色欲も時代には勝てないらしい

もにゃじろう

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 前回のデートから数週間経った今日。僕はお昼の休憩時間だというのにお弁当も食べず、一人デスクの前でスマホを見つめ固まっていた。

 その理由は、今朝届いたユイくんからのメッセージ。

 突拍子もないそのメッセージの内容に、僕は朝からずっと悩まされている。
 
「……うーん」
「どうしたんですか、怖い顔して」
「うわっ!」

 突然声をかけられて驚く僕に、ケタケタと笑い声を上げるのは田口さんだ。コンビニから帰ってきたらしく、手にはたくさんの商品を抱えている。
 
「ちょっと先輩、びっくりしすぎですよ」
「ご、ごめん。考え事しててさ」
「へぇー珍しい。お仕事の悩みですか?」

 田口さんは僕の隣の席に座り、買ってきたであろうお菓子の袋を開けると、首をこてんと傾ける。

「ううん。違うよ。普通にプライベート」
「え、プライベート!?何ですか先輩、まさか恋!?恋の悩み!?」
「ち、違うよ。ただ、ちょっと返信に困る連絡を貰っちゃって、どうしたらいいかなぁって考えてただけで」

 僕の答えに「なんだ」と少しつまらなさそうに答えた彼女は、開けた袋からお菓子を取り出して自分の口へと放り込む。

「それは一体どんな内容なんです?」
「あ、いや、まぁそんなに大した事はないんだけど……」

 そう言いながら、僕はもう一度ユイくんから送られてきたメッセージに目を向ける。

 
 ユイくん:『今日家行っていいですか?』
 ユイくん:『よければお仕事終わる時間連絡ください』

 
「…………」
「何してんですか先輩」

 メッセージを確認したあと、スマホをそっと伏せるようにして机に置く僕に、田口さんがすかさずツッコミを入れる。

「だって、本当どうしていいか分からなくて」
「まずそれは誰からの連絡なんですか?」
「誰?……うーん……誰なんだろうね?」
「は?誰か分かんない事とかあります?」
「なんて言うかこう、関係性を表す良い言葉が見つからなくて」

 そう言う僕に、田口さんは何かを考えるように目線を遠くへ飛ばす。

「それはつまり……友達以上恋人未満的なことですか?」
「いや、全然違う」
「えぇー?じゃあなんなんですか」
「そうだなぁ。どちらかと言えば、ご主人様と下僕みたいな……」

 僕の言葉を聞いた瞬間、田口さんはドン引きした顔で「えぇぇっ!?」と大きな声を出す。それがあまりにも大きなものだったから、フロアにいた数人から注目を浴びてしまう。

「ちょ、田口さん声大きいって」
「え、待ってください。それ先輩はどっちなんですか?」
「僕がご主人様なんて柄じゃないでしょ」
「確かに……でも、うそ、まさかの下僕!?」

 僕の忠告など完全無視で、田口さんは椅子から崩れ落ちるみたいな大袈裟なリアクションをする。目立つからやめてほしいのに……相変わらず元気な子だ。

「もう、田口さん何でそんなに楽しそうなの。僕真剣に悩んでるんだけど」
「すみません、先輩が面白くてつい」
「僕そんなに面白い事言った?」
「激強ワード言い放ってましたから。まぁとりあえずそれは置いておきましょう。それで、えーと、何でしたっけ?そのご主人様が変なこと言い出したんでしたっけ?」
「いや、変な事というか……僕の家に行きたいって言い出したんだよね」
「い、家……!!」
「でも、今までそんなこと言うような感じじゃなかったからさ、何で急にそんな事言うんだろうって」
 
 というか、そもそもこのメッセージは本当に僕宛の連絡で合っているのだろうか。とも思う。だってどう考えてもユイくんがこんな連絡を僕にしてくるとは思えない。ユイくんは僕の家なんて知らないのだから。行っていいも何も来られるはずがないのだ。

 だけど、もしこれが違う相手に送ろうとした内容だったとして、それをこちらから間違ってますよ、と言って良いのかも微妙だ。だってそれでそのあとギクシャクしたら困る。

 どうしよう。このまま僕が気付かなかったふりをして、ユイくんが送信を消してくれるのを待つか……?でもそれだとずっと気付かない可能性もあるし……。

「うー……」
「あの、先輩ひとつ聞いて良いですか?」
「なに?」
「先輩はそのご主人様が嫌いなんですか?」
「え?いや、嫌いではないけど」
「じゃあ何をそんなに悩んでるんです?普通に良いよじゃダメなんですか?」
「………………」

