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第二部三章 始末
処罰と懇願
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苗木城で繰り広げられた戦いは、唐突に収束へと向かった。
それまで城の実権を握っていた琴が本丸御殿で拘束された後、彼女によって自室に押し籠められていたところを解放された城主・遠山直廉が、直ちに武田軍へ恭順する意思を示したからだ。
直廉の命によって、二の丸の大門は開け放たれ、武藤昌幸率いる武田軍が城内に立ち入る。
もちろん、琴に同調していた親織田派の者は、何とか武田軍の入城を妨げんと抵抗しようとしたが、彼らは武田軍と直廉の指示を受けた苗木城兵らによって速やかに排除されたのだった――。
「ご苦労だったな!」
武田奇襲隊の将・武藤喜兵衛昌幸は、本丸御殿の一室に足を踏み入れるや、部屋の下座に控えた侍女姿の男に向かって、満面の笑みを浮かべながら声をかけた。
「つや様の護衛に加え、三の丸門の開錠まで……お前以外には到底頼めぬ任務だった。流石であったな、佐助!」
「……ふん」
侍女姿の男――武田信繁に仕える乱破・“猿飛”の佐助は、昌幸の絶賛の言葉を受けても、表情ひとつ変えぬまま、頭を振って淡々と答える。
「確かに、オレ以外の乱破では、荷が勝ちすぎてしくじってしまったかもしれんな。オレが居て良かったな、源五郎よ」
「お前な……少しは謙遜するところだぞ、そこは」
佐助の傲岸不遜な物言いに、昌幸は呆れ声を上げた。
……と、彼はまじまじと佐助の姿を見返すと、口元を押さえて吹き出す。
「ふふ……なかなかどうして、女子の姿も似合っているではないか。もう長い付き合いだが、お前にそっち方面の才があるとは、初めて知ったぞ」
「……うるさい」
昌幸のからかい混じりの言葉に、佐助は落ちかけの白粉と返り血で汚れたままの顔を苦々しげに顰めた。
と、
「……武藤様、あまり佐助殿の事をおからかいにならないで下さいませ。佐助殿が居なければ、私の身は到底無事では済まなかったのですから」
「あ……これは失敬仕りました」
佐助の事を庇う女の声に、昌幸は慌てて表情を引き締める。
そして、その場に腰を下ろすと、両手を床について深々と頭を下げた。
「――ご無事で何よりでございます、つや様。御自身を危地に晒す事も厭わず、我々に御助力頂きまして、誠に有難う御座いました。拙者――武藤喜兵衛昌幸、主である武田典厩信繁に代わり、深く感謝申し上げます」
「いえ……」
つやは、流石に憔悴を隠せぬ顔で、小さく首を横に振る。
「此度の事は、武田家だけでなく、我ら遠山家の人間にとっても、将来を左右する重要な岐路でありました。本来は、武田様の御手を煩わせる前に、遠山家内部だけで処理せねばならぬ事だったのです。――ですから、武藤殿や武田様から咎められはすれども、感謝して頂く事ではありませぬ」
そう言うと、つやは姿勢を正し、昌幸に向かって深々と頭を下げた。
「ですが――此度の件に関して、勘太郎殿をはじめとした苗木遠山の者たちには寛大なご処置を賜りたく……何卒お願い申し上げます」
「……相分かっております」
つやの懇願を聞いた昌幸は、畏まった表情を浮かべたまま、低い声で答える。
「最終的な判断は、大将である典厩様の御心に委ねる事となりますゆえ、拙者の口からは何とも申せませぬが……」
そう前置きした昌幸は、ちらりと佐助の顔を見た。
そして、彼が小さく頷いたのを確認してから、言葉を継ぐ。
「先ほどお会いした遠山勘太郎様からお伺いした話と、諸々の状況から鑑みるに、此度の謀は、勘太郎様の奥方の独断によるものである事は間違い御座らぬ。――であれば、勘太郎様やご息女が此度の責を問われるような事は無いかと……」
「そうですか……」
