「ふふ。ユリアの感情を分かったつもりなど驕りですよ。出直していらっしゃい」
「出直すって……。しかし十年付き合った君でもまだ完全に理解できるわけではないだろう? 出直すには二十年必要か? 三十年?」
苦笑いする殿下に、未来のことを語れない私は笑って受け流すことしかできなかった。けれど殿下は気付いた様子もない。
会話が途切れたことで殿下は身を低くすると、私に触れるだけの口づけを落とした。
「では行って来る」
「……はい」
私に笑顔を見せて踵を返す。その背をただ静かに見送ろうとしたが、思わず口を開いてしまった。
「殿下!」
「え?」
声をかけると殿下は振り返ってくださったので、私は内緒話をするように口元に手を立てると何だと身を屈めてくれる。
私は背伸びをすると。
「――っ」
最初で最後の私からの口づけ。
私はゆっくりと踵を下ろして殿下から離れた。
「どうぞお気を付けて行ってらっしゃいませ」
「……ロザンヌ?」
「あ。お土産なんて結構ですよ!? 最近巷で噂の甘くとろけるようなキャンディなんて、わたくし全っぜん興味ないですから!」
さすがに不審に思われたのか、眉をひそめた殿下を前に、私は大仰に両手を振ってみせる。
「あ、ああ。なるほど。分かった」
殿下はほっとしたように微笑む。
「本当にいりませんよ?」
「ああ、分かった。じゃあ、行って来るから」
「はい。本当に本当にいらないですからねー」
「分かった分かった」
今度こそ身を翻して扉へと歩き出した殿下の背に明るい声をかける。
最後に殿下は振り返って笑顔で手を上げるとゆっくりと扉を閉めた。
「殿下、ごきげんよう。……さようなら」
すっかり閉じられた扉に向かってようやく私は本当の挨拶を呟く。
しばらく扉の奥に消え去った殿下に思いを寄せていたが。
「ロザンヌ様。準備は整いました。いつでも出られます」
ユリアに声をかけられて私は振り返った。
「ありがとう。ユリアの方はご挨拶できた?」
「はい。私の方は全て」
「そう」
私は応接間のテーブルへと行くと、首からぶら下げていた殿下の部屋に繋がる鍵を外して置く。
毎日身に付けていた鍵の重みが急になくなって心許なさを覚えたけれど、時間と共にやがてその感覚も消えていくだろう。
「こんな目立つ所に置いておいて大丈夫かしら」
かと言って、下手に引き出しに仕舞っておいたら後で探し出すのが大変だろう。
「大丈夫でしょう」
「随分適当に言っていない?」
「ここを出た後のことは、私どもには何の関係もないことです。気にかける必要などありません」
「うん。やっぱり怒っちゃっているわね」
苦笑いしながら頭を少し傾けると、後ろ髪に付けたリボンを解いた。
殿下に頂いた白いリボン。特別な時に付けようと思っていたリボンだ。それを丁寧に折りたたんで鍵の横に置く。
「ロザンヌ様。本当にこれでいいのですか」
「いいのよ。さあ、行きましょう」
私はユリアを促して部屋を後にした。
「ああ、そうだわ。ジル様とユアンさんにご挨拶をしていなかったわ」
ユアンさんはここでできた唯一のお友達。……ユアンさんはそう思っていらっしゃらないかもしれないけれど。まあ、それはいいです。
「私もしていませんでした」
「そう。では発つ前にご挨拶に行きましょう」
私たちは温室に向かうと、すぐにジル様とユアンさんの姿を見付けることができた。
「あれ? ユリアとロザンヌ様。二人揃ってどうしたの?」
「これ。口の利き方に気をつけなさい、ユアン」
「ジル様。わたくし、ユアンさんのお友達ですからいいのです」
たしなめるジル様に私は笑顔で答える。
「俺たち、友達でしたっけ」
「ええ。友達でした」
空とぼけするユアンさんに私は澄まし顔を見せた。
「大切なお友達でしたから、最後にご挨拶に伺ったのです」
「え?」
「これまでお二人にはお世話になりましたから、ご挨拶をと思いまして。今までありがとうございました」
「……もしかしてここを出て行くの? ユリアも?」
「はい。お世話になりました」
ユアンさんがユリアに視線を流すと、彼女も頷いて挨拶をする。
「そうですか。寂しくなりますな。な、ユアン」
ジル様がユアンさんに声をかけたが、彼は答えずに身を翻して奥へと行った。かと思ったけれどすぐに何かを手にして戻って来る。
「これ。あなたに」
ユアンさんは情緒も何もなく、むしろややぶっきらぼうに一本の白い花を私に差し向けた。
「白い薔薇ですね。花言葉は……あなたしかいない? あら。もしかしてわたくし、告白されているの?」
「違ぁぁぁうっ! 尊敬だ! 深い尊敬の方!」
困ったわと頬に手を当てる私に、ユアンさんは吠える。
「え? 尊敬ですか?」
「うん。たとえ手折られたとしても、気高く生きるあなたに。あなたの生き様に敬意を」
貴族の娘がここを出て行く意味を彼は分かっているのだろう。これまで色んな人を見送ってきたのかもしれない。
「……ありがとうございます」
私はそっと薔薇を受け取る。
すると。
「綺麗ですね。ところで私もここを去るのですが、私には何も無いのですか。別にいいのですが」
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