24 / 29
7章
フロリダからニューヨークへ
しおりを挟む1
BATARAの蝶は、ついにアメリカ合衆国に到達した。
長老以下、不眠不休だ。
強くなったり、弱くなったりしているパルス。
ターゲットの娘からだ。
急げ、急げと長老は心で念じる。
以心伝心、それが蝶のBATARAの仲間に伝わる。
蝶の前翅も後翅も、気がついたらぼろぼろだ。
翅の輪郭が裂け、羽ばたくたび、ばさばさ音をたてた。
二本の後脚が、いつのまにか一本欠けていた。
眼下の緑の平野に町が出現した。
その町のエリアが、まるで変形菌のように緑の半島を浸食している。
最前線の触手がするする伸び、緑の木々を消化しているように思えた。
不動産開発である。
街は海岸沿いに帯状に続いた。
どの家も、アンデスや中南米住民の掘っ立て小屋の比ではない。
ずっしりした赤茶の瓦や分厚い白い壁が太陽を浴び、誇らしく堂々と輝く。
「ここにはエネルギー使いたい放題の生活がある。アンデスのインディオがエネルギーを使うのは、拾ってきたヤクの糞を燃やすときだけだっていうのにな」
すると白亜の家の中から、ビヤ樽のような一人の男がでてきた。
男はたぷたぷ腹を揺らし、芝生の上を駆け、プールに飛びこんだ。
ついで三人の子供がでてくる。
いずれも丸々と太っている。
最後に水着姿の母親だ。
これ以上肥えることができないほどの巨大な腰と太腿。
150キロはありそうだ。
よろけるように歩き、水面に身を投げた。
「経済発展した国の人たちは、その他の国で毎年一千万人が、食べ物がなくて死んでいても気になんかしていない。一部の投資家や大企業経営者は、むしろ難民がぞろぞろでて、低賃金の労働者になって企業の利益を上げてくれればいいと願っている。そのような状況の中で、発展途上国の人たちや難民になった人々は、先進国の人々のような生活を求め、必死にがんばる。だけど、世界に住む七六億の人間が一日、四千キロカロリーの生活ができる可能性は永遠に……」
「なーい」
聞いていたBATARAの全員が、幼稚園児のように声をそろえた。
「いい生活を夢に見てがんばっている人々に、地球にはもうそんな余裕はないからあなた方は遠慮してください、なんてだれにも言えない。
地球は限界に近づいているといっても、それはあくまでも学問的なきれいごとの論理や格好の話題にしかすぎないとだれもが捉える。現にアメリカ中西部では、国土の半分近くをおおう大規模な旱魃が起こっているというのに、当事者の農場経営者以外、だれも気を揉んだりなんかしていない。だれが本気になってこの問題に取り組むのか」
珍しく、長老の声に憤懣がこもっていた。
「だれが取り組むんだ」
長老がくり返す。その目は、世界を睨むようにきびしい。
だが、答えはどこからも返ってこない。
全員で、うーんと呻くだけである。
BATARAの蝶は、それぞれがそれぞれの考えにとりつかれたように、沈黙のまま羽ばたいた。
『おーい。アメリカにようこそ』
突然、眼下の森林から呼び声が上がった。
超粘菌の仲間だった。
『前から話を聞いていたけど、ニューヨークにいくのか? なにしにいくんだ』
『呼ばれたんだ。ちょっとした用だな』
気分を変え、長老は軽く受け流した。
長老は数億年来の掟に従い、どこであろうともBATARAの一族を引き連れ、指定された場所にいく。
『アメリカの生活はどうだい? 旱魃はあるのか?』
アメリカの超粘菌に、BATARAの超粘菌の質問が飛ぶ。
『見てのとおり、ここは森林と湿地帯だ』
すると即座に違う場所からパルスが上った。
『いいや、大西洋側の東部も砂漠化する恐れがある。灌漑用の川の水が減っている』
川の水源は、山に降った雪や雨、高地に蓄えられた湖の水だ。
大きな山の頂に降った雪は、氷の層になって氷河になる。
この氷河が融けて流れ、大河の源になる。
しかし、アメリカ西部の三大水流であるロッキー山脈の積雪が年々少なくなっている。