昌幸の言葉を聞いて、つやは安堵の表情を浮かべた。
――だが、すぐにその表情を曇らせ、おずおずと問いを重ねる。
「では――琴殿は……?」
「……そちらも、典厩様の御裁断次第かと思われますが――」
つやの問いかけに、昌幸は少し困った顔をしながら、言いにくそうに答えた。
「まあ、奥方の実家が実家ですから、死罪には出来ぬとは存じますが、拙者では何とも……。ただ、さすがに咎無しとはいかぬかと……」
「……左様ですか」
昌幸の答えに、つやは沈痛な表情を浮かべると、もう一度深く首を垂れた。
「……図々しい願いだという事は百も承知で、それでも伏してお願い申し上げます。――何卒、琴殿にも寛大な御沙汰を賜りますよう、武藤様から武田左馬助様に御口添えを頂きたく……」
「それは……」
深々と平伏したつやを前に、昌幸が困惑した様子で言葉に迷う。
顔を上げたつやは、そんな彼の顔を真っ直ぐに見つめながら、凛とした声で話し始めた。
「琴殿は……嫁ぎ先である遠山家よりも、実家である織田家を優先して、此度の事を企てました。――もちろん、その事は、武田家にとって決して赦されるもので無い事は重々承知しておりますが……そこを曲げてご寛恕頂きたく……」
「……」
瞳を潤ませたつやの言葉に、昌幸は当惑した様子で、傍らに座る佐助の顔を再び一瞥する。
だが、佐助は表情を変えぬまま、つと顔を背けた。
そんな彼の横顔を恨めしげに睨んだ後、昌幸は小さく溜息を吐きながら、しぶしぶ頷く。
「……相分かり申した。その旨、拙者からも典厩様に献言いたしましょう。――ですが、あまりご期待はなさいませぬよう……」
「かたじけのうございます」
昌幸の言葉に、つやはもう一度深々と頭を下げた。
そんな彼女に、佐助が訝しげに尋ねる。
「……あのような仕打ちを受けた相手の助命を乞うとは……随分と奇特な事だな」
「そうですね……」
佐助の声を聞いたつやは、苦笑を浮かべながら頷き、それから「……ですが」と、少し寂しげな声で続けた。
「それでも琴殿は……私の姪ですから」
それまで城の実権を握っていた琴が本丸御殿で拘束された後、彼女によって自室に押し籠められていたところを解放された城主・遠山直廉が、直ちに武田軍へ恭順する意思を示したからだ。
直廉の命によって、二の丸の大門は開け放たれ、武藤昌幸率いる武田軍が城内に立ち入る。
もちろん、琴に同調していた親織田派の者は、何とか武田軍の入城を妨げんと抵抗しようとしたが、彼らは武田軍と直廉の指示を受けた苗木城兵らによって速やかに排除されたのだった――。
「ご苦労だったな!」
武田奇襲隊の将・武藤喜兵衛昌幸は、本丸御殿の一室に足を踏み入れるや、部屋の下座に控えた侍女姿の男に向かって、満面の笑みを浮かべながら声をかけた。
「つや様の護衛に加え、三の丸門の開錠まで……お前以外には到底頼めぬ任務だった。流石であったな、佐助!」
「……ふん」
侍女姿の男――武田信繁に仕える乱破・“猿飛”の佐助は、昌幸の絶賛の言葉を受けても、表情ひとつ変えぬまま、頭を振って淡々と答える。
「確かに、オレ以外の乱破では、荷が勝ちすぎてしくじってしまったかもしれんな。オレが居て良かったな、源五郎よ」
「お前な……少しは謙遜するところだぞ、そこは」
佐助の傲岸不遜な物言いに、昌幸は呆れ声を上げた。
……と、彼はまじまじと佐助の姿を見返すと、口元を押さえて吹き出す。
「ふふ……なかなかどうして、女子の姿も似合っているではないか。もう長い付き合いだが、お前にそっち方面の才があるとは、初めて知ったぞ」
「……うるさい」
昌幸のからかい混じりの言葉に、佐助は落ちかけの白粉と返り血で汚れたままの顔を苦々しげに顰めた。
と、
「……武藤様、あまり佐助殿の事をおからかいにならないで下さいませ。佐助殿が居なければ、私の身は到底無事では済まなかったのですから」
