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第二部六章 軍師
事情と提案
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「……」
信繁の言葉に対し、半兵衛は相変わらず無言を貫いたまま、軽く目を閉じた。
その一方で、
「なっ……!」
思わず息を呑んだ昌幸は、驚きを隠せぬ様子で傍らに座る信繁の横顔を窺い見る。
「い、命を捨てる……ですと?」
そう、うわ言のような声を漏らした昌幸は、今度は向かいに座る半兵衛の顔に目を遣った。
「まさか、典厩様は……竹中殿が死ぬ覚悟だと申されるのですか?」
「……うむ」
無表情で床に目を落としている半兵衛の姿を見つめながら、信繁は小さく頷く。
「そう考えれば、辻褄が合う。今日までの間に、退却する機会がいくらでもあったのにもかかわらず、竹中殿がこの八王子山から動こうとしなかった理由がな」
「孤軍で武田軍を迎え撃ち、華々しく散って武名を残そうとしていると……?」
信繁の言わんとするところを悟った昌幸は、激しく頭を振った。
「あり得ませぬ! 腕っ節だけで戦う武辺者ならいざ知らず、竹中殿のような、知略を以て戦を操る者が、そのような無駄死にの如き最期を自ら選ぶとは……」
そう叫んだ昌幸は、自分の事を指し、更に言葉を継ぐ。
「拙者も竹中殿と同じく、戦場で知略を旨とする者ゆえ、解ります! 軍師を務める者が、この状況で早々に捨て鉢になる事などあり得ませぬ!」
興奮した様子で、昌幸がそう言い切った時――、
「――違う!」
唐突に、上ずった叫び声が、小屋の空気を震わせた。
その声に驚いた信繁と昌幸が、小屋の隅に目を向ける。
「違うのだ! それを……退却せず山に籠もる事を選んだのは、竹中様ではない……!」
「そうか……」
信繁は、引き戸の前に立つ男の顔を見ながら言った。
「お主か……仙石殿」
「……左様」
仙石久勝は、信繁の問いかけに小さく頷く。
「六日前……御味方の敗走の報を受けた後、退却せぬよう竹中様に進言したのは、拙者に御座る」
「……何故に?」
まだ幼さの残る顔立ちに沈痛な色を浮かべる久勝に、怪訝な顔で昌幸が尋ねた。
「何故、自ら命を捨てるような進言をしたのだ、仙石殿? 武田方の拙者が言うのもなんだが、速やかに安藤隊と合流すれば、再び武田軍と戦って手柄と名を挙げる機会も訪れように――」
「……戦う機会が訪れれば、な」
昌幸の言葉に、久勝は皮肉げな薄笑みを浮かべる。
そして、ちらりと半兵衛の方に目を向けてから、静かに話し始めた。
「……他家の貴殿らはご存知ないと思うが、元々拙者は仙石家の当主だったのだ。だが――昨年、仙石家が織田方に寝返った際、拙者は家督を弟である権兵衛 (仙石秀久)に譲らされる事になった……半ば強引にな」
そう言いながら、久勝は自嘲げに鼻で嗤う。
「屈辱だったが……当時まだ元服したての拙者には、抗う力も術も無かった。――そうして、尾張に走った仙石家に捨てられた拙者は、残された斎藤家の中でも『裏切り者の血』と蔑まれ、随分と肩身の狭い思いをさせられていた……」
「そのような事が……」
「だが、そんな拙者に、汚名返上の機会が訪れた」
久勝は、そこで昌幸たちに向かって不敵な顔で笑みかけた。
「――そう、此度の戦だ」
「……」
「華々しく戦い、目ざましい手柄を挙げる事が出来れば、家中の拙者を見る目も変わる……そう考えて、喜び勇んで戦列に加わったのだが――」
小さく溜息を吐いた久勝は、おどけた様子で肩を竦めてみせる。
「いざ蓋を開けてみれば、拙者は竹中様と共に八王子山で籠もる役目に回され、御味方は僅か半日で敗北ときた」
久勝は、悔しげに唇を噛み、更に言葉を継いだ。
「無論、烏峰城下の戦の結果を知った竹中様は、即時に陣を畳み、御味方に合流しようとした。それを拙者が説き伏せたのだ。『このままおめおめと稲葉山に戻ったところで、竹中様も拙者も、また元のように蔑まれる。なれば、我らはこの地に留まり、攻め寄せる武田軍にせめて一矢報いて己が名を上げる事にいたしましょう』……と」
