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第二部六章 軍師
理由と疑問
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落ち着いた挙措で茶碗を口元に運んだ半兵衛は、白湯で舌を湿らせると、
「――それはさておき」
と、静かに切り出した。
「此度は、如何様な理由でこんな場所までわざわざお越しになられたのですか? 武田左馬助殿」
コトリと音を立てて茶碗を置きながら、涼やかな光を湛えた瞳でじっと信繁の顔を見据える半兵衛。
僅かな表情の変化も見逃すまいとしている半兵衛の鋭い視線を受けながら、信繁は怯む様子も見せず、むしろ穏やかに微笑みを浮かべながら答える。
「それは、そこに控えておられる仙石殿にお伝えした通りだ」
そう言って、小屋の戸の前に立つ仙石久勝の方にチラリと目線を向けた信繁は、更に言葉を継いだ。
「貴殿と直接話をしたくなったから来た。それだけだ」
「話をしたくなったから……ですか」
信繁の言葉を反芻するように繰り返した半兵衛は、警戒を露わにしながら首を傾げてみせる。
「……にわかには信じられませぬな」
「困ったな……」
半兵衛の答えに、信繁は本当に困ったような顔で頭を掻いた。
「信じられぬと言われても、本当にそれだけが理由なのだが……」
「いや……」
信繁の表情に思わず吹き出しかけた半兵衛は、慌てて口元を手の甲で隠しながら頭を振る。
「総大将ご本人が、敵の将と話をしたいという理由だけで、わざわざ敵陣まで足を運ぶなどと……率直に申し上げて、気でも触れておるのかと――」
「竹中殿! それは、典厩様に対して無礼――」
「よい、昌幸」
半兵衛の言葉に激昂して怒声を上げかけた昌幸を、信繁がやんわりと制し、苦笑した。
「竹中殿がそう考えるのも当然だ。第一、お主も必死で儂の事を止めようとしていたではないか」
「いや……それは確かにそうでしたが……」
信繁にやり込められ、昌幸は憮然として言い淀む。
そんなふたりのやり取りをじっと見ていた半兵衛は、小さく息を吐くと、信繁に向かって言った。
「……いいでしょう。半信半疑ではありますが、ここは武田殿のお話を一旦信じる事に致しましょう。先ほどの失言、平に御容赦を」
「いやいや、お気に召されるな」
慇懃に頭を下げた半兵衛に、信繁は慌てて声をかける。
「半信半疑でも、ご理解して頂ければ助かる。話が先に進まぬからな」
「そうですね……」
信繁の言葉に同意するように微笑んだ半兵衛は、じっと彼の顔を見据えながら、静かな声で尋ねた。
「で……こうして私と会って――何の話をしたいのですか?」
「うむ……」
半兵衛の問いかけに、信繁は小さく頷き、間を取るように茶碗を取り上げる。
そして、茶碗の縁に口を付けて中の白湯をゆっくりと飲み込んでから、再び口を開いた。
「――では、率直に聞こう。竹中殿」
「……はい、何でしょう?」
「先日の戦いで我らに敗れた安藤伊賀守が木曽川の対岸まで退いた時、お主がこの八王子山から動かなかったのは何故かな?」
茶碗を床に置きながらそう尋ねた信繁は、鋭く光らせた隻眼で半兵衛の顔をジロリと見据える。
「確かに、この八王子山は、烏峰城と久々利城のちょうど中間に位置している。軍を置いて、ふたつの城を囲む我らの動きを牽制するにはうってつけの地だが……それは、本隊である安藤隊が健在であればの話だ」
「……」
「この八王子山は、そこまで高い山でもない。確かに、この地に敵がいては、城を攻める上で目障りなのは確かだが、それなり数の兵で犠牲を厭わずに力押しすれば、殲滅する事は出来よう」
そう言うと、信繁は不敵な薄笑みを浮かべてみせた。
「……たとえ、籠っている将がお主であってもな」
「……」
信繁の言葉に、半兵衛は無言のままだった。
それを、彼が自分の指摘に暗に同意している証だと判断した信繁は、小さく頷いて言葉を継ぐ。