これらの川の水は、流域の都市住民の生活用水や飲料水になっている。
この現象や問題は、アフリカや中国や中東や南米・中南米やロシア、ヨーロッパなど、世界中で同時進行中だ。
残念ながら水を失えば都市は機能を失い、文明は終わる。
水事情の悪化が穀物の収穫減退となり、人はいずこかに消える。
森林の破壊から水事情が悪化し、歴史上の都市国家は次々に消滅した。
文明を維持するために消化した自然資源が消え、あとに砂漠が残った。
「でもここはアメリカで、ノーベル賞受賞者がたくさんいる国だから、なんとかするんじゃないかな」
『だめだ。おれはワシントンDCに住む超粘菌だ。ワシントンDCの政治家たちはアメリカ国民のためではなく、自分たちの利益のために政治をやってる。こいつらが利益にもならない多くの普通の人々を救うと思うか。ノーベル受賞者は一部をのぞいて、みんな自分のための研究に忙しい』
『だけど、貧乏人ばかりになったら、だれも物を買わなくなる』
『消費者がいなくなる』
『経済が成り立たなくなる』
「みなさん。情報ありがとう。急ぐので、またな」
長老は礼を述べた。
そして大声で叫んだ。
「みんな、とにかく急ごう。もう外からのパルスは無視する。いいか、一直線にニューヨークだ。急げ、急げ」
2
星と月明りの下を、BATARAの蝶はけんめいに羽ばたいた。
無言の夜間飛行だ。
ワシントンDCを過ぎてしばらくすると、水平線が明るくなった。
「長老、夜明けです」
視覚神経係が報告してきた。
強烈な光線が蝶の横から射した。
あまりもの眩しさに、蝶ははばたきを乱した。
翅はぼろぼろで、後翅は三分の一が千切れていた。
所どころに、小さな裂けめや穴ができていた。
それでも、きしきし、ばさばさと音をたて、必死に羽ばたく。
眼下には家と緑の景色が途切れ途切れにつづく。
さらに何時間かを飛び続ける。
「ニューヨークまでどれくらいだ」
長老がまた翅部隊隊長に尋ねた。
「あと四時間もあれば着くと思います」
「長老、パルスです」
通信係が報告してきた。
〖ニューヨーク、ニューヨーク、ニューヨーク……〗
その相手は途切れながら、ずっと呼びかけていたような気がした。
どうやら今までの通信ではなく、ターゲットからの誘導発信のようだった。
「ニューヨークのどこにいけばいいんだ」
「問いかけには応じません。ただし、パルスの方向ははっきりしています」
通信係の報告だ。とにかく、パルスが飛んでくる方向にいけばいいのだ。
「みんな、もうすぐだ。がんばれ。ニューヨークは目の前だ」
長老は何度目かの激を飛ばした。
翅の超粘菌たちは歯を食いしばり、最後の力を振り絞った。
白い翅はいつの間にか、くすんだ薄茶色に変わっていた。
しかし眼下の街は明るい太陽を浴び、燦然と輝いていた。
ハイウエイには車が行き来し、港や河で船が波を蹴立てている。
その波がきらきら光った。
睡眠不足の超粘菌たちは、目をつぶって羽ばたいた。
たちまち睡魔が襲ってくる。
破れかぶれで、眠りながら羽ばたく者もでてくる。
一人が眠れば、居眠りが伝播する。
「なんだ、どうした?」
BATARAの蝶は羽ばたきながら、大きな円を描いていた。
翅部隊隊長は指を口にくわえ、ぴっぴーと指笛を鳴らした。
夢を見ながら頑張っていた超粘菌たちはぶるっと震え、目を開けた。
また必死に羽ばたく。
と、監視係が報告した。
「ニューヨークだ。ニューヨーク着きました。長老、ニューヨークです」
超粘菌たちは、いっぺんに目を覚ました。
「とうとう着いたぞ」
BATARAの超粘菌たちは、地上の景色に見とれた。
前方に、いままで眺めたこともないビル群が、凸凹になって陽を浴びていた。
〖ニューヨーク、ニューヨーク、ニューヨーク〗
「このまま、まっすぐ九十度の方向です」
「ようし、直進だ」
長老がすかさず指示をだす。
BATARAの蝶は、ぼろぼろの翅に力をこめ、羽ばたいた。
ニューヨーク湾の上空にきた。
湾の左側の岸辺の桟橋に、たくさんの大型貨物船が横腹を着けている。
