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第290話 殿下につく最後の嘘
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「ロザンヌ嬢、もういい。影は消えた」
「はい。承知いたしました。これで全てでしょうか」
影祓いの終了を告げられた私は殿下へと振り返った。
「とりあえずはそうだな」
王宮に居着いていた影は全てこれで祓われた。
普通の人でも体調が優れない時に取り憑かれることがあったわけだし、影が祓われたことでこの王宮からはひとまずその脅威が無くなったということだ。
間に合って良かった。殿下は見えるから避けることができるけれど、他の人はそうはいかないものね。
「まあ、人が持ち込んで来ることもあるが、それはその都度祓っていけばいいだろう。影がいなくなったせいか、王宮が明るくなった気がする。君のおかげだな」
「いいえ。エスメラルダ様とネロが残してくれた力のおかげです」
「君にしては随分謙遜するんだな。らしくもない」
首を傾げる殿下に私は唇を横に薄く引く。
「そうですか。では。さあ、わたくしにひれ伏し、ありがたがれ! とでも申しておきましょうか」
「言い過ぎだ」
殿下は苦笑する。
「まあ、これからもよろしく」
殿下は今日と同じような日が、これから先もずっと続くと信じていらっしゃるようだ。
日常が非日常と変わる瞬間はとても恐ろしく、とても不安で心が揺れた。だからその瞬間はたとえほんの少しでも先送りに。
「……はい」
私は殿下に嘘をつきました。これからはありません。でも、どうかお許しください。これが殿下に対してつく最後の嘘となりますから。
夕食は殿下とご一緒することになった。これが王宮での、いや殿下との最後の晩餐となる。
「そう言えば、実はわたくし求婚されまして」
食事は美味しく、殿下との会話が弾み、ついつい私はそんなことを口にしていた。
「はあ!? 誰に」
「セリアン様にです。もちろん冗談ですけれど、話の流れで」
殿下は眉をひそめる。
「当たり前だ」
それはもちろん当然のこと。王家に次ぐ公爵家のご令息と子爵家の娘では、王族と結婚するくらいありえないこと。うちに鉱物などの資源でもあれば別だけれど、ただ自然が豊富なだけの緩い田舎町だもの。
――ああ、いいえ。だけとは不毛の地を豊かにしてくださった先人に、ノエル・ブラックウェル様、改めノエル・ルーベンス様方に無礼だったわ。今、私が当たり前に受けている恩恵は、昔の人の努力によって作られたものだったのだから。
今回、王宮の任務に関わったことで今まで普通だと思っていたことを、何も考えていなかったことを気付かされたのは、とてもいい人生経験だったと思う。
「それにセリアンはマリアンジェラのことが好きだろう?」
殿下の意外な言葉に思考から戻って、目を見張る。
ご存知だったのか。
「ですが、公爵家同士の結婚はできないのではないでしょうか」
貴族二大勢力が手を組めば、王家に対する脅威になるのではないか。
「昔は確かに反逆を恐れて禁じていたが、今の時代にそれはない。望めばできるはずだ」
「そうなのですか」
けれどセリアン様はそんなご様子はなかった。考えもつかないようだった。マリアンジェラ様が王族に嫁ぐという一択のお考えしかお持ちではなかったように思う。
それにしても、殿下でさえセリアン様のお気持ちに気付いていると言うのに、肝心のマリアンジェラ様が気付いていらっしゃらないとは。恋愛事には疎いお方なのね。
「私でさえとはどういう意味だ?」
「あら。殿下は耳聡いお方ですね」
「君の心の声が大きいとも言うな」
「そうとも申しますね」
ほほほと笑顔で返す。
最後の晩餐は、最初に出会った頃のような掛け合いの会話で、関係が殿下とたくさんいる貴族の内のただの一人だった私へと戻される。……まあ、不敬な物言いにおいて、ただのとは言い過ぎかもしれない。
「どうした? 今日はやけに素直だな」
「お言葉ですが、殿下。わたくしは常に素直でございます」
「いや、そうだがしかし」
その時、食事の締めであるデザートが運ばれてきて、私は目を輝かせた。
ほろりと崩れる生地に、艶やかな果物がふんだんに載せられている。見目麗しいだけでなく、きっと味も最高なのだろう。
「とても美味しそう! 作り方を教えてくださらないかしら」
家でも食べられるよう、実家の料理長のルーサーさんに伝えたい。再現してもらいたい。そうすればこの日の、幸せだった殿下との日々に思いを馳せることができるはずだから。……なんて、未練がましいな。
「君が作るのか?」
「……あ。いいえ。ちょっと言ってみたかっただけです」
