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第二部六章 軍師
掘っ立て小屋と白湯
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信繁と昌幸は、斎藤方の仙石久勝に先導され、八王子山を登った。
久勝の手勢に周囲を囲まれながら山道を登る間、昌幸は、いつ斎藤兵たちが心変わりして襲ってこないかと気が気ではなかったが、信繁の方は全く意に介していない様子で平然としていた。
細い山道を通って山頂の斎藤軍の陣に着いた信繁と昌幸は、陣中の斎藤兵たちからの奇異に満ちた目に晒される。
その視線には、敵意と当惑と好奇心、そして微かな畏怖が含まれていた。
陣中に漂う異様な雰囲気の中、馬を下りて歩くふたりは、本陣の手前で少し待たされた後、久勝の先導で小さな掘っ立て小屋へと通された。
「竹中様の御支度が整うまで、こちらでお待ち下され」
申し訳程度に茣蓙が布かれた板間の上に座ったふたりに、久勝はそう告げる。
それを聞いた昌幸は、久勝に鋭い目を向けた。
「支度が整うまでとは……まだお寝みであったのか? もう日も高いのに、随分とのんびりしておられるのだな、竹中殿は」
「はは、申し訳ない」
皮肉交じりの昌幸の言葉に、久勝は苦笑しながら軽く詫びる。
「竹中様は、些か朝に弱うてな。起床なさるのはいつも今頃の時分なのだ。そろそろ朝餉を摂られた頃であろうから、もう少々のご辛抱かと」
「朝餉だと……? 典厩様がわざわざお越しになられたのに、急いで支度もせずに朝餉を食っているというの――」
「よい、昌幸」
思わず気色ばむ昌幸を、信繁が穏やかな声で制した。
そして、戸の前に立っている久勝に向け、軽く頷く。
「相分かった。ここで待たせて頂こう」
「……申し訳御座らぬ」
信繁の言葉に少し戸惑いを見せた久勝だったが、すぐに慇懃な態度で頭を下げた。
と、彼の後ろの引き戸が開き、土瓶と茶碗をふたつ載せた盆を掲げるように持った足軽が入って来る。
板敷の間に上がった足軽は、信繁たちに恭しく頭を下げながら、ふたりの前に茶碗を置いた。
「山登りで、さぞ喉が渇いた事であろう。あいにく、斯様な山陣では茶も満足に淹れられぬゆえ、白湯しか出せませぬが、よろしければご一服下され」
「お心遣い、痛み入る」
久勝の言葉に微笑を浮かべた信繁は、そう言いながら、躊躇なく茶碗に手を伸ばす。
と、その腕を昌幸が押さえた。
「典厩様、いけませぬ!」
制止した昌幸は、真剣な顔で信繁に囁く。
「中に何が入っているか分かりませぬ。お飲みになるのはおやめ下さい」
「ははは、何を言っておる、昌幸」
だが、信繁は昌幸の言葉に頭を振った。
「儂を殺す気ならば、これまでの道中でいくらでも機会があっただろう。わざわざ斯様な場所に通してから命を奪おうとはすまいよ」
「そ、そうかもしれませんが……」
昌幸は、信繁の言葉に口ごもるが、なおも首を左右に振る。
「でしたら……せめて拙者が先に毒見を――」
「不要だ。そう案ずるでない」
信繁はそう言うと、昌幸の制止を振り切るように茶碗を手に取り、一息に呷った。
「て、典厩様……!」
それを見て青ざめる昌幸。
彼が固唾を飲んで見守る中、茶碗の縁から唇を離した信繁は、彼を安心させるように微笑んでみせた。
「――ほれ、言った通りであろう? 何も入っておらぬ。普通の白湯だ」
「典厩様……!」
元気そうな信繁の顔を見ながら、昌幸は安堵と呆れが入り混じった声を漏らす。
と、
「――それでは、お二方」
戸口の前に立っていた久勝が、引き戸に手をかけながら、ふたりに向けて一礼した。
「拙者は一旦失礼いたす。竹中様が参られるまで、お寛ぎ下され。――御免」
「うむ。忝い」
鷹揚に頷いた信繁は、足軽を連れて屋外に出ようとする久勝の背に声をかける。
「仙石殿、案内ご苦労であった。感謝いたす」
「……」
信繁の謝辞に、久勝は背を向けたまま無言で会釈し、引き戸を閉めた。
「……やれやれ」
戸が閉まったのを見た昌幸は、緊張で強張った表情を緩め、大きな安堵の息を吐く。
