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7章
九回裏の世界記録
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とうとう九回の表まできた。
日本からきた小さな可愛いい女性選手が、一六五キロのボールを投げる。
華奢なからだから、稲妻のような速球が飛びだす。
しかも、それぞれの選手のウイークポイントを正確に突いてくる。
レッドソックスの選手たちは、完全にお手上げである。
ユキは、観客席にいるはずの秦をまた目で探した。
『いよいよこれから、パーフェクトゲームをやるよ。どこにいるんですか』
バックスタンドかと足を踏み変えてみた。
そこからは遠すぎ、観客の顔までは見えなかった。
パーフェクトとは、ヒットで塁上に人をださない、ホームランも打たれない、というゲームである。もちろん相手には一点も与えない。
『それから、わたしに声をかけてくれるだれかさん。野球で有名になれと言ったけど、この歓声を聞いてください。テレビやカメラの砲列を見てください。もうすっかり有名になりました』
大衆用のブリーチャーのベンチ席の連中が、またも裸でユニフォームを振り回しはじめた。外野席に並ぶほかの席の連中もユニフォームを脱ぐ。
ユキはもう一度視線を移動させ、正面の観客席に目をやった。
すると秦の代わりに、黒髪をオールバックにした白人の男性が正面で両手を踊らせていた。
ロバート・モレガンだ。今日は、試合開始から最後まで応援するつもりらしい。
世界のお金が激しく動いているというのに、こんなところで野球なんか見ていていいのか。
ユキはプレートを踏み、モーションを起こした。
バッターが腰を引いてかまえた。
ここで一発がでれば、自分が新聞の一面を飾る打者になると真剣だ。
地を這う一直線のストレート。
きた、とバッターはバットをだした。
ボールは、バットよりもわずかに速くすり抜けた。
アンパイアのストライクのコール。
いくら打ってもボールはバットと遭遇しない。
投球フォームとボールの独特の動きが、バッターの感覚を狂わせている。
それでもバットをだしさえすれば、いつかは当たる。
バッターは唇を噛み、バットに力をこめる。三球三振。
あと二人、あと二人──球場のあちこちから声が湧く。
通常、パーフェクトゲームのときは、敵も味方も、そして観客も黙り込んでしまう。
ピッチャーの集中力を妨げたくないからだ。
守備の選手は、おれのところにボールがくるなと祈る。
万が一、自分のところにきてエラーでもしたら、大記録が消えてしまう。
責任重大だ。
が、今日は違っていた。
突然、外野席からユキコールが湧きあがった。
「ユキ、ユキ、ユキ、ユキ、ヤンキース、ユキ、ユキ、ユキ、ユキ、パーフェクト」
『信じられません。165キロの速球でバッターを次々に仕留め、とうとう九回表、ワンナウトまできました。球数(たまかず)はわずか七五球です。ユキ投手、グラブの中でボールを握り、目を閉じました。パーフェクトを目前に、祈りを捧げています。見守りましょう』
テレビのアナウンサーが沈黙した。
ユキが目を閉じたのは、会話のような声が聞こえてきたからだ。
頭のてっぺんが、暖かくなってくる。
梅里雪山で秦と出遭ったときからあった症状だ。
また青い空が見えた。以前の続きか。
紋白蝶が羽ばたいている。
『もうすこしだ。疲れているだろうが、がんばってくれ』
『長老、ちょっと訊いてもいいですか』
おもいついたようにだれかが問う。
『娘と会って地球を救うそうですが、だれに救ってくれって頼まれたんですか?』
質問者の超粘菌はまだ若そうだ。
『それは地球自身に決まってるだろう』
横からだれかが口をだす。
『地球にもそんなことを考える意志とかってあるんですか?』
ほかのだれかも口をはさむ。
長老が答えた。
『地球には生き物がいっぱいいて、まるで生き物の固まりだ。生き物の固まりというのは、一体の動物と同じだ。地球上の生き物を支えているわれわれ微生物集団には通信網があり、言葉を使って会話ができ、一個の生物のように動く。みんなで協力しあって生きているのだ共存共栄だ。だから生命の危機を感じると、あらゆる生物やあちこちに住む微生物がパルスで連絡し合い、相談して結論をだす。ようするに地球は、微生物たちを中心にして協力し合う一体の生物だ。それが地球の意志だよ』
地球には幾度かにわたって生命の大量絶滅があり、その危機のすべてに超粘菌が関わっていた。
オルドビ末期、デポン末期、ベルム末期、三畳末期、白亜紀末期では海と陸に別れ、恐竜たちの絶滅を手伝った。
そのまま放っておけば、一部の生命の暴走が地球全体の危機につながったのだ。
そして、地球にふさわしい新たな生命の誕生をうながした。
いや、もう一件、地球生命の危機を阻止した最新の事件があった……あれは、と長老が考えたとき、青空に雲が湧きおこった。
雲はみるみる濃くなり、稲妻が閃きだした。