「何だそれ」
可笑しそうに笑う殿下に私は自嘲の笑みを返した。
「はい。承知いたしました。これで全てでしょうか」
影祓いの終了を告げられた私は殿下へと振り返った。
「とりあえずはそうだな」
王宮に居着いていた影は全てこれで祓われた。
普通の人でも体調が優れない時に取り憑かれることがあったわけだし、影が祓われたことでこの王宮からはひとまずその脅威が無くなったということだ。
間に合って良かった。殿下は見えるから避けることができるけれど、他の人はそうはいかないものね。
「まあ、人が持ち込んで来ることもあるが、それはその都度祓っていけばいいだろう。影がいなくなったせいか、王宮が明るくなった気がする。君のおかげだな」
「いいえ。エスメラルダ様とネロが残してくれた力のおかげです」
「君にしては随分謙遜するんだな。らしくもない」
首を傾げる殿下に私は唇を横に薄く引く。
「そうですか。では。さあ、わたくしにひれ伏し、ありがたがれ! とでも申しておきましょうか」
「言い過ぎだ」
殿下は苦笑する。
「まあ、これからもよろしく」
殿下は今日と同じような日が、これから先もずっと続くと信じていらっしゃるようだ。
日常が非日常と変わる瞬間はとても恐ろしく、とても不安で心が揺れた。だからその瞬間はたとえほんの少しでも先送りに。
「……はい」
私は殿下に嘘をつきました。これからはありません。でも、どうかお許しください。これが殿下に対してつく最後の嘘となりますから。
夕食は殿下とご一緒することになった。これが王宮での、いや殿下との最後の晩餐となる。
「そう言えば、実はわたくし求婚されまして」
食事は美味しく、殿下との会話が弾み、ついつい私はそんなことを口にしていた。
「はあ!? 誰に」
「セリアン様にです。もちろん冗談ですけれど、話の流れで」
殿下は眉をひそめる。
「当たり前だ」
それはもちろん当然のこと。王家に次ぐ公爵家のご令息と子爵家の娘では、王族と結婚するくらいありえないこと。うちに鉱物などの資源でもあれば別だけれど、ただ自然が豊富なだけの緩い田舎町だもの。
――ああ、いいえ。だけとは不毛の地を豊かにしてくださった先人に、ノエル・ブラックウェル様、改めノエル・ルーベンス様方に無礼だったわ。今、私が当たり前に受けている恩恵は、昔の人の努力によって作られたものだったのだから。
今回、王宮の任務に関わったことで今まで普通だと思っていたことを、何も考えていなかったことを気付かされたのは、とてもいい人生経験だったと思う。
「それにセリアンはマリアンジェラのことが好きだろう?」
殿下の意外な言葉に思考から戻って、目を見張る。
ご存知だったのか。
「ですが、公爵家同士の結婚はできないのではないでしょうか」
貴族二大勢力が手を組めば、王家に対する脅威になるのではないか。
「昔は確かに反逆を恐れて禁じていたが、今の時代にそれはない。望めばできるはずだ」
「そうなのですか」
けれどセリアン様はそんなご様子はなかった。考えもつかないようだった。マリアンジェラ様が王族に嫁ぐという一択のお考えしかお持ちではなかったように思う。
それにしても、殿下でさえセリアン様のお気持ちに気付いていると言うのに、肝心のマリアンジェラ様が気付いていらっしゃらないとは。恋愛事には疎いお方なのね。
「私でさえとはどういう意味だ?」
「あら。殿下は耳聡いお方ですね」
「君の心の声が大きいとも言うな」
「そうとも申しますね」
ほほほと笑顔で返す。
最後の晩餐は、最初に出会った頃のような掛け合いの会話で、関係が殿下とたくさんいる貴族の内のただの一人だった私へと戻される。……まあ、不敬な物言いにおいて、ただのとは言い過ぎかもしれない。
「どうした? 今日はやけに素直だな」
「お言葉ですが、殿下。わたくしは常に素直でございます」
「いや、そうだがしかし」
その時、食事の締めであるデザートが運ばれてきて、私は目を輝かせた。
ほろりと崩れる生地に、艶やかな果物がふんだんに載せられている。見目麗しいだけでなく、きっと味も最高なのだろう。
「とても美味しそう! 作り方を教えてくださらないかしら」
家でも食べられるよう、実家の料理長のルーサーさんに伝えたい。再現してもらいたい。そうすればこの日の、幸せだった殿下との日々に思いを馳せることができるはずだから。……なんて、未練がましいな。
「君が作るのか?」
「……あ。いいえ。ちょっと言ってみたかっただけです」
「何だそれ」
可笑しそうに笑う殿下に私は自嘲の笑みを返した。
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