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初夏の匂いが混ざり始めた、5月の朝。
通い慣れた駅の階段で、俺はまた蓮の背中を見送っていた。
あの日と同じように手を振る。
でも、ほんの少しだけ──その背中が遠く感じた。
大学生活が始まって1か月。
蓮の話す内容は、知らない名前と場所ばかりだ。
「サークル」「ゼミ」「友達」
俺が知らない世界が、あいつの中にどんどん増えていく。
「……当たり前、なんだけどな」
小さく呟いて、スマホをポケットに押し込んだ。
俺もバイトで新しい生活を始めた。
楽しいこともある。
けど、蓮の話を聞くたび、胸の奥がざらざらと波立つ。
その日の夜。
バイトを終えてロッカーに戻ると、同期の女の子・葵が声をかけてきた。
「今日、忙しかったね~!」
「ああ、まあな」
「でも、匠くん手際いいから助かるよ。私、レジでパニクってた」
「はは……そんなことねぇだろ」
他愛もない会話。
でも最近、こういうやりとりが自然になってきた。
悪い気はしない。
でも同時に、胸の奥がチクリと痛んだ。
“……俺、こうして蓮以外の誰かと、笑ってるんだな”
家に帰ると、スマホに蓮からメッセージが入っていた。
『ごめん!今日遅くなる!友達と飲み会!』
『楽しんでこい』
一拍おいて返信する。
指先が少し重かった。
本当は、少し話したかった。
でも、それを口にする勇気がなかった。
その数日後。
蓮と会うのは1週間ぶりになっていた。
駅前のカフェ。
相変わらず、あいつは明るい顔でやってきた。
「ごめん! 最近なかなか会えなくて」
「……忙しいんだろ」
「うん、でも会えてよかった!」
蓮の笑顔は、いつもと同じ。
でも、俺の胸の奥は、少しだけモヤモヤしていた。
「この前さ、サークルで初めてボウリング行ったんだよ」
「へぇ」
「それでね、○○ってやつがめっちゃ上手くて──」
会話の中に、知らない名前がいくつも出てくる。
そのたびに、心の奥で小さな石が積み上がっていく感じがした。
俺は黙ってコーヒーを口に運んだ。
それが苦いのか、自分の気持ちが苦いのか、もうわからない。
「匠、どうしたの?」
蓮が不安そうに顔を覗き込んでくる。
ああ、その目がいちばんずるい。
何も言えなくなる。
「……別に」
「ウソ。絶対なんかある」
「ないって」
本当はある。
けど、口にしたら、情けない自分が顔を出してしまいそうで。
蓮は少し黙ってから、小さな声で言った。
「俺……匠が、なんか遠いって思った」
その言葉が、鋭く刺さった。
“お前が言うなよ”って言いかけたけど、飲み込んだ。
だって、それは俺が一番感じていたことだったから。
「……お前が、遠いんだよ」
気づいたら、ぽろっと本音が漏れていた。
蓮が驚いた顔をする。
やべ、言っちまった……。
「……忙しそうにして。知らねぇ名前ばっか出して。
……なんかさ、俺、ただの過去になってんのかなって」
静まり返るカフェの一角。
いつもと違う空気が、二人の間に漂った。
蓮は俯いて、ゆっくり息を吐いた。
「ごめん。そんなつもりじゃないんだ」
「分かってるよ。分かってるけど……勝手に、モヤるんだよ」
「俺だって、同じだよ」
その言葉に、俺は少し目を上げた。
「俺だって、匠がバイト先でどんな顔してるか知らない。
どんな人と笑ってるのかも知らない。
……たぶん、俺も同じようにモヤってる」
胸の奥に、少し熱いものがじわっと広がった。
俺だけじゃなかったんだ。
こいつも、同じように不安で、苦しくて──
「バカだな、お互い」
「ほんと、バカだ」
蓮が笑って、俺もつられて笑った。
その笑顔が、少し痛くて、でもあたたかかった。
帰り道。
夜風が少し冷たい。
駅前の信号待ちで、蓮が俺の手をそっと握った。
「なあ、匠」
「ん?」
「俺、離れたくないから」
「……当たり前だろ」
きつく握り返す。
何も派手なことはない。
でも、その手のぬくもりが、何よりの答えだった。
通い慣れた駅の階段で、俺はまた蓮の背中を見送っていた。
あの日と同じように手を振る。
でも、ほんの少しだけ──その背中が遠く感じた。
大学生活が始まって1か月。
蓮の話す内容は、知らない名前と場所ばかりだ。
「サークル」「ゼミ」「友達」
俺が知らない世界が、あいつの中にどんどん増えていく。
「……当たり前、なんだけどな」
小さく呟いて、スマホをポケットに押し込んだ。
俺もバイトで新しい生活を始めた。
楽しいこともある。
けど、蓮の話を聞くたび、胸の奥がざらざらと波立つ。
その日の夜。
バイトを終えてロッカーに戻ると、同期の女の子・葵が声をかけてきた。
「今日、忙しかったね~!」
「ああ、まあな」
「でも、匠くん手際いいから助かるよ。私、レジでパニクってた」
「はは……そんなことねぇだろ」
他愛もない会話。
でも最近、こういうやりとりが自然になってきた。
悪い気はしない。
でも同時に、胸の奥がチクリと痛んだ。
“……俺、こうして蓮以外の誰かと、笑ってるんだな”
家に帰ると、スマホに蓮からメッセージが入っていた。
『ごめん!今日遅くなる!友達と飲み会!』
『楽しんでこい』
一拍おいて返信する。
指先が少し重かった。
本当は、少し話したかった。
でも、それを口にする勇気がなかった。
その数日後。
蓮と会うのは1週間ぶりになっていた。
駅前のカフェ。
相変わらず、あいつは明るい顔でやってきた。
「ごめん! 最近なかなか会えなくて」
「……忙しいんだろ」
「うん、でも会えてよかった!」
蓮の笑顔は、いつもと同じ。
でも、俺の胸の奥は、少しだけモヤモヤしていた。
「この前さ、サークルで初めてボウリング行ったんだよ」
「へぇ」
「それでね、○○ってやつがめっちゃ上手くて──」
会話の中に、知らない名前がいくつも出てくる。
そのたびに、心の奥で小さな石が積み上がっていく感じがした。
俺は黙ってコーヒーを口に運んだ。
それが苦いのか、自分の気持ちが苦いのか、もうわからない。
「匠、どうしたの?」
蓮が不安そうに顔を覗き込んでくる。
ああ、その目がいちばんずるい。
何も言えなくなる。
「……別に」
「ウソ。絶対なんかある」
「ないって」
本当はある。
けど、口にしたら、情けない自分が顔を出してしまいそうで。
蓮は少し黙ってから、小さな声で言った。
「俺……匠が、なんか遠いって思った」
その言葉が、鋭く刺さった。
“お前が言うなよ”って言いかけたけど、飲み込んだ。
だって、それは俺が一番感じていたことだったから。
「……お前が、遠いんだよ」
気づいたら、ぽろっと本音が漏れていた。
蓮が驚いた顔をする。
やべ、言っちまった……。
「……忙しそうにして。知らねぇ名前ばっか出して。
……なんかさ、俺、ただの過去になってんのかなって」
静まり返るカフェの一角。
いつもと違う空気が、二人の間に漂った。
蓮は俯いて、ゆっくり息を吐いた。
「ごめん。そんなつもりじゃないんだ」
「分かってるよ。分かってるけど……勝手に、モヤるんだよ」
「俺だって、同じだよ」
その言葉に、俺は少し目を上げた。
「俺だって、匠がバイト先でどんな顔してるか知らない。
どんな人と笑ってるのかも知らない。
……たぶん、俺も同じようにモヤってる」
胸の奥に、少し熱いものがじわっと広がった。
俺だけじゃなかったんだ。
こいつも、同じように不安で、苦しくて──
「バカだな、お互い」
「ほんと、バカだ」
蓮が笑って、俺もつられて笑った。
その笑顔が、少し痛くて、でもあたたかかった。
帰り道。
夜風が少し冷たい。
駅前の信号待ちで、蓮が俺の手をそっと握った。
「なあ、匠」
「ん?」
「俺、離れたくないから」
「……当たり前だろ」
きつく握り返す。
何も派手なことはない。
でも、その手のぬくもりが、何よりの答えだった。
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