しかし、すぐに黒雲と稲妻が消え、霧や霞が凄いスピードで流れだした。
黒雲が割れ、突然、晴れ間がのぞいた。
空気は澄み、自然の香りでいっぱいだ。
山があった。岩肌の崖の斜面があり、麓には幾つもの洞窟が黒い口を開けていた。
オーストリアのネアンデルタール人の村である。
その洞窟の前の広場で、十歳くらいの混血の少女が石を投げていた。
背後に、首輪や腕輪を飾った大人が腕を組んで見守っていた。
少女の投げた小粒の石が、五十メートルほど離れた地面の木片を宙に弾いた。
「おー、おー」
「おー、おー」
叫び声が湧きおこった。
「おまえはもう一人前だ。語り部として育てたが、狩りの腕前も特別だし、頭もいいので、これからはボテフ山の部族の長として育てる」
男の足もとに座りこんでいた男女が、口々に、おう、おうと賛成の意をあらわした。
ホモ・サピエンスやネアンデルタール人、そして両者の混血の人々である。
その声が山の裾野に響く。
風が吹き、雨が降り、そして雪が降る。
森に春がきた。
森の路を一人の娘が歩いていた。
雪豹の毛皮を着、青玉の首飾りをつけている。
成長したネアンデルタール人とホモ・サピエンスの混血の娘だった。
2
「ユキ、どうした。お祈りはすんだのか?」
キャッチャーがのぞいていた。
四人の内野手も集っていた。
頭のてっぺんのすっと熱が引いた。ユキはうなずいた。
「最後だから、170キロだしてみるけど。いいですか?」
「170キロだって」
キャッチャーはマスクの中で目を見張り、ひゅうと小さく口笛を鳴らした。
内野手たちが、小柄なユキの背後でざわついた。
「どうせなら170キロタイではなく、171キロで世界記録をだしたらどうだ。スーパーパーフェクトゲームだ」
キャッチャーが、拳固でミットを叩いた。
「OK、171キロだそう」
ユキは右腕を肘で曲げ、て拳をにぎり、ガッツポーズをとった。
マウンドの五人が、急ぎ自分のポジションに戻った。
ユキがセットポジションに入った。
きれいなスウィングでボールが手から離れる。
ボールがバッターの頭上を越え、背後の防御ネットまで飛んだ。
170キロを出そうと思い、力みすぎたのだ。
しかし、バッターはそのボールを大きく空振りした。
なんでもいいから打つと決めていたのだ。
バックネットのスクリーンに、169キロという表示がでる。
スタジアムが、おおっとどよめく。
パーフェクトゲームの試合が見られそうだし、169キロのストレートも目撃できたのだ。
観客たちは、もう、わあわあ騒いでいる場合ではなかった。
マウンドのユキがふりかぶり、二球めが放たれた。
バッターはただそこに立っていた。
初めて体験する170キロのボールが、目の前を通過した。
ど真ん中のストライク。
「おおおー」
観客全員が息をとめ、固まった。
ユキがキャッチャーからボールを受ける。
すばやく次の投球のかまえに入る。
キャッチャーを目がけ、白い稲妻が奔る。ストライク。
『171キロ』
アンパイアが体操選手のジャンプのごとく跳びあがった。
バッターアウト。世界記録だ。
わああっと大歓声。
掲示板の『171キロ』がぴかぴか光った。
「ユキ、ユキ、ユキ、ユキ、ヤンキース、ユキ、ユキ、ユキ、ユキ、ヤンキース」
その応援に合わせるかのようにユキ自身が〖ニューヨーク、ニューヨーク〗という言葉を発しているようにも思えた。
からだがぽっぽっと熱くなる。
ユキのからだの中に住む膨大な数の微生物たちが活発に動きだし、応援を開始したかのようだった。
そんな現象がさっきから起こっていたような気がした。
「あと一人だあー」
「世界記録だあー」
だれかが大声で声援を送る。
どどどっと拍手。
その拍手がすっと消えた。
観客の咳がすぐ近くに聞こえた。
ユキが投球モーションに入った。
最後のバッターが複雑な面持ちで立っていた。
スコアは三対〇である。ユキの投球から考え、もう逆転はない。
ユキのボールが、目にも止まらぬ速さで通過した。
アンパイアが全身をわななかせ、片腕を突き上げた。
「スト、ライーク」
キャッチャーがボールに力をこめ、返球してくる。
返ったボールをグラブで受け、ユキはベルトの位置でセットする。
さあ次を、とキャッチャーが腰を引き、ミットを差しだす。
マスクの内側の二つの目が興奮し、ぴかぴか光る。
ユキは左足をあげ、モーションを起こした。
ミットを目掛け、ボールを放り込む。
スタジアムの全員が機械仕掛けの人形のように、いっせいにバックスクリーンに顔を向ける。一七二キロ。
一瞬の間をおき、どどっとまた拍手。
が、すぐに消える。世界記録とパーフェクトゲームだ。
スタジアムは張りつめた緊張感に包まれた。
「あと一球だあ」
たまらなくなったとばかりに、だれかが叫ぶ。
内野手も外野手も、定位置のポジションで身じろぎもしない。
満月の月の世界のように、球場は静寂に包まれた。
(7-1 了)
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