 言われてみれば確かにそうだ。だけどそんな簡単な問題じゃない。だって僕たちは恋人といえど、付かず離れず、ずっと一定の距離感を保っていた。そりゃ普通の恋人同士ならば、相手の家に行くくらい当たり前なのかもしれないけど、僕たちはそんな関係じゃないのだ。ユイくんが僕の家に来たところで、彼にとって何のメリットも無い。

「でも、僕たち本当、家に行きたいとか言う関係性じゃないからさ。これがもし違う相手に送ろうとしていた内容だったら?とか考えちゃうんだよね……」
「なるほど。何か見えてきましたよ先輩とご主人様の関係性。でも、例え違う人に送ろうとしていた内容だったとしても、その文章は先輩に届いた訳でしょ?ならそれが全てじゃないですか?」
「それは…………どういうこと?」

 田口さんの言っている事が理解できず、僕は頭にはてなマークを浮かべる。

「うーん、何というか……届いた内容に対して先輩が答えを相手に伝える。それって至極真っ当な流れですよね?」
「それは……うん」
「誰に対して送ったかなんて現段階では分かんないし、相手の考えてる事も分かんない。先輩は家に行きたいとかそんな関係性じゃないって言ってましたけど、それが真実とも限らない訳です。なら普通にイエスかノーか、それを答えるだけで良いと思うんですよね」
「…………」
「これは、あたしが先輩は自分勝手に人を傷つけるような人じゃないって分かってるからこそ言える事なんですけど、そういう時に何が一番大事かって、それは自分がどうしたいか、だと思うんですよ。未来なんて意外とどうにでもなっちゃうものですから」
「…………」
「それでギクシャクしちゃったなら、また打開策を考えれば良い。人の心なんて移ろいやすいですからね、先のことを深読みしすぎる意味なんて無いとあたしは思います。先輩がそのご主人様を好きなら尚更。どんな時でも、大切なのは相手をちゃんと大事にすることでしょ。それさえ伝わればそれで良いんですよ。むしろ伝わらないやり方じゃ意味がない」
「…………」
「まぁ、最近彼氏と別れたあたしが言っても、あんまり説得力ないですけどね」

 そう言って豪快にハハハっと大きく笑う田口さんは、すごく楽しそうだ。僕とは違いすぎる前向きな考え方に、ハッとさせられる。なんて強い女の子なんだろう。

「……じゃあさ、田口さんは未来って変わると思う?」

 思わず口から溢れた言葉に、僕は「あ」と思う。いきなり変なことを聞いてしまったかもしれない。だけど田口さんは特に気にする様子もなく「どうですかね?」と首を傾けながら顎に手を当てる。

「偶然か必然かなんて、たまごが先かニワトリが先かを考えるくらい難しくないですか?あたし、そんな哲学的な事さっぱり分かりません。というか、そんなこと考えるの面倒です」

 きっぱり、そうきっぱり言い切る田口さんは、やっぱり楽しそうに笑った。

 ……でも、そうか、そうだよね。ユイくんとどうなるかなんて、前世の記憶があっても分からない。だって智紀とだって今世は違う結果になったのだから。どうせならこの時間を最大限楽しみたい。

「ふふっ。でももしそのご主人様が変な事してきたら、そっこー連絡してくださいね。あたしが助けに行きますから」
「え?」
「あたし、こう見えて柔道黒帯なんですよ。そんじゃそこいらの奴には負けないです」

 柔道の形なのか手を前で構える田口さんに、僕は思わずふはっと吹き出す。彼女といるとどうしてこんなにも心が軽くなるのだろう。前世で彼女らしい人を見かけたことはないけれど、ひどく懐かしい感じがする。

「ありがとう。田口さんは……すごいね」
「えー?どこがですか」
「カッコ良すぎて惚れそうだよ」
「え!告白!?やだー!でもあたし、どうせ告白されるなら可愛いって言われたいです!」

 ニコニコと笑う田口さんに釣られて、僕も思わず笑みをこぼす。田口さんに相談ができて本当に良かった。


 

 田口さんの言葉で何だか勇気が湧いてきた僕が、ユイくんに仕事の終わる時間を伝えると、彼からはすぐに返事がきた。

 ユイくん:『では今日の夜お伺いしますね。できれば祐樹さんの手料理が食べたいです』

 ……良かった。宛先は僕で合ってたんだ。

 僕は朝より随分と軽くなったスマホで、ユイくんへの返信を入力しはじめた。

 



