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6章 次代の華
2.その華は枯れず、永久に愛でられる(2)
しおりを挟む眠りについていたのだと思う。目が覚めると陽がのぼっていた。真っ暗な倉庫も陽が入りこんでかすかに明るい。
宮城や道中で健康的な生活を送ってしまったからか腹が減った。昔は空腹など慣れていたのに、宮城での生活は紅妍を変えてしまった。
(……戻りたい)
許されるのならば、あの時間に戻りたい。冬花宮に住み、秀礼らと共にいた時間に戻りたい。できないことを示すように、頬についた床は冷えている。
そこで、外が騒がしいことに気づいた。騒ぎに気づき、紅妍は耳を澄ませる。
「使者だ。大都の使者がやってきた」
里の男が騒いでいる。ばたばたと駆け回る音が聞こえたので、長や婆を呼びに行ったのだろう。
(なぜ大都からの使者が)
疑問に思うも確かめる術はない。
どうにかして縄を解けないかと考えていた時、扉が開いた。光が差し込み、その姿を映す。白嬢だ。頭にはあの簪を挿している。
「ねえ、聞いたかしら。大都から使者がくるらしいわよ」
白嬢は嫌味たっぷりにそう告げる。いちはやく使者の到着を聞いて支度していたのだろう。いつもより良い襦裙を着ている。
「きっと帝が妃を探しにきたのよ。ねえ、この簪、似合うかしら」
「……返して」
同じことしか繰り返さない紅妍に、白嬢は苛立って木箱を蹴り上げた。がた、と大きな音が響く。
「うるさいわねえ! とにかくあんたはそこにいなさい。今度はわたしが、大都の使者に会うのよ。今度はわたしを連れて行ってもらうの。たくさんの金子に簪、素敵な衣も与えられるのでしょう!」
どうやら白嬢は、里に戻ってきた紅妍の姿から大都がよいところであると思い込んでいるようだ。仮に彼女が大都に行ったところで、華仙の力が弱いため鬼霊を祓うことはできない。紅妍が大都に連れて行かれた理由を知らないので、都合のよい夢を抱いているのだ。
白嬢は紅妍を倉庫の奥へと引きずり、その後に出て行った。扉が閉まる。
紅妍は息をひそめて喧騒に耳を傾けていた。
しばらく経って、使者たちが里についたらしい。長と婆が出迎えている声がする。その後は屋敷の中に入ったのか声が聞こえなくなった。
陽が沈んでいく。昨日から食事を与えられていないので腹が減った。喉も渇いている。このまま夜になれば倉庫の中は冷えるだろう。
紅妍は膝を曲げて少しでも身を丸めようとし――外から声がした。
「どうして、わたしじゃだめなんです」
白嬢は何かを訴えているようで、その声は少しずつこちらに近づいてくる。
「お前ではだめだ。探している者がいる」
「里にそのような者はおりません。紅妍は死にました」
「ほう。では確認させてもらおう」
「この簪が証拠です。紅妍は死に、わたしがこの簪をもらったのです」
白嬢は慌てて何かを説明している。それよりも紅妍が気になったのは、白嬢と話す男の声だ。それは聞き覚えがある。いや、いま一番近くにいてほしい声。
(錯覚、かもしれない)
飢えがそう思わせているだけかもしれないと、期待しかけた心を鎮める。
しかしまだ騒ぎは続いていた。ついに倉庫の扉前に着いたのか、声がはっきりと聞こえてくる。
「お前にその簪は似合わぬな」
「な……紅妍が持つよりはわたしの方が相応しいのよ」
「どうであろう。ともかく、この扉を開けてもよいか」
白嬢だけでなく、長や婆もいるのだろう。扉を開けてはならないと口々に叫んでいる。
扉が揺れた。どうやら開けようとしているらしいが、扉は簡単に開かない。外で棒を差し込むなりしているのだろう。いつも倉庫にはそのようにして扉を閉めていた。
もう一度扉が揺れる。今度は外から誰かが叩いているらしい。数度強く叩いた後、男が言った。
「紅妍。そこにいるのだろう」
その声に、紅妍が顔をあげる。
(錯覚じゃない。秀礼様がいる!)
間違いない。その声は、聞き間違えることなどない。心が急いた。紅妍は床を張って扉の方へと近寄る。
「大切なものを見落とさぬようここへ来た。ここからお前を連れ去っても良いのなら、答えてくれ」
もう一度扉を叩く。
「私は、お前がいないと幸福を感じることができないようだ。お前もそうであるのなら、私の妃となる覚悟があるのなら、答えてくれ」
外は悲鳴があがっている。白嬢だ。おそらく秀礼にすがりついているのだろう。紅妍を妃にするぐらいならばわたしが、と泣き叫んでいるのがわかった。
紅妍は大きく息を吸いこむ。扉の先にいるだろう者に向けて、告げる。
「助けてください。わたしは、あなたのそばにいたいです」
感情が、秀礼への想いが、溢れていく。
扉一枚向こうの秀礼に会いたい。触れたい。その腕に抱きしめられたい。
その想いを込めて、もう一度叫んだ。
「わたしを、ここから連れ出してください!」
それはじゅうぶんに、彼の耳に届いたのだろう。
「わかった」
静かな声である。それが紅妍の鼓膜を揺らすと共に、倉庫全体が揺れた。床までもぐらぐらと揺れたような気がしたが、実際には秀礼が扉を蹴破っただけである。よほど力を込めていたらしい。破片は紅妍の近くまで飛んできた。
しかし扉の惨状など見向きもしなかった。陽が沈み、ゆっくりとのぼった月は低く、秀礼の背で薄い光を放っている。月を背負った彼はにたりと笑みを浮かべて、紅妍の元に駆け寄った。
「お前が出て行った後ひどく後悔してな。離れてこれほどに苦しむのならそばにおいた方がよいと考えたまでだ」
縄を解く。紅妍のひどい扱いを見た秀礼は苦笑し、髪についた埃を払う。
「戻ろう。私は、お前を手放せぬ」
「……はい」
「だから、これはお前のものだ。二度と奪われぬようにな」
秀礼はそう言って、紅妍の髪を撫でた。その感触を確かめた後、簪を挿す。白嬢に奪われていた百合の簪だ。秀礼が取り返してくれたのだろう。手元に戻ってきたことに喜び、目が潤んだ。
秀礼は弱った紅妍を軽々と抱き上げる。振り返り、里の者に告げた。
「華仙紅妍――いや華紅妍は私のものだ。この者を我の妃とする」
この男が髙の新たな象徴であることを、長や婆、白嬢たちは知っている。長年虐げてきた娘が、帝の妃として選ばれたのだ。白嬢を含む里の者たちは青ざめたり、頭を垂れたりと動揺している。
それを眺めながら秀礼はもう一度、紅妍を強く抱きしめる。紅妍もまた秀礼の胸元に顔を埋めて泣いていた。
華仙の里に住む不遇の娘。華仙術に秀でた仙女は再び華妃となった。
だが今度は飾りの妃ではない。その妃は愛でられ、後宮に咲き誇る華となる。
(了)
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本作の今後の展開につきましてはTwitterや個人ホームページなどでお知らせしてまいります。