「もちろん、安藤隊が健在で木曽川の東岸に留まっておれば、我が方もそこまで大量の兵をこの小山に割く事は不可能だ。――だが、今の安藤隊は、大井戸の渡しを越え、今は木曽川の西岸まで退がっておる。その上、東岸では保科弾正隊が睨みを利かせておる故、そうやすやすと川を越えてくる事は出来ぬだろう」
「それだけではございませぬ」
信繁の言葉を、昌幸が引き継いだ。
「先日、久々利城の兵は我ら武田方に降りましたから、八王子山に拠る竹中隊は、西から来た我らだけではなく、南からも攻められる事になりましょう。久々利城の兵も加わった馬場様の隊によって」
「……」
「さしもの“今孔明”殿であっても、僅か千余りの兵で二方面から攻め寄せる敵に対するのは、さすがに厳しいように思えますが」
そう言った昌幸は、おどけるように肩を竦めてみせる。
「……少なくとも、拙者は御免被りたいところですな。出来る事なら、そんな窮地に陥る前に、さっさと尻を捲って逃げ出したいものです」
と、冗談めかして言った昌幸は、ふと真顔になり、「そう……」と続けた。
「味方の敗戦を知ったら速やかに陣を畳み、まだ武田方の兵が浸潤しないうちに山を下って安藤隊に合流したり……とか」
昌幸は、そこで一旦言葉を切ると、茶碗を手に取り、中の白湯を一気に飲み干す。
「ふぅ……」
と、小さく息を吐きながら空になった茶碗を床に置いた昌幸は、相変わらず無表情を貫いている半兵衛の心の中を見透かそうとするかのように鋭い目を向けた。
「だが――貴殿は、そうしなかった」
「……」
「なぜ、そうされなかった? なぜ、竹中半兵衛ともあろう知恵者が、撤退の機をむざむざと見逃し、もはや碁の“死に石”のように戦略的意味をなさなくなった八王子山に留まり続けているのか……」
「……」
昌幸の漏らした疑問に、変わらぬ沈黙を貫いていた半兵衛だったが、その口元が僅かに緩んだ。
と、その時、
「やはり、そういう事か……」
半兵衛の僅かな表情の変化を見逃さなかった信繁が、ボソリと呟く。
眉を顰めた彼は、半兵衛の顔を見つめながら、静かに言った。
「竹中殿……お主、ここで命を捨てるつもりだな」
――と。
「――それはさておき」
と、静かに切り出した。
「此度は、如何様な理由でこんな場所までわざわざお越しになられたのですか? 武田左馬助殿」
コトリと音を立てて茶碗を置きながら、涼やかな光を湛えた瞳でじっと信繁の顔を見据える半兵衛。
僅かな表情の変化も見逃すまいとしている半兵衛の鋭い視線を受けながら、信繁は怯む様子も見せず、むしろ穏やかに微笑みを浮かべながら答える。
「それは、そこに控えておられる仙石殿にお伝えした通りだ」
そう言って、小屋の戸の前に立つ仙石久勝の方にチラリと目線を向けた信繁は、更に言葉を継いだ。
「貴殿と直接話をしたくなったから来た。それだけだ」
「話をしたくなったから……ですか」
信繁の言葉を反芻するように繰り返した半兵衛は、警戒を露わにしながら首を傾げてみせる。
「……にわかには信じられませぬな」
「困ったな……」
半兵衛の答えに、信繁は本当に困ったような顔で頭を掻いた。
「信じられぬと言われても、本当にそれだけが理由なのだが……」
「いや……」
信繁の表情に思わず吹き出しかけた半兵衛は、慌てて口元を手の甲で隠しながら頭を振る。
「総大将ご本人が、敵の将と話をしたいという理由だけで、わざわざ敵陣まで足を運ぶなどと……率直に申し上げて、気でも触れておるのかと――」
「竹中殿! それは、典厩様に対して無礼――」
「よい、昌幸」
半兵衛の言葉に激昂して怒声を上げかけた昌幸を、信繁がやんわりと制し、苦笑した。
「竹中殿がそう考えるのも当然だ。第一、お主も必死で儂の事を止めようとしていたではないか」
「いや……それは確かにそうでしたが……」
信繁にやり込められ、昌幸は憮然として言い淀む。
そんなふたりのやり取りをじっと見ていた半兵衛は、小さく息を吐くと、信繁に向かって言った。
「……いいでしょう。半信半疑ではありますが、ここは武田殿のお話を一旦信じる事に致しましょう。先ほどの失言、平に御容赦を」