⭐︎

「……うまっ」
「ほんと?良かった」

 彼の言葉に、安心して体から力が抜けていく。奮発して良い食材を買った甲斐があった。一口、もう一口、という感じでどんどん肉じゃがを口に運ぶユイくんを、僕は安堵の眼差しで見つめる。


 僕の住むアパートで、ユイくんがご飯を食べている。

 にわかには信じられないその光景に、違和感を感じてしまうのは仕方がないことだと思う。だって、あのユイくんがこの可愛げもない1LDKにいるなんて、天変地異もいいところだ。少し前の僕なら「何が目的なんだろう……」と気が気じゃなかったと思う。だけど、今日の僕は田口さんの言葉のおかげで、そこまで卑屈にならずに済んでいる。本当彼女には感謝しかない。

「ごめん、ご飯にしては遅くなっちゃったよね。帰り時間は大丈夫そう?」
「そんな、謝らないでくださいよ。謝るのは僕の方です。仕事終わりで疲れてるだろうに、無茶言ってしまって」

 手に持っていた箸を揃えて置きながら、ユイくんが申し訳ないって顔をする。確かに今日も明日も仕事だから、あまり時間に余裕はない。けれどユイくんに会えるのであれば、そんなの大したことではないのだ。どうせ仕事と家を往復するだけの毎日なのだから。

「それは全然大丈夫だよ。僕はそんなに疲れてないし、料理だって毎日してることだし」
「それはそうかもしれないですけど」
「むしろ僕はユイくんに会えて嬉しい。だからそんな顔しないで」

 それよりユイくんの方が心配だ。彼には大学もバイトも、そして人気者だから人付き合いも沢山あるはず。きっと僕なんかよりも忙しいだろう。

 それにしても……。
 ご飯を食べるユイくんを見てふと思う。
 
「ユイくんはとても綺麗にご飯を食べるよね」

 今まで彼とは何度もご飯を食べてきているけれど、毎回綺麗だなと思う。箸の使い方もそうだし、口へと運ぶタイミングや、食べ終わるまでの時間。その全てに品を感じるのだ。

 そしてそれは食事以外でも当てはまる。

 歩く時の姿勢はモデルみたいに綺麗だし、彼の書く文字はまるで印刷されたフォントのように美しい。日本最難関の国立大学に一発合格していると聞いた時は本当にびっくりした。本人は別に凄いことでも珍しいことでもないと言っていたけれど、そんな筈がない。少なくとも僕の周りにそんな秀才は一人もいなかった。だから何となくだけど、ユイくんはいいところの家の子だったりするんじゃないかと思っている。

「そうですか?別に普通だと思いますけど」
「そんな事ないよ。僕が見てきた中ではダントツで綺麗。さっきからご飯中に喋る時は絶対に箸を置いてるし、その箸だってお茶碗の上に置いたりしてないし」

 僕の言葉に、ユイくんは「そんなことしてました?」と不思議そうな顔をする。なんと無意識のうちにしているらしい。一体どういう教育を受けたらそうなるのだろう。教養といい、仕草といい、今のユイくんとはアンバランス過ぎてよくわからない。

「まぁでも、確かにそういうのは煩い親でしたね。厳しいというか、硬いというか」
「へえ、そうなんだ」
「俺からすれば煩わしい事この上なかったですけど」
「そういうもんなんだね」

 僕の親はその逆で、子供の僕に全く関心がなかった。口を開けば仕事ばかりで、二人ともほとんど家にいなかったと思う。保育園のお迎えなんて何度忘れられた事だろう。その度に文句を言う先生を見て、子供ながらに申し訳ないなって思ったのを覚えている。どっちが良い、とかは無いけれど、その後の人生には大きく左右するなと改めて思う。

「それより、祐樹さんは明日も仕事ですよね?準備するものとかないんですか?」
「んー、特にないよ。シャツにアイロンかけるくらい」
「なら、ご飯が終わったらそっち優先してください。俺は食器を洗ったり片付けしたりしますから」
「え!いいよ!そんなの僕がするって!」

 しなくて良いと言っても、ユイくんはすると言って聞かない。どうやら急に来てしまったことをまだ反省しているらしい。最近気付いたのだけど、ユイくんはゆるっとしているようにみえて意外と固くて真面目だ。さっきの話しからするに、きっとご両親に似ているのだと思う。そんなことを言ったらきっと気分を悪くするだろうから言わないけど。