その沖合には、自由の女神が沈黙の炎を燃やしている
。
「マンハッタンだ」
すべてがビルだった。
マンハッタン島の陸の上に、植林された森の木のようにビルが並んでいる。
ビルの重みで薄っぺらに見える島が、今にも沈みそうに見える。
「パルスの方向はこれでいいのか」
長老が通信係りに問う。
「はい。マンハッタン島を縦に突っ切っています」
島はすべて、きっちりとした縦横の道路で区切られている。
そこに巨大なビルが、ところせましと肩を寄せ合っている。
道路にはたくさんの車が走り、ビルとビルの間の通路には、どこから出現したのか、大勢の人間が動き廻っている。
ビル群を越え、セントラルパークの上空にさしかかった。
「ジャングルだ」
「緑の森だ」
「だめだ。降りないよ。目的地はここじゃない」
長老がストップをかける。
「湖もあるじゃないか」
翅の超粘菌たちは恨めしそうにつぶやき、セントラルパーク上空を通過する。
そこは湖ではなく、池である。
人々が三々五々陽を浴びてくつろいでいる。
「まだ先なのか」
「すぐこの先です」
レーダー係りが答える。
〖ニューヨーク、ニューヨーク、ニューヨーク〗
パルスだ。目的の相手からである。
「すぐこの先です、長老」
「よおし、いよいよだ」
長老の言葉がこわばる。
「直進、直進」
翅部隊隊長が声を張りあげる。
いよいよと聞いて、超粘菌たちは力を盛り返した。
羽ばたきが大きくなった。
はるか遠く、東南アジアのジャングルから、太平洋の海を島伝いに越えてきた。
アンデスの山脈沿いに北上し、カリブの海を渡り、とうとうアメリカの中心地までやってきたのだ。
〖ニューヨーク、ニューヨーク、ニューヨーク〗
「すぐそこだ」
「返答しろ」
『ニューヨーク、ニューヨーク、ニューヨーク』
BATARAの蝶も応答する。
川を斜めに横切った。
『わー、わー、わー』
人間の歓声が聞こえた。
BATARAの超粘菌たちは、身を乗りだすように前方をのぞきこんだ。
『わー、わー、わー』
声がどんどん大きくなった。
ついで、不思議な歓声が超粘菌たちの耳をとらえた。
「ユキ、ユキ、ユキ、ユキ、ヤンキース、ユキ、ユキ、ユキ、ユキ、パーフェクト」
パルスが斜め下からやってきた。
〖ニューヨーク、ニューヨーク、ニューヨーク〗
「すぐそこだ。全員、よーい」
長老は前頭葉の襞で立ち上がり、足を踏ん張った。
BATARAの紋白蝶は、声の響く建物の縁を超えた。
超粘菌たちがそこで見たものは、大勢の人間たちだった。
擂鉢状の建物の内部にびっしり並び、声をあげていた。
「ユキ、ユキ、ユキ、ユキ、ヤンキース、ユキ、ユキ、ユキ、ユキ、パーフェクト」
観客たちが見守る楕円形の建物の中央部、その広いグラウンドに数人の人間がちらばっていた。
〖ニューヨーク、ニューヨーク、ニューヨーク〗
「ユキ、ユキ、ユキ、ユキ、ヤンキース、ユキ、ユキ、ユキ、ユキ、パーフェクト」
長老は、はっきり見た。
そこに一人の娘が立っていた。
パルスがまっすぐ垂直に昇ってきていた。
娘の背に揺れるポニーテール。
パルスはその娘の頭のてっぺんからだ。
彼女のからだに住む微生物たちが、集団パワーを発揮し、通信を助けているのだ。
『そうだ、あのときの娘だ』
長老が低く叫んだ。
(7-2 了)
4871
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
異世界転生したおっさんが普通に生きる
カジキカジキ
ファンタジー
第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位
応援頂きありがとうございました!
異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界
主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる