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第三章 後宮の花たち
第十二話
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毒を盛られた日から数日後、やっと立ったり歩いたりといった日常動作がいつも通りに行えるようになった。
ずっと寝台で横になっていて、食事も寝台の上に座って摂っていたので、久しぶりに動くと身体がすっかり鈍っているのを感じる。
ご迷惑をかけてしまったファン様に謝罪をしに伺おうと思っていたけれど、この身体ではまだ難しそうだ。
今日のところは大人しくしていようと、茶の間で毒見が済まされたお茶を飲みながら、ゆったりと過ごす。
しかし手持ち無沙汰で……ファン様にお会いするのは難しいけれど、お手紙で快復の報告でもしようかと思っていた時、不意に声をかけられる。
「メイリン様。今、お時間よろしいでしょうか?」
久しぶりに聞く声……皇帝陛下以外の男性の声……イェン兄様だ。
「は、はい! 大丈夫です!」
突然のことに、ほぼ反射に近いかたちで慌てて返事をする。
慌てていたせいか、自分でも驚くほどに大きな声が出てしまっていた。
すると、わたくしの返事を聞いたイェン兄様が茶の間に入ってくる。
久しぶりに見たイェン兄様は相変わらず平凡な顔立ちに涼し気な目元をなさっているが、わたくしにはキラキラと光り輝いて見えた。
久しぶりにお会いすることもあってか、胸がドキドキと高鳴る。
そんなわたくしとは反対に、イェン兄様の所作は落ち着き払っている。
いつものように座っているわたくしの前で跪いて頭を下げると、イェン兄様がゆっくりと口を開く。
「メイリン様。此度は自分の警備が足りず、危険な目に合わせてしまい、申し訳ございませんでした」
毒殺未遂のことを仰っているらしく、イェン兄様の声からは彼から発せられた言葉と同じように、ご自分のことを責めるような感情が滲み出していた。
なのでわたくしは、できるだけ穏やかな微笑みを浮かべて言葉を返す。
「いえ、今回のことで、誰かを責めるつもりはありませんよ」
「寛大なお心、感謝いたします。しかし以後、メイリン様の口になさる物には、必ず毒見係をつけさせていただきます」
「そうさせてもらいます。ありがとうございます」
わたくしがそう言っても、イェン兄様が頭を上げることはない。
そこまでご自分を責めていらっしゃるのかと、どうすればわたくしは大丈夫なのだと伝わるだろうかと考えてみたところ、見ていただくのが一番だと思い至った。
「……どうか顔を上げてください」
わたくしは静かに、穏やかな声色で語りかける。
「いえ、今回の失態を思うと、メイリン様のお顔を見ることなど、自分にはできません」
イェン兄様からは淡々と、されど未だに自分を責めるような言葉が返ってくる。
わたくしはふぅ……と気合を入れるための息を吐いてから、少しだけ低い声色を意識して、さらに言葉を続ける。
「これは命令です。顔を上げなさい」
本当はイェン兄様に命令なんて無理強いはしたくないけれど、今回ばかりは致し方ない。
宦官として責任を感じている彼のためには、わたくしも妃として接するしかないのだから……。
致し方ないこととは思いながらも、少し胸に痛みを感じながら、イェン兄様の答えを待つ。
「……かしこまりました」
すると、イェン兄様は渋々といった様子で答え、ゆっくりと顔を上げる。
イェン兄様を見つめるわたくしと、イェン兄様の涼しげな瞳がぶつかる。
責任を感じているからこそのいたたまれなさからか、少しだけ眉根にシワが寄っているようにも見えるが、そんな表情すらもわたくしの胸を高鳴らせる。
けれど自分を律して、毅然とした表情で口を開く。
「……わたくしは、どんな風に見えていますか?」
わたくしの問いにも、イェン兄様は瞳を揺らすことなく、まっすぐにわたくしを見つめてくる。
なので、わたくしもまっすぐに見つめ返す。