「典厩様をこんなひどいあばら屋に押し込めておいて、『お寛ぎ下さい』とは、よう言うたものよ……」
「ははは、そう言うてやるな、昌幸よ」
昌幸の言葉に苦笑しながら、信繁は再び茶碗に口を付け、残った白湯を飲み干した。
「斯様に何も無い山の上では致し方あるまい。むしろ、屋根が付いておるだけありがたいと思わねばな」
「……確かに、そうかもしれませぬが」
盆の上の土瓶を手に取り、信繁が飲み干した茶碗に新たな白湯を注ぎながら、昌幸は憮然と答える。
と、信繁は声を潜めて昌幸に言った。
「……気付いたか? 儂が白湯を飲もうとした時に仙石久勝が向けていた目に……」
「……ええ」
土瓶を盆の上に戻した昌幸は、信繁の問いかけに小さく頷く。
「――面頬の奥からも分かるくらいの鋭い目で、我らの事を観察していましたね」
「ああ……」
信繁は、昌幸が注いでくれた白湯に目を落とした。
「恐らく……この白湯も含めて、半兵衛の指示であろうな」
「我らが、出された白湯を飲むかどうか……それによって、我らの真意を仙石久勝の目で測らせた――と?」
「恐らく、な」
そう言って頷いた信繁は、再び茶碗の白湯を呷る。
そして、空になった茶碗を盆の上に戻しながら、ぼそりと呟いた。
「さて……それを踏まえて、どう出るかな、半兵衛は……?」
◆ ◆ ◆ ◆
それから四半刻 (約三十分)後――。
「――失礼いたします」
不意に、戸口の向こうから涼やかな声が上がった。
同時に、ガラガラと耳障りな音を立てながら引き戸が開き、ふたりの男が入って来た。
ひとりは、仙石久勝である。先ほどと同じ甲冑姿だったが、兜と面頬は取っていた。その顔は、その体格に比べて意外なほど幼い。
――だが、信繁と昌幸の視線は、彼に続いて室内に入って来たもうひとりの男に釘付けとなる。
「……」
信繁たちと同じく、平服である小袖を身に纏ったその若い男は、板の間に上がると、ふたりの向かいに腰を下ろし、両手をついた。
そして、その女子のように整った秀麗な面立ちに穏やかな微笑を湛えながら、落ち着いた声で名乗る。
「武田左馬助殿、お初にお目にかかります。私が、竹中半兵衛重治に御座ります」
久勝の手勢に周囲を囲まれながら山道を登る間、昌幸は、いつ斎藤兵たちが心変わりして襲ってこないかと気が気ではなかったが、信繁の方は全く意に介していない様子で平然としていた。
細い山道を通って山頂の斎藤軍の陣に着いた信繁と昌幸は、陣中の斎藤兵たちからの奇異に満ちた目に晒される。
その視線には、敵意と当惑と好奇心、そして微かな畏怖が含まれていた。
陣中に漂う異様な雰囲気の中、馬を下りて歩くふたりは、本陣の手前で少し待たされた後、久勝の先導で小さな掘っ立て小屋へと通された。
「竹中様の御支度が整うまで、こちらでお待ち下され」
申し訳程度に茣蓙が布かれた板間の上に座ったふたりに、久勝はそう告げる。
それを聞いた昌幸は、久勝に鋭い目を向けた。
「支度が整うまでとは……まだお寝みであったのか? もう日も高いのに、随分とのんびりしておられるのだな、竹中殿は」
「はは、申し訳ない」
皮肉交じりの昌幸の言葉に、久勝は苦笑しながら軽く詫びる。
「竹中様は、些か朝に弱うてな。起床なさるのはいつも今頃の時分なのだ。そろそろ朝餉を摂られた頃であろうから、もう少々のご辛抱かと」
「朝餉だと……? 典厩様がわざわざお越しになられたのに、急いで支度もせずに朝餉を食っているというの――」
「よい、昌幸」
思わず気色ばむ昌幸を、信繁が穏やかな声で制した。
そして、戸の前に立っている久勝に向け、軽く頷く。
「相分かった。ここで待たせて頂こう」
「……申し訳御座らぬ」
信繁の言葉に少し戸惑いを見せた久勝だったが、すぐに慇懃な態度で頭を下げた。
と、彼の後ろの引き戸が開き、土瓶と茶碗をふたつ載せた盆を掲げるように持った足軽が入って来る。
板敷の間に上がった足軽は、信繁たちに恭しく頭を下げながら、ふたりの前に茶碗を置いた。