「――『竹中様“も”』?」
彼の言葉を聞いた昌幸は、ハッと目を見開く。
「そうか……。そういえば、竹中殿も――」
「……ええ」
昌幸の呟きに頷いたのは、ずっと沈黙を保っていた半兵衛だった。
顔を上げた彼は、信繁と昌幸に目を向けながら、落ち着いた声で答える。
「私は、昨年の件で、殿にいたく憎まれております」
「昨年の件……あの、稲葉山城乗っ取りの件か……」
「はい」
信繁の言葉に、半兵衛は頷いた。
「決して二心があった上での暴挙ではなく、殿に目を醒まして頂きたい一心で起こした荒療治でした。しかし、我が不徳のせいか、その意は殿の心には届かなかったようで、ただただ恨みと憎悪を買っただけに終わりました」
そう言って、疲れた顔で息を吐いた半兵衛。
彼は、再び茶碗を手に取り、白湯に映る自分の顔を見ながら話を続ける。
「……恐らく、このまま稲葉山に帰れば、殿はこれ幸いと此度の敗戦の責任を私に全て負わせ、切腹を申しつける事でしょう」
「……この山に残っても、退却しても、死は免れぬという事か」
「……」
唸るように漏らした昌幸の声に、半兵衛は無言で頷いた。
そんな彼を見ながら、信繁は頭の中で考えを巡らせる。
(――半兵衛の予測は、恐らく正しい)
斎藤家当主・斎藤龍興の為人は知らぬ。だが、漏れ伝わってくる噂から考えると、かなり気短な性質で、かつ器量の狭い男のようだ。
であれば、自分に『居城を奪われ追い出される』などという恥辱を与えた男を許す事など出来まい。
――たとえ、その男が『今孔明』と称されるほどの知謀を備えた竹中半兵衛だとしても……いや、だからこそ。
「――典厩様」
傍らの昌幸が、低い声で信繁を呼んだ。
首を巡らせると、昌幸が何かを訴えるように彼を見つめている。
「……うむ」
信繁は、昌幸にコクンと頷きかけると、真正面に座る半兵衛に向き直った。
そして、穏やかな声で語りかける。
「竹中殿――儂から、ひとつ提案がある」
「……提案?」
半兵衛は、信繁の言葉に眉を顰めた。
「それは一体、なんでしょう?」
「――他でもない」
半兵衛の問いかけに頷いた信繁は、彼に向けて手を伸ばしながら答える。
「竹中殿――我が武田家に来る気は無いか?」
信繁の言葉に対し、半兵衛は相変わらず無言を貫いたまま、軽く目を閉じた。
その一方で、
「なっ……!」
思わず息を呑んだ昌幸は、驚きを隠せぬ様子で傍らに座る信繁の横顔を窺い見る。
「い、命を捨てる……ですと?」
そう、うわ言のような声を漏らした昌幸は、今度は向かいに座る半兵衛の顔に目を遣った。
「まさか、典厩様は……竹中殿が死ぬ覚悟だと申されるのですか?」
「……うむ」
無表情で床に目を落としている半兵衛の姿を見つめながら、信繁は小さく頷く。
「そう考えれば、辻褄が合う。今日までの間に、退却する機会がいくらでもあったのにもかかわらず、竹中殿がこの八王子山から動こうとしなかった理由がな」
「孤軍で武田軍を迎え撃ち、華々しく散って武名を残そうとしていると……?」
信繁の言わんとするところを悟った昌幸は、激しく頭を振った。
「あり得ませぬ! 腕っ節だけで戦う武辺者ならいざ知らず、竹中殿のような、知略を以て戦を操る者が、そのような無駄死にの如き最期を自ら選ぶとは……」
そう叫んだ昌幸は、自分の事を指し、更に言葉を継ぐ。
「拙者も竹中殿と同じく、戦場で知略を旨とする者ゆえ、解ります! 軍師を務める者が、この状況で早々に捨て鉢になる事などあり得ませぬ!」
興奮した様子で、昌幸がそう言い切った時――、
「――違う!」
唐突に、上ずった叫び声が、小屋の空気を震わせた。
その声に驚いた信繁と昌幸が、小屋の隅に目を向ける。
「違うのだ! それを……退却せず山に籠もる事を選んだのは、竹中様ではない……!」
「そうか……」
信繁は、引き戸の前に立つ男の顔を見ながら言った。
「お主か……仙石殿」
「……左様」
仙石久勝は、信繁の問いかけに小さく頷く。
「六日前……御味方の敗走の報を受けた後、退却せぬよう竹中様に進言したのは、拙者に御座る」
「……何故に?」
まだ幼さの残る顔立ちに沈痛な色を浮かべる久勝に、怪訝な顔で昌幸が尋ねた。