「いつもとお変わりのない……メイリン様に見えます」
ここで美しいという言葉が出てこないところが、イェン兄様らしいなと少しだけ笑みがこぼれる。
その微笑みを残したまま、イェン兄様に語りかける。
「そう。わたくしはもういつも通りです。毒見などの対策はしてもらいますが、それ以外はいつも通りに戻りたいのです。だからあなたも、どうかそのようにしてください」
わたくしがそう告げると、イェン兄様はわたくしの顔を改めて見つめてから、もう一度頭を下げる。
「かしこまりました。メイリン様の御心のままに……」
なんとかイェン兄様を納得させることができて、ほっと胸を撫で下ろして、安堵のままに口を開く。
「ありがとうございます。それで、謝罪以外に何か用事があって来たのですか?」
わたくしがそう尋ねると、イェン兄様は先程は揺らさなかった瞳を少しだけ反らし、言いにくそうに話し始める。
「……メイリン様が快復されたと侍女から聞いたので、一目、快復されたメイリン様のお姿を確かめておきたいと思い、参りました」
その言葉に、わたくしは目を見開くことしかできなかった。
おそらくイェン兄様の言葉に恋情だとか愛情だとかいった他意はないのだろうけれども、わたくしのことを見たいと、会いたいと思ってくれていたことが嬉しかった。
宦官として、担当している妃の健康を確認しておきたいというだけかもしれない……でも……。
いつものわたくしを見ておきたいという言葉には、素直に喜んでもいいですよね?
頬が赤く染まっている気がして、それをイェン兄様に見せたくなくて……わたくしは袖を顔の下半分に持ってきて、それとなく顔を隠す。
そして、喜びの感情のままに言葉が口からこぼれる。
「……見た結果、どうでしたか?」
わたくしの問いに、イェン兄様は改めてわたくしの目をじっと見つめてから、頭を下げて答える。
「……お元気そうな姿を見られて、心より安心いたしました」
「そう、ですか……」
イェン兄様の表情はわからないし、わたくしの表情も隠していたから、きっと伝わらなかっただろう。
けれど、それでも良いと……それで良かったと思えた。
ずっと寝台で横になっていて、食事も寝台の上に座って摂っていたので、久しぶりに動くと身体がすっかり鈍っているのを感じる。
ご迷惑をかけてしまったファン様に謝罪をしに伺おうと思っていたけれど、この身体ではまだ難しそうだ。
今日のところは大人しくしていようと、茶の間で毒見が済まされたお茶を飲みながら、ゆったりと過ごす。
しかし手持ち無沙汰で……ファン様にお会いするのは難しいけれど、お手紙で快復の報告でもしようかと思っていた時、不意に声をかけられる。
「メイリン様。今、お時間よろしいでしょうか?」
久しぶりに聞く声……皇帝陛下以外の男性の声……イェン兄様だ。
「は、はい! 大丈夫です!」
突然のことに、ほぼ反射に近いかたちで慌てて返事をする。
慌てていたせいか、自分でも驚くほどに大きな声が出てしまっていた。
すると、わたくしの返事を聞いたイェン兄様が茶の間に入ってくる。
久しぶりに見たイェン兄様は相変わらず平凡な顔立ちに涼し気な目元をなさっているが、わたくしにはキラキラと光り輝いて見えた。
久しぶりにお会いすることもあってか、胸がドキドキと高鳴る。
そんなわたくしとは反対に、イェン兄様の所作は落ち着き払っている。
いつものように座っているわたくしの前で跪いて頭を下げると、イェン兄様がゆっくりと口を開く。
「メイリン様。此度は自分の警備が足りず、危険な目に合わせてしまい、申し訳ございませんでした」
毒殺未遂のことを仰っているらしく、イェン兄様の声からは彼から発せられた言葉と同じように、ご自分のことを責めるような感情が滲み出していた。
なのでわたくしは、できるだけ穏やかな微笑みを浮かべて言葉を返す。
「いえ、今回のことで、誰かを責めるつもりはありませんよ」
