婚約破棄された悪役令嬢ですが、なぜか変人侯爵に溺愛されてます

春夜夢

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第二部「風薫る港町と、新たな胎動」

第5話:黒き誘いと、守るべきもの

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夜明け前。
 私は、アレクシスの腕の中で目を覚ました。

 彼の胸に耳を当てると、静かで安定した鼓動が響いてくる。
 どれほど恐ろしい脅迫に晒されても、この人が傍にいる限り、私は恐れない。
 そう思いたかった。

 けれど――現実は、それほど優しくはなかった。

* * *

 昼下がり。
 宿の前に、見知らぬ一台の馬車が止まった。

 門番に導かれ、控えめな身なりの使者が現れる。
 黒の外套に、銀の飾り。
 そして、胸元に――かすかに覗く“V”の紋章。

 「ヴァルトリウス家の者だな」

 アレクシスが先に口を開いた。

 「……はい。我が主より“祝福の言葉”を預かっております。おふたりの“ご懐妊”を心より喜び申し上げます、と」

 私は、それがまったく喜びの意を込めていないと、瞬時に理解した。

 「“祝福”とはずいぶん回りくどい脅迫ですわね」

 使者は口角だけを持ち上げた。

 「いえ、我々はただ“提案”に参りました。レイナ様のお腹に宿るその子が、“正統なる血脈”として、王政の未来を支えるに足る存在であるならば――」

 「何を言いたい?」

 「“王家”に継がせましょう。我がヴァルトリウス家が、その後ろ盾となります」

 私は、思わず一歩下がった。

 「……つまり、あなた方はこの子を“国の道具”として差し出せと?」

 「違います。ただ、より良い未来のために、“相応しい舞台”へ導こうとしているだけです。レイナ様、あなたはご自身が何者であるか、重々承知の上でしょう?」

 「……私が“アルセリナ家の娘”であり、王政を支えてきた血を継いでいること。ええ、それは理解しています」

 「そして、その血は“ブレナードの失敗”の後、王家に近い唯一の女系血統となる」

 言い終わるや否や、アレクシスの手が剣の柄に添えられた。

 「これ以上、妻と我が子を“政治の石”にする発言をすれば――その場で斬る」

 その気迫に、使者はほんのわずか眉を上げただけで、動じなかった。

 「ご安心ください。私たちは“交渉”を望んでいるのです」

 アレクシスは睨みつけたまま問う。

 「その“交渉”に応じなければ、何が起こる?」

 「港町における支援物資の流通が滞ります。診療所にも、食糧庫にも。そして……一部の者たちは“侯爵夫妻の妊娠”に疑念を抱き始めております」

 私は息を呑んだ。

 この町の流通を抑える。情報を操る。そして、“命”に干渉する。

 「……あなたたちは、命の始まりを“政治”に利用することを、何とも思わないの?」

 「“未来”とは、そうして築かれるものです」

 その言葉が、何よりも恐ろしく思えた。

 「それがあなた方の“正義”だというのなら――」

 アレクシスが、静かに剣を抜いた。

 「我が剣は、その正義を斬り伏せる。二度とこの屋敷の敷居をまたぐな」

 使者は軽く頭を下げると、何事もなかったかのように馬車へ戻っていった。

* * *

 その夜。

 私は、アレクシスの膝に頭を預けながら、静かに言った。

 「……ごめんなさい。私が“この血”を持っていたばかりに」

 「違う。君の血は、誰かのために剣を振るった記憶。尊さだ。……その価値を踏みにじる連中こそが、間違っている」

 「でも、この子に同じ重荷を背負わせたくはありません」

 「だからこそ、守る。君が命をくれたこの子を――命を懸けてでも」

 その言葉に、私は初めて、涙をこぼした。

 守りたい。
 この命を。この未来を。
 そして、何よりも――アレクシスとともに、選ぶ生き方を。

* * *

 翌日。
 町の港で、ひとりの男が逮捕された。

 罪状は、商人の荷を盗んだこと――だが、その背には“V”の紋章が彫られていた。

 戦いの火種は、確実に町に広がりつつある。

 それでも、私は剣を持たず、“意志”で向き合う。

 ――この命が生まれるその日まで、
 私は「レイナ」という、ひとりの母であり続ける。
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