つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

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第302話 お帰り

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 本日の学校生活は何の問題もなく終わりを迎えた。
 私にとって昨日は怒濤の時間であり、今日はまた元の生活を迎えることができた喜びの一日であっても、他の人にとっては毎日続く平凡な日々の中のたった一日のこと。
 私の一日が、他人の生活を侵害することはほとんどないのだろう。

 マリエル嬢に別れを告げ、私を待つ馬車に向かうと出迎えてくれたのはユリアとそしてジェラルドさんだ。いつもの顔ぶれなのに、非日常を経験した後ではとても感動を覚える。
 ジェラルドさんもそう思われていたのだろうか。私の姿を認めると、少しほっとした表情を浮かべられたように見えた。

 馬車の中も特別な会話が繰り広げられていたわけではないけれど、私は静かに喜びを感じていた。
 横に座るユリアも……そうかな。そうであってほしい。相変わらず無表情だけれど。

 時間は流れ、いつもの感覚で王宮が近付いてきたのが分かり、私は窓から外を眺めた。
 初めて王宮を訪れた時とは違う、侍女として王宮に入ることになった時とは違う、宮殿の荘厳さを感じる。昨日ここを去ったばかりなのに、ただ一日実家に戻っていただけなのに、どうしてこんなにも景色が違うのだろう。
 馬車がその歩みを止めるまで、私はずっと窓からの風景に見入っていた。


 ジェラルドさんと別れ、私たちは殿下のお隣の部屋、婚約者が住む予定の部屋へと歩みを進めた。
 慣れたはずの廊下なのに、息切れるほど歩いているわけではないのに、心臓の高まりが収まらない。

「ロザンヌ様」

 いつの間にか歩みすら止めていた私にユリアがそっと声をかけてきた。

「参りましょう」
「う、うん」

 ユリアに促されて部屋までやって来ると、側に立っていた護衛官様が目礼してくださったので礼を返す。
 本日は昨日とは違う護衛官様だったので良かったと思う。昨日出て、今日すぐに戻ってくるだなんて、まるで殿下とケンカしたうえでの家出みたいで気まずいから。

 ともかくも私たちは部屋の中へと足を踏み入れると、私物が固めて置かれているのが見えた。
 ひとまず荷物だけ運び入れて、私を迎えに来てくれたようだ。

「私は私物をまず片付けます。ロザンヌ様はごゆっくりと」
「え、あ、うん。ありがとう」

 ユリアは何のためらいもなく部屋の中を縦横無尽に忙しく歩き回るが、私はまだ夢心地で辺りを見回しながらゆっくりと眺める。
 当然ながら、昨日と出た時と何一つ変わりない様子だ。――いや。花瓶も何も載っていないテーブルの上で存在感を示すように、ぽつんと何かが置かれているのが目に入った。

 思わず手を伸ばして中を確かめる。

「あ。キャンディ」

 あの時、キャンディが欲しいと殿下におねだりをしたから。だから殿下は本気で探して買ってきてくれたのだろう。それなのに私は。
 あらためて自分がしたことの罪の重さに気付く。

「ロザンヌ様、こちらに来てください」

 寝室部屋から顔を覗かせたユリアに呼ばれてお菓子をテーブルに置き、クローゼット前で立つ彼女の側まで歩いて行く。その先で見たものに思わず大きく目を見開いた。

「っ! ……ドレス。綺麗、ね」
「はい」

 シャンパンゴールド色を基調とした光沢のあるドレスで、おそらく動くたびにより艶やかな質感を見せるのではないだろうか。胸元と肘から広がる袖先には金糸で精巧な刺繍がほどこされ、スカート部分はふんわりと幾重にもひだ飾りがされている。
 うるさいほどの華美さはなく、けれど技術と品質の高さを感じさせる。息を呑むほど美しく気品のあるドレスだ。

 以前、城下町の服飾店で殿下がドレスを贈ると言ってくださった時のものだろう。仕立て上がっていたのか。

「ロザンヌ嬢」

 不意に低い声をかけられてびくっとした。
 振り返った先にいたのはもちろん殿下だ。

「……殿下」

 気付けばユリアの姿も消えている。殿下の入室と共に身を控えたようだ。
 殿下はただ黙ったまま、熱い瞳で真っ直ぐ私を見つめてくるので、私も言葉を出せずにいる。もしかして私がこの部屋にいる光景に喜びを感じてくださっているのだろうか。

 けれどあまりにも見続けられるものだから、くすぐったさと熱っぽさとの居心地の悪さで私は殿下より先に視線を外してドレスへと移した。

「ド、ドレス、出来上がったのですね。とても、本当にとても素敵です」
「ああ」

 殿下は頷くと話しながら私の横に並ぶ。

「少し前に出来上がったのでロザンヌ嬢を試着に連れてきてほしいと言われていたが、今回の件の後処理でバタバタしていたからまだ店で保管してもらっていた。それでようやく昨日、とりあえず出来上がりを君に見せたいと思って仕事帰りに寄って持ち帰ったわけだが、戻ってきてみると」

 そこで話を切って私を見ると殿下は肩をすくめた。

「部屋はもぬけの殻。……びっくりした」
「も、申し訳――」
「いや。もういい。君がこの場にいてくれるだけで。もういいんだ」

 殿下はそう言うと、厚い胸に私を引き寄せて強く抱きしめる。

「お帰り、ロザンヌ」
「……はい、殿下。ただいま戻りました」

 私もまたこの夢をもう手放すまいと殿下の背に手を回した。
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