「じゃあ、食器洗いだけお願いしようかな」

 結局折れた僕がそう言えば、ユイくんは少しだけ嬉しそうに「はい」と笑う。その笑顔がなんだかいつもより自然に見えて、僕の口も釣られて緩んだ。
 


 
⭐︎
 
「ユイくんは明日学校……ってあれ?」

 僕がお言葉に甘えて明日のシャツにアイロンをかけて戻ってくると、さっきまでソファに座っていたはずのユイくんが、何故かソファの下のフローリングにダラリと寝転がっていた。あれ、寝てしまったのだろうか。にしても、何故そんな所で?不思議に思って声をかけてみるも、ユイくんから反応はない。

 ……何かおかしい。
 
 寝てしまったにしては聞こえてくる息遣いが荒いし、顔色もさっきより悪いように感じる。それになんだか小刻みに震えているような気もする。

 心配になって顔を覗き込んでみれば、やっぱり彼は苦しそうな表情で眉間に皺を寄せていた。ぎゅっと深く刻まれたその線が、その辛さを物語っている。「ちょっとごめんね」と彼のおでこにそうっと手を当ててみれば、体温計が無くても分かるくらいに熱い。先程まで普通だったのに、この短時間で急激に悪化してしまったのだろうか。

「く……そ……さみぃ」

 そう言いながら丸まって震える彼は、まるで小さな子供のようだ。とりあえず寒さを凌げるようにと、僕は寝室からありったけの布団を引っ張り出してくる。

「ユイくん大丈夫?まだ寒い?」

 寒くないようにとこんもり布団を乗っけてみたが、それでもまだ寒いらしい。ユイくんはガクガクと震えながら言葉にならないうわごとを繰り返している。

 これはダメだ。ちゃんと暖かい部屋で休んでもらわないと。本当は病院に行った方が良いのかもしれないけど、この状態では無理だ。そう思った僕は、寝室のエアコンをつけて、加湿器を焚き、湯たんぽを用意して、出来るだけ風邪が悪化しないような環境を作っていく。

 とは言っても、寂しい一人暮らしのこの家にはアイス枕もスポーツドリンクも、看病に必要なものは何もない。それらは後から調達するしかなさそうだ。

「ユイくん、歩ける?床じゃ寝心地悪いし寒いからベットで寝よう?」
「…………」
「ここよりあったかくて楽だよ」

 僕の言葉を布団にくるまって聞いていた彼は、辛くて動けないのか、目を閉じたまま「……んー」と唸り動こうとしない。何度か声をかけるのだが、やっぱりダメだ。ここは床だし寒いし、病人には絶対に良くないからできれば動いて欲しい。でもだからと言って僕にはユイくんを運べるほどの力はないし。

「ユイくんお願い。ちょっとだけ歩いて欲しいんだ」
「…………」
「ベットはすぐそこだから」
「…………べっと……?」
「うん」
「…………」

 声を掛け続けてしばらく経った頃、ようやくユイくんの瞼がうっすらと開く。そして、熱のせいでしっとりとした瞳が僕を捉える。

「あ、気付いた?」
「…………」
「できればベットまで歩いて欲し……」
「……クスは……むりだ」
「……うん?」
「だから、いまは……だけねぇ」
「…………」
「くそ……だる……い…」

 ユイくんから飛び出した言葉に、僕は思わず「あ……」と呟く。瞬間的に分かった。これは僕に向けられた言葉じゃない、と。その言葉が向けられた相手が誰なのかは分からない。もしかしたらさっきからずっと鳴っているユイくんのスマホと関係があるのかもしれない。

 さっきまでの前向きな気持ちが、一気に萎んでいくのが分かる。ユイくんとの未来がどうなるかなんて分からないと言ったけど、やっぱり分かる。どう考えても彼と幸せになるのは僕じゃない。田口さんに聞かなくたって僕は最初から知っているのだ。時代が変わってもずっと立ち止まったままの僕が、未来を変えるなんて出来ないと。

 はぁはぁと苦しそうにまた目を閉じてしまったユイくんに、僕は小さく「ごめんね」と謝る。

 一つ目は、こんな時に側にいるのが僕でごめん。二つ目は、僕じゃない誰かと幸せになる君の、大切な時間を無駄にさせてごめん。本当はずっと前から気付いている。金づるという立場であっても、僕が近くにいるべきではないことに。