「山登りで、さぞ喉が渇いた事であろう。あいにく、斯様な山陣では茶も満足に淹れられぬゆえ、白湯しか出せませぬが、よろしければご一服下され」
「お心遣い、痛み入る」
久勝の言葉に微笑を浮かべた信繁は、そう言いながら、躊躇なく茶碗に手を伸ばす。
と、その腕を昌幸が押さえた。
「典厩様、いけませぬ!」
制止した昌幸は、真剣な顔で信繁に囁く。
「中に何が入っているか分かりませぬ。お飲みになるのはおやめ下さい」
「ははは、何を言っておる、昌幸」
だが、信繁は昌幸の言葉に頭を振った。
「儂を殺す気ならば、これまでの道中でいくらでも機会があっただろう。わざわざ斯様な場所に通してから命を奪おうとはすまいよ」
「そ、そうかもしれませんが……」
昌幸は、信繁の言葉に口ごもるが、なおも首を左右に振る。
「でしたら……せめて拙者が先に毒見を――」
「不要だ。そう案ずるでない」
信繁はそう言うと、昌幸の制止を振り切るように茶碗を手に取り、一息に呷った。
「て、典厩様……!」
それを見て青ざめる昌幸。
彼が固唾を飲んで見守る中、茶碗の縁から唇を離した信繁は、彼を安心させるように微笑んでみせた。
「――ほれ、言った通りであろう? 何も入っておらぬ。普通の白湯だ」
「典厩様……!」
元気そうな信繁の顔を見ながら、昌幸は安堵と呆れが入り混じった声を漏らす。
と、
「――それでは、お二方」
戸口の前に立っていた久勝が、引き戸に手をかけながら、ふたりに向けて一礼した。
「拙者は一旦失礼いたす。竹中様が参られるまで、お寛ぎ下され。――御免」
「うむ。忝い」
鷹揚に頷いた信繁は、足軽を連れて屋外に出ようとする久勝の背に声をかける。
「仙石殿、案内ご苦労であった。感謝いたす」
「……」
信繁の謝辞に、久勝は背を向けたまま無言で会釈し、引き戸を閉めた。
「……やれやれ」
戸が閉まったのを見た昌幸は、緊張で強張った表情を緩め、大きな安堵の息を吐く。
「典厩様をこんなひどいあばら屋に押し込めておいて、『お寛ぎ下さい』とは、よう言うたものよ……」
「ははは、そう言うてやるな、昌幸よ」
昌幸の言葉に苦笑しながら、信繁は再び茶碗に口を付け、残った白湯を飲み干した。
「斯様に何も無い山の上では致し方あるまい。むしろ、屋根が付いておるだけありがたいと思わねばな」
「……確かに、そうかもしれませぬが」
盆の上の土瓶を手に取り、信繁が飲み干した茶碗に新たな白湯を注ぎながら、昌幸は憮然と答える。
と、信繁は声を潜めて昌幸に言った。
「……気付いたか? 儂が白湯を飲もうとした時に仙石久勝が向けていた目に……」
「……ええ」
土瓶を盆の上に戻した昌幸は、信繁の問いかけに小さく頷く。
「――面頬の奥からも分かるくらいの鋭い目で、我らの事を観察していましたね」
「ああ……」
信繁は、昌幸が注いでくれた白湯に目を落とした。
「恐らく……この白湯も含めて、半兵衛の指示であろうな」
「我らが、出された白湯を飲むかどうか……それによって、我らの真意を仙石久勝の目で測らせた――と?」
「恐らく、な」
そう言って頷いた信繁は、再び茶碗の白湯を呷る。
そして、空になった茶碗を盆の上に戻しながら、ぼそりと呟いた。
「さて……それを踏まえて、どう出るかな、半兵衛は……?」
◆ ◆ ◆ ◆
それから四半刻 (約三十分)後――。
「――失礼いたします」
不意に、戸口の向こうから涼やかな声が上がった。
同時に、ガラガラと耳障りな音を立てながら引き戸が開き、ふたりの男が入って来た。
ひとりは、仙石久勝である。先ほどと同じ甲冑姿だったが、兜と面頬は取っていた。その顔は、その体格に比べて意外なほど幼い。
――だが、信繁と昌幸の視線は、彼に続いて室内に入って来たもうひとりの男に釘付けとなる。
「……」
信繁たちと同じく、平服である小袖を身に纏ったその若い男は、板の間に上がると、ふたりの向かいに腰を下ろし、両手をついた。
そして、その女子のように整った秀麗な面立ちに穏やかな微笑を湛えながら、落ち着いた声で名乗る。
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