「いやいや、お気に召されるな」
慇懃に頭を下げた半兵衛に、信繁は慌てて声をかける。
「半信半疑でも、ご理解して頂ければ助かる。話が先に進まぬからな」
「そうですね……」
信繁の言葉に同意するように微笑んだ半兵衛は、じっと彼の顔を見据えながら、静かな声で尋ねた。
「で……こうして私と会って――何の話をしたいのですか?」
「うむ……」
半兵衛の問いかけに、信繁は小さく頷き、間を取るように茶碗を取り上げる。
そして、茶碗の縁に口を付けて中の白湯をゆっくりと飲み込んでから、再び口を開いた。
「――では、率直に聞こう。竹中殿」
「……はい、何でしょう?」
「先日の戦いで我らに敗れた安藤伊賀守が木曽川の対岸まで退いた時、お主がこの八王子山から動かなかったのは何故かな?」
茶碗を床に置きながらそう尋ねた信繁は、鋭く光らせた隻眼で半兵衛の顔をジロリと見据える。
「確かに、この八王子山は、烏峰城と久々利城のちょうど中間に位置している。軍を置いて、ふたつの城を囲む我らの動きを牽制するにはうってつけの地だが……それは、本隊である安藤隊が健在であればの話だ」
「……」
「この八王子山は、そこまで高い山でもない。確かに、この地に敵がいては、城を攻める上で目障りなのは確かだが、それなり数の兵で犠牲を厭わずに力押しすれば、殲滅する事は出来よう」
そう言うと、信繁は不敵な薄笑みを浮かべてみせた。
「……たとえ、籠っている将がお主であってもな」
「……」
信繁の言葉に、半兵衛は無言のままだった。
それを、彼が自分の指摘に暗に同意している証だと判断した信繁は、小さく頷いて言葉を継ぐ。
「もちろん、安藤隊が健在で木曽川の東岸に留まっておれば、我が方もそこまで大量の兵をこの小山に割く事は不可能だ。――だが、今の安藤隊は、大井戸の渡しを越え、今は木曽川の西岸まで退がっておる。その上、東岸では保科弾正隊が睨みを利かせておる故、そうやすやすと川を越えてくる事は出来ぬだろう」
「それだけではございませぬ」
信繁の言葉を、昌幸が引き継いだ。
「先日、久々利城の兵は我ら武田方に降りましたから、八王子山に拠る竹中隊は、西から来た我らだけではなく、南からも攻められる事になりましょう。久々利城の兵も加わった馬場様の隊によって」
「……」
「さしもの“今孔明”殿であっても、僅か千余りの兵で二方面から攻め寄せる敵に対するのは、さすがに厳しいように思えますが」
そう言った昌幸は、おどけるように肩を竦めてみせる。
「……少なくとも、拙者は御免被りたいところですな。出来る事なら、そんな窮地に陥る前に、さっさと尻を捲って逃げ出したいものです」
と、冗談めかして言った昌幸は、ふと真顔になり、「そう……」と続けた。
「味方の敗戦を知ったら速やかに陣を畳み、まだ武田方の兵が浸潤しないうちに山を下って安藤隊に合流したり……とか」
昌幸は、そこで一旦言葉を切ると、茶碗を手に取り、中の白湯を一気に飲み干す。
「ふぅ……」
と、小さく息を吐きながら空になった茶碗を床に置いた昌幸は、相変わらず無表情を貫いている半兵衛の心の中を見透かそうとするかのように鋭い目を向けた。
「だが――貴殿は、そうしなかった」
「……」
「なぜ、そうされなかった? なぜ、竹中半兵衛ともあろう知恵者が、撤退の機をむざむざと見逃し、もはや碁の“死に石”のように戦略的意味をなさなくなった八王子山に留まり続けているのか……」
「……」
昌幸の漏らした疑問に、変わらぬ沈黙を貫いていた半兵衛だったが、その口元が僅かに緩んだ。
と、その時、
「やはり、そういう事か……」
半兵衛の僅かな表情の変化を見逃さなかった信繁が、ボソリと呟く。
眉を顰めた彼は、半兵衛の顔を見つめながら、静かに言った。
「竹中殿……お主、ここで命を捨てるつもりだな」
――と。
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