 ダメだ、ここで感傷的になっている場合ではない。僕はとりあえず今はユイくんをベットに連れて行かなければならないのだから。

「……セックスはしないよ」
「…………」
「寝込みを襲ったりもしない」
「…………」
「だから安心して。ね?」
 
 なるべく優しい声色で、僕はユイくんに話しかける。すると僕の言葉が届いたのか、ユイくんは「……ん」と呟くと、やっとのろのろと上体を起こしはじめる。

「支えてるから、ゆっくりね」
「…………は……っ」

 辛いのかフラフラと今にも倒れそうな様子で歩くユイくんを、僕はできる限りサポートして寝室まで付き添う。幸いにもベットまでは数メートルの距離だ。

「こっち頭で、ここに横になって」
「………ん」
「中に湯たんぽ入れておいたから、さっきよりはだいぶあったかいと思うよ」
「…………」

 ベットに入るなり、また横向きに丸くくるまった彼の上に、僕は同じく毛布や布団をこんもりと被せていく。僕は医者じゃないから原因は分からないし、治してあげることもできない。薬だって勝手に飲ませるわけにはいかないから、出来ることなんてこれくらいしか無い。

「ユイくんはここで安静にしててね。僕は今からコンビニ行ってくるから」
「…………」
「何か欲しいものはある?」

 僕の問いかけにユイくんは何も答えない。返事なんてある訳ないのに。僕はそれを何故か寂しく思う。

 それから、朝方になるにつれユイくんの病状は少しずつ落ち着いていった。あんなに寒そうだったのに今では暑いのか、布団もペイッと捲っている。もう熱は上がりきったのかもしれない。首元に保冷剤をタオルで巻いたものを当てると、気持ちがいいのか少し穏やかな寝顔に変わる。その顔を見てホッとした僕は、ユイくんの眠るベットをあとにした。
 


 
「あ、起きた」

 ぼやっと、だけどしっかりと目を開いたユイくんは、状況が理解できないのか少し視線を彷徨わせる。

「…………っ?」
「昨日のこと覚えてる?ご飯食べた後、急に熱が出たみたいで、ユイくん寝込んじゃったの」
「…………」
「昨日よりは良くなったように見えるけど、どうかな?」

 僕の問いに、ユイくんは「大丈夫です……」と答える。どうやらピークは抜けたみたいだ。

「良かった。すごいうなされてたから心配したんだよ。まだまだ安静にしてないと」
「……なんか、すみません。看病させちゃいましたよね?」
「ううん。看病と言えるほどの事は何もしてないよ。ただ布団被せて湯たんぽ作っただけ」

 本当にそれ以外の事は何もしていない。僕に出来ることなんてそれくらいしかなかった。

「でもこれ祐樹さんのベットですよね?祐樹さんの寝る所がなかったんじゃ」
「それは全然大丈夫。あのソファ寝心地いいんだ」

 笑って答える僕に、ユイくんは凛々しい眉毛をちょっと下げる。熱のせいで覇気のないその顔が、なんだか子犬みたいで可愛い。

「ふふっ。本当に僕は大丈夫。あのソファで寝落ちすることだってよくあるし」
「……そうですか」
「うん。そんなことよりユイくんはちゃんと病院行かなきゃダメだよ。高熱だったし、悪い病気だと怖いから」
 
 そう言って僕は病院代の入った封筒を差し出す。

「…………」
「足りなかったらまた言ってね。って、あー、もうこんな時間か」

 テレビの左上に表示される時刻は、もう仕事に行く時間を指している。そろそろ家を出ないと間に合わない。

「ごめん。ユイくん。僕仕事に行かなきゃいけなくて。鍵渡しておくから、ユイくんはゆっくりしてから帰ってね。鍵はポストに入れてくれればいいから。もちろん辛くて動けそうになかったらこのまま居てくれて大丈夫だよ」
「……あ、はい」
「あと、一応お粥も作ってあるから食べられたら食べてね。スポーツドリンクとかゼリーとかも冷蔵庫にあるし。あ、もちろんいらなかったら食べなくていいからね」
「…………」
「着替えのシャツと下着は一応コンビニで新品買っておいたんだ。テーブルの上に置いてある。必要だったらシャワーも使ってね。バスタオルも脱衣場に置いてあるから」
「…………」
「あ、ごめん。急にいっぱい喋っちゃってビックリしたよね。えと、まぁ、そう言う事だから。とにかく安静にして、無理はしないようにね」

 僕は早口で言いたいことをバーっと伝えると、カバンを持って玄関へ急ぐ。

「じゃあ、いってきます」
「……いってらっしゃい」

 そうして別れた次の日の夜、今度は僕が高熱にうなされたけど、そのことはユイくんに秘密だ。
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