「何故、自ら命を捨てるような進言をしたのだ、仙石殿? 武田方の拙者が言うのもなんだが、速やかに安藤隊と合流すれば、再び武田軍と戦って手柄と名を挙げる機会も訪れように――」
「……戦う機会が訪れれば、な」
昌幸の言葉に、久勝は皮肉げな薄笑みを浮かべる。
そして、ちらりと半兵衛の方に目を向けてから、静かに話し始めた。
「……他家の貴殿らはご存知ないと思うが、元々拙者は仙石家の当主だったのだ。だが――昨年、仙石家が織田方に寝返った際、拙者は家督を弟である権兵衛 (仙石秀久)に譲らされる事になった……半ば強引にな」
そう言いながら、久勝は自嘲げに鼻で嗤う。
「屈辱だったが……当時まだ元服したての拙者には、抗う力も術も無かった。――そうして、尾張に走った仙石家に捨てられた拙者は、残された斎藤家の中でも『裏切り者の血』と蔑まれ、随分と肩身の狭い思いをさせられていた……」
「そのような事が……」
「だが、そんな拙者に、汚名返上の機会が訪れた」
久勝は、そこで昌幸たちに向かって不敵な顔で笑みかけた。
「――そう、此度の戦だ」
「……」
「華々しく戦い、目ざましい手柄を挙げる事が出来れば、家中の拙者を見る目も変わる……そう考えて、喜び勇んで戦列に加わったのだが――」
小さく溜息を吐いた久勝は、おどけた様子で肩を竦めてみせる。
「いざ蓋を開けてみれば、拙者は竹中様と共に八王子山で籠もる役目に回され、御味方は僅か半日で敗北ときた」
久勝は、悔しげに唇を噛み、更に言葉を継いだ。
「無論、烏峰城下の戦の結果を知った竹中様は、即時に陣を畳み、御味方に合流しようとした。それを拙者が説き伏せたのだ。『このままおめおめと稲葉山に戻ったところで、竹中様も拙者も、また元のように蔑まれる。なれば、我らはこの地に留まり、攻め寄せる武田軍にせめて一矢報いて己が名を上げる事にいたしましょう』……と」
「――『竹中様“も”』?」
彼の言葉を聞いた昌幸は、ハッと目を見開く。
「そうか……。そういえば、竹中殿も――」
「……ええ」
昌幸の呟きに頷いたのは、ずっと沈黙を保っていた半兵衛だった。
顔を上げた彼は、信繁と昌幸に目を向けながら、落ち着いた声で答える。
「私は、昨年の件で、殿にいたく憎まれております」
「昨年の件……あの、稲葉山城乗っ取りの件か……」
「はい」
信繁の言葉に、半兵衛は頷いた。
「決して二心があった上での暴挙ではなく、殿に目を醒まして頂きたい一心で起こした荒療治でした。しかし、我が不徳のせいか、その意は殿の心には届かなかったようで、ただただ恨みと憎悪を買っただけに終わりました」
そう言って、疲れた顔で息を吐いた半兵衛。
彼は、再び茶碗を手に取り、白湯に映る自分の顔を見ながら話を続ける。
「……恐らく、このまま稲葉山に帰れば、殿はこれ幸いと此度の敗戦の責任を私に全て負わせ、切腹を申しつける事でしょう」
「……この山に残っても、退却しても、死は免れぬという事か」
「……」
唸るように漏らした昌幸の声に、半兵衛は無言で頷いた。
そんな彼を見ながら、信繁は頭の中で考えを巡らせる。
(――半兵衛の予測は、恐らく正しい)
斎藤家当主・斎藤龍興の為人は知らぬ。だが、漏れ伝わってくる噂から考えると、かなり気短な性質で、かつ器量の狭い男のようだ。
であれば、自分に『居城を奪われ追い出される』などという恥辱を与えた男を許す事など出来まい。
――たとえ、その男が『今孔明』と称されるほどの知謀を備えた竹中半兵衛だとしても……いや、だからこそ。
「――典厩様」
傍らの昌幸が、低い声で信繁を呼んだ。
首を巡らせると、昌幸が何かを訴えるように彼を見つめている。
「……うむ」
信繁は、昌幸にコクンと頷きかけると、真正面に座る半兵衛に向き直った。
そして、穏やかな声で語りかける。
「竹中殿――儂から、ひとつ提案がある」
「……提案?」
半兵衛は、信繁の言葉に眉を顰めた。
「それは一体、なんでしょう?」
「――他でもない」
半兵衛の問いかけに頷いた信繁は、彼に向けて手を伸ばしながら答える。
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