「寛大なお心、感謝いたします。しかし以後、メイリン様の口になさる物には、必ず毒見係をつけさせていただきます」
「そうさせてもらいます。ありがとうございます」
わたくしがそう言っても、イェン兄様が頭を上げることはない。
そこまでご自分を責めていらっしゃるのかと、どうすればわたくしは大丈夫なのだと伝わるだろうかと考えてみたところ、見ていただくのが一番だと思い至った。
「……どうか顔を上げてください」
わたくしは静かに、穏やかな声色で語りかける。
「いえ、今回の失態を思うと、メイリン様のお顔を見ることなど、自分にはできません」
イェン兄様からは淡々と、されど未だに自分を責めるような言葉が返ってくる。
わたくしはふぅ……と気合を入れるための息を吐いてから、少しだけ低い声色を意識して、さらに言葉を続ける。
「これは命令です。顔を上げなさい」
本当はイェン兄様に命令なんて無理強いはしたくないけれど、今回ばかりは致し方ない。
宦官として責任を感じている彼のためには、わたくしも妃として接するしかないのだから……。
致し方ないこととは思いながらも、少し胸に痛みを感じながら、イェン兄様の答えを待つ。
「……かしこまりました」
すると、イェン兄様は渋々といった様子で答え、ゆっくりと顔を上げる。
イェン兄様を見つめるわたくしと、イェン兄様の涼しげな瞳がぶつかる。
責任を感じているからこそのいたたまれなさからか、少しだけ眉根にシワが寄っているようにも見えるが、そんな表情すらもわたくしの胸を高鳴らせる。
けれど自分を律して、毅然とした表情で口を開く。
「……わたくしは、どんな風に見えていますか?」
わたくしの問いにも、イェン兄様は瞳を揺らすことなく、まっすぐにわたくしを見つめてくる。
なので、わたくしもまっすぐに見つめ返す。
「いつもとお変わりのない……メイリン様に見えます」
ここで美しいという言葉が出てこないところが、イェン兄様らしいなと少しだけ笑みがこぼれる。
その微笑みを残したまま、イェン兄様に語りかける。
「そう。わたくしはもういつも通りです。毒見などの対策はしてもらいますが、それ以外はいつも通りに戻りたいのです。だからあなたも、どうかそのようにしてください」
わたくしがそう告げると、イェン兄様はわたくしの顔を改めて見つめてから、もう一度頭を下げる。
「かしこまりました。メイリン様の御心のままに……」
なんとかイェン兄様を納得させることができて、ほっと胸を撫で下ろして、安堵のままに口を開く。
「ありがとうございます。それで、謝罪以外に何か用事があって来たのですか?」
わたくしがそう尋ねると、イェン兄様は先程は揺らさなかった瞳を少しだけ反らし、言いにくそうに話し始める。
「……メイリン様が快復されたと侍女から聞いたので、一目、快復されたメイリン様のお姿を確かめておきたいと思い、参りました」
その言葉に、わたくしは目を見開くことしかできなかった。
おそらくイェン兄様の言葉に恋情だとか愛情だとかいった他意はないのだろうけれども、わたくしのことを見たいと、会いたいと思ってくれていたことが嬉しかった。
宦官として、担当している妃の健康を確認しておきたいというだけかもしれない……でも……。
いつものわたくしを見ておきたいという言葉には、素直に喜んでもいいですよね?
頬が赤く染まっている気がして、それをイェン兄様に見せたくなくて……わたくしは袖を顔の下半分に持ってきて、それとなく顔を隠す。
そして、喜びの感情のままに言葉が口からこぼれる。
「……見た結果、どうでしたか?」
わたくしの問いに、イェン兄様は改めてわたくしの目をじっと見つめてから、頭を下げて答える。
「……お元気そうな姿を見られて、心より安心いたしました」
「そう、ですか……」
イェン兄様の表情はわからないし、わたくしの表情も隠していたから、きっと伝わらなかっただろう。
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