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第二部六章 軍師
半兵衛と喜兵衛
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「……!」
目の前に座り、涼やかな声で名乗った竹中半兵衛の顔を見ながら、昌幸は思わず息を飲んだ。
(この男が……あの竹中半兵衛……)
度々美濃に押し出し、斎藤家の地位を脅かしている尾張織田家との戦いにおける活躍、更に先年の稲葉山城乗っ取りの件で、竹中半兵衛重治の名は遠く甲斐まで轟いている。
それと同じくらい、彼の秀麗な容貌の事も広く伝わっていて、昌幸も当然のように知っていたのだが――実際に相見えた半兵衛の佇まいは、聞き及んだ噂から彼が思い浮かべていた想像を遥かに超えていた。
(……まるで、女子のように艶やかな……)
その肌は上質の絹のように滑らかで白く、睫毛の長い切れ長の目をしており、その瞳は漆石 (黒曜石)のようだ。
穏やかな微笑を湛えた唇は、薄く紅を指したかのようにほんのりと色づき、丹念に剃っているのか、それとも元々薄いのか、口の周りに髭は一本も生えていない。
墨のように黒々とした豊かな髪を総髪に結ったその面立ちは、まるで貴人の姫が戯れに男装しているかのようであった。
――と、
「――はて?」
昌幸の視線に気付いた半兵衛が、彼の方に目を向けながら、訝しげに首を傾げた。
「如何いたしました? 私の顔に何か付いておりますか?」
「あ……い、いや……これは大変失礼いたした」
半兵衛の問いかけに、昌幸は赤面しながら慌てて視線を逸らした。
そして、失態を誤魔化すようにゴホンと咳払いをしてから、改まって言う。
「竹中半兵衛殿、こちらに御座しまするのは、武田左馬助様に御座る。――そして、拙者は典厩様の与力を務めている武藤喜兵衛昌幸と申す」
「斯様な山の上まで、おふたりとも、ようこそお出で下されました」
そう答えながら、ふたりに向けて軽く頭を下げた半兵衛は、おもむろに昌幸の方へ顔を向けた。
「貴殿が武藤喜兵衛殿にございますか。御高名は、かねてより聞き及んでおります」
半兵衛は、穏やかな声で昌幸にそう話しかける。
「去年の川中島において、僅か千余りの兵で多勢の上杉軍を迎え撃ち、見事その渡河を防いで御味方を勝利に導いた御働きがまことに天晴だったと、この美濃の地まで届いております」
「あ……いや」
まさか、自分が褒めそやされるなどとは思ってもいなかった昌幸は、すっかり不意を衝かれてしまい、困ったように目を瞬かせるばかりだった。
そんな彼の狼狽する様子に穏やかな微笑みを浮かべながら、半兵衛は更に言葉を継ぐ。
「此度の戦においても、抜群の御働きの数々、我が耳に入ってきております。――西に行くように見せかけた武田軍本隊に誘き出された遠山衆の隙を衝き、寡兵を率いて空になった苗木城を攻め落とす手際を聞き及んだ際には、いたく感服いたしました」
「「――!」」
半兵衛の言葉を聞いた昌幸と信繁は、思わず目を見合わせた。
つい一月前の苗木城攻略の詳報を、遠く離れた中美濃で隠遁生活をしていたはずの半兵衛が知っている――その事実に内心驚いたからだ。
ふたりの交わした目配せに目敏く気付いた半兵衛は、内心でほくそ笑むも、顔には出さずに「それに――」と言葉を継ぐ。
「先日の烏峰城下での合戦でも、武藤殿に出し抜かれましたね」
そう言いながら、彼は仙石久勝が置いた茶碗を手に取り、中の白湯を一口啜り、茶碗から唇を離すと、再び話を続けた。
