不遇の花詠み仙女は後宮の華となる

松藤かるり

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6章 次代の華

2.その華は枯れず、永久に愛でられる(1)

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 これほど陰鬱とした場所だとは思っていなかった。ここに住んでいた頃はこの場所しか知らなかったのである。華やかな大都に宮城を知れば、この山の何と侘しいことか。
 道中はひとりだった。不安はあったが、大都を外れて様々な村や景色を覗くのは楽しかった。麓の村まで着いた時には、予定よりも日が経っていた。麓の村に長く滞在する理由もないので早々に山を登る。

(華仙の里はどうなっているだろう)

 季は少しずつ暑く傾き、山の木々は緑を濃くして陽を遮る。虫や獣たちも多いが山の中は慣れている。懐かしい道を辿っていった。


 そうして華仙の里に着けば、紅妍が想像するよりも大騒ぎとなった。ひとりが紅妍に気づけば、脱兎のごとく駆けだして屋敷の中に入る。しばらく外で待っていると長と婆が出てきた。

「……なぜ戻ってきた」

 紅妍の姿を見るなり、長は険しい顔をより鋭くさせる。屋敷の窓や庭からは、紅妍の姿を見るべく華仙の者たちが覗きこんでいる。

(華仙の里では、わたしが死んだ者と扱われていたのだろう)

 予想はついていた。紅妍は膝をつき、礼をする。

「大都での勤めを終え、戻ってまいりました」
「……戻らずとも処されればよかったものを」

 それは婆の呟きである。本音は易々と声に出て漏れている。
 長は紅妍の前に立ち、冷ややかに言った。

「お前には大都にある負の気がこびりついている――紅妍を捕らえよ」

 命じると共に屋敷にいた男たちがやってくる。抵抗した時のことを考え刀や弓を提げていたが、彼らが思っているよりも紅妍は抗わなかった。
 諦めていたのである。里に戻ると決めた時から、行く末に待っているのは死だと気づいていた。

 手と脚は縛り上げられ、そのまま暗い倉庫の中に転がされた。
 持ってきた荷物はすべて奪い取られ、長と婆はそれを倉庫の中で確かめる。路銀として与えられた金子を確かめていた婆は一驚の声をあげた。

「この子がこんなに金子を持っているなんて」
「身なりも随分とよくなっているからな。大都の邪気に当てられた生活をしていたのだろう。華仙の者と思えぬ、嘆かわしいことだ」

 婆と長が語りあっている。手足を縛り上げられている紅妍は身を起こすこともできず床に転がったままその会話を聞いていた。

「紅妍はどうする。里の者によからぬ影響を与えるかもしれないぞ」
「処した方がよい――いや、これほどに金子を稼いできているのだ。売った方がよいのやもしれぬな」

 長が提案する。それに婆も頷いているようだった。金子に目が眩んだのか声がうわずっている。

「よい案だ。この忌み痣を持つ凶児を見なくとも済む」
「そうとなれば手はずを整えよう。麓の村に人売りがいたはずだ。そこに声をかけよう」

 どうやら紅妍の処遇は決まったらしい。

(殺されるよりは、まだよいか)

 どこぞに売られてしまうのだろう。紅妍はため息をつく。
 そういえばこの山を登る頃から表情を欠いていた。笑おうとしてもうまくできない。山が持つ空気が紅妍の顔を凍らせてしまったかのように。

 手足に食い込む縄の痛みは耐えられる。心のうちに、宮城で知った様々な思いがある。藍玉や清益、妃たちとの出会い。そして秀礼とのこと。
 秀礼のことを思い出せば心が温かくなる。その記憶さえあれば、どのような辛い目にあっても生きていけるだろう。

(今頃は、何をしているのだろう)

 考えたところでこれほどに距離が離れてしまえば難しい。あの夜が最後だったと紅妍もわかっている。けれど、ふとした時に秀礼のことを考えてしまう。もう一度、彼の手に触れたいと叶わぬ願いを抱いてしまう。


 気づくと誰かが倉庫にやってきた。手燭を持っている。その灯りに照らされて見えるは懐かしき姿だった。

「……白嬢はくじょう
「あんた、相変わらず汚いのね」

 紅妍を見下ろし、白嬢は疎ましそうに言う。
 血をわけた姉であるが、白嬢は紅妍のことをそのように思っていないのだろう。床に転がされた紅妍に顔をしかめた後、遠くに置かれていた紅妍の荷に近寄る。
 金子などは婆が持って行ったはずだ。残るは文や簪しかないはず。何をするのかと目で追っていれば、荷の袋をかきわけながら白嬢が言う。

「大都に行ったんでしょう? 何かよいものを持っているのではなくて」

 紅妍の所持品は白嬢のものだと言わんばかりの行動である。そしてついに、百合の紋様が刻まれた簪を手に取った。

「まあ。なんて美しいの。珍しい白玉を使ってる」
「それは――!」
「どうしてこれをあんたが持っているのかしら。簪なんてつける必要がないでしょうに」

 紅妍は奥歯を噛みしめる。その簪だけはだめだ。それは秀礼からもらった大切なものである。

「それだけは取らないで」
「あら。どうしてあんたがわたしに命令できるのよ」
「お願いします。それだけは、どうか」

 しかし紅妍の懇願虚しく、白嬢はそれを気に入ったらしい。慣れた手つきで髪に挿す。

「あんたには勿体ないから、わたしが使ってあげる」
「だめ、それだけはだめ!」
「うるさいわね」

 黙らぬ紅妍に苛立ったらしい白嬢がこちらに寄る。そして抵抗できぬ紅妍の腹部を蹴り上げた。

「ぐ……」
「あんたに簪なんて似合わないわよ。忌み子のくせに」

 白嬢はその場に身を屈める。苦しそうに顔を歪めながら地を這う紅妍が面白かったようだ。わざわざ手燭を近づけて確認している。

「わたしね、大都に行きたいのよ。何でも新しい帝が即位されたんですって。若くて素敵な帝と噂になっているのよ」
「……っ」
「これから妃を集めるのでしょうね。ねえ紅妍、この簪美しいと思わない? きっとわたしによく似合う。これならわたしが大都に行っても、帝に見初められるに違いない。わたしは華仙一族で一番の美しさだって祖母様が言うぐらいだもの。わたしが大都に行っていれば、あんたよりもたくさんの金子を手に入れたことでしょうね。こうやって捨てられて、里に戻ってくることもなかった」

 紅妍は白嬢を見上げて睨む。姉にそのような態度をとったのはこれが初めてだった。
 それが気に入らなかったのだろう。白嬢は紅妍の髪を掴みあげた後、床に押しつける。

「汚い。本当に汚い。あんたなんて、さっさと売られてしまえばいい」
「……簪を返して」
「しつこいわねえ。ああ、さっさと殺さなかったのかしら。売って金子にするよりも、早く殺してしまえばよいのに」

 手が動くのなら、簪へと伸ばしている。けれどそれができない。
 去って行く白嬢の背を忌々しく見つめる。紅妍はもう一度叫んだが、白嬢は振り返らず、そして扉が閉まった。
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