「あ……これは失敬仕りました」
佐助の事を庇う女の声に、昌幸は慌てて表情を引き締める。
そして、その場に腰を下ろすと、両手を床について深々と頭を下げた。
「――ご無事で何よりでございます、つや様。御自身を危地に晒す事も厭わず、我々に御助力頂きまして、誠に有難う御座いました。拙者――武藤喜兵衛昌幸、主である武田典厩信繁に代わり、深く感謝申し上げます」
「いえ……」
つやは、流石に憔悴を隠せぬ顔で、小さく首を横に振る。
「此度の事は、武田家だけでなく、我ら遠山家の人間にとっても、将来を左右する重要な岐路でありました。本来は、武田様の御手を煩わせる前に、遠山家内部だけで処理せねばならぬ事だったのです。――ですから、武藤殿や武田様から咎められはすれども、感謝して頂く事ではありませぬ」
そう言うと、つやは姿勢を正し、昌幸に向かって深々と頭を下げた。
「ですが――此度の件に関して、勘太郎殿をはじめとした苗木遠山の者たちには寛大なご処置を賜りたく……何卒お願い申し上げます」
「……相分かっております」
つやの懇願を聞いた昌幸は、畏まった表情を浮かべたまま、低い声で答える。
「最終的な判断は、大将である典厩様の御心に委ねる事となりますゆえ、拙者の口からは何とも申せませぬが……」
そう前置きした昌幸は、ちらりと佐助の顔を見た。
そして、彼が小さく頷いたのを確認してから、言葉を継ぐ。
「先ほどお会いした遠山勘太郎様からお伺いした話と、諸々の状況から鑑みるに、此度の謀は、勘太郎様の奥方の独断によるものである事は間違い御座らぬ。――であれば、勘太郎様やご息女が此度の責を問われるような事は無いかと……」
「そうですか……」
昌幸の言葉を聞いて、つやは安堵の表情を浮かべた。
――だが、すぐにその表情を曇らせ、おずおずと問いを重ねる。
「では――琴殿は……?」
「……そちらも、典厩様の御裁断次第かと思われますが――」
つやの問いかけに、昌幸は少し困った顔をしながら、言いにくそうに答えた。
「まあ、奥方の実家が実家ですから、死罪には出来ぬとは存じますが、拙者では何とも……。ただ、さすがに咎無しとはいかぬかと……」
「……左様ですか」
昌幸の答えに、つやは沈痛な表情を浮かべると、もう一度深く首を垂れた。
「……図々しい願いだという事は百も承知で、それでも伏してお願い申し上げます。――何卒、琴殿にも寛大な御沙汰を賜りますよう、武藤様から武田左馬助様に御口添えを頂きたく……」
「それは……」
深々と平伏したつやを前に、昌幸が困惑した様子で言葉に迷う。
顔を上げたつやは、そんな彼の顔を真っ直ぐに見つめながら、凛とした声で話し始めた。
「琴殿は……嫁ぎ先である遠山家よりも、実家である織田家を優先して、此度の事を企てました。――もちろん、その事は、武田家にとって決して赦されるもので無い事は重々承知しておりますが……そこを曲げてご寛恕頂きたく……」
「……」
瞳を潤ませたつやの言葉に、昌幸は当惑した様子で、傍らに座る佐助の顔を再び一瞥する。
だが、佐助は表情を変えぬまま、つと顔を背けた。
そんな彼の横顔を恨めしげに睨んだ後、昌幸は小さく溜息を吐きながら、しぶしぶ頷く。
「……相分かり申した。その旨、拙者からも典厩様に献言いたしましょう。――ですが、あまりご期待はなさいませぬよう……」
「かたじけのうございます」
昌幸の言葉に、つやはもう一度深々と頭を下げた。
そんな彼女に、佐助が訝しげに尋ねる。
「……あのような仕打ちを受けた相手の助命を乞うとは……随分と奇特な事だな」
「そうですね……」
佐助の声を聞いたつやは、苦笑を浮かべながら頷き、それから「……ですが」と、少し寂しげな声で続けた。
「それでも琴殿は……私の姪ですから」
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