「あの戦は……概ね、私が予め立てていた策通りに事が進んでおったようですが……まさか、豪雨に紛れて、水量が増した木曽川を下って陣の背後に回り込まれるとは。まったく、この竹中半兵衛重治ともあろう者が、まんまとしてやられました。ははは」
「……」
自軍と自分の策の敗北を語りながらも、どこか愉しそうに笑う半兵衛の態度に、昌幸は当惑を覚える。
と、
「……感服したのは、こちらの方もだ。竹中殿」
それまで黙ってふたりの会話を聞いていた信繁が、静かに口を開いた。
彼は、半兵衛の顔を真っ直ぐに見つめながら、落ち着いた口調で言う。
「馬防ぎの柵や、その奥に仕込まれた罠……十重二十重に仕組まれた策に、我らは随分と手こずらされた。あれは全て、貴殿が?」
「……ええ」
信繁の問いに、半兵衛は穏やかな微笑みを浮かべながら、小さく頷いた。
「あれらは全て、私がこの八王子山に向かう前に、安藤伊賀守様へお伝えした策に御座います」
「やはりそうか……」
半兵衛の答えを聞いた信繁は、顎髭を指の腹で撫でながら、小さく息を吐く。
と、その横でやにわに目を鋭くさせた昌幸が、低い声で「では――」と半兵衛に問うた。
「あの激しい雨の中で、山裾の茂みの中に潜ませた曲者に典厩様を狙撃させたのも……?」
「――はい」
昌幸の問いかけに、半兵衛はあっさりと頷いた。
それを見て、昌幸の表情が更に険しくなるが、半兵衛は素知らぬ顔で言葉を継ぐ。
「あの一手も、私の策……いえ、あの一手の為だけに、他の全ての策を組んだのです。何せ、いかな劣勢であっても、総大将の武田殿さえ首尾よく討ち取れれば、戦いの流れは一気にこちら側へ傾きますからね」
「……!」
薄笑みさえ浮かべながら、淡々とした口調で答える半兵衛の態度に、昌幸は思わずカッとなった。
だが、優れた戦才を持つ彼だからこそ、半兵衛が述べた言葉に頷く事も出来てしまい、複雑な思いを抱きながらも口を噤む。
「……」
そんな昌幸の顔をじっと見据えていた半兵衛は、フッと表情を和らげるのだった。
目の前に座り、涼やかな声で名乗った竹中半兵衛の顔を見ながら、昌幸は思わず息を飲んだ。
(この男が……あの竹中半兵衛……)
度々美濃に押し出し、斎藤家の地位を脅かしている尾張織田家との戦いにおける活躍、更に先年の稲葉山城乗っ取りの件で、竹中半兵衛重治の名は遠く甲斐まで轟いている。
それと同じくらい、彼の秀麗な容貌の事も広く伝わっていて、昌幸も当然のように知っていたのだが――実際に相見えた半兵衛の佇まいは、聞き及んだ噂から彼が思い浮かべていた想像を遥かに超えていた。
(……まるで、女子のように艶やかな……)
その肌は上質の絹のように滑らかで白く、睫毛の長い切れ長の目をしており、その瞳は漆石 (黒曜石)のようだ。
穏やかな微笑を湛えた唇は、薄く紅を指したかのようにほんのりと色づき、丹念に剃っているのか、それとも元々薄いのか、口の周りに髭は一本も生えていない。
墨のように黒々とした豊かな髪を総髪に結ったその面立ちは、まるで貴人の姫が戯れに男装しているかのようであった。
――と、
「――はて?」
昌幸の視線に気付いた半兵衛が、彼の方に目を向けながら、訝しげに首を傾げた。
「如何いたしました? 私の顔に何か付いておりますか?」
「あ……い、いや……これは大変失礼いたした」
半兵衛の問いかけに、昌幸は赤面しながら慌てて視線を逸らした。
そして、失態を誤魔化すようにゴホンと咳払いをしてから、改まって言う。
「竹中半兵衛殿、こちらに御座しまするのは、武田左馬助様に御座る。――そして、拙者は典厩様の与力を務めている武藤喜兵衛昌幸と申す」
「斯様な山の上まで、おふたりとも、ようこそお出で下されました」
そう答えながら、ふたりに向けて軽く頭を下げた半兵衛は、おもむろに昌幸の方へ顔を向けた。
