神様がくれた時間―余命半年のボクと記憶喪失のキミの話―

コハラ

文字の大きさ
39 / 61
6話

夫の本心が知りたい<1>――Side希美――

しおりを挟む
 四月の始め、私は駅の階段から転落して意識を失い、病院に運ばれた。
 目が覚めた時は、信じられない話なのだが、記憶喪失になっていた。
 私を担当してくれた恵比須様によく似た丸顔の脳神経外科医から話を聞いた時は信じられなかったが、私は夫、倉田涼介に関する記憶だけが抜け落ちていた。

 姉に頼んで持って来てもらったスマホに夫の写真はなく、もしかしたら夫婦仲はそんなによくないのかもしれないと感じた。

 正直、記憶のない夫と退院後、一緒に暮らすことに不安はあったが、その不安はいらないものだった。なぜなら、夫は自分の痕跡を全て消してマンションを出て行ったから。

 私は入院中も身の回りの世話をしてくれた姉の律子と一緒に退院後は江戸川区のマンションに帰った。
 異変に気づいたのは、寝室のウォークインクローゼットを見た時だった。半分スペースが空いているのが不自然だった。この違和感はなんだろうと考えていたら、メンズ物の服が一着も見当たらないことに気づいた。夫の服はどこにあるのだろうと思いながら、夫の部屋に入ると、部屋は空っぽだった。白い壁に家具が置かれていた形跡と、カーテンだけは残っていた。ただならぬ事態が起きている。そう直感し、姉に詰め寄った。

「ちょっと、これはどういうこと?」
「のんちゃん、落ち着いて」

 そう言い、姉はリビングのソファに私を座らせた。

「お姉ちゃんは知っていたの?」

 夫の荷物がなくなっていることに姉はあまり驚いていないようだった。
「あのね、のんちゃん、落ち着いて聞いて欲しいんだけど、実はのんちゃんと涼介くんは離婚協議中だったらしいの」

 退院早々、こんなにショッキングな事実を聞くことになるとは思わなかった。

「のんちゃんの生活が落ち着いたら伝えようと思っていたんだけど」

 姉は自分のバックから白い封筒を取り出し、こちらに渡した。中身は離婚届だった。夫の部分は記入済で、やや右上がりの字で【倉田涼介】と書かれた名前を見て、姉の言っていることは本当なんだと思った。

「離婚の原因は何? 性格の不一致とか?」

 右隣に座る姉が答えづらそうに眉を寄せてから「涼介くんの浮気」だと口にした。
 聞いた瞬間、記憶のない夫のことなのに、ショックで胸が押しつぶさそうになった。

「のんちゃん……」

 心配そうな視線を向ける姉の顔は涙で歪んで見えた。混乱した私は泣きじゃくり、その夜は姉がマンションに泊まってくれた。多分、一人だったら耐え切れなかっただろう。

 一晩泣いて、冷静になった私は、とにかく夫と話さなければと思った。しかし、私のスマホには夫の連絡先はなく、姉に聞いた番号に電話すると、使われていない番号だった。メッセージアプリのIDも消去されていて、夫と連絡を取る手段がなく、離婚届と一緒に入っていた弁護士の名刺に電話した。

 桐島という名の弁護士で、夫が江戸川区のマンションを慰謝料として私に差し出したことをその時、初めて知った。

『倉田涼介様は一刻も早い離婚を望んでおられます』

 電話越しにそう聞き、なんだか腹が立った。

「夫に会わせて下さい。でなければ離婚に応じられません」

 こんな訳のわからない状態でとても離婚する気にはなれなかった。
 マンションをやると言われても全く嬉しくない。倉田涼介はかなり身勝手な人なのだと思った。

 弁護士との電話の後は夫の写真を探した。どういう訳か私の学生時代のアルバム以外は残っていなかった。結婚式の写真さえもなく、夫が持ち去った気がした。

 その時初めて、夫が記憶喪失の私を利用している気がした。街中で夫とすれ違っても今の私は気づけない。その状態を夫は幸いに思い、私に会いたがらないのではないだろうか。きっとその方が浮気相手と新しい家庭を築くには都合がいいのだ。夫にとって私は邪魔者なんだ。そう思ったら夫に酷く嫌われている気がして、心底落ち込んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

愛のかたち

凛子
恋愛
プライドが邪魔をして素直になれない夫(白藤翔)。しかし夫の気持ちはちゃんと妻(彩華)に伝わっていた。そんな夫婦に訪れた突然の別れ。 ある人物の粋な計らいによって再会を果たした二人は…… 情けない男の不器用な愛。

10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました

専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。

秋月の鬼

凪子
キャラ文芸
時は昔。吉野の国の寒村に生まれ育った少女・常盤(ときわ)は、主都・白鴎(はくおう)を目指して旅立つ。領主秋月家では、当主である京次郎が正室を娶るため、国中の娘から身分を問わず花嫁候補を募っていた。 安曇城へたどりついた常盤は、美貌の花魁・夕霧や、高貴な姫君・容花、おきゃんな町娘・春日、おしとやかな令嬢・清子らと出会う。 境遇も立場もさまざまな彼女らは候補者として大部屋に集められ、その日から当主の嫁選びと称する試練が始まった。 ところが、その試練は死者が出るほど苛酷なものだった……。 常盤は試練を乗り越え、領主の正妻の座を掴みとれるのか?

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

自信家CEOは花嫁を略奪する

朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」 そのはずだったのに、 そう言ったはずなのに―― 私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。 それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ? だったら、なぜ? お願いだからもうかまわないで―― 松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。 だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。 璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。 そしてその期間が来てしまった。 半年後、親が決めた相手と結婚する。 退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

君の声を、もう一度

たまごころ
恋愛
東京で働く高瀬悠真は、ある春の日、出張先の海辺の町でかつての恋人・宮川結衣と再会する。 だが結衣は、悠真のことを覚えていなかった。 五年前の事故で過去の記憶を失った彼女と、再び「初めまして」から始まる関係。 忘れられた恋を、もう一度育てていく――そんな男女の再生の物語。 静かでまっすぐな愛が胸を打つ、記憶と時間の恋愛ドラマ。

処理中です...