「貴殿が武藤喜兵衛殿にございますか。御高名は、かねてより聞き及んでおります」
半兵衛は、穏やかな声で昌幸にそう話しかける。
「去年の川中島において、僅か千余りの兵で多勢の上杉軍を迎え撃ち、見事その渡河を防いで御味方を勝利に導いた御働きがまことに天晴だったと、この美濃の地まで届いております」
「あ……いや」
まさか、自分が褒めそやされるなどとは思ってもいなかった昌幸は、すっかり不意を衝かれてしまい、困ったように目を瞬かせるばかりだった。
そんな彼の狼狽する様子に穏やかな微笑みを浮かべながら、半兵衛は更に言葉を継ぐ。
「此度の戦においても、抜群の御働きの数々、我が耳に入ってきております。――西に行くように見せかけた武田軍本隊に誘き出された遠山衆の隙を衝き、寡兵を率いて空になった苗木城を攻め落とす手際を聞き及んだ際には、いたく感服いたしました」
「「――!」」
半兵衛の言葉を聞いた昌幸と信繁は、思わず目を見合わせた。
つい一月前の苗木城攻略の詳報を、遠く離れた中美濃で隠遁生活をしていたはずの半兵衛が知っている――その事実に内心驚いたからだ。
ふたりの交わした目配せに目敏く気付いた半兵衛は、内心でほくそ笑むも、顔には出さずに「それに――」と言葉を継ぐ。
「先日の烏峰城下での合戦でも、武藤殿に出し抜かれましたね」
そう言いながら、彼は仙石久勝が置いた茶碗を手に取り、中の白湯を一口啜り、茶碗から唇を離すと、再び話を続けた。
「あの戦は……概ね、私が予め立てていた策通りに事が進んでおったようですが……まさか、豪雨に紛れて、水量が増した木曽川を下って陣の背後に回り込まれるとは。まったく、この竹中半兵衛重治ともあろう者が、まんまとしてやられました。ははは」
「……」
自軍と自分の策の敗北を語りながらも、どこか愉しそうに笑う半兵衛の態度に、昌幸は当惑を覚える。
と、
「……感服したのは、こちらの方もだ。竹中殿」
それまで黙ってふたりの会話を聞いていた信繁が、静かに口を開いた。
彼は、半兵衛の顔を真っ直ぐに見つめながら、落ち着いた口調で言う。
「馬防ぎの柵や、その奥に仕込まれた罠……十重二十重に仕組まれた策に、我らは随分と手こずらされた。あれは全て、貴殿が?」
「……ええ」
信繁の問いに、半兵衛は穏やかな微笑みを浮かべながら、小さく頷いた。
「あれらは全て、私がこの八王子山に向かう前に、安藤伊賀守様へお伝えした策に御座います」
「やはりそうか……」
半兵衛の答えを聞いた信繁は、顎髭を指の腹で撫でながら、小さく息を吐く。
と、その横でやにわに目を鋭くさせた昌幸が、低い声で「では――」と半兵衛に問うた。
「あの激しい雨の中で、山裾の茂みの中に潜ませた曲者に典厩様を狙撃させたのも……?」
「――はい」
昌幸の問いかけに、半兵衛はあっさりと頷いた。
それを見て、昌幸の表情が更に険しくなるが、半兵衛は素知らぬ顔で言葉を継ぐ。
「あの一手も、私の策……いえ、あの一手の為だけに、他の全ての策を組んだのです。何せ、いかな劣勢であっても、総大将の武田殿さえ首尾よく討ち取れれば、戦いの流れは一気にこちら側へ傾きますからね」
「……!」
薄笑みさえ浮かべながら、淡々とした口調で答える半兵衛の態度に、昌幸は思わずカッとなった。
だが、優れた戦才を持つ彼だからこそ、半兵衛が述べた言葉に頷く事も出来てしまい、複雑な思いを抱きながらも口を噤む。
「……」
そんな昌幸の顔をじっと見据えていた半兵衛は、フッと表情